【2019.03.31】
★3月も終わりいよいよ春が来そうだったが、周りの山々は再び雪化粧である。気温も下がり北風が吹いて冬に逆戻りしたような天候になった。飯田市上郷の飯沼神社に行くと既に満開になった桜があり、カメラマンが数名撮影に訪れていた。休みとあって観光客も居たが、とうてい花見という気分にはなれないようで早々と引き上げていった。 花見というのは日本人だけの年中行事だったが、最近は外国にも花見という宴会方式が伝わって桜の木の下で飲み食いしているらしい。同じように寿司とか味噌.醤油なども世界に伝わって愛好家が増えていると言う。 中国では生の魚は食べる事が無かったが、最近の寿司ブームで生でも食べる人が多くなった。その結果がマグロの資源枯渇と日本国内での値上がりである。 日本人が世界に出て行って何をやっているかというと、国内の庶民の食品の値上がりを煽っているだけではないか。早い話が外国で商売している人や企業は日本人の敵と言うべきか?。 ともかく今や観光地もスキー場も外人だらけだ、長野県内でもお猿の温泉でおなじみの地獄谷野猿公苑の観光客もほとんどが外国人である。 カネを落として行くだけならいいが、彼らが犯罪や騒動を起こす事も多くなり旅の恥はかきすてと言う事だけは実践して欲しくないものだ。 日本人という人種は今迄アジアや中国それに東南アジアの人種が縄文人の住む日本列島に渡来し、縄文人と交わって出来たと言われていた、しかし最近の縄文人や弥生人の核DNAの解読によって、日本人は縄文人のDNAを多く引き継いだ固有の人種であろうと言われているようだ。ともかく固有種の絶滅が続いている日本列島である、せいぜい日本人という固有種は未来に引き継いでいきたいものである。 ★明日の新元号公表でゴム印業界や製紙業界はかつてない大量注文に嬉しい悲鳴を上げているという。景気回復には3年に一回ぐらい年号を変えても良いかもしれない。 同じように最近では恵方巻きとかバレンタインデーとかホワイトデーとか業界が造り出した新ブームによって業界は大いに売り上げを伸ばしているが、裏を見れば悲惨を絵に描いたようなものだ。コンビニではアルバイト従業員にまで恵方巻き販売のノルマを課しているというし、売れ残った恵方巻きは数千トンも棄てられる。これは犯罪である、明らかにスピード違反より重い犯罪なのだ。食べ物を粗末にするという行為は止まることを知らないが、なかでも鎌倉市の食べ歩き自粛規制は異例である。町中を食べながら歩くことを由とする風潮を造り出し、ひいては食べ物を粗末にするという行為へと進んでいくのだから規制は当然であろう。やはり食べ物が無いという苦労をしないと人はその有り難さを判らないのだろう。それには天変地異か戦争しかないだろうが、こんなふしだらな理由によって戦争をするというのも考え物だ。 人はどんな動物より重い脳味噌を抱えているのだから、食品の有り難さぐらいは判断出来るだろう。それが出来ないようなコンビニの社長もスーパーの社長も経営者の資格は無かろう。

【2019.03.30】
★いままで当たり前だと思っていた事が実は真逆だったということは幾らでも有る。例えば「悲しいと涙が出る、嬉しいと笑う」というのは間違いである事がぼぼ証明された。正確には「泣くから悲しくて、笑うから楽しい」というのである。この正反対の事実は臨床心理学とFMRI(頭に電極を付けて脳の様子を直接見る事が出来る装置)の開発によって証明されたのだ。 自分が幸せだと思わない人は決して幸せになれないし、自分は成功すると思わない人は決して成功しないと言う事だ。 確かにその通りでスポーツ選手でも試合前にインタビューしたとき、金を取りますと答えた人しかメダルを取らなかったという報告もある。 落語家の木久扇さんが病院でリューマチの患者の前で落語をして笑わせているとき、ほとんどの患者は痛みを忘れていたという話もある。 要するに昔から言われていた「笑う門には福来たる」ということであり、昔の人はこのことをしっかり認識していたと言うことだろう、大発見とも言えないようなことだが「泣くから悲しくて、笑うから楽しい」というのは正解である。せいぜい笑って過ごせば未来は良いことが確実にやって来ると言う事だ。 ひねくれ者が学校で苦虫をかみつぶしたような顔をしていると、彼らは自分の未来を自ら放棄していることになる。どんなに嫌な他人でも前で一度笑っただけでわだかまりは消える。 動物には笑うものはない、人間にだけ与えられた「笑い」は生きる為に必要だったからだ。それを利用すれば楽天的になり病魔も遠ざかるのだ。もちろん長生きの秘訣も笑うことだろうと思う、決して何を食べたからとか医者に行って年に何回も検診したからでもない。 例えば乳がん検診ではマンモウグラフを使うが、レントゲンによる被曝量が大きい。このために検診による乳がん発見の利益と発がんの損失を比較すると35歳位下だと検診のメリットは無いのだ(飯沼武氏が第17回日本乳癌検診学会での研究報告)。 ★医者の子が医者になったり、女優の子が女優になったり、大工の子が大工になったりするのはいつも見聞きすることだ。しかしこれは多少の遺伝もあるだろうが全てが遺伝によるものではない。これはスポーツ選手の例を見ると良く判るが、彼らはカエルの子になるために子供の頃から人並み外れたカエルになる為の努力をしているからだ。何の努力もせずに羨ましく思うのは間違いである事を納得した上で自分の好きなことに熱中してみよう。そして羨む気持ちではなく自分の努力に対して大いに笑って褒めてやろう。そうすれば誰でも思った通りの未来が約束される筈である。悲観とは自分の負けを認めるだけの逃避行動でなのである。

【2019.03.29】
★新元号の発表が近付いて様々な業界が虎視眈々と利権を狙っているようだ。まず一番忙しいのは特許庁ではないだろうか。特に商標登録は先を争う。○○飴、○○産業、○○焼酎など話題の商標を手に入れる絶好の機会である。しかし年号が変わったからと言って何も変わるわけではないから大騒ぎすることもなかろう。政治の基本的な姿勢が少しでも変わった方が庶民にとっては有り難いのだ。 元号は今後皇室だけが行事とかに使うだけにした方が確実に庶民にとっては有り難い。これは右翼とか左翼を問わず年号の二重管理という不都合を無くすためである。第一面倒くさいではないか。 四月一日といえば世間はエイプリルフールとしての認識がある。面白い年号がネットで飛び交うのも面白いだろう。 韓国のテレビドラマ(ヨンシル)という天文学者の活躍を見ていたところ、王様は時間というものを支配し、国民にそれを教える事によって王の権威を保つというような場面があった。それに科学技術の研究は属国では御法度で、科学者は処刑され場合によっては戦争にもなったという。要するにノーベル賞学者の頭脳は狂気であり兵器なのである。 日本の元号も一部の人間が決めることによって政府が支配しているようだ。これもアベノミクスの失敗が囁かれる中で何か一つでも輝きが欲しいというものになるだろうか。 元号はさておき、最近は日銀などが景気判断を可能な限り良い数値だけで判断し、落ち目にはなっていないという発表をしているが、現実は確実に下降期に入っていて隠蔽された数値はとても公表出来るようなものではないのだろう。株価はある程度の高値を維持しているが、これは国民が積み立てている年金の資金を使って株を買いまくって高値維持に奔走しているからだ。再び5000万人分の年金が消えてしまう日はそう遠くないかも知れない。 ★森友学園問題で国有地売却をめぐる財務省の決裁文書改ざん事件で不起訴処分となっていた佐川宣寿に対し検察審査会は「不起訴不当」とする議決をした。こんな国家の重要文書を改ざんして無罪なら、僕が運転免許証を改ざんしたりコピーして自動車を運転していたとしても完全に無罪になると言う事だ。 福島第一原発の爆発についてもその被害の大きさと言い範囲の広さ、国民生活への多大な影響、広範囲な放射能汚染という大事件であり、想定外だったなどと言う屁理屈は通用しない。犯人が一人も居ないなどと言うのは検察の捜査怠慢である。如何に国家的な会社であっても犯罪は犯罪であることを忘れたら国家は滅亡する。本来ならば事件関係者は全員無期懲役刑にするべき案件であろう。 先日再審で無罪になった85歳の方の裁判で新たに出された証拠品を見ると明らかに警察がでっち上げた冤罪である。こんな冤罪を造った者達も裁かれねば民主主義の公平性は保たれない。警察は如何なる権力にも組することなく民主主義を守るのが本来業務であろう。だから冤罪を造った者達は全員受刑者と同期間投獄すべきでが妥当だろう。それも出来ないようなら民主主義国家などとは内外に対して言わないことだ。

【2019.03.28】
★歌手の森昌子さんがついに芸能界を引退するという。多くのヒット曲を出してきたアイドルも仕事をやり尽くしたということだろうか。まだ60歳というから還暦になったばかりだからまだまだ歌えそうだが引き際が肝心なのだろう。こういう人達の引退や病気が伝えられると自分の人生に照らしてしまう。 そう言えば結婚式の時はあの歌が流行っていて従兄弟が歌ってくれた。就職した当時は高校3年生が流行っていて工場見学に行くバスの中で歌った。家族と別れて独りぼっちになって泣きそうになった時、草笛を吹こうよという歌がどこからか聞こえてきた。人生のなかで生活とか状況と関連付けられて思い出すのは流行歌であろう。 もっともっと昔の子供の頃のことだが、父が行商から蓄音機を買った、当時は相当高価だったと思うが三橋美智也の「リンゴ村から」という歌謡曲と、広沢虎造の浪曲と2枚のレコードを一緒に購入した。近所の人が入れ替わり立ち替わり聞きに来ていて、1ヶ月も経った頃には中のゼンマイが切れてしまった。そこで母の在所の機械に詳しい人を連れてきて泊まり込みで修理したこともあった。僕はその様子を目をこらして見ていてハガネのゼンマイを如何にしてつなぐのか覚えたのだった。 その後にトランジスタラジオがソニーから発売され確か「TR75」という型のラジオを買った。しかし1局しか受信出来ず感度も悪かったため、アンテナを針金で延長していって近くを通過していた土木工事用の2千メートルぐらいの架線に接続したら感度も10倍ぐらい上がった。しかし夏のある日に雷が出て架線に落雷し針金を通ってラジオに入りバーーンという音と火花と共に貴重なラジオは焼けてしまった。雷の何たるかを知ったのもその時だった。多くの経験と他人との交流によって僕は多くの技術を覚えた。免許も自動車を含めて10種類ぐらい取得している、中にはアセチレンガス溶接士とかクレーン運転士や危険物取扱主任者などもある。 昔から資格を多く持っている人の事を「資格貧乏」と言っていたが、これは正解である。要するに何でもやれると思うと一本の道が定まらないからだ。 しかし世の中、何でも覚えていて損することはない、僕は石油給湯器やエアコンも自分で取り替えるし、トイレや台所の建て替えも自分でやっている。しかしここでも資格貧乏というものが正体を現すのだ。大工仕事のために電気かんなとかマルノコを始め角ノミまで買ってくるから大工さんに頼むより確実に高くなるということだ。早い話が仕事をするのに道具に走ったらお終いだということである。それでも楽しめる人生であれば良いのだし、どうせ人生一度である、自分で様々な楽しみを味わうのも飲み屋で散財するよりも良いと思いたい。

【2019.03.27】
★気温も上がって各地から桜開花の様子が報告されている。桜の木の下では酒を飲んで憂さ晴らしする人々の姿が痛々しい。金を稼ぐために会社に行って大きなストレスを溜め自費で酒を飲んで発散するからだ。まだストレスぐらいならいい、精神病になったり自殺する人も後を絶たない。健康で豊かな生活をするために働いて病気になったり死んだリしたら丸損ではないか。要するに働く事をもっといい加減に考えないといけないのである。日本人は真面目という上に更にクソとか馬鹿が付くのもこのためである。 もっと楽天的に物事を考えるべきである。なぜ人間は猿のままでなかったのか、なぜ猿と分かれて人間への道を切り開いていったのか?。 それは冒険心と楽天的な考え方を持ったからだ。居ますんでいる場所を離れてもっと遠くに行ってみたら食べ物が多く見付かるかも知れない..無かったら別の場所に行ってみればいい、という考えを持った猿の一部が進化して人間になったのである。 このDNAは今も我々の中に宿っていて、火山噴火や気候変動で地球環境が悪くなったとき、何とか月や火星に移住出来ないかと真剣に考える者が有るのもこのためだ。 人はこうして海の生物から進化して今のような脳を獲得したのだが、現実として重すぎるようにまでなってしまった。 今も太古のDNAの持つ遺伝子情報は確実に作動していて、例えば減塩に徹した食事をしていると血圧は多少下がるかも知れないが、腎臓を悪くしてしまう。その証拠として減塩を悪とする指導が為されて以降人工透析の患者は減塩と反比例して増えているのである。何かを優先すれば何かに悪影響が出るというのは難しく考えるまでもなく当たり前のことなのだ。 同じように糖尿病が怖くて糖分を控えると脳に必要なブドウ糖が不足してしまう、これが何をもたらすかというと痴呆である。必要な栄養素がなくなればその臓器の機能が落ちることは明らかである。 高血圧だとされる人のほとんどは同じ経験をしていると思うが、医者に行って血圧を計ると家で計るよりも10〜50も高い数値になるが、これは楽観的になっていないからである。 要するに健康法というものは普通である事、それと楽観的である事に集約される。 医学の発達は機械の発達である、人が出来なくなった事を機械が代わってやっているだけのことだ。 中国を始めとする東洋医学は、脈診だけで異常のある臓器を発見するだけでなく、例えば妊娠の有無や何ヶ月経っているかなども言い当てていたようである。それに鍼(はり)という治療法も考案され現在も使われて効果をあげている。僕も耳鳴りがするときは両耳の裏のツボに長さ1.2mmの鍼を自分で打っている。こうすると数時間後にはほぼ100%止まるから不思議である。 人は寿命が尽きるまでは確実に生きられるのだから安心して過ごそうではないか。

【2019.03.26】
★ウオーキングしていて楽しみなのは野に咲く花の移り変わりと同窓生に出会うことだ。近くにも数人の同級生が住んでいるが車で通りかかって出会う事もある。今日は中学校の同級生のS子さんに出会った。借りている畑で旦那さんと野菜を作っているので時々出会うが、今日は畑の片付けに来たのだという。というのもリニア新幹線の飯田駅が出来るために近隣で道路整備が行われ新道や拡幅が行われるためだ。この道路拡幅により畑が無くなってしまうというから追い出された形である。折しも昨日はこのリニア新幹線関連の道路整備事業が正式に認可された。 主な工事はリニア飯田駅に向かうための県道や市道整備で、中央道座光寺パーキングに新設されるスマートICから東に向かって新設され新駅に向かう道路だ。この道路は上郷の土曽川沿いに建設され、トンネルばかりの新幹線とは違うから買収される田畑も多くなる。参考までに通過経路図を載せておく。 路傍の花も咲き出した、白に黄色それに紫と冬にはなかった色が景色に加わるのだ。 飯田市内の桜並木のヒガンザクラもほぼ満開になっていたから花見が出来るのもすぐだ。ここで忘れてはならないのは「春来たりなば冬遠からじ」ということだ。見せ掛けの小銭に浮かれていると、その数倍も損をするとか。便利になると道は出来たが騒音には耐えられないとか。甘言に乗せられて投票はしたが一度も地元を振り向かないとか。 ともかくこの世の中は欺し欺されて未来に進んでいくことは間違いない。 ★世の中には現在の人権というものの何たるかを忘れた者が多い。その中でも教員や教育委員会の連中が目立っているのは何故だろうか。何か勘違いして居るのか、それとも特権意識を持っているのか、或いは官僚組織の一部を担っていると思っているのか僕にも判らないが、おおよそは馬鹿者の集まりだと言う事だけは判る。例えば昨日公表された山口県の県立下松工業高の教員は生徒に馬鹿とか阿呆とか暴言を吐き続け、終いには生徒の頭をバリカンで丸刈りにしたというものだ。彼は社会の情勢を知らないのか、それとも新聞やテレビも見ていないのか。何が暴力で何がイジメなのかわかっていない者が教育委員会の仕事で飯を喰っているのか。 この教員に対して解雇を求める嘆願書が出た、全生徒40人と保護者39人の連名である。 時に人はカッとなって叩く場合もあるだろう、しかしこうした行動は常習化すると暴力的になり、殴る蹴るという行為に発展する。前にも書いたが、学校で飼っているウサギを殺す者はやがて人を平気で殺すようになる、ということと同じ事だ。学校でも社会でも企業でもこうした小さな行為を防ぐ事から考えていかないと会社も破産することになる。例えば従業員に対して暴言を吐いたり暴行したりパワハラしたとすれば商品に農薬を混入させるという行動に出るかもしれないということだ。人は黙っていない、やられたら必ずやり返そうと思うのが人情である。ボクシングのチャンピオンもイジメらえた者に仕返しをするために練習を始めた人も実際に居る。良いか悪いかは別にして世界の国家レベルでも同じ事を繰り返しているのが現状である。第二次世界大戦の終わった後の事を知っているだろうか?。下士官(曹長・軍曹・伍長)以上だった者は終戦後家に戻ることも出来なかった。何故なら軍隊でいじめた人から次々に殺されたからだ。こんな事ぐらいは知って置いて損は無いだろう。

【2019.03.25】
★久し振りに午後時間が空いたので友人のN君に電話して一緒に昼飯でも食べようと思ったが、腰が痛くて外にも出られないという状況だった、そこでウオーキングが終わってから近くにある「じゃげな」というラーメン店に行った。ここの味は濃くてパンチが効いていて僕は大好きだ、ラーメンにニンニクの生をトッピング(無料)する、更にライスも追加した。いつもはギョーザも追加するところだが今日はやめた。この店のラーメンは旨いが飯に問題がある、真剣に炊いていない味である。ラーメンだけ旨ければいいと言う問題ではない、今後の精進を望むだけだ。 食後に道路を隔てて真向かいにある「高森あんしん市場」という産直品売り場に寄ってリンゴを買った。リンゴを毎日食べると血圧が下がる効果が有るからだ、僕は夕食後にほぼ毎日食べている。これを実践した人を数人知っているが皆が効果を認めている。中でも岐阜県から飯田市に転勤してきていたMさんは血圧が高くて治療中だった。既に7〜8年薬や縄跳びなどをやっていたが効果が全く無かった。飯田市に来て名物のリンゴを半年間昼食後に毎日1個ずつ欠かさずに食べたところ、確実に血圧が通常の範囲に戻ったのである。何でも効果が有ると言われるものは神頼みも含めて実践して見るのも良い治療法なのである。 某医学博士の言うには健康になるには難しいことはない、1に腹を冷やさないこと、2に口呼吸をすること、3に疲れたらしっかり休むこと。たったこれだけで大半の病気は防げるというが、その通りだろう。 最近多くなった病気に「免疫過剰反応」というものがある、これは花粉症に始まり膠原病にいたるまで非常に多い病気だが治療法がない。しかしこの病気の原因は野菜に含まれる農薬によって腸内の寄生虫が完全に死滅してクリーンな胃腸になったことだ。 治す方法は、野山を歩いて湧き水を飲むことが近道だ。野山に昔から住んでいる体内に必要な寄生虫や雑菌を体内に取り込むのである。人の体内には雑菌が必要なのだ、彼らに生きるべき住処を与えることで自身も救われるということだ。世界は全て同じようなシステムで廻っていることを忘れてはならない。 ★最近若い女性の勇気ある反乱や告発が話題になっている。スポーツの世界でもパワハラに遭った女子選手が堂々と公表したが、これに対し上部の人間は揉み消しを計り反正文を書かせたりして愚かさとモラルの無さ露呈した。最近でも女性アイドル歌手が仲間の歌手が個人情報を漏洩した結果暴漢に襲われるという事件が有り彼女もこの一件を公表したが、やはり会社は揉み消しを計り謝罪させた挙げ句これをネタにして警察や関係方面になかったことにとして言いふらしたのだ。ここで登場する大人達の堕落ぶりはどうだ、情けないというか悪の組織に同化したと言うか見るに堪えないではないか。庶民は誰が嘘を言っているのか確実に知っていると言う事も忘れてデタラメな会見をする姿は社会の病原菌としか言いようが無い。

【2019.03.24】
★最近は何をやっても平成最後という言葉を冠している。確かに間違いではないが、なぜ尺貫法が使われない今も平成なのだろうか?。若者は疑問に思わないのか、日本だけが独自の年号を持つのは良いとしても官庁ですら西暦を使い時には和暦も使う。書類に書く日付けも時と場所によって違うのだから不便極まりない。和暦は日本独自に何か式典をやるとき使うようにして他は西暦を使うように法整備すべきであろう。ヨーロッパに行って「ヘイセイ」などと言い張っても通用しないのは当たり前である。 今日は平成最後の大相撲春場所が行われたが、優勝した白鵬は平成など使わないだろうと思うが..。 ★昼寝をしていたら電話がかかってきて仕方なく起きて受話器を取ると、○○さんですね私は○○党の応援をしている者です、是非一度選挙のことで話を聞いていただきたいので伺いたいのですが..と言う。僕はどのような政党にも属さないし投票は自分の意志でやるから他人の推薦のことなど聞きたくない..と言って受話器を叩きつけた。ようやく昼寝に入った所を起こされてしまいいささか気分が悪い。 ともかく政党の実態も知らないような馬鹿者共が何を信じて推薦するのかが判らないが、何か得な事でもあるのだろうか。 日本の選挙は個人の議員に投票するという選挙は既に失われている。要するに当選した議員が国会で賛成とか反対とか自ら意思表示ができないからだ。大将の言う通に手を上げたり下げたりするだけだ、こんな事なら小学生でも出来る仕事である、出来ないのは口利きと収賄ぐらいだろうか。要は地元の意見や応援をしてくれる議員であっても意見など述べる隙がないということだ。誠に情けない限りで、この時点で日本の民主主義は完全に失われているのである。 他の国の軍事政権の行う選挙も似たようなものだし、ロシアにしても政敵を殺してから選挙をするという取り組みも日常化されている。アメリカに至っては敵対国ロシアに協力して貰っていたという疑惑付きの選挙が行われた。 どのような主義だろうが政権だろうが、特権階級が君臨している国家では選挙の意味は大方が失われているのだ。中には地方の選管が忖度して投票数を誤魔化すということを平気でやっている国も有るというが、日本は大丈夫だろうか疑いたくなる。選挙結果という投棄し数字すら信用出来なくなってしまった。まさに今の世界は自由と平等が完全に失われた人権無視世界と言っても過言では無いだろう。

【2019.03.23】
★急激に冷え込んで桜の開花も途中でストップしてしまった。阿南町に出掛けたが昼近くなっても気温は4度程度であれう。桜も咲き出していたが寒さに震えているようだった。遠山方面では雪も舞っていたようだ。 先日山小屋から運搬してきた原木にナメタケの駒を打とうと考えていたが、気温が低く外に出るのが嫌になって屋内でヤフーオークションの出品などして過ごしていた。 最近はレトロブームという事もあってコンピューターの世界でも20年以上前のパソコンやソフトが人気を博しているようだ。骨董的な価値というか懐かしさというか、趣味の世界については凡人では考えも及ばないことがある。インターネットオークションで真贋もはっきりしないような陶器や掛け軸を数十万円で買う人も少なくない。 車の世界も同様で旧車ファンというものが各地にあって時々50年以上昔の車でドライブに出掛けているようだ。僕も以前この市内の旧車グループから誘われて戦後アメリカ軍が持ち込んだMB型のジープで参加したことがあった。飯田市から御嶽山に行き昼食に蕎麦を食べて帰るだけのツーリングだったが、沿線のドライブインなどでは随分注目を集めた。 しかしジープというのは車の基本であり今も愛好者が多い、構造が簡単なので修理も簡単に出来るし、部品に至っては全ての物が入手出来る。70年前のエンジンだって手に入るのだから大したものだ。ヨーロッパの旧車も同様で100年ぐらい昔の車の部品も入手可能な物が多い。要するに一般的な日本人の考え方と違って旧い物に対する愛着が大きいのである。家具も同様でテーブルなども親子三代は受け継いで使っているようだ。 日本の文化はバブルという飽食の時代があったために使い捨て文化が定着してしまった。バブルの時は信じられないようなことが日常的に行われていた。ある有名なカメラメーカーでは新型の機種を発売開始するに当たって各地の倉庫に在庫してた旧型のカメラを処分した。一台10万円から30万円する一眼レフを大型トラックに一杯を鉄屑にしたというから驚きである。若しもこのカメラを安売りすると新型の機種の販売に影響するから棄てた方が儲かると言う事だ。 今は食品の廃棄が問題になっている、特に宴会の後の食べ残しとコンビニの売れ残りが多くを占めているようだ。一回の宴会で家族が1ヶ月食べられるぐらいの廃棄物が出ることもあると言う、明らかにバチ当たりである。しかし温泉地のホテルにして4みればほとんどの客が食べ残すほどの料理を出さないと評判が悪くなってしまう、食べ残して貰った方が儲かるのである。 要するに食べ残しというものに対しても金儲け主義が大きく影響しているのである。 僕たちは敗戦後の貧しい時期を生きて来ているから食物を粗末にすることはないし、もったいないという考えを最優先してしまう。腐ってしい食べたら困るという人もいるが、最近は腐った物かそうで無いものの判断がつかない人が多いようだ。その原因は腐った物を口に入れたことがないからである。たまには腐った物の試食会を開催してみたらどうだろうか。人が生きる上で微分積分を理解するより効果的だろう。

【2019.03.22】
朝の最低気温が11度という暖かい朝になった。そこでウオーキングで一回りすると早咲きの桜はもう満開になったものもあったし、木蓮の花が開花を始めていた。我が家の早咲きの桜も満開になっている。だが明日からは急激に気温が下がって開花も小休止すると思われる。春は言葉を捉えると素晴らしいように感じるが、実は花粉症になるし体調もあまり良くない。4月になると4月病というものさえある。新しい旅立ちとか新入社員とか言うが結局はこの先の長いストレスの始まりである。 しかし今年の山の雪の少なさは問題である、雪解け水が出てこないと渇水になるし、反対に梅雨時の大雨になる可能性もある。世の中も気候もままならない。 ★今日は中 繁彦先生と飯田市内で会食した。お互いに活力と体力を付けるためにステーキを食べに行った。腹一杯食べたら胃の中で牛が暴れているような気がしてきた。先生も相変わらず元気である、やはり高齢になっても目標とかやる事を持っていると気力が違う。長生きするには第一に気力であろう。 腹一杯になって車で飯田ICから松川ICに向かったが、車中で話に花が咲き降りるのを忘れて駒ヶ根ICまで行ってUターンしてきた。遠望する南アルプスも雪は少なく赤石山脈の高い山を除けば山頂まで雪がない。 今年は諏訪湖でも御神渡りが見られなかったから農業は不作になるかも知れない。 ★アメリカと北朝鮮のベトナム会談の失敗から一ヵ月が経ったが、今日になって韓国と北朝鮮の担当者が常駐してる共同連絡事務所から北朝鮮の代表が全員が本国に引き上げていったという。これは会談の失敗と言うより武器商人のアメリカが仕組んだシナリオではないかと考えている。世界に平和が来てしまったらアメリカはとんでもない貧乏な国に転落してしまうからだ。世界の仲の悪そうな国に出掛けていって戦争を仕掛けては大儲けして国民が豊かに暮らしているのだから、当然なの成り行きであろうと考えるのが正しかろう。もちろんロシアも似たような国だから、世界の紛争国に乗り込んで行って自ら戦争を仕掛けてくるのが得意であり、戦争のおこぼれを人一倍獲得する名手でもある。樺太がロシアに取られたのもこのためだ。大国がこんな状況では平和など来はずもない、彼らは自国以外で戦争することが平和だと思っているからたまったものではない。ともかくどのような災難にも巻き込まれないことが薬を毎日飲むより有効であろう。

【2019.03.21】
★彼岸の中日は毎年春と秋に南アルプス山麓の山小屋に行って父母を始め先祖の墓詣りをする。今年はあいにくの雨で、線香に火を付けるのも一苦労だった。妻と共に何とか数軒の墓詣りを済ませてから親戚の家に寄って1時間ぐらい世間話をしてきた。ほぼ老老介護に近い家庭だが、風呂は週に2回ディサービスに行って済ませるという。このサービスがなかったら施設に行くしかないような感じである。オリンピックのような犯罪に等しい無駄を省けば過疎の村に住む人にもっと手厚い福祉サービスが出来るのだが..と考えずには居られない。 折しも今日は国連から、世界の国の幸福度ランキングが発表された。日本は何と調査対象156カ国のなかで58位となり過去で最悪の評価となった。 国民年金をゼネコンとの利権の為に使い果たし、その穴埋めに支給額を削り、庶民からの取り立てを増やすというのはこれも犯罪である。国民に負担を求める前に犯罪を犯した公務員全体で給料を下げたりボーナスを半分にしたりして損失を補填すべきが筋であろう。 デタラメな政策に天下り、それにアメリカに媚びを売りながら普天間基地を造ってゼネコンを儲けさせようという世界にも類を見ない悪政国家である。いつも書いているが、日本には正義とか法律とかいうものが消え失せたのだから、幸福度指数も先進国とはほど遠く、内戦の行われている国と変わらないのである。 しかし不幸なのは国民の一部がこの悪政に加担していることだ。要するに政治に無知なのだが、これを利用して悪の限りを尽くそうという考えは許せるものではない。 それと野党に国政を論じる事の出来るような人材がいないことだろう。お高いに足の引っ張り合いと、主導権争いに明け暮れてているようでは世も末である。明らかに給料泥棒と言えよう。 更に悪政のはびこる原因について書けば、国政選挙で国民は議員個人に投票出来ないということだ。誰に投票しようが政党という枠の中に吸収され、持論一つ展開出来ないではないか。これでは参議院などは元々無用の長物だが、衆議院も50人位居れば十分だろう。 世界で一番働いて、一部の人は死ぬまで働いて、世界の中で最も貧乏な暮らしをしている国というレッテルを剥がすことを念頭に政治家は奮闘すべきだろう。 忖度を基本理念に据えたマスコミの存在もこの幸福度指数を落とす原因となっている。特に政府直轄のNHKという存在もこの順位低下に大いに貢献していることも間違いない。要するにNHKは既に官僚化されてしまったから。 これらを総括すれば日本の企業を始め様々な団体がモラルを完全に放棄してしまった結果である。

【2019.03.20】
★朝から気温が上がりそうな気配だったが昼頃には20度になって初夏のような陽射しだ。1枚脱いでウオーキングに出掛けたが汗をかくほどだった。途中で麻績の里という農産物販売所によってリンゴを15個ほど買ったが、味も落ちてきたのでもうこれが最後だろう。 店を出ようとしたところハーレーダビットソンのサイドカーに乗った夫婦?に出会った。僕も以前ハーレーダビットソンのショベルヘッドに乗っていた経験があるので、20分ぐらいバイクの話で盛り上がった。暖かい初夏のような風の中を北に向けて走り去って行った。僕もまた乗りたくなったが体力的に無理だろうと思し、バイクは危険だ。しかしバイクの面白さは危険性にあることも事実だ。登山家が険しい山や冬山を目指すのと同じ事だし、富士急ハイランドでジェットコースターに乗るのも同じ事であり、危険度が高いほど面白いのだ。しかして津波に備えようと危惧したり奔走するのはどうしたことか?。たぶんその本意は公金を使ってゼネコンと仲良くしようという役人や国会議員の魂胆だろう、こんな事しか見えてこない昨今である。 ★四国方面では桜が開花したと言うが..以前から僕が気象庁不要論を唱えているのはここにもある。開花宣言はなぜ気象庁でなくてはならないのかという疑問はさておき、全国に指定された約50本の桜によって各地の開花宣言がされるわけだが、この木に1〜2名の職員が毎日張り付いて居て、蕾だとか開花したとか、3分咲きだとが満開とか、散り始めたとか..云々するのだ。テレビでその様子を見ていると、気象庁のOBではなく若い職員も行っているのだ。こんな事をなぜ職員がしなければならないのか、庶民は疑問に思わないのか?。開花などは近くの茶店のお婆さんに電話で聞けば1分で済むことである。一人あたり一日1万円かかるとすると50箇所で20日、しかも2名となると桜が咲いたと言うだけで税金が2千万円も無駄に使われることになるのだ。しかもこんな事に心血を注ぐという気象庁の内部構造はどうなっているのか?。地震予知など研究しても無駄だし、台風の進路は衛星画像と気圧配置を見れば素人でも判断出来る。ましてや東日本大震災の時に予想した津波の高さは当初5mだったというではないか。原発が爆発すれば放射性物質の飛散方向が最も重要になるが、こんな国民の命に関わることまで隠蔽してしまったのだ。この隠蔽には政府機関も関わっているというが、どちらにしても役人に飯を喰わせている我々にとっては怒りしかない。ともかく気象庁は10名も在籍すれば十分であると結論付けるしかない。

【2019.03.19】
★いつものウオーキングコースを歩いていくといち早くネコ柳の穂が出ていた。この場所は昨年子猫3匹を保護した場所で有る。ネコ柳の花言葉は「自由」だという、ネコは唯一野生を保っている動物である。なかなか飼い主にも慣れないし、外に出せば数日帰って来なくなることも多々有る。「犬は3日飼うと3年恩を忘れないが、ネコは3年飼っても3日で忘れる」という例えさえる。でもネコも子猫から飼っていると人にもなつき名前もすぐに覚えるし、悪いことと知りながらガスレンジの上に登ったりする。これも人へのサービスだと思えば簡単に許せてしまうし癒やされるのだ。 テレビを見ていたら、野良猫を蹴ったり首を縛って振り回し連れ去る男の監視カメラの映像が放送されていた。いったい誰なのだろうか、どういう気持ちでこういう行動をするのか。警察で捜査中だと言うが、こういう人間は殺人者へ変貌していく第一歩の行動である。学校で飼っているウサギを殺したり、街路の樹木を引き抜いたり、落書きをしたり..人は有る日突然にして殺人者になることはない、こうした小さな行動から始まってエスカレートして通り魔殺人者となるのである。 こうした行動の特徴を現す指標となるのがハインリッヒ博士の統計学である。事故で一人が死ぬ陰には30人の重傷者が居て、更にその陰には300人の軽傷者が居るというものだ。これは土木や建築の工事にも当てはまるし、殺人事件にも当てはまるものだ。学校のイジメで死ぬ生徒1人の裏には30人の軽傷者とか登校拒否児童がいて更にその裏では毎日泣いている生徒が300人居ると言うことでもある。 犯罪やイジメ、それに事故死者を無くすにはどうするかというと、陰に隠れている300件の重大事にならない小さな怪我や泣きを見ている人を無くさねば絶対に解決しないと言う事なのである。 ネコをいじめる者を逮捕して刑務所で1年ぐらい教育を施すというのもか犯罪を無くすにはいい手段だろう。 これから花見のシーズンに入るが、桜の枝を折るという行為も殺人者への第1歩であると認識した上で行為を摘発することも社会の安全に大きく寄与するだろう。 ★先日も書いた事だが、JOCの竹田会長の贈賄の件で彼は退任すると言うニュースが伝わった、しかしそれは当然のことで何の疑問もないが、例のオリンピックを後援している新聞社の20時現在のウエブ記事を見ても何にも書いてない。明らかに新聞社がオリンピックを後援するというのは間違っているのだ。記事を書きたくても書けないのである、これは日本の戦争に与(くみ)して記事を軍部と共にでっち上げて国民を数百万人死に追いやった事と何ら変わりないものだ。学校もこうした事実を教えることによって社会改革というより人間形成を進めていくべきなのだが。 日本では広島・長崎の原爆投下とその被害について教育する時間も少なく誰も知らせないが、キューバの子供達は日本の総理大臣よりも知っているという取材記事を見たことがあるが事実だろう。実際にキューバの子供達は学校で日本の100倍の時間を使って核の脅威を教えているという。 こうした重要な歴史を隠蔽することも政府の仕事だと思っている馬鹿が携わる政(まつりごと)が正しい未来を造るなどとは絶対に言えるものではない。

【2019.03.18】
★早くも彼岸の入りである、暑さ寒さも彼岸まで..昨日は雪も降ったがもうたいしたことは無いだろう。紅梅の鮮やかな色が春の風景を盛り上げている、タンポポも咲き出してきた。野も田んぼの土手も賑やかになってきた。 ★毎日報道されている様々な事件や政治の挙動を見ていると庶民は何らかの方向に誘導されているのは間違いない。 世の中に様々なリスクを蔓延させることによって政治的に有利に働くのは間違いないからだ。特に北朝鮮の核問題は日本やアメリカとその他の国にとって大きな脅威であると国民に植え付けることにより、兵器の購入や防衛費の増大に好影響を与えるのがその証拠である。もしも世界に脅威が無かったら利権だけで出来ている軍需産業は確実になくなっている。 またメタボとかインフルエンザなどのリスクも特定の人達にとっては収入の増大に繋がっているのは間違いない。 特に自由の国と言われたアメリカは9.11のテロ事件以降は国民の自由が奪われ、電話やネットメートルは盗聴され放題となっている。1時間に世界中で何百万通も飛び交うインターネットメールは大型コンピューターによって全て盗聴され、テロに関するようなワード(文字列)を発見すると発信元と受信先を全て記録しているのである。 本当の世の中のリスクは何だろうか、それは大学や民間企業が開発競争をしている人工知能を持ったロボットだろう。馬鹿みたいに熱中して開発している人達に悪気はないのだろうが、明らかに兵器を開発しているのである。兵器とは人間を殺す道具である、こんな物を夢中になって寝食を忘れて研究している者こそ現代の馬鹿者の象徴と言わざるを得ない。 世の中の技術革新の全ては確実に戦争の道具に利用される事を彼らは判っていないのだろうか。こうした馬鹿者たちの活躍で核ミサイルや大量殺りく兵器が次々に生まれている。 誰だったか忘れたが「人工知能に殺される日」というようなタイトルの本を書いた人がいたが、数年後の近い未来に現実になるのは間違いない。 宗教というものも明らかに人類にとって大きなリスクであろう、人は自分の怒りとか失望をぶっつける相手として異教徒をターゲットにする。それは恨みはなくとも人を殺す理由になり好都合だからだ。 これから日本も選挙シーズンになるが、他の政党に属する人などもリスクのターゲットになる。いわゆる村八分みたいなものだ。 同じ釜の飯を喰って同じ税金で生きている国会議員達の誰が庶民の側に立って政策を進めるのだろうか。野党などと言うものは芝居の相手役に過ぎないのである。国会とは真面目そうに見せる猿芝居の劇場である。

【2019.03.17】
★またまた雪が舞う天候になった、南アルプス山麓の山小屋も真っ白になっている。この震えて待つ時期を春というのだ。青春も同じだ、何か心の中に冷え込んだものがあってこらえながら打開されるのを待っている青春の日々と良く似ている。夏が過ぎて秋が来ると冷え込んでいた青春時代が二度と来ない素晴らしい日々だったことに気が付くのだ。 過ぎ去っていく時間は辛さも悲しみも忘れさせてくれるものだ、だがその辛さも楽しかった日々として蘇ってくるのである。 宇宙の歴史はビッグバンと言って何も無いところから一千万分の一秒という短い時間に創世され、時間の経過と共に膨張しながら今に至っている。このビッグバン説が世界の天文学者の大半が支持している説である、しかしこの理論をアインシュタインの方程式をもって発展させると、過去も未来も同時にいま存在する事になるという。要するに過去はそのままの形で残されていて、未来も現時点で全て存在しているというのだ。 なぜそうなるのかというと、遠くで輝いている星の光を我々は見ているのだが、実は何年も何千年も昔のその星を見ていることになるのと同じ事だ。自分の過去は光と同じ速度で過去に取り残されているのである。 要するに自分の未来は既に決まっていて、その未来に向かって時間という次元を単調に進んでいるとういうことだ。 だから昔の人も運命は変えられないとか、天命とかいう表現を使っていたのだろう。 ★今日「なんでも鑑定団」というテレビを見ていたら、新潟県での鑑定の様子が放送されていた。そこに出てきたのが新潟県の副知事である。何と彼は堂々と「国土交通省から派遣されている」と言っていた。これこそ国の補助金を県や市の思う通りに使えない理由であり、中央のゼネコンに大工事を一手に任せる要因なのだ。この問題は長野県の知事に田中康夫氏が当選したときに明らかになった。田中知事は就任後に国土交通省から派遣されてきていた者を元に追い帰したのだ。これこそが明朗な県政の実現と血税の有効利用には不可避だったからである。しかし全国に交付される交付金は莫大な金額であり、その使途のほとんどを交付した省庁の人間が握っているなど明らかにまずいことだろう。 こうした天下りは全国の自治体にくまなく潜り込んでいて利権を実行している、この利権とは国家の支給金を国家で回収しているようなものだ。 ともかく腐りきった行政システムのは早急に正常に戻さないと国民は無駄な税金を払い続ける結果になることは間違いない。 いま世界の国々の行政は行き詰まっている、その大きな要因は資本主義の行き着くところまで行った結果であろう。極めて大きな格差、貧富の差は天文学的なものになっている。月に10万で生活している人と1月に10億稼ぐ人との格差である。この格差が戦争を生みテロを誘発する、そして武器を売って儲かる国(アメリカ、ロシア)があるのだ。彼らの誘いに乗って戦争をする者達も今こそ目を覚ます時だろう。他国の事業家や富裕層の利益の為に死んでいくなってバカバカシイではないか。

【2019.03.16】
★桜のつぼみも赤くなってきたがまだまだ寒い。いつもウオーキングに行く三耕地という場所は風を遮る物が無い広大な畑と果樹園地帯なので一段と寒い。今日は風も強いので久し振りに飯沼神社に出掛けて参拝してきた。神社でもお寺でも詣るという行為は精神的に安心感が生まれ、ストレスが有っても少しは開放される。 ストレスで最も憂慮されるのが食物への逃避である、とにかく食べて食べて食べまくり極端に太ってしまう。そうなると別のストレスが増えてしまい再び食べるという行為に走ってしまう。何とかしてストレスを溜めないようにすることだが、難問である。こうした自傷行為に似た病気をカウンセリングするのも病院の仕事ではないだろうか。外国のようにカウンセラーを役所とか病院に多数配置すべきであろう、それが出来るのが先進国なのである。 太る一因は一人暮らしにもある、残り物をもったいないからと言う事で全部食べてしまう、これが肥満になってしまう要因となる。僕も20代に自炊生活を送っていたが、同じ事をして肥満になり、ついには肝臓の病気になってしまった。 御飯を食べない人も多いが確実に間違いである、パンやパスタを主食とすると小麦粉に含まれているグルテン摂取が過剰となり病気を引き起こすのだ。日本人はせいぜい朝食だけをパンにするのが良いだろう。 野菜の過剰摂取も病気の元である、様々な野菜は虫に食われないように毒をもっているからだ。特にサラダオイルは菜種の毒素を多く持っているので多く摂取しないように心がけるべきだろう。 例えば健康に良いとされるハチミツも乳幼児が食べると死んでしまう。それにイチョウの実ギンナンも毒性が強い。子供が20個ぐらい食べると病院行きになる。要するに野菜生活は危険極まりない生活と言う事になるのだ。 この事態を避ける方法は一つしか無い、様々なものを幅広く食べるだけのことで実に簡単な健康法なのだ。 ★ニュージーランドで銃乱射事件が有った、多くの人が亡くなったが、実行犯は逮捕されて翌日には裁判所に出てきた。この男の犯行はインターネットのフェイスブックで目立つためにやった犯行らしい。最近は「インスタ映え」という言葉のとうり子供から大人まで他人から注目されたいという願望が極めて強い時代である。銃乱射犯人もカメラを動かしながらフェイスブックを通じて銃乱射の「実況中継」をしていたという。狂っていると言えばそれだけだが、実はいま「インスタ映え」の写真を撮って投稿している者達も全員がこの殺人者の予備軍でもあることも事実である。 店舗の冷蔵庫の中に入ったり、雑巾で皿を拭いたり、床に落とした物を食材にしたり..報道されたり摘発されるのは氷山の一角だから毎日どこかで行われているのだ。素因となっている「目立ちたい」というのはどういうものなのだろうか。疎外されていたり一人暮らしだったり、職場や学校それに家族からも孤立しているから目立ちたいのだろうか。それとも人に自慢する物が一つも無いから何かをやらかして目立ちたいのだろうか。 最初は誰もがそう思うのだが、突き詰めるていくと未来への希望とか目的が持てないのが原因ではないかと思う。要するに他人と付き合いのない殺伐とした人間関係と、希望が持てない社会の仕組みとか政治の無力さが大きなウエイトを占めていることを忘れてはならない。 昔は皆が貧乏で食べるものもろくに無かったが、大きな夢と希望だけはみんなが持っていた。そういう時代こそ格差もなく平和と言える社会なのではないか。

【2019.03.15】
★ようやく日本オリンピック委員会の悪事が外国の司法の手によって裁かれようとしている。もちろん日本は無法国家であり告発も裁判も無理なのだから仕方ないだろう。裁かれようとしているのは日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長である。皆さんも詳細は報道で知っていると思うが、2020年のオリンピック開催地決定にあたり開催地決定に投票権を持つIOC役員に2億2千万円の賄賂を渡して開催地を買ったというものだ。 長野オリンピックの時も同様の疑惑が囁かれたが、本来ならば日本の警察や特捜が捜査に当たるのだが何もしなかったため見逃された。それ処か賄賂の金の出所を記した帳簿は焼き捨てられたのだ。 こうして買ったオリンピックの為に長野県民はどれだけ泣かされたか知れない。終了後の設備はほとんど利用されず、利用するとしても莫大な維持費がかかる。それらの設備が何らかの生産性の向上に繋がるのならまだしも何の生産性もない遊びに使われているだけである。競技会場で大根一本取れたという話さえ聞いた事が無いのだ。中南信地区は県税不足のために道路改良は行われず、ガタガタで細い道で我慢していたのである。 日本オリンピック委員会のデタラメさも枚挙にいとまが無い、一兆円予算で始まった建設費は既に闇の中の利権と談合で3兆円を超えている。この税金が誰の口座に入っていくのか?。ゼネコンなどは隠れミノに過ぎないのかも知れない。 それ処か堕落したマスコミの報道によって様々な悪事は隠蔽され、良いところだけ見繕って公表されるのだから、第二次世界大戦の末期に玉砕されても勝利したとする報道と何ら変わりない。 こうした報道や甘言に欺されて大騒ぎしている国民こそ世界の笑いものではないか。自らの馬鹿さ加減を世界に発信しているだけである。 金メダルなど幾つ獲得しようが社会は良くならないどころか無駄な格差の助長に繋がるだけのことだと予見も出来ないのだ。 選手は自分で勝手に練習して走ったり飛んだりすれば良い、だがそれに税金を使う行為はスポーツマンンのすることではない。彼らの受け取る税金は一部であり中間搾取が行われ、密告やパワハラ、それにイジメや村八分というスポーツ界にあるまじき行為が白昼堂々と行われているのである。オリンピックを表現するなら悪の祭典とか利権の集大成というのが相応しいだろう。 僕がマスコミをなぜ批判するかというと、東京オリンピックについては賛否両論があるのは間違いない事実であるにも拘わらず、新聞大手4社は何とオリンピックの後援団体に名を連ねているからだ。これでは反対意見など1行たりとも載せることは出来ないだろう、だからマスコミの本領とも言える公平性は確実に失われたということだ。この事態も第二次世界大戦の時のことを回顧するまでもなく当時より一段と悪い事態であろう。だから彼らに民主主義など語る資格など皆無であると断言出来るのだ。 国民もこのような馬鹿騒ぎに興じていると、河川が氾濫して家も田も埋まってしまう。なぜなら税金が国民の生命の安全のために正当に使われないからだ。

【2019.03.14】
★今日も雪が舞うという寒い一日となった。ウオーキングに出掛けると路傍の土手には寒さにも負けずに様々な花が咲き出した。モノクロの世界にようやく色が付きだしたのである。こうした風景は人の目にも心にも優しさを与えてくれるのは間違いない。 猫を始めとする動物たちも同じように春の訪れと共に活発に動き出す。夜中に大声でオス同士の喧嘩が始まるのもこのためだが、人間の世界もゴマキが不倫したとか役者がコカインを吸ったとか..野良猫社会と変わりない話題が目白押しである。テレビを始めとするマスコミはこうした話題報道が無難であり注目度もあり視聴率も上がるから大喜びだ。下手に政府を批判するような放送をしたら放送免許の許認可権を持つ総務省に目を付けられ脅されてしまう。言わばヤクザの世界と変わらないものなのだ。 放送局の大きな裏切りは報道する時にその内容についてどれだけの重要度があるのか庶民に判らないようにすることだ。例えば統計によると日本では癌にかかる確率は90%ある、しかしルワンダという国では癌にかかる確率は驚くことに0%である。これは間違いではない正確な統計値である。これを根拠に厚生労働省もマスコミも製薬業界もサプリ業界も癌だ癌だと大騒ぎするのだ。これには他に隠している数値があるそれは、ルワンダでは平均寿命が35歳前後だと言う事である。要するに癌にかかる前に死んでしまうのである。 あらゆるニュースはこの隠れた数値を報道していないのだ。そうすることによってニュースの価値を高めようとしているのである。これは政治に於いても事件や事故についても同様である。 老人が車で突っ込む事故も同じ事だ、若い人では大勢の犠牲者が出ない限りニュースにならないのである。まあニュースを作るのも大変だと言う事だろうが、その昔朝日新聞の記者が沖縄の西表島の珊瑚礁の記事を書くために記者自身が珊瑚礁にK・Yという落書きをしてあたかも珊瑚礁が観光客に破壊されているという事を一面で報じた事さえある。早い話がテレビなどのマスコミの発信するニュースは眉に唾を付けてから見聞きするのが重要なのだ。庶民がこれを怠ったために第二次世界大戦が勃発し多くの国民が死んでいった。 他にも狂言に近いようなニュースもある、例えば今後30年以内に70%の確率で大地震が起きるというものだ。これは地震学者という村社会が画策している予算獲得のための予測デマである。地震という天災をネタにして研究費=生活費を得ようというものだ。例え予測が当たろうが外れようが死ぬ人数には変わりないことに気が付かねばならない。例え1ヶ月後に東南海沖地震が起きることが予測できたとして、誰がどこに逃げるのだろうか、学校は休校になるのか、電車は止まって運転手は地方に逃げるか。政府機関も閉鎖されるか、新幹線は運休するか、高速道路は通行止めになるか..全てNOである。 地震研究に使われる税金は全て災害後に必要になる仮設住宅建設、飲料水と食料の確保、風呂やトイレの確保など震災後に必要とされる資材の準備と調達に充てるべきなのである。こんな事も判らないし納得できない者が学者とは驚きではないか。

【2019.03.13】
★春めいてきていた気候も一気に冬になったようだ。南アルプス山麓の周辺の山小屋とか下栗なども雪で真っ白になってしまった。いまの春に向かうこの寒暖差こそ一年で最高に夢溢れる季節なのだ。9時頃になると雨も止んだようなのでウオーキングに出掛けると、雪は舞ってくるわ強風は吹き荒れるわで命の危険を感じるほどだった。それでも1日の目標は達成したが、この目標という自主的に決めたものが健康に悪いのかも知れない。他人が押しつけたものならば誤魔化してしまえばそれだけだが、自分で決めたとなると話は違う。何か自分の人生に汚点を残してしまうかのように感じて無理をしてしまうのだ。 夕方になると冷え込んでくるのでコタツでテレビを見ていると、ほとんどのコマーシャルが健康サプリメントの紹介ばかりである。飲んでも99%は効果など期待出来ない物ばかりではないか。 僕の祖父はビタミンEも乳酸菌もブルーベリーも一度も食べたり飲んだことはなかったが96歳まで元気で生きていた。それどころか亡くなる1週間前まで働いていた。父親も健康食品もビタミンも飲んだことは一度も無かったが93歳まで元気で生きていた。それ処か1日に必要とされる栄養素などは考えた事もなかった。要するに薬を使わなければ長生き出来ると言う事を証明していたのだと考えられる。 では長生きしたことと食に関する要素は何かというと父も祖父も酒を飲まなかったことぐらいしか思いつかない。 しかしもっと大きな要素はストレスを溜めなかったことではなかったk。 人の体に必要なビタミンや様々な栄養素は普通の食事をしていれば体内で分解して自発的に造りだしている。もちうろんコレステロールをいくら制限しても不足すれば一定量になるように体内で造り出すのだ。だから卵などは1日に10個食べても何の弊害にもならない、しかし厚生労働省などが利権がらみと思うが、悪玉とか善玉とかいう造語まで作ってコレステロールの悪事だけを流布したから庶民の多くが間違った考えを持ってしまったのである。 ★ストレスを無くすにはどうしたら良いのか?。「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」という諺というか人生訓がある、これは人が生きるに必要な広さは、起きている時は半畳で、寝るにしても一畳あれば十分だということであり、腹一杯食べようと思ってもせいぜい2合半食べればお腹がいっぱいになる、ということだ。 家が10部屋もあったらどうするか、あらかた使われないだろうし掃除も大変だ。広大な庭があったら草取りが大変だし、固定資産税も半端ではない。要は全て適当に考えて生きることだ。過労死などと言うものは外国には言葉さえない、日本人の仕事に対する考え方が間違っているのである。そもそも会社とか企業というものは社会奉仕のために存在する組織なのである。社長が従業員をコキ使ってカネ儲けするためのものではない。企業の存在意義をもっと国民は理解し世論を動かしていかねば社会の改革など有り得ない。 様々な選挙も行われるが、馬鹿の一つ覚えで投票すると今のような無法国家が出来上がってしまう。選挙は言い換えればパンツ1枚盗んで逮捕された男と、逮捕した警官が強姦犯だったとしたら、どちらが正義に近いかという現実を目の前にして出された試験問題のことである。

【2019.03.12】
★このところ多忙な日が続いてこのブログの更新に要する時間も僅かになって来たが、ウオーキングと同様で毎日続ける事に意義がある。指の運動は老化防止にもなるが、これによる肩こりも老化防止になるのだろうか。ともかく物事を前向きに考えると気分が反転してくる。前にも書いたが、猫が飛び廻って餌をこぼした時など、こらーーと言って怒ると頭にくるが、こらーの代わりに「いやされるな」と声に出して言ってから片付けると妙に楽しくなって本当に癒やされるのだ。 こうした事を総称してプラス思考というのだろう。 3匹の猫たちは今日も元気で飛び廻っている、台所の椅子やテーブルが大好きでいつも椅子に寄せ合って座るし、寝るときも3匹はいつも一緒だ。拾って来たときに一匹ぐらいは誰かにやろうと思ったが、今になってみるとやらなくて本当に良かったと思う。人間と違って?、猫の兄弟は本当に仲が良い。 しかし以前オスの親猫がオスの子猫を連れてやってきて家に3年ぐらい住み着いていた、毎日親子仲良く寝ていたが、ある日の夜中に突然親子喧嘩が始まった。うるさいので庭に追いやってもまだ大喧嘩をしていた。朝になってみると親猫が顔に怪我をしていた。その日のうちに親猫はどこかに行ってしまって二度と帰って来なかった、親よりも大きくなった子猫だけがその後も我が家に住んでいた。 とにかくオス同士は親子でも喧嘩をするという事が判った。縄張りは親子でも争うのだろうか?。 ★鳴り物入りで政府が始めたマイナンバーカードは巨額の税金を使ってシステムを構築したが、何と利用者は10%も満たない。要するに手続きや何かで面倒くさいのだ、財布の中はカードだらけでこんなカードをしまう余裕など無い。恥を知ったのどうかは知らないが再び利用促進するために、病院や行政手続きにも使えるようにするという。再び天下り会社に税金を垂れ流すのか..ともかく大震災の復興費用のように半分以上がゼネコンの懐の中に入ったのではどうしようも無い。早い話が、政府や行政は大災害を利権と化しカネ儲けに変えているのである。個人で寄付したり義援金を集めて応援すると、国が援助するカネの使い道がなくなるから利権で無駄な堤防を造り上げるのだ。トランプ大統領の国境の壁と何ら変わらないのである。両首脳は似たもの同士とも言われるのは誰もが認めるところだろう。 選挙が近くなるとバラ撒きが始まるが、1万円バラ撒けば一票ぐらいは確実に入るのだろうか?。庶民はここでも馬鹿にされている、例えば「教育の無償化」である。ちょっと聞くといい政策に見えるがとんでもない話だ。無償化に使われる金は国会議員や公務員が出すのなら話はわかるが、100%我々の税金が使われるだけのことだ。要は税金を使ってタダで票を獲得しようという策略こそ無料化の正体なのである。 こうして国民は欺されコキ使われ年金からも税金を引かれ、役人が楽をするためにカードを使って何でもさせるというのだ。例えば役所の機械にカードを入れて住民票のボタンを押すと自動的に印刷されて出てくるのだから役人は10連休を思いっきり楽しむことができるということになる。この機械もカードも庶民が負担するのである。まさに馬鹿げた民主主義も行き着くところまで到達したのである。

【2019.03.11】
★朝から小雨が降って寒い、午後になって小雨の中をウオーキングしていると虹に出会った。寒かったあの日に起きた東日本大震災から8年経った。阪神淡路震災から24年経過した。しかしその間にも震災はあったし大災害が毎年のようにあった。僕の産まれた遠山谷でも家屋が埋まったりする災害も有った。しかし大方の関心は多くの命が奪われた現場に注がれるだけだ。特に東日本大震災の直後に長野県北部の栄村で発生した地震は多くの被害を出したが、大きく扱われたり国などから巨額の復旧資金が出たような事も聞かない。 何万人の死者が出ても一つの命の積み重ねである、親に虐待されて死んだ一人の子供も同じことなのだ。 昔は社会が成熟してくると人命が尊重されるようになると思っていたが現実は逆である。昔よりも遙かに命の重さは軽くなっているのだ。 明治時代に逗子開成中学校の生徒12人を乗せたボートが転覆して全員が亡くなった痛ましい事故があった。多くの人が悲しみに暮れ「真白き富士の根」という歌も出来た。僕も学校で教わった事があり今でもある程度は歌える。その後この事故は映画化された、1935年には松竹映画で、1954年には日活映画となった。それほど人命は重かったし誰もが同じように悲しんだのだった。 最近でも長野県内でスキーバス事故が起きた、多くの学生が亡くなったが歌にも映画にもならなかった。出てきたのはバス会社の無責任さと監督官庁のズサンさだけだった。何も悲しむだけが良いと言うことではない、忘れた方が幸せな事だってある。しかし歌とか映画は後世に事故を伝えることによって同じ事を繰り返さないようにするという使命を持っているのだ。 東日本大震災では津波で被災した様々な設備を後世に残すか否かで地元民たちがもめている。要するに震災で残ったのは地元のもめ事と訴訟と税金の垂れ流しと無駄な堤防建設それに放射能汚染だけではないか。 本当に後世に残すべきは何なのか..300年前の人も同じ事を考えていた。そして小さな石仏や石碑を津波が到達した場所に残したのだった。しかし今度も多くの人が犠牲になったのは何故だろうか、もっと真剣に考えるべきだろう。そうだ、カネ崇拝の世の中になったためだ。人は沿岸に家を建て少しでも多くの魚を捕ろうと考えた。水産会社も海の近くに工場を建てて運搬費を安くして利益を上げようとした。人が集まれば街になり学校も病院も出来た。人々の欲望が津波の到達するという遺言を忘れてしまったのだ。 たぶん次の地震の時も同じように人は忘れているに違いない。そして同じような被害が出る筈である。 いま日本中に安全な場所など無いが、強いて安全な場所が有るとすれば、屋久島の近くに浮かぶ火山の島「口永良部島」ではないかと思う。島の住民はしょっちゅう噴火に遭っていて、火砕流の到達位置や逃げるべき道路と場所、それと逃げるための身の回りの準備が出来ている。だから度々噴火しても怪我人すらない、いつも危険に晒されていないと人間は平穏になれてしまうのである。この慣れが命の代償になるということだろう。

【2019.03.10】
★何とか体調も戻ってきたので施設に入っている義母の様子を見に阿南町に行ってきた。朝は気温も低く寒かったが昼頃には暖かくなってきた。どこかで春を見付けようと施設の周りをウオーキングしていると既に桜が開花し始めているではないか。このぶんだと数日も経てば3分咲きぐらいには達すると思う。桜の木の後方は天竜川で対岸に見えるのは泰阜村である、剪定した果樹の枝を焼く煙の筋が立ち昇っている。伊那は七谷糸ひく煙り..というのは有名な「勘太郎月夜唄」だが、僕はこの時期(春)に立ち昇る枝を焼く煙のことかと思っていたが、実際はもうひとつ解釈があるらしい。歌詞の中に「桑を摘む頃逢おうじゃないか」という一節があることから、立ち昇る煙は繭(まゆ)を茹でるときの釜を焚く煙であろうというものだ。 まあ真相は作者でないとわからないが、どちらにしてもいい歌である。 もうひとつ歌詞で判らないのが「喜びも悲しみも幾歳月」にでてくる「おいら岬の灯台守は..」の一節である。この岬とは実際にどこかに存在している「おいら岬」なのか、それとも「おいら(俺)の岬」なのか。まあ、どちらにしても名曲は名曲であり後世に歌い継がれていくはずだ。しかし昨今の「はやり歌」は将来に亘って歌い継がれていくのだろうか..内容から見て信じがたいことだ。 ★反省しているのか居ないのか..暴言を吐いて辞職した兵庫県明石市の元市長が出直し選挙に立候補している。世の中でこんないい加減な行動が許されるのかという以前に、彼のもっている常識とは何なのかを疑いたくなる処か疑う。過去に行われた出直し選挙は国政選挙に至るまで同じような事例は枚挙にいとまが無い。 こういう人達が政治に携わって本当に住みやすい安全な社会が構築出来るのか、税金の使途が庶民の為になっているのか。公務員のトップとして330万人の公務員の管理監督が出来るのかいささか疑問である。公務員のために使われる給料だけで年間40兆円である、これだけの税金を庶民は朝から晩まで働いて貢いでいるのである。更に今年のゴールデンウイークが10連休だと騒いでいるのは公務員だけだ。こんな不条理がまかり通るのは国会議員が馬鹿者ばかりだからではない、庶民の馬鹿さ加減が招いた惨状なのである。 僕は過去このブログを原稿用紙にして1万枚以上書いてきたが、考えさせられるのは繰り返される犯罪でもなく、議員の逸脱行為でもなく、イジメでもなく、災害でもない。それは若者を始めとした庶民の無関心である。全ての災難は天に唾する如く自業自得なのでだ。

【2019.03.09】
★今日もいつもの調子が出ない。身体が老化すると疲れがすぐに出てこずに1〜数日後に様々な形で出てくるようになる。だから余計に無理をしてしまうのだろう。特に季節の変わり目は特に注意を要する。 それでも午後になってウオーキングに出て見たがいつもの半分で返ってきた、習慣付けのために出掛けたのだが家族からは馬鹿にされている。 ともかく花粉症も相まって春は万人に良い季節とは言えない。僕もここ数年はあまり症状が出なかったが今年は2月中旬から鼻水とくしゃみが出だした。今日もくしゃみの10連発が何度も続いたが、不思議なことに南アルプス山麓の山小屋に行って杉の木の下で服が黄色くなるほど花粉を浴びても症状が出ないのだ。間違いなく車の排気ガスとの相乗効果によって花粉症は引き起こされる。 ★新潟と佐渡の間を往復している高速船がクジラとぶっつかって多くの客が怪我をしたという。ひょっとするとクジラではなく自衛隊の潜水艦だったのかも知れない。仮想敵国の艦船を想定して訓練していた可能性もある。 ともかく海は海洋生物の住処である、彼らを無視して高速でぶっ飛ばせば人も怪我をして当たり前だろう。海は森と同じように人間だけの物ではないということだ。 クジラの捕獲を禁止しているIWC(国際捕鯨委員会)から日本は最近脱退したばかりである。バチが当たったのではないかという話もあるが、バチというものの意味はこのことを指すのである。 クジラの捕獲については賛否両論がある、昔の日本は良質なタンパク源がなかったが最近は如何様にもなるので捕獲する意味もそうは無い。またロウソクなどの使用量も減っているしヒゲの利用も少ないだろう。しかしクジラが増えすぎると多くの小魚を食べてしまって資源が減ってしまうと言う意見もある。 何れにしても賛否両論があるが、それはどちらでも良いと言うことなのだから、あえて動物の命を粗末にする事もなかろう。 ★北朝鮮が再びミサイル発射するという、これはトランプ大統領との会談が物別れに終わったためかもしれないが、僕が指導者だったら完全に核を放棄することなど絶対に有り得ない。それは欺されて大阪城の外堀を埋められた結末を思い起こしても明らかであろう。核があってこそ成立している世界であえてバランスを崩す必要も無いのだ。もしもアメリカが軍事行動に出たなら隠し持っている大陸間弾道弾を10発ぐらい前もって決めていたアメリカ本土の場所に向けて発射すればいい。お互いが破滅するだけであり世界の平和に大いに役立つに違いない。 前もって決めた場所とはワシントンとかニューヨークとかではない、原子力発電所のある場所をピンポイントで狙うのである。2〜3箇所の原発が破壊出来れば放射能汚染は全土に拡大し、アメリカの居住地も制限され商業も生産業も衰退していくだろう。何も弾道弾に原子爆弾を搭載しなくとも通常の爆弾で十分に効果が有ると言う事だ。なぜなら核弾頭など無くとも敵国は膨大な核物質を一箇所に多量に保管してくれているからだ。 こうした意味からも原子力発電所は早急に全カ所廃炉にすべきだという結論に達しないか。もしもまだ運転継続するという輩がいたら日本を破綻さようとするスパイか売国奴であろう。

【2019.03.08】
★この一週間は山小屋から木を切り出したり、キノコの植菌をしたりして朝から晩まで走り回ったせいか昨夜半から関節が痛くなり夜中に発熱してしまった。山小屋は海抜が1,100mもあり気温も低いため汗をかいたりすると風邪の元になってしまう。気を付けてやっていたが仕事というのはやりだすと途中で止めることが出来なくなるものだ。 そんなわけで今日午後は調子が多少良かったので1km程度散歩しただけだった。しかし夕方になると節々の痛みがぶり返してきた。まあ何でもいい加減にやるのが健康の秘訣であろう。 そんなわけで久し振りにテレビを長時間見ていたが、やはりどこのチャンネルでも全く同じニュースを流しているだけで、論評も絵に描いたように似通ったものばかりである。各局で独自の考え方というものが何も出てこないのだ。これも社会の大きな無駄の一つなのだろう。 そう言えばテレビではなくユーチューブで経済評論家の森永卓郎さんによる1985年の日航機が御巣鷹山に墜落した真相についてのビデオを見た。その頃日航のスチュワーデスだった青山透子さんが事故以来30年に亘って事故の原因を自身で調査して出版したものだ(日航123便墜落の新事実)。 彼女は地元の消防団を始め墜落を目撃した人を始め多くの人たちからその時の様子を聞いてある結論に達したという。飛行機が墜落する前にオレンジ色の物体が前方から近づいてきたこと、後方に2機の航空機が追尾していたという事を多くの人が証言している。その物体とは自衛隊の訓練用のミサイルではないかと言う事だ。それと引き上げていない尾翼の一部にそのミサイルの痕跡があるということだ。人が潜れる海底に有りながらなぜ引き上げられないのか..。時に日本はボーイング社の機体の導入を巡って政治の裏で政治家が暗躍していた時期と重なるという。それと自衛隊の予算GNP1%枠の問題でもめていた時期でもあった。 粗筋はこのようなもので自衛隊によるミサイル誤射事故を隠蔽したのではないかという由々しきものだ。今から考えてみると政治の裏とか自衛隊の問題やアメリカとの取引などでこの程度の隠蔽が行われてもおかしくない。 この事実がいま当時のスチュワーデスが書いたというのも真実味があるし同僚の死を悼んで取材したという事実も見逃せない。 原発事故の隠蔽を始めその後の政治の暗部を見ると彼女の調査が間違いだなどとは考える余地もない。

【2019.03.07】
★先日(3/1日)南アルプス山麓の山小屋に行った時、ダイコンの漬物に使った塩分の入ったヌカを庭に置いてきた。これは山に住む鹿の餌というか..鹿は塩分を摂らないと元気に生きていけないから大好物なのだ。最近は環境庁の予算消化のために鹿の乱獲が行われニホンジカの生息数が極端に減ってしまった。ここ数年は山小屋の庭で鹿に出会ったことがないが、毎年この時期には鹿のためにバケツに2〜4杯を置いて来ている。昨夜になってやっと一頭が山から出てきてこれを食べて去って行ったのを確認した。たぶんあと1〜2頭は来たに違いない、一頭去った後にバケツの位置が移動していた。 鹿が森の木の皮を食べて木を枯らすというが、枯れて倒れた木は森の肥やしになり若い木の成長を助ける。もちろん野ウサギや野ネズミも林野庁の百倍も森の育成に協力しているのは間違いない。 僕は山小屋一帯を立ち入り禁止にして禁猟区として発砲を禁じている。しかし動物を殺して喜んでいる馬鹿者が後を絶たないの葉事実だ、これも貧しかった頃に動物を殺して食べた思い出が残っている為だろうか。 最近はジビエ料理などと言って鹿や猪の肉を提供する肉屋とか食堂があるが、肥料を与えて育てた動物ならともかく、森で精一杯生きている動物を殺してカネ儲けするなどは犯罪としか言いようが無い。他に食べる物が無い時代とは違う、野に住む動物を食べなくとも町中に食べ物が溢れているご時世である。何か人間は勘違いしているのではないのか、牧場に行って見ると大きな牛の横に子牛が寄り添って歩いている。この若い牛を殺して子牛の肉は旨いと行って食べている女を見ると、この女に子育ては無理だろうと感じてしまう。昨今の虐待もこんな母親の登場から始まっているのではないか?。昔の事だが、子供の便が出ないとき母親は口で吸い出していたものだ。真似の出来るような人はいまは居ない。 ★畑の横に穴を掘って試験的に「舞茸」というキノコの原木を埋めた。椎茸は何度も栽培しているが舞茸は初めてだ。説明書を見ながら慎重に作業をしたあが、この原木から舞茸が出てくるのは10月の寒くなりかけた頃だというから楽しみである。こうして半年先一年先に何らかの目標というか楽しみを持つことも健康に良いことではないかと始めたのだ。先日は椎茸を1500個ほど植菌したし、まだナメコが500個、クリタケが500個位を今月中に栽培する予定である。 特に舞茸は「サルノコシカケ」科のキノコなので癌に効きそうではないか。更にキノコはカロリーがほとんど無いのでダイエットにも最適だろう。最近は様々なキノコが園芸用のプランターで栽培出来る、通信販売で簡単に入手可能だ。スーパーで買うよりも相当高価になるが鹿を殺して食べるよりは良いだろう。 ★詐欺などの犯罪が多発している昨今だが、今は情報の時代である、犯人がどこに住んでいるのかを行政やネットを通じて公開すべきだろう。特にアメリカのように再犯率の高い性犯罪者は居所を確実に把握出来るようになっているという。これも償いの一つとすれば良いだけのことだ。まさか隣に住んでいる人が..というような危険性も少なくなる。人権問題などと言うが、犯人の方が明らかに人権などと係わりの無いのだから言う資格は無い。殺人を犯した者を死刑にするのだから、居場所の特定など問題にはならない範囲である。それが嫌なら犯罪を犯さないことだ。これも犯罪抑止力としての一つと捉えるとくだらない該当PRよりも有効であろう。善良な市民が犯罪に巻き込まれるという危険性を考えたら当たり前のことである。

【2019.03.06】
★図らずも今日は日本の検察制度や裁判制度に大きな一石を投ずることになる出来事が2件有った。一つは森友学園問題で逮捕され長期拘留されていた篭池夫婦の初公判があったこと。もう一件は日産自動車の立て直しに貢献した前会長カルロス・ゴーン被告が保釈保証金10億円を納付して釈放されたことだ。 ここで問題になるのが国策拘留と言う事である。特捜はともかく裁判所までが政治に忖度して拘留したということの重大さは日本国内だけで隠蔽出来るような問題ではない。世界の人権委員会からは日本の裁判制度や拘留について人権侵害に当たると以前から批判されているのも事実である。早い話が日本には人権に対する基本的な考え方が希薄なのだ。 特に篭池夫婦の問題では近畿財務局員が「書き換えさせられた」という遺書を残して自殺しているのだ。 更にゴーン、籠池の双方の件について裁判や捜査も「国策」で行われたという疑念が大きいことだ。たぶん間違いなく国策で行われているのであろう、それは最近の政治の暴走を見れば判ることだ。 例えばゴーン氏の問題については弘中惇一郎弁護士が語るまでもなく国策が目に見えている。経産省の支配下にある日本の2大自動車メーカーの内1社が他国の管理下に置かれては困るのだ。明らかに政治力が働いて日産の重役と結束してルノー傘下に入ることを模索していた会長追放に走ったのであろう。大方の日本の弁護士達は間違いないと思っているはずである。ところが表面に出てこないのはマスコミの忖度によって隠蔽されているのだろう。 今日は「啓蟄」である、冬のあいだ地下で眠っていた虫が目を覚ます時だ、これを人間社会に投影すれば、暗黙の内に行われていた悪政(忖度政治、違法拘留、憲法無視..)が白日の下に現れて批判に晒される日と言う事になろうか。季節は春になったし桜も咲き出した、日本の社会も戦後の復興を経験し、その後の豊かさの中で暗躍してきた者達を一掃するには好時期であろうか。 しかし弁護士や大学教授などのような社会的な地位のある者達までが忖度するような社会では余程の度胸のある人で無くては正義の達成は困難ではないだろうか。ともかく日本という侵略国家は世界に向けて戦闘機を買うのではなく、人命救助用のヘリコプターを購入し国内や世界の災害に即応できるようなシステムを構築すべきが正解であろう。そうすれば隣国も悪意を持っている人達も減る筈だ。 侵略された国の人たちが全て忘れるためには200年の時が必要だという。国家だけでなく心身や家族など全ての悪意はあって当然であり穏やかに受け入れるべきであろう。

【2019.03.05】
★今日のニュースの冒頭にも過労自殺が報じられていた。大手の製薬会社「エーザイ」の部長だった50歳の部長が死亡して労災が認められたという記事である。彼は部長に昇進してから後は1日に2〜4時間しか寝る時間が無くなり会社に出掛けていたという。部長という肩書きと命と家族と..何が大事だったのか?。死ぬぐらいなら会社を辞めるべきなのだ。学校でイジメに遭って先生にも聞き入れられないようなときは学校に行かないことだ。学校では学科はともかくこうした人生の選択肢を教えなければならない。死んでもやらなければならない..こんな仕事は戦争でしか有り得ないものだ。務めていた会社が倒産しようが赤字になろうが知った事ではないし、人生まで賭けるような価値のある企業など日本には皆無だと言う事ぐらいは知っておきたいものだ。 ★国民の電波を使いながら儲けすぎている携帯電話会社に対して、今夏から端末機代金と通信料を分離して安く利用出来るようにするという総務省の案が出てきたが、内容を熟読してみると一概にそう言えないどころか返って高くなる人も出るかも知れない。何故ならいままで10万円前後のスマートフォンを2年間契約をすることによってタダで入手していたからだ。この制度が無くなるとスマートフォンが旧くなったりしたときは10万円以上出して買うことになる。しかし安いモデルを買うときはスマートフォンは2〜3万円だから得するかもしれない。とにかく日本の携帯電話会社の利益は半端ではない、ほぼ数社の独占事業が原因だが楽天以外に新規参入する会社はないだろう。テレビのCMを見ても有名人を使って繰り返し放送している。 つい50年ぐらい前まで家庭に電話などなかった。僕は一時期名古屋で働いていたが何か有って帰省するときは電報で家族に連絡していた。 そう言えば最近は葬式に参列するまでもないような時以外は電報の世話にはならない。しかし電報は電話のなかった時代は大いに役立っていた事も忘れてはならない。 国民の電波を使って商売している最大の企業はテレビ局だろう。なんの役にも立たない情報を発信したり、国民を扇動するような偏った放送も見受けられる。特にNHKが個人や企業の美術館で行われる展覧会の紹介をしたり、民間で行うカネ儲けのためのマラソン大会の紹介をしてみたりしてモラルも何も消え失せてしまった。 国民が金を出して成立しているNHKの会長を金も出していない政府が決めるなどは以ての外だろう。視聴者の公平な選挙によって決めるべきが筋なのだ。これでは時の政府の言いなりになってしまい公平性など全く保てないではないか。 マスコミの本来のあるべき姿は時の権力を見張る立場でなくてはならない。原発が爆発したときは放射性物質の危険性をいち早く報道し、風向や風速など逐次伝えることが使命なのである。これが出来ない放送局に金を払うというのは泥棒に追い銭であろう。

【2019.03.04】
★長野県は全国一住みにくい県である。その原因は内陸型気候にある。夏は沖縄や東京より暑く冬は東北や北海道より寒いし雪も多い。この事は生活するために金がかかると言う事を意味している、暖房も冷房も目一杯必要だし車のタイヤも夏用と冬用が必要である。春と秋の2回は自動車屋かガソリンスタンドに行って有料で交換しなければならない。これだけならまだいい、家族が4人で4台の車も珍しくないから合計16本のタイヤの保管が必要になる。アパートに住んでいる人などは特に置き場所がほとんど無いからガソリンスタンドなどでの預かりサービスを利用するが料金がかかる。ともかく何から何まで住みにくいのだ。実はこの住みにくさが長寿の秘訣だという研究もあるようだが..。長野県は山や坂ばかりである、特に僕が産まれた飯田市上村は典型的な山間僻地だ。下栗地区などは1年に数回もテレビ放映されるような急傾斜地に住み、畑も人が転がり落ちるような急傾斜である。 更に大企業の数も少なく農業世帯が多いのも長生きの原因だろうか。なぜ長生きかというと、労働はキツイが誰にも管理監督されないからストレスのない労働に従事できるからだ。 特に最近大企業でも問題になっているパワハラ(同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える)がないことが健康に良いのである。 昔は「サラリーマンは気楽な稼業」というのが一般的であった。農業では仕事をさぼっていればその分だけ収穫減ってしまうが、サラリーマンは喫茶店でサボっても給料は確実に手に入ったのだ。しかしサラリーマンの姿も昔とは随分変わってしまった。サボれるような人材が育成されていないのだ。サボれることは仕事が早く出来るという証拠の一つでも有る、だからこうした有能な人材を育成しなければならないが、育成する勇気も度量も企業に備わっていないのである。その結果として企業が利益の追求を試みると偽装とか粉飾という形になって出てくるのである。 経営者の度胸とか能力が無いのは彼らが自分の会社で造っている物の内容や技術のノウハウを知らないのも一因である。いわば叩き上げの社長が少なくなったということだろうか。 いまコンピューターとかソフトなどの企業が成長しているのは社長自身の技術によって築き上げた会社だからだ。だから若い社長が多いし、社内の制服などもない。 そこで問題点として注目されだしたのが小中高の校則である。中にはパンツの色まで明記されていたり、髪の毛の色は入学したときに父兄と共に写真を撮って元の色を写真にして登録するという学校まである。いわば時代遅れという事だが、制服とか給食にはそれなりの理由がある。ここで日本の子供達の貧困率が世界的に見ても悪すぎるということだ。未だに給食制度が無かったら弁当を持ってこられない児童もあるのだ。ここに日本の堕落した政治の一端が見えてくるのである。その国の子供を見れば政治の善し悪しがわかるのである。子を見れば親が判ると言う事であろう。 この格差が今のアメリカを築き上げた過程であることも知っておきたい。いまアメリカの多くの老人達が人間の食料が買えずにドッグフードで生きているという現実がやがて日本にも確実にやって来るのだ。

【2019.03.03】
★伊那谷ではひな祭りは旧暦で行う家が多いため今日はさほど宴会などは行われなかったようだ。  昼前から昨日持ち帰った原木にシイタケの駒(菌)を打ち込み始めたら雨になってしまった。いままで降らなかった雨が仕事を始めると降り始めるから不思議だ。こういう現象のことを「マーフィーの法則」という。例えば高価なじゅうたんの上にジャムを塗った食パンを落とすと必ずジャムの付いた方が下になる、という現象である。 助かったとか良かったと思ったときには気にもならずに記憶に残らないが、失敗したり汚したりして苦労したことは覚えているからこの法則は成り立つのである。人間はいつものことや生きていく上で必要にならないだろう事は記憶に止めないようになっている。例えば家の壁に掛けてある時計の文字盤がどうなっているかなど毎日見ているものは覚える必要が無いので記憶しない。有限である記憶のタンスに空を造っておき、もっと必要な事を覚えたり、いざと言うときにさっと取り出せるようになっている。 脳は実に良く出来ているのだが唯一難しいことがある、それは忘れたいと思うことを意志を持って抹消することができないことだ。 ★「英雄色を好む」というが事実であろう。先日アメリカと北朝鮮のトップ会談が決裂した。その原因はトランプ大統領の不倫疑惑とロシア疑惑が公聴会で証人の証言が行われていたからだ。トランプ大統領は逐一その状況を聞いていたというから会談などやっている場合ではなかったのである。 アメリカの大統領には不倫疑惑が多々有る、例えばケネディ元大統領はマリリンモンローとの疑惑があった。ビル・クリントン元大統領の時は悲惨だった、執務室での不倫を相手が自主的に暴露したからだ。暴露した本人モニカ・ルインスキーは事件の内容を事細かに書いて出版して大儲けをした。 もちろん日本でも国会議員の過半数ぐらいはこうした疑惑があるに違いない。当然女性議員も含めての話である。最近ではスピードという人気歌手だった今井絵理子の不倫や山尾志桜里の不倫も話題になった。要するに男だけの問題ではなく、国会では男女平等が貫かれていると言う事だろうか。 昔から酒と女に溺れるというが酒を飲んで成功した人は居ないし女性問題で得した人も聞いた事が無い。 そう言えば女に溺れて国を傾けた者さえあった、中国の玄宗皇帝が楊貴妃を溺愛しすぎたために「安史の乱」が勃発してしまった。クレオパトラも似たような者で様々な紛争の中心人物だった。こうしてみると結末は政治の腐敗に確実に繋がっていくということだろう。まあ国を左右するような者でなければ世界的美女などとは言われないだろから当たり前か。 ともかくアメリカの大統領は近々失脚するとみた方が確実だろう。自分の悪事を調査する者を始め裁判官まで首をすげ替えるという荒技は明らかに国民の反発を買う筈だ。日本でも似たような事件があり局長などの首をすげ替えるというという強引な揉み消しも行われていたようだが、悪事を働いて更迭された役人が今迄よりも同等とか高い地位に就くというような現象は世界中探してもないような気がしてならない。

【2019.03.02】
★夕暮れの時間がずいぶん長くなった。太陽光線も随分濃くなってきたから健康にも良い。人間の体に必要なビタミンは太陽光に当たらないと生成出来ない物も有る。当たりすぎると皮膚癌になるという話もあるがほぼ間違いである。昔は農家などの作業は日に当たりっぱなしだったが皮膚癌になったという話は聞いた事が無い。それ処か昔は夏の海辺は真っ黒に日焼けした若者ばかりで実に健康的であった。人は太陽なしでは生きられないのである。 長野県は長寿県として知られるがその本当の理由を誰も知らないし、厚生労働省でも発表していない。何故だろうか誰も疑問に思わないのだろうか?。あの統計偽装で存在感を示した省庁である、裏が有るに違いないのだ。 塩分の大量摂取は高血圧や動脈硬化の原因になり早死にすると信じられているが何の根拠も裏付けもない。それ処か血圧が120以下ならOKとか130超えたら薬を飲もうなどと言うとんでもない医療も行われている始末である。 長野県は全国で2番目に塩分摂取量が多い県である、なのになぜ長生きなのか、そこには厚生労働省がひた隠しにしている事実があった。それは塩分の多い食事は確かに高血圧には多少悪影響があるかもしれないが、塩分の少ない食事よりも健康に良く長寿に効果があるという事実だ。その原因は、塩分は臓器や脳に対して多目に摂取しないと悪影響が確実に現れてくるからだ。 人は海から陸に上がった動物である、全ての人の遺伝子にはその海の中で培われた遺伝子情報(生き延びる情報)が五万と綴られているのである。だから人は塩分が切れると発狂し確実に死んでしまう。 上杉謙信が塩を贈ったというような史実をみても塩は人にとって必須食品なのである。 武田邦彦教授の話によると、長野県人が長生きの理由について次のように調査結果を述べている。それは長野県に老人医療専門機関が極めて少ないこと、老人専門医も少ないことが原因だという。なぜ老人医療機関が少ないのに長生きなのかという点については医療機関に行く機会が無いから長生きだという。行く機会が無いというか行けないのである。と言う事は全国で老人医療費の支出は長野県が最も少ない県と言う事になるがこれも事実である。老人医療費が少ないと言う事は薬を使っていないということになる。要するに医者に行かず薬を飲まなければ長生き出来るという統計結果が有るのに隠蔽しているということになる。発表すれば確実に医師会から文句が出て大変な事になってしまう、厚生労働省は庶民の為にあるわけではない、医者と製薬企業のためにある省庁だと武田氏も断言している。 僕はインフルエンザの予防接種を一度もしたことがないが、一度もかかったこともない。今年大流行したが、調査によるとインフルエンザにかかった人の90%は予防接種をしていたという。打っても打たなくても効果などほとんど無い注射なのである。これは医療機関や開業医に対する冬期ボーナスだと考えれば納得出来るだろう。 更に毎年行われている狂犬病の予防接種もこのたぐいである。日本に一匹も狂犬病の犬が居ないのに数千円出してなぜ予防注射をするのか?。獣医師に対する春のボーナスである。 こうして庶民に背を向けて無駄な税金を垂れ流し続ける省庁だと言う事実は先の統計疑惑報道で証明されている。 もっと書いてみると、タバコと癌の関係である。因果関係の統計結果をみるとタバコを吸う人と吸わない人との差異はないどころか、副流煙を吸っている家族についても因果関係は全くないのだ。それにタバコの消費量が減るにつれて癌患者はどんどん増えているという事実もあるのだ。こういう統計も庁内に有りながら隠蔽しているのも事実だろう。困ったものだ。 武田氏は癌にならない方法の一つとして、道楽でする無理は良いが会社で無理をして仕事をすると確実に癌のリスクは高まるのだと言う。これは間違いないだろう。いい加減に仕事をして健康になろう..こんな健康法も厚生労働省では確実に隠蔽される。

【2019.03.01】
★昨日の雨で山小屋の脇の河川が異常に白く濁ったので様子を見に行ってきた。9時頃到着したが既に川の色はいつもの透明な色に戻っていた。 天候も良く気温も高いので昨年秋に切り倒してあったシイタケの原木に駒打ちをしてきた。300個ぐらい駒を打ったところでドリルのバッテリーがなくなったのと腰が痛くなったため中止。仕方なく原木30本ぐらいを家に持ち帰ったが太い木ばかりだったので車への積み卸しで腰の痛みは最高潮に達した。 やはりシイタケを売って生計を立てようというのでなければスーパーで買って食べた方がいい。それと干したシイタケは「プリン体」が際だって多く含まれるため痛風になってしまう。生シイタケならばいくら食べてもいいが、太陽光に当てて干すと旨みが増す反面プリン体が増えてしまうのだ。 僕の父親も肉よりも内蔵(モツ)が大好きだったので痛風になってしまった。やはり旨い物は要注意ということだ。 病気にならない食生活とは「美食」である。鯉の腹わたなどは決して食べず、旨くも何ともない身の部分だけを食べる、これが美食である。 ★役人や警察それに学校関係者などが不祥事を起こしたとき「再発防止に努める」と謝罪会見をするが、何の意味があるのだろうか。要するに社会の模範となるべき者達が再発防止などと言う言葉を発する事自体が間違っているのだ。要は警察官は絶対に犯罪は犯してはならないのだ。それが彼らの任務であり職業そのものだからである。 例えば先日九州大学で3名の教員などを解雇などした、内容は女性教員が他人のロッカーから現金23万円を盗んだこと、もう一人の女性教員は同僚を誹謗中傷する歌を作って歌ったり、殺したいと書いた紙を置いたりしていた。もう一人の男性は少女の裸体写真を撮ってインターネットで流布して児童買春・児童ポルノ禁止法違反で罰金30万円の刑を受けたというものだ。これを先生と名の付く者たちが平然とやっているのである。 更に学校のイジメは教員が参加して行うケースが多いことも問題だ。 役人は談合事件に際して主導するのがほとんどで、官製談合というが明らかに日本中で行われおり税金の多くが無駄に使われている。 こういう環境で学んでいる子供たちとか、こういう社会で生活している庶民はどうなるのか。 先日擁護施設を卒業した者が施設の職員に恨みを持って施設長を殺害している。これを単なる殺人事件として処理するから対策が立てられないのではないか。昨今は恨みを持った人の異常な行動が目立っている、これも歪んだ社会の産物として捉えると納得出来る事件が多い。 最近問題になっている車のトラブルや殺人も同様であろう。様々なケースをよく調べてみると事件になる前に何らかの小さな引き金になる事が起きている。例えば高速道路のサービスエリアで駐車方法を注意したというようなことだ。善人ぶって注意したことが反感を買うのである。 その原因の多くは馬鹿な教師の教えにあり、不良役人の言動にあることも否めない。学校の部活で体罰を経験した者は、自分がその立場になった時にごく普通に暴力的な体罰をしてしまうのだ。今の社会は荒(すさ)んだ心を養うには最も良い環境にある事を忘れてはならない。