【2019.04.30】
★天皇陛下が退位する旨を公表してから随分時間が経過したのだが、今になってみると「光陰矢の如し」で時間の経過をあまり感じない。これも老化現象の一つかとも思うが、過ぎ去ってみると人生の短さ儚さを感じすにはいられない昨今で有る。 世の中の生物の寿命は数日のものから百年近いものまである。この差は心臓の鼓動回数に反比例する、要するに一分間に何回鼓動するかによって寿命が決まり、早く打つほど短命である。これは学者の研究に頼るまでもなく周知の事実である。 人も病気で植物人間状態になって寝たきりになると、一般的に考えるより随分長生きするのも心臓が早く動くような事をしないためだろうか。(僕の親戚には15年以上寝たっきりの人が居る)ともかく災害も何も無ければの話だが。 ★今日、天皇陛下が国民に向けての言葉の中に「安寧(あんねい)」という単語が出てきた。僕もこの言葉が好きでこの転世神誤のなかでも20年近く使い続けてきた。簡単に言えば「平穏無事」なことなのだが、この実現には自分自身だけに止まらず、家族や親戚、さらには日本や世界まで関係してくる。世界が不安定になれば自身の命にも及んでくるということだ。 アマゾンの奥地に住む原住民でも同じように「安寧」を願っていると思う。しかし未だに彼らは争い殺し合う時が有る。それは猿の世界を見ればすぐに判ると思う、ボスになるための戦い、縄張りを守る為の戦い、群れを守る為の戦いである。こうした戦闘行為は明らかに全ての動物が持っていて人間とて例外ではない。 しかし人類と動物の違いは「言葉」があり話し合いで決着出来る方法を持っていることだろう。 アメリカと中国は貿易というカネ儲けと自分だけ良ければいいという考えを基に貿易交渉しているが、まとまるにはどちらかが何らかの主張を取り下げねばならない。しかし経済的に恵まれ世界一優雅な生活をしている国民がその特権を手放す筈が無い。こうして彼らは戦争という殺し合いを何とかして始めたいのである。これこそが猿と何ら変わらない動物だという証拠であろう。 この際、アメリカも中国もロシアも北朝鮮も核という兵器があるのだからお互いの国めがけて撃ち合うべきであろう。地球が放射能だらけになっても良いではないか、500年も経てば動物も住める環境になるだろう。地球はこうした全滅という事件を何度も経験して今が存在しているのだ。 実はよく考えてみると隕石が落下してマンモスが絶滅したのも核攻撃で人類が絶滅するのも何ら変わりない事件なのである。ノートルダム寺院のように戦争が無くとも焼け落ちるということだ。 天皇陛下もこうしたことはご存じの筈だが、「安寧」という言葉を使ったのは、国民だけでなく自然界の安寧を祈願するのが陛下唯一の仕事だからである。

【2019.04.29】
★華々しく始まった10連休だが..あっというまにあと一週間になってしまった。暇を持て余したというか行き場所の無い人達が近隣の商店街に繰り出して道を歩けないほどの混雑だという。しかし今日僕が行ったスーパーはなぜかガラガラだった。気温は低く時々小雨も降っているような状況だから精神の休息には家でごろ寝が一番だろう。毎日会社でコキ使われていたのだから連休こそ健康のために休息するのが正解である。 休息もいいが50歳を過ぎたら遊ぶことよりも真剣に老後を考えなくてはならない。一人暮らしになったらどうするか、病気になったらどうするか、痴呆になったらどうするか、資金が尽きたらどうするか..など考えればきりが無い。今日も配信されてきたニュースを見れば老人のための施設(有料老人ホームなど)の破綻が問題になっているという。金を集めて建設前に破綻されたら行くところもカネも無くなってしまう。老人を喰い物にするこうした連中は殺人罪に匹敵する、なぜなら悲観して死んだ人も有るからだ。いまの法律はあまりにも庶民にとって味方にはなり得ないものだ。詐欺にあったら泣き寝入りしするしかない状況だからである。法律はなんの為にあるのか、犯人の人権などをもっと無視出来ないのか?。殺された人の人権よりも殺した犯人の人権を重んじている現状は問題点が多すぎると言わざるを得ない。犯罪者を刑に服させたり死刑にするのは見せしめ的な意味合いもある。江戸時代は大衆の目前で刑場に引き出して死刑にしたり、市中を引き回したり、さらし首にもした。こうした刑罰が社会の安定や犯罪の撲滅に役立つという考えの元で行われたのだろう。 昔の韓国のドラマを見ると輸送中の死刑囚に庶民が石を投げている。人を殺して懲役10年ぐらいの刑では収まりが付かないだろう。特に飲酒運転事故などは悪質である、知っていて飲むのだから確信犯である。芸能人でも酒のために人生を棒に振る者達が後を絶たない、戦後のメチルアルコールを飲んだのならば判るが、自分の意識を無くすまで飲むというのは麻薬と同じで明らかに犯罪である。 その一方で死刑廃止論もある、人が人を殺すのは殺人と同じ事だから間違いだというのだ。確かに一理あるが彼らは被害者の立場に立っていないのでは無いか。 更に命の尊さという観点から動物保護に対してもっと厳しくしなければならないと思われる。餌を与えずに動物に芸を仕込んでカネ儲けをしようなどと言うのも明らかな犯罪であろう。また動物園などでペンギンやシロクマを冷房の無い酷暑の環境で飼うというのも大きな問題である。動物園に行ったら、この動物たちがどうやってカネ稼ぎにの対象にされ死ぬ思いをしているのかを考えてみたい。小学校で飼っているウサギを殺すような者はやがて殺人者になるということも踏まえて動物保護法はもっと厳格に運用すべきであろう。 近所の人が子供を動物園に連れて行ったところすぐに帰ってきた。子供がこんな臭い場所は嫌だと言って園内に5分と止まらなかったからだという。檻の中で監禁するという行為の一端を見たような気がした。 人はその目的の一つに理想郷というものを持たねばならぬ、そこでは人も動物も昆虫もみな同じように暮らすのだ。誰が偉いとか、俺が強いとか、俺が一番だとか、そんなことは関係無い。たぶんそういう場所を指して天国というのであろう。

【2019.04.28】
★朝から気温が0度まで下がって冷え込んだ。南アルプス山麓の山小屋では−3度まで下がった、昨日行ったときに雨量計を設置してこようとしたが、まだ冷え込むだろうという予想でやめて良かった。雨量計は直径が15センチぐらいのジョウゴに雨を集め、それを細い管に溜めていき1mm相当の雨になったときに電気的に検出して電子的にカウントすると共に我が家にインターネットを通じて送ってくるようになっている。気温が下がると計量用の管が凍って割れてしまう。この装置は全て自作だが実に正確で転倒升(一般に雨量計に使われている方式)のような機械的な部分が無いので保守もし易い。 今年もこんな気候の繰り返しで局地的な大雨による災害の多発が懸念される。これは北朝鮮の脅威よりもより余程深刻な問題である。戦闘機よりも決壊した堤防を迅速に修理出来る大型の専用重機を購入する方が日本人の命を守る確率が高い筈である。 平成もあと2日となったが、飯田市内でも御多分に漏れず関連商品が多々売られている。市内の「フランス菓子マロン」という菓子屋に寄ると、いままで専用クッキーに様々な画像をプリントして販売していたクッキーに「令和」という文字と花柄をあしらった商品が出ていたので買ってみた。賞味期限があるので記念品にはならないから写真に撮ってから食べてしまった。 それにしても4月はアッという間に終わってしまった。桜が咲いたとか季節外れの大雪が降ったとか大騒ぎしたが全て過去の出来事になり、夏が過ぎれば全部忘れてしまう。 僕は15歳ぐらいから毎日日記を付けているが、こうして過ぎ去った日々をどこかに残しておきたいという願望もある。今になって読み返すことは殆ど無いし、僕が死んだ後に読む人もいないだろう。しかし地震の研究とか天文現象の研究には過去の記録が必要となる。千年も昔に書いた日記の一行が数々の疑問を解く鍵になったことも多々ある。 記録というものは後世に残す貴重な資料だが、役人が総理に忖度して様々な公的な記録まで書き換えてしまったのは如何なものか。それ処か確信的な犯罪なのにお構いなしとはどういう国家なのか。まるで無法地帯に生きているような錯覚にとらわれてしまう。早く正常な人達が政治や行政を行う国にならないだろうか..。カネの亡者の性格をすぐに変えようというのだから、これも世界に誇る無理難題だと言えよう。

【2019.04.27】
★監視カメラで見ると南アルプス山麓の山小屋の桜が満開になったようなので妻と水汲みがてら見に行ってきた。今日は気温が上がらないと言う事だったが、それどころか山小屋に着いたら雨がショボショボと降り出してしまった。それでも持っていった弁当を食べて返ろうとしたところ畑を囲っている金網が鹿によって破られているのを3ヶ所も見付けてしまった。寒いが仕方なく金網を補修してきたが1時間ぐらいかかってしまった。そう言えば先日監視カメラの画像を見ていたところ6頭ぐらいの鹿の家族が山小屋の周りで遊んでいるのを発見していた。乱獲によって少なくなってしまったニホンジカがまだ山小屋の周りに生きて居たことに感謝である。食べ物が無い冬期は網を破っても仕方がないだろう。僕たちはいつでも食料が手に入るのだから多少の作物は鹿とか猪のために余分に作ってあげようではないか。この程度のことは食物連鎖の頂点に君臨する者の義務であろう。森に住む動物は優しく接すれば決して人をむやみに襲うことは無い。動物よりも町の中に潜んでいる精神が崩壊した人間の方が余程始末が悪い。悪さはやめろと殴っただけでも警察沙汰になって殴った方が罰せられるのだ。悪党の人権を人並みに考えるからスト−カー殺人が日常化してしまうのである。 山小屋より少し高い所は雪になってきて真っ白に変わって来たので家に戻ったが飯田市内も寒い、これも寒の逆戻り現象だろうかと考えるが間違いである、地球温暖化というのはこうした気温の急変をもたらす現象なのだ。 ★先日(13日)にここで僕の友人が潰瘍性大腸炎(指定難病97)にかかってしまったと書いたが、調べてみると何とあの安倍首相も最初に首相になったときにストレスに負けて同じ病気になって首相を辞めるという事態になっていた。難病ではあるが厳しい食事制限と投薬によって日常生活は出来るということだ。この病気も元を正せばストレスによって人間の免疫機能が異常反応を起こして自分自身を攻撃したものだ。要するに花粉症と変わらないものだが、ちょっと重症化すると様々な病気を引き起こしその殆どが難病となる。今の医学で対応出来ないのがこの免疫を起原とする病気であり、手術で治る病気ではないのだ。 最近になって対応策が考えられているが、その一つが森の散策である。森林浴は良いと言われるが、実は森の中には落ち葉かありそれが腐って菌を宿している。この菌を吸い込むことによって病気は治るし、かからないのだと言わる。 今日も山小屋から飲料水を汲んできたが、この水も森の落ち葉や土の雑菌を多く含んでいるから健康に良いと言うことだろう。苦労して汲んできて飲んだ甲斐あって僕もまだ何とか生き長らえている。

【2019.04.26】
★小雨がしょぼついていたがウオーキングに出掛けたのはいいが、傘を持っていこうと思ったが面倒なのでやめてしまった。しかし30分ぐらい歩いたところで大雨になり逃げ込んだのは農業用の小さな小屋である。10分ぐらい待っていると小降りになって来たので再び歩き始めた。だがこの小屋のなかの地面に蟻地獄を見付けた。そう言えば昔は家の周りにいっぱいあって蟻や小さな虫を誘い込んでるのを見ていたものだ。時々は蟻を捕まえてわざと落とし込んで様子を観察した事も有った。今考えてみると何の罪もない蟻に申し訳ない気持ちでいっぱいである。子供とは言えこういう行為こそ自然の摂理に反する行為である。 普天間基地のための辺野古の埋め立てとか、大型のリゾート開発とか、観光用の道路建設など、こうしたあらゆる人間の行為は間違っていると言うことである。たかが戦争のために美しい自然を破壊するなどという行為はゲリラが仏教寺院の石仏群を破壊することと何が違いかと言う事だ。 ともかく平成という荒れた時代から令和というのは平穏な時代で有って欲しいと願うばかりである。ただ2つの文字が変わっただけのことでは何の意味も無いではないか。 ★しかし新しい年号でこれだけ大騒ぎ出来るのも生前譲位したからだろう。本来ならば天皇が崩御しテレビのお笑い放送も自粛となるのだ。平成に変わった時などは以前から流れていたテレビCMで井上陽水が「お元気で−」という内容の放送が中止になったほどである。要するにこの頃から庶民とか役人の過剰反応が始まったのである。数人が電話で「けしからん」と言っただけで数千万円掛けたチラシが回収されたり、差別だというメールが数件届いただけでテレビCMが中止になったりする。これは明らかな過剰な反応で社会にとってマイナスになる行為であることを認識しておかねばならぬ。世の中に全員が賛成というような案件など一つも無いし、家族でも全員の意見が一致することなど殆ど無い。こうした場面で決断を下すのは責任者であり、社長であり、家長である。家族の顔色を気にしていて判断が出来ないのは確実に決断力の不足なのである。いまの家庭でこの判断が曖昧になっている原因は何だろうか、それぞれに原因はあろうと思うが政府の進める男女共同参画というのも問題の一つではなかろうか。男だったら妻の一人ぐらいは養う努力が必要だし、その努力が無いから新しいアイデアも湧いてこないのではないか。 昆虫の世界でも同じような現実があるが、例えばキリギリスのオスはメスの食べる餌を取ってきたり、妻が昼寝をするための草のベッドを日に当てたりしてふかふかにしてやっている。 男にはそれなりの自信と責任と優しさが必要だと言う事だろう。 ともかく伊那谷の春は過ぎて既に桜は落葉樹に変わってしまった。今度は夏の酷暑と戦わなくてはならない。

【2019.04.25】
★妻が育てている君子蘭(くんしらん)が満開になった。元々この花は義母が育てていたものだが高齢になり施設に入ったため妻が持って来て育てている。鉢が大きくて重いために移動するにも骨が折れる。 庭の白いタンポポも咲いているし、玄関にある藤とヤマブキも咲いた。 近くにある大念寺という寺にある遅咲きの八重桜も一気に満開になった。大きな花を枝いっぱいに付けたために枝が折れそうになっているのが気掛かりである。すでに気候は初夏だ、半袖でのウオーキングも何ら問題ない程だが、この先まだ冷え込む日が有ると思う。気温の急変は温暖化の特徴の一つで有る。 ★市田柿で有名だった「かぶちゃん」の大規模な詐欺が話題になったばかりだが、今度は「ジャパンライフ」という会社が高齢者から巨額の資金をだまし取るという事件が起きた。この会社はいわく付きの会社で消費者庁から度々行政指導を受けていたが、被害者の拡大を防ぐことは出来なかった。こうした詐欺行為の予兆のある会社は監視を強化して被害が拡大する前に警察が対応すべきなのだが..。 この会社は幾つもの会社を作っていていたが活動実態のないものもある。「公益財団法人ライフサイエンス振興財団」「一般社団法人日本文化協会 」「イオン薬品株式会」..などで一見してまともそうに見えるのがミソである。高齢者が老後の資産を全部取られたと言う事になりカネが返って来ないとどうなるかというと、こういう被害者の面倒を国民が見ることになるということだ。こうした事件を未然に防ぐために警察はともかく「消費者庁」や「消費者生活センター」「国民生活センター」があるわけだが。単に相談を右から左に聞き流すだけの存在になっているようだ。 これだけ大規模な詐欺事件は必ず裏に役人や国会議員が絡んでいるので調べてみると、何と消費者庁の課長補佐が定年退職するに当たってこの会社の経営者と面会し天下りを受け入れるように懇願していたという事実があった。また会長が政府の働き方改革担当特命大臣の加藤勝信と会食し、その後会社の勧誘チラシに「ジャパンライフのビジネスモデルは、一億総活躍社会を先取りしています!」との加藤のコメントが掲載されていたという。更にこの会社は閣僚など政治家への「お中元」も配っており国会でも問題になった。現実に複数の官僚がこの会社や関連団体に顧問という名目で天下りしていることも判明している。要するにこの詐欺事件は政府と役人が引き起こしたものなのだ。 こういう政治を由とする庶民の目が覚めないのは何故だろうか。馬鹿者だからとしか言いようが無いではないか。善と悪の判断も出来ないような脳軟化した国民は選挙に出向くべきではない。辞退すべきであろう。

【2019.04.24】
★この雨で南信地方の桜はほぼ散ってしまったようだ。南アルプス山麓の山小屋の桜は監視カメラでみるとようやく開花したところだ。この雨で散ることはないが雨に濡れると花の色が落ちてしまう。これも桜が背負った運命だろうか、それとも雨は桜にとって恵みの雨なのだろうか聞いてみないと判らない。 小雨の中をウオーキングしていると、またゴミ捨て場のなかにツクシとタンポポが一輪咲いていた。彼らにとってこの雨はきっと恵みの雨だろう。早くもタンポポは白い球体の種をまとい風に運ばれる日を待っている。こうなると強い風も彼らにとっては大きな身方であるのは間違いない。自然界に起きる風雨や火災でさえ植物にはなくてはならない現象なのである。 ★北朝鮮の金正恩はアメリカとの交渉失敗をネタにして今度はロシアに接近している。たぶん僕でもそうしたに違いない。同じようにアメリカの主導で経済封鎖されている国同士である共通の話題として会談も盛り上がるはずである。ロシアの歓迎ぶりも相当な規模だったところを見るとプーチン大統領も良き友を得た気分であろう。この会談によってトランプ大統領も面白くないであろうことは想像出来る。しかし彼らは自分たちの利益の為に何でここまでしなければならないのか?。もっと正面を向いて腹を割って話せば馬鹿者でない限り解決策は見付かる筈である。しかし彼らにとって解決策が見付かっては困るのである。軍の最高指揮官であるトップの座は軍隊によって守られている。戦争やイザコザが無かったら軍隊など不要であろう、そうなっては困るから毎日他国とどうやって穏便に争うか秘策を練っているのだ。こういう突然変異した人類が多々出現した為に弥生時代から戦いはなくならないと言う事である。 なぜ弥生時代以前は戦争がなかったかと言えば、部落とか都市のようなものが無かったからだ。徒党を組むとしても家族単位では戦争にはならない。人は集団化してはならないという基本的な考え方はここにある。戦争にすすむ暴走は集団からしか生まれない。人は集団に入ると自分自身の意見を言うことが出来なくなるからである。 そういった意味で国民的な合意とか、国民的な行事とか、オリンピックとか言うものを政府が進めるのは集団化するためである。それも政府の考えを受容させた庶民を集団化して、簡単に言えば扱いやすくするのだ。 今の時代は情報によってこうした洗脳が巧妙に仕組まれている。テレビ番組にしても、元号の変更にしても共通することだ。 もっと簡単に説明すれば、原子爆弾を落とされた国が核施設を造ることに対して、国民の大きな反対がなかったということだ。 要は10連休だと言って騒ぐ前に北欧やヨーロッパの1ヶ月ぐらいは当たり前という事実をどう捉えるかだ。

【2019.04.23】
★平成も残すところ1週間になった。以前天皇陛下が譲位すると発表した時は随分先のことだと思っていたが..時の流れは速いと言わざるを得ない。特に還暦を過ぎてからはまさに「光陰矢の如し」である。夜になり寝ようと布団に入るとき何故か昨日も同じ事をしたのだが数時間前だったように思ったり、テレビで1週間前に見た番組をつい2日ぐらい前に見たように感じたりする。老化現象と言えばそれまでだが..。 先日世界のオタク科学者グループが撮影に成功したと言う「ブラックホール」はその中心部(特異点)では時間が無いという。時間が無いところと時間があるところの境界を「事象の地平線」というのだそうだが、ここからブラックホールの中に入れば年を取らないということである。 時間がある場所と無い場所の境界に立つとどうなるのだろうか?。下半身だけ中に入ったら下半身は若いままで上半身は老化していくと言う事だろうか。 いま我々が生きていると言う事は時間が過ぎていく事に他ならないが、時間が進まなくなったとき(時間を感じなくなったとき)人は死んだことになる。と言う事はその人がブラックホールの中に吸い込まれたのと同等だと解釈出来ないか。これらを総括すると、死とは時間が進まなくなったことであり現状が維持され続けてる事だ、と現在の物理学では定義出来る。 ★来週から始まる「令和」という文字は幾つも正解が存在していてどれを使っても良いというがそれも何か不可解ではないか。 万葉集から引用したと言うが、令和という単語はなく一連の文章の中から令と和を抜き出したに過ぎないというのもおかしな話だ。ならば「伊豆の踊子」の中からも同じ文字が発見出来るかもしれない。 問題はこの日本独自の年号が何故に存在し続けているのか言う事である。それは「国は王(天皇)が支配している」ということを庶民に納得させるためだ。他にも気象とか日食とか言う天文現象も王が天までも支配しているということを知らしめて王を神格化し国家の統一を図ったものだ。だから日食や月食の起きる日時を正確に予測する技術が求められた。天文学が産業革命よりも優先して古代から発達したのはこのためである。 中国では日食の日時を正確に予測し、王様がそれを庶民に知らせ大規模な祈祷祭を行っていた。現実に太陽が隠れるのを見た庶民は王が間違いなく神である事を確信したのである。 おおよそ科学とか天文学というものは似たようなものであり、似たような目的で今も使われていると言う事だろう。 日本が小惑星に衛星を送って岩石を採取するというのも日本という国家の偉大さを他国に知らせることが目的なのである。彗星の石ころなど持って帰っても何の役にも立たない、腹が減ったときに食料にでもなれば別だが..。 異本はこんな驚くような技術があるというのに目の前で人がバスにひかれたり、高速道路を逆走する車も停止させられないのだから抱腹絶倒である。国家が考えている人命は石ころよりも軽いと言う事なのだろう。

【2019.04.22】
★夏のような陽射しにTシャツ1枚でもOKだった。気温も飯田気象台で28度ぐらいだったが、庭の温度計は30度を指していた。遅れていた花や植物の芽も一気に吹き出してきた、特にずっと蕾だった藤は花が咲き出したし、ライラックも花を咲かせ始めている。やはり地球の温暖化は手の付けられないところまできたようだ。 温暖化の特徴とは四季が無くなることだ、一年に夏と冬しかなくなってしまうのである。そして亜熱帯気候が進んでいるのも事実だ、先日は北海道と沖縄だけが夏日になるという異常な温度分布も起きている。ともかく運動したり薬を飲んで長生きしようという前に災害で命を落とすことになるといえる。 それでもカネ儲けのために地球に穴を開けて毎日何万トンもの原油を採掘しているのは人間の悲しい性(さが)と言えるだろう。せいぜい今生きている時間を大切に悔いなく過ごす事が何よりも優先されることだと悟っておきたい。この人間の堕落はお釈迦様もキリストもとっくに見放しているから気遣いは要らない。 ★またまたバス事故が起きた、神戸市中央区のJR三ノ宮駅前で路線バスの運転手ががアクセルとブレーキを踏み間違えて多くの死傷者が出た。2016年に起きた長野県軽井沢スキーバス転落事故の教訓など何も生かされていないではないか。軽井沢の事故でバスを運転していたドライバーの年令は65歳だった。今回の事故を起こしたドライバーも64歳である。 思い起こしてみよう、僕が25歳ぐらいの時の企業の定年は55歳が当たり前だった、その後引き上げられて60歳になり、最近は65歳としているところも多々有る。 「村の渡しの船頭さんは今年60のお爺さん」という歌があった。60歳にもなって渡し船を漕いでいることの哀れさを歌ったものと捉えるべきだろう。 要するに人の命を預かるようなドライバーの年令は最大でも60歳が限度であある。安全を考えたら55歳位下に法規制すべきであろう。人手不足による再雇用で会社に舞い戻ってきても人の命を預かる仕事に就かせるべきではないのである。運転手でなくとも事務職や清掃員でも良いではないか。 こんな当たり前のことが守られていないから大事故が起きて若い人の命が多数奪われてしまうのだ。運転手が確保出来なければバスの運行を少なくすれば良いだけのことではないか、人の命を奪ってまで儲けようという魂胆が全ての事故の原因だと断言出来る。運輸行政もこうしたバスとかトラックの業界とくっついているから規制など出来ない。要するにこうした大事故は運輸省がなかったら起きなかったかも知れないと言うことだ。業界の片棒を担いで天下り先を確保しようと毎日考えているような行政にメスを入れればこうした事故も減るに違いない。日本が見舞われている様々な惨劇の主は行政にあると言う事だ。

【2019.04.21】
★野原を横切る細い道を歩いていると真っ赤なチューリップが一輪だけ目にとまった。農家のゴミを捨てた場所のようだからそのゴミに混じって球根がこんな場所に来たのだろう。そんな事も一切知らずに真っ赤な花を咲かせているのだ。人も生まれや育ちはともかく如何なる場所に置かれても立派に花を咲かせることが出来ると言う事だろう。 じっと見ていると最近流行りの「万葉集」に出てくる「真帆露場(まほろば)」という言葉を思い出した。この言葉は万葉集の冒頭に出てくるが、辞書によると「素晴らしい場所」「住みやすい場所」と出ている、これは日本の事だ。日本人にとって住みやすく素晴らしい場所は日本という国であるということである。 花も花壇に咲くばかりが花ではない、日本の何処に咲いていても咲いた場所は花にとって素晴らしい場所なのである。 山に登って高山植物を採ってくる不心得者が絶えないが、たぶんその殆どは枯れてしまうだろう。高山植物にとって暖かい花壇よりも高山の荒れ地の方が最も住みやすい場所なのである。 ウオーキングしているとこうした出会いがあっても最近は物忘れが進行したのか、家に戻る前に忘れてしまうので僕は写真に撮ったりスマートフォンのボイレコーダーに音声として残している。 とにかく毎日5〜7km歩いていると自然や風景それに植物や動物から教えられることが多い。子供の頃にも同じように周りの自然界から多くを学んできた、それが忙しさのために忘れてしまったのである。子供に物事を教えるには親とか先生ばかりでなくこうした自然界から学ぶ時間をもっと多くした方が人間として完成させるには良いのではないか。夜中まで塾に通い遊びもせず育った人達の今の振る舞いを見るに付け彼らにとって不足している物を感じてしまう。 ★自民党を始めとする与党連合は沖縄県の衆議院補選で敗れたようだ。もっとも注目されていた選挙だったが安倍首相には手痛い敗戦だっただろうと思う。長期に亘って政権を維持することの困難さが現実味を帯びてきたようだし、時代の変わり目であることも実感させられる。これでは消費税を上げるどころか以前の3%に戻して、国会議員を大量に減らすというような対応をしないと次の選挙で敗退することも念頭に置かねばならないだろう。ともかく国の借金を楯にして税金を庶民から搾り取ろうという発想は江戸時代にもなかった。 天皇陛下を含めて国のトップの有り様は、如何にして庶民に寄り添い暮らし向きを良くするかという事に尽きる。これが出来ないような者はトップとして失格であることは否めない。 札束をくわえて棺桶に入ろうというのでなければ無駄に蓄えた資金は庶民の為、困っている人の為に有効に分配するべきだろう。 自ら各省庁に忖度させた統計偽装は如何にいい加減で、庶民を欺くものなのか誰もが知っていることである。 真の政治家はカネなど欲しがらないし、名誉欲さえも棄てているものだ。そこまで行かないと真の政治家には程遠いだろう。

【2019.04.20】
★今日も南アルプス山麓の山小屋に行って一日働いて来た。今年始めて家の中の掃除をし、ガラス窓を全部拭いてきた。9年前に亡くなった愛犬ボブの墓の前に小さな鯉のぼりを立ててきた。ずっと一年中建てっぱなしだから2年おきに買い換えている。 しかし今日の暑さは格別である、半袖シャツで仕事をしても汗が出た。海抜千メートルではヒガンザクラもまだ開花しないどころかつぼみが少し大きくなったところだ。あと10日ぐらいすれば見頃になるだろうから平年並である。 僕が15年ぐらい前に植えた桜も直径が25センチぐらいに成長した、花見を毎年2回出来るのも良いではないか。今日はまだ花見というわけにはいかなかったが、弁当を持っていって自然の風に吹かれながら食べた、その旨いことといったら例えようもない。青空の下で川の音やウグイスの鳴き声を聞きながら食べるというのは贅沢の極みだろう。 朝から日暮れまで働いたので帰りには腰が痛くて車に乗り込むのがやっとだった。 ★日本の企業が世界から置きざりにされる理由は護送船団方式の弊害だと以前書いたが、他にも多々有る。例えば日本の特許庁では混雑を避けるため(仕事が増えるのを避けるため)、令和とか平成という商標登録を受け付けていない。しかし外国ではこんな制限は無いから、清酒令和とか令和饅頭などの登録は可能だ。これは日本企業が外国にで商売するときの弊害になるのは当然だが、中国から「銘酒令和」という酒が日本に入ってきても文句は言えないことになる。 自由競争とは早い者勝ちのことだ、だからこんな制限をするのは自由競争の弊害になる。コンサートのチケットでも早い者勝ちだし、天皇陛下の行幸を見るために朝の暗いうちから沿道に並んでいるのも早い者勝ちである。政府が自由競争を妨げたり妨害すればそれだけ企業収益は減る、その穴埋めに消費税の増税をすることになる。早き話が庶民(弱い者)イジメということだ。イジメは子供から大人まで、保育園から国家まで行われているということを実証しているようなものだろう。 在るときは明治時代の法律や規則を持ち出して規制するし、時には合法であっても難癖を付けて禁止したりする。正当性のある行政とは言い難いものだ。 そろそろ役人も議員や大臣それに与党から目を庶民に向けていかないと大きな反発を受けることになろう。控えめに見ても日本は中国や韓国のような賄賂社会を脱していない。

【2019.04.19】
★さすがに20度を超えると暑い。今日の太陽の光は夏のように熱線を感じるほどだ。春の山菜もいっぱい出てきて我が家は今日もタラの芽の和え物である。昨日は妻がノビルを採ってきて酢の物にして食べ、残りは塩の効いた漬物にした。このノビルというのはタマネギの祖先みたいなもので球の部分は直径10mmぐらいだ。とにかく漬物にするとその強力な匂いは自分でも酔ってしまうほどである。多分薬効はタマネギの10倍ぐらいあるに違いない。 僕はゼンマイとかワラビなどはあまり食べない、それは父親からの教えである。とにかく灰汁(あく)が強くて多く食べると胃の粘膜をやられるから若しも食べても少しにせよという事だ。 タラの芽もしっかりと灰汁抜きをしてからエゴマで和えて食べる、山菜の中では一番好きなものだ。 ★自民党も内部抗争が始まったようである、このまま選挙に突入したら票が伸びないと予測したのだろうか。特に知名度の低い議員は落選必至である、だから秋の消費税の増税もやめてくれという話が出ているのだろう。それともアベノミクスの崩壊で消費税を上げたら経済は谷底に向かって転げ落ちそうだから首相自らの考えか?。様々な省庁で何とか好景気を演出しようと数字を書き換え偽装しても実際の景気は悪化の一途である。と言うより庶民の暮らしは確実に下降している。10連休も思ったほどの人ではないだろうと予測する。そうそう無駄遣い出来るような懐具合ではないと考えるからだ。 ★また東京で自動車事故があった。親子が亡くなって多くの怪我人が出たが、運転していた87歳の運転者は「アクセルが戻らなくなった」と言っていたというが、これは戻らなくなったような気がしたのだと思う。以前から僕が指摘していたプリウスという車の持っている特異性による事故であろうと考えられる。音がしない車、アクセルを踏んでもエンジン音が変わらないような車は老人には危険なのだ。環境に良いと言うが環境に良くて人命には悪いというのは大問題ではないのか。今迄も同様の事故は多々起きているがその多くがハイブリットカーである。老人はオートマチックの車も危険である、一番良いのはマニュアルのディーゼル車である。出足は鈍いし音が大きいのが事故防止に役立つのである。 今後の日本は高齢化が進み100歳の運転者も出てこよう、確か金さん銀さんの娘さんは90歳代で運転していた。 今後は一人暮らしの高齢者がどんどん増えて2040年には896万人になり全世帯の17%に達するという。こうなった時のことを政府は今から対策すべきだろう。買い物や通院など車はもっと必要になるはずだ。 国は巨額の税金を使って国勢調査をしているが、どのように活用しているのか。現在の少子化とか高齢者の問題は何十年も前に確実に予測可能な事案なのだ。役人がサボっていて目先の事さえもろくに考えていなかったという実態が見てきただろう。馬鹿を寄せ集めて毎日討論しても建設的な意見や正しい未来予測が出来なかったらタダの無駄飯食い集団である。公務員全員がボーナスを全額国庫に返納すれば気を引き締めて仕事に精を出すきっかけとなるだろう。

【2019.04.18】
★久し振りに気温が上がって23度ぐらいになった。約1ヶ月ぶりに南アルプス山麓の山小屋に行ってきた。何とか水の出も良くなっており50リットルほど汲んできたが、まだ渇水状態である。 先月末に降った雪で松の木が倒壊したり、入口にあるサルスベリの木も枝が折れたりして春の雪の被害が大きかった。その片付けをしたりしたが山小屋も気温が20度を超して少し動くと汗をかいてしまうほどだ。 農業をしているN君によると、今年は雨が少ないのでタケノコの出が例年の半分以下だという。それでも一日あたり数キロは出ていて出荷していると言うが、掘り起こすのに大変なので腰痛になってしまったから、例年の半分以下で助かったといことだ。災い転じて福を為すということだろうか。 ★タケノコはともかく、3日位前から詐欺行為のようなインターネットメールが大量に到着している。これは僕のメールアドレスを発信者としていて、適当に複数のメールアドレスに送信し、受け取ることが出来ないメールが僕のところに帰って来るというものだ。このメールには詐欺用の文書が添付されていて開いてみると開いた人の情報が盗まれてしまう俗にフィッシング詐欺というものだろうか。ともかく当面対処法がないので、スパムメールをサーバーで削除するソフトを頻繁に動かして対処している。長く続くようだとメインのメールアドレスを替えなければならなくなるから大変な作業が必要となる。 警察を始め民間でもこうしたメール発信者の取り締まりをしているから長時間は続かないだろうが不気味ではある。今夜も既に22時になるがまだこれからメール対策の設定変更が続くのだ。情報化やキャッシュレスはいいが危険性も半端ではないというリスクがある。今後政府が進めるカード化が進むと被害者が続出する危険視は甚大である。捜査ばかりではなく詐欺被害の保証にも国家が後ろ立てにならないと戦略も頓挫するだろう。

【2019.04.17】
★今日も我が家の猫の三姉妹は椅子の上の狭い場所に仲良く昼寝をしている。その姿を見ると、やはり兄弟というのは良いものだと思う。もう10ヶ月も我が家で生活しているが一度も喧嘩をしたことがない。それどころか兄弟同士で舐め合って毛繕いをするのも日課になっている。体重もどんどん増えてきて3.2〜3.5kgにまでなった。抱きかかえるのも大変な仕事になって来た。特に爪切りをするときなどは大騒ぎで家族3人がかりで切るのだがすぐに伸びてくる。爪の伸びるのは健康のバロメーターである。人間のも指の爪の根元の部分の白いところを見ると爪の伸び具合が判る。白い部分が大きいほど健康なのだ。 人間も猫も爪の先から頭髪まですべてが自身が食べた食物で出来て居るのは間違いない。だからどのような物を食べたかによって肌の色艶も変わってくるし、病気に対する抵抗力も変わる。 米を食べないようなダイエットをしている人もいるが明らかに間違いである。パン食にすると小麦粉に含まれるグルテンは日本人の体には合わないのである。もちろん地中海などで採れるオリーブオイルも日本人の健康には良くない。しかしイタリア人などには健康食品として実に良い食品となる。 この違いはその民族の育った環境によるもので遺伝子情報にも食品の摂取に対する善悪が織り込まれているのだ。 僕は自分が好きなものを中心にして他の食品もより多く食べる事にしている。糖尿病だからと言って糖分を減らすと脳に栄養分が廻らない、こうなると痴呆になる確率も高くなってくる。 肉は体を酸性にするから食べ過ぎは良くないと言うが、人の体は何を食べようが弱アルカリに自動的に保たれるようになっているし、例え酸をを飲んだとしても体内に吸収されると酸ではなくなってしまうのだ。 一番の健康法というと、「自分の体は自分が一番良く判る」ということだ。触診もしない医者が何を言っても信じないことが健康の秘訣になるのは間違いないだろう。 ★日本の政治腐敗の元を辿ると明治維新に突き当たる。要するに明治維新を新しい夜明けなどと表現するのは間違っていると言う事だ。徳川の政治から何が変わったかというと官僚政治の基礎が出来上がったと言う事だ。それが延々と続いて今の時代まで受け継がれて今のような社会が形成されたのだ。歴史のことはあまり良く知らないが、西南戦争の原因とされる事件は多々有ったが、本来の民主主義を切望していた西郷どんが危惧した官僚政治の悪い一面が明らかになったからではないだろうか。僕が西郷どんだったら同じように戦争を起こすと思う。 先日の朝日新聞デジタルの記事によると、元経済企画庁長官だった堺屋太一さんの考えも同様だという。彼は元通産官僚でありながら「官僚主義の行き過ぎは戦中と同じ」と言い放っている。 明治維新になって農業に従事していた人たちの税金は倍以上にまで跳ね上がった者も有ったという。明らかに大政奉還とか維新とか言う官僚の好きな美辞麗句によって大衆は欺されていたのである。まあ明治維新とはそのようなものだったということだ。

【2019.04.16】
★初夏のような気候になったが、この著しい温度変化は老体には良くない。だがこの先冬になるのではなく初夏を迎えるのだと考えると受容出来る。しかしその後に訪れる36度オーバーの日々というのはまさに地獄である。近くにプールとか大きなデパートがあれば避暑に行くのもいいが、この近くには無い。 東京などではエアコンがない老人世帯で毎年のように熱中死が起きている。この熱波も温暖化という災害なのだから涼しい避難所を設置するということも必要だろう。それが福祉であり行政の仕事いうものだ。箱物や高速道路建設というゼネコンの利権に役人が振り回されるようでは正常な自治とは言いがたいのだ。 世界は行きすぎた資本主義からの脱却というか揺り戻し現象が始まり正常化へ動いているようだ。 韓国では財閥の解体や崩壊が始まっている。最近は「錦湖アシアナグループ」という財閥が衰退し、主体となっていたアシアナ航空を身売りすることになった。この財閥の主力事業だから売った後は破産と言う事になろう。日本では財閥や大企業への政府の温かい配慮の数々があって生き残っているが、そのうちには徐々に解体に向かうべきだろう。そうでもしなかったら日本国内でも大がかりなテロが起きる確率が高くなる筈である。これも世界のすう勢というか行きすぎを抑制する自然の力の現れであろう。いわば神の仕業と言うことである。 こうした企業を温存している政界にもそろそろ新しい波が押し寄せてくるはずである。 巨大災害までも利権化してしまうような現状はそうそう長続きするものではない。福島第一原発の爆発による放射能除染作業でも作業員に相応の賃金も支払わずに巨額な利益を上げている会社ばかりのようだ。先日も福島県いわき市の「相双リテック」という会社が受注額の半分もの利益を上げて、その殆どを役員報酬として私物化していた。さすがの税務署もこれは行きすぎだと是正するように指示している。しかしそのカネの廻っていく先に大物がいるらしく追徴課税(更正処分)を不服として国税不服審判所に審査請求している模様だ。ともかく日本の不公平な税制や司法判断は早急に正常に戻す必要があるのは間違いない。 ★世界遺産という物もやがては灰になったり崩壊したり流失したりする運命を辿るのは止むを得ないのだろう。焼け落ちたフランスのノートルダム大聖堂もその例に漏れず消失した。パリではフランス革命以来の大事件ということだが、世界ではこんな物は戦争やテロなどで幾つも消え去っている。特に戦争で破壊されたものが多い、日本でも戦争中の鉄不足から神社の釣り鐘が外され大砲の弾や戦車の装甲となった。それどころか田舎の山奥にある僕の家でもタンスの金属の取っ手が外され今も麻縄で代用されている。これで戦争しようという根性が哀れでならないが、これも馬鹿者達が暴走した結果であろう。 今の社会も財閥というような一部の特権階級による暴走と捉えることが出来る。それぞれの個人はとても良い人なのだが、彼らが集まって経団連とか医師会などというような徒党を組むと少数意見は無視され暴走を始めてしまうのである。彼らが暴走族の方々と何ら変わりないのは誰もが同じ人間だからなのだろうか。

【2019.04.15】
★我が家のアケビの棚にも花が咲いた。このアケビは南アルプス山麓の山小屋から採ってきて植えたもので随分成長している。秋になるとアケビがいっぱい実るのだが誰も食べる者は居ない。こういう食物は子供の頃から食べていないと好きにはなれないのである。ものすごく甘いのだが90%以上は黒い種だから、口の中に入ったこの種をなんとかしなければならない。一般的には路傍に吐き出すのだが、住宅街ではそうもできない。 久し振りの好天で野山は一段と色が付いてきた。既に早いタンポポは種を飛ばし始めているが、こんなに強い野の花はあまりないから雑草の王者だろうか。 ★ゴールデンウイークも近付いてきたが、周りのサラリーマンなどに聞いてみると5連休が関の山といったところだろうか。余程恵まれた職場環境でないと10連休は無理のようである。新聞に載っていた川柳の一つに「10連休 預け先無し 金も無し」というのがあった。確かに幼稚園や保育園が休みになると休むどころか働くのも難しくなる。しかしこんな時こそ親子の時間を大切にすべき筈なのだが..。子育てをしている父母が1年単位で休暇が取れるのが先進国である。10連休ぐらいで驚いていてはとても先進国の仲間入りは出来ないし、政治の貧困さを世界に示すことになるのだ。日本では一昔前のように母親が子育てに専念出来るような環境を造るのが良いのではないか。そうなれば保育園もあまり必要なくなるし、母親が家を守るという昔ながらの家庭の安堵感も生まれる筈である。 日本は一家で何人も働かなくとも暮らせる社会が目標だったのではないのか、ロボットはその為に開発されてきたのではないのか。 今となってはロボットは戦争の道具になり、子供のオモチャだったドロ−ンは空爆の主力兵器になりつつある。いまこそ原子爆弾を造った科学者の反省を手本に日本の科学者も悟るときが来たのではないか。自分の道楽のために研究という屁理屈の元で暴走している自分自身を見つめ直そうではないか。ロケットを飛ばしたり、人工知能を考えたりする学者は一見素晴らしい研究者に見えるが、実は悪魔の手下として人類を不幸に導く道楽に熱中する馬鹿者なのである。 こういう馬鹿者の才能という凶器が原子爆弾を造り出し、原子力発電所を建設し、多くの人々を被爆させ、母なる地球を汚染させた犯人なのである。 アインシュタインはアメリカの原子爆弾の開発に際して賛成という立場であった。しかし彼は原爆が完成しその凶暴さが判ってくると賛成という立場だった事を大いに反省していた。たぶん今も地獄で反省の日々を送っているに違いない。こういう学者にはなりたくないという教育こそいまの日本に必要なのである。

【2019.04.14】
★雨が降り出してきた、乾燥していたので恵みの雨だが桜はもうお終いであろう。花見の予定をしていた人は残念だが遅きに失しては何事も成就しないと言う事か。 今日も飽きずにウオーキングに出掛けたが、たまには良いこともある。確か2ヶ月位まえにウオーキング中に白い鳩と遭遇したと書いたが、写真をあまり鮮明に撮れなかった。今日も田んぼの中で餌を探していた10羽ぐらいの群れの中にこの白い鳩を見付けた。近寄ると飛び去ってしまうので写真を撮るのは難しいが、今日も撮ってきた。ウオーキングというのは途中でこうした偶然を目にするから毎日希望というか楽しみを持って出掛けることが出来る。 僕が以前通っていた歯医者の先生の娘さんが医院を開業することになり我が家の近くで建設を始めた。何でも総合診療医ということで良くわからないような病気について相談に乗ってくれるそうである。症状によってはどういう医院に行ったら良いのか判らない時には都合が良さそうである。この歯科の先生は昔から車好きで今もコルベットに乗って遊んでいる。もちろん開業していた歯科医院は数年前に閉院している。年齢的に今でないと車に乗って走り回れないからだという噂だったが、先日話したときも聞きはしなかったが間違いないと思う。 ちなみに総合診療医とは「患者の特定臓器に着目するのではなく、地域に住むあらゆる年齢、性別の患者の健康問題に向き合って治療を行う医師のこと。」である。近くにあると便利ではあるが度々行きたいところではない。 ★また阿蘇山が爆発しそうだという、時々この火山は爆発しているから慣れっこになっているがこれは間違いである。阿蘇山が大爆発すると富士山の爆発よりも数倍の規模になり九州全土が被害に遭うことになるからだ。当然近隣にある原子力発電所も被害を受け放射能の拡散を招くことになる。火山噴火だけなら何とかなるが、放射能汚染も同時に起きたら福島第一原発の二の舞である。いままで原子力発電所は絶対に爆発しないなどと言う嘘を事も有ろうに政府が自ら公表していた。しかしこれが「安全神話」となったのはご存じの通りである(神話というには恐れ多いが)。いま日本の原発が建っている場所の大半は近隣の地下には断層が走っている。こんな事は地質学者が言うまでもなく誰でも知っていることだ。何故なら日本という国の形を見れば判るが、何万年も前には大陸にくっついて居たが陸から剥がれて徐々に今の場所に移動してきたのだ。九州などもフィリピン方面から移動して来て今の場所にある。更に日本列島の西半分は南方面から、東半分は北方面から移動して来て合体して今の形になったのである。事故もなく運転しているフランスを始めとする大陸とは訳が違うのだ。こんな事実も隠蔽して断層がないなどと言う学者は明らかに政府の意向に沿った発言をしているとわかるだろう。こうしたあからさまな嘘さえも忖度して報道しない日本のマスコミの腐った体質こそ日本の未来に大きな暗雲をもたらす源であろう。 お笑い芸人がニュースを面白おかしく解説するのも良いが、彼らがスポンサーや権力に迎合しつつ忖度しながら発言しているのを見るに付け報道の堕落という文字が脳裏に浮かんでくるのは僕だけだろうか。 スポーツ馬鹿達が顔に日の丸を書いて大声を出して憂さ晴らししている裏では密かに君たちなど死んでも良いという者達の謀略が進んでいるのだと知るべきだろう。

【2019.04.13】
★今日は阿南町に行ってきた。往復で約2時間だが今日は実に気分が良かった。なぜなら満開の桜が道路の両側にあって目を楽しませてくれたからだ。こう沢山の桜があると道端に停まって写真を撮ろうという気にもなれない。まさに春一番の贅沢なドライブであろう。 気になったのは先日のなごり雪のために多くの桜の枝が折れていたことだ。老木が被害を受けており新たに芽が出て元通りになっるということもないだろう。桜並木をお婆さんが二人で歩いていた、長生きにはこうした風景も関係しているかも知れない。人も植物も同じように自然界の影響をまともに受けながら生きて居るのである。 春になると様々な山菜が芽を出してきてこれを食べるのも春の楽しみだが、注意が必要である。山菜は一般的な野菜よりも多くの灰汁(あく)を含んでいるから健康被害も大きいのだ。茹でたりしてあく抜きをするのは最低条件である。なぜ山菜は多くの毒素を持っているかというと、野山に生息して生き抜くためには昆虫などに喰われないようにすることだ。だから昆虫に対して毒を持っていて食べられないように防護しているのである。 もちろんキャベツや白菜のような野菜も同じような毒素を持っているから食べ過ぎると害になる事は言うまでもない。食べ物は野菜だけでなく肉や魚など他のものも幅広く食べるのが基本なのだ。 昨日友人のK君から電話があり病気になってしまったという連絡だった。それは潰瘍性大腸炎(指定難病97)という病気でとんでもないような食事制限が有るのだという。病気の原因は不明だが免疫に係わる病気で完治は出来ないと言うから難病なのだ。 毎日の食事で禁止されているのは野菜や豆類、肉などで当面食べられるのはごはんに白身の魚ぐらいだという。この病気も免疫機能の過剰反応に由来していると言うから花粉症を重症化したようなものであろう。 彼は1年以上前からこの症状があり病院に行っていたが、担当医は特に問題なく単なる下痢だろうと診断していた。しかし血便が異常に多くなり排便回数が1日に20回ぐらいになったため別の病院に行って検査して判明したという。やはり医者は変えて見ないと殺される結末を迎える事になるということか。 最近多い病気はこの免疫に係わる病気である、リューマチとか膠原病もその仲間だが余程知っている医師でないと殆ど見過ごされてしまう病気である。 今のところ免疫に関わる病気の治療法はなく発熱などをステロイド剤で押さえこんで自然溶解を待つしか無いがそれも難しいという。 しかし最近になって原因の一部が精神的なものでストレスによって発症することが多いと判ってきた。 やはりK君の性格を考えると間違いなさそうだ。真面目で会社ではサボることもしない、休みには地域のリーダーとなって活躍して休息する暇もない。暇さえ有ればボランティアの仕事に行っている。周りから信頼されるがボランティアなどを辞めるとその批判が怖くてやめられない。地域の行事に出て行かないと他人からの中傷が気になる。 とにかく病気にならないためにすることは、悪人になることだ。憎まれっ子になればいいのである、人は何を言おうが病気になっても助けてはくれないことを自覚しよう。君がいなくとも社会は何ら変わらないのだ。

【2019.04.12】
★今日も寒いし北風もまだ頑張って吹きまくっている。こんな時に懐に100万円位入っていると身も心も温かくなるのだが..。コーヒーを始め様々な物の値上がりの連続で懐も冷え込みっぱなしである。 日本の経済も北風が吹いてきたようだ。それもその筈だ、先日ある記事を読んだところ、その記者が訪ねた大学の入学式で黒以外の制服を着た者が一人も居なかったというのだ。こんな事では日本の未来は暗いと言っていたがまさにそのとうりだ。画一化された動物の集団に出来ることは打たれぬ杭になることだ。要するに冒険が出来ない人材ばかりなのだ。 今入って来たニュースを読むとJDI(ジャパンディスプレイ)が台湾資本の手に落ちたというではないか。この会社は日本が得意とする液晶を外国に負けないようにするために官民が協力して出来た会社だ。それがシャープに続いて外国の物になったのである。 原因は何かといえば経営者と社員が馬鹿者ばかりだったということであろう。誰一人として突拍子もないアイデアが閃かなかったのだ。 昔、ホンダの社長が社員に対して、次に行う社員の懇親会の趣向を募集したところ、ある社員が「ホンダが京都を全部借り切って一晩中飲み明かそう」という提案をしたらしい。これを見た本田宗一郎氏は実現はともかくとして素晴らしい提案だと絶賛したという。 またホンダではアイデアコンテストを行っていて、とんでもない車を造る競争をさせていた。従業員は会社から出る資金を使っておおよそ実現出来ないであろう乗り物ばかり造ったのだ。しかし何十年も経った今になってそのアイデアが実現されているものがある。それ処かアイデアコンテストでとんでもない車を造った人がいま会社の中心になって活躍しているのである。 工場を視察に来た本田宗一郎氏が工場内をズボンのポケットに両手を突っ込んで歩くのを見て、ある従業員が「ポケットから手を出して歩け転んだら怪我をする!!」と怒鳴りつけたのだ。社長はその後その社員を降格させるどころか昇格させたということだ。 企業の発展の基本とはこのような土台の上に成り立っていることを認識しなければ新製品の開発など出来ない。また正論であると思うことは誰はばからず忠告し怪我人を出さないことだ。要は社長が工場見学に来るとき赤じゅうたんを敷いて迎えるような企業の株は買わないことだ。 日本の大企業を弱体化させたのは黒い制服を着て大学に入り、同じ制服で卒業し、同じ制服で公務員になった者達である。彼らの考えたのは、まず企業を手なずけることだ。これは企業の利益をお互いに適当に守る為にも必要だと考え実行した。これを後に護送船団方式というが、優れた企業の発展の芽を摘んでしまったのである。 その結果が決済の電子化の遅れ、携帯電話の高速化の遅れ、IT関連料金の高額化などのあらゆる弊害を生み出したのである。 その結果、国民は例えば免許証の書き換えのように無駄な支出を強要されるに至っている。それ処か病気治療の無償化など夢物語にまでしてしまった。こうしたナアナア行政は5千万人の年金消失という大犯罪にまで発展した。それ処か事件に対して反省するどころか犯人が今も同じ仕事に携わっているというとんでもない国になってしまった。 ドングリの背比べのような役人を千人並べてもドングリ以上の大きなものはできない。 政治家も中学生のレベルを超えることは何一つできないし、言って良いこと悪いことの判断すら出来ない現状である。本当に税金を納めるのが正しい行為なのかどうか今一度ゼロから議論しても良い時期に至ったのではないか。

【2019.04.11】
★気温は上がってきたが風が強くて体感温度は5度ぐらいだった。風邪気味だったが今日もウオーキングに出掛けた。あまり無理をしないように桜の咲いているのを目当てに近隣を歩いてみた。 旧くなってボロボロになっていた飯田市上郷自治振興センターは2年前から建て替え工事が行われていたが先月完成し、4月1日から業務を開始したというので行ってみた。元の位置に建て替えたのだが林を切り払ったりして駐車場を増やしたせいか広々としている。高台にあるので東の方向をみると天竜川を始め喬木村や高森町など見晴らしが良い。また伊那山脈も一望出来るから桜の咲いている場所も見渡せる。建物の横に小さな祠があって一本だけ老桜が咲いている。すぐ横にある小学校の老桜は倒壊の危険がある事から全て切り倒されたから、付近で残ったのはこの桜が一本だけである。 桜も綺麗でいいが台風などの時は人命を奪いかねない危険な存在にもなる。 建物の中に入って見ると閑散としていたが、1階の一部で写真展示をしていたぐらいだった。2階は趣味のグループの集う場所になっているようだ。ともかく11.5億円を投じただけあって耐震も考慮されているようだから何か有ったら逃げ込むには良いと思うが、急傾斜地の上ギリギリの場所にあるから活断層が動くような大地震の時は建物もろとも一気に100mぐらい滑り落ちそうでもある。 この活断層というのは原子力発電所の建設の時などは相当力を入れて調査しているようだが、こうした避難用の建築物や新幹線の通過場所などは殆ど調査していないのが実態である。地震国だとか防災だ活断層だと騒ぐ割りには片手落ちであり、あまりにもいい加減な事例である。 以前どこかで集中豪雨豪雨のあった地区で逃げ込んだ避難所が被災したという例もある、ともかく想定外などと言う言い訳は現代社会に於いては通用しない。人類の英知を掛けて対応すべき問題であろう。病院で何人も助かったとしてもたかが台風で死人が出たのでは相殺されてしまうではないか。 交通事故の死者は年々減って1970年から1995年あたりまで1万人から1万五千人あったのが昨年は3千五百人までになった。本来なら人口は増えていって当たり前だが、病気や事故での死者が減った分以上に子供が育たないのである。要するに自然界は明らかに人口調整機能を持っていると言ってよい。鹿や猪を殺さなくとも彼らはほったらかしにしていてもちゃんと定数を維持するように出来ているのだ。そこに人間が手を出すと絶滅してしまうのは当然である。トキが絶滅したのも田畑を荒らす大きな鳥として人間が殺した結果だと言う事を知っておきたい。

【2019.04.10】
★いやはや名残雪とは..。南アルプス山麓の山小屋では25cmの積雪があった。それ処か伊那谷の殆どの市町村で停電が発生している、朝の7時頃から停電が始まり当初は13,000戸が停電していたが、今18時現在でも2,000戸程度停電している。寒い日に電気が来ないとストーブもコタツも使えないから考える以上に大事なのである。南アルプス山麓の上村の人達などはこうした事故が時々あったので電気の要らない石油ストーブとか豆炭コタツを持っている。また気温が下がると水道も凍ってしまうので少しずつ出したりして対処している。山村の人達は「備蓄」を心掛けていて下栗地区の人達などは大雪で食料を調達に行けなくとも2、3週間以上は問題ないように備えているようだ。各家庭には大型の冷凍専用庫があって肉や魚を冷凍している。時々水害で道路が決壊して孤立し全国放送のニュースでも取り上げられるが、住んでいる人達は都会の人ほど困らないのだ。これも田舎暮らしには必要な災害対策である。 飯田市も朝から雪になっていたので満開になった桜が心配になって見に行った。8日に紹介したばかりの正命寺の桜も雪まみれになって居た。枝が折れそうになっていたが、元々シダレ桜は雪には強いようで一本も被害はなかった。麻績神社の桜もシダレ桜なので助かっているようだ。 各地の監視カメラをチェックしてみると長野県の北部に行くほど積雪は少ない。特に豪雪地帯で白馬スキー場の近くにある「道の駅小谷」では積雪ゼロだった。雪も雨も最近は気楽なものでどこに降って来るのか見当も付かない。 ★アメリカから買わされた自衛隊の戦闘機F35Aが墜落した。一機あたり1,300億円である。この爆撃機はレーダーに映りにくいステルス機である、しかし今日の自衛隊の発表を聞くと青森県沖でレーダーから消えたというから元々レーダーに映っていたとしか思えないがどうしたことか。この爆撃機を持っているのはアメリカとイスラエルと日本だけだ。イスラエルはアメリカの同盟国の中でも特殊な国だからそれを除けば日本だけだ。他の国ではこんなに高い飛行機を買ったら政府が潰れてしまう。 日本はもうアメリカの核の傘の下に居る必要はない、北朝鮮が核ミサイルを打ち込んで来たら即刻応戦し、発射した基地を即刻ミサイルで叩けばいい。例え核ミサイルが一発落ちても東日本大震災の死者には達しないし、福島第一原発の放射能被害にも及ばない程度のものだ。 安全のための保険だという者もあるが、生命保険をいくら掛けていても死ぬときは死ぬのだ。この覚悟があれば国民はもっと豊かに暮らせる筈である。例えミサイルが落ちて死んでも震災か火山噴火だと思えば済む。この覚悟がないと幾ら稼いでも偽善者を通じてアメリカに吸い取られてしまうということだ。

【2019.04.09】
★部屋の中で育てていた「エリンギ」というキノコが5cmぐらい成長してきた。約2ヶ月前に菌を打った株を買ってきて水やりをして育てていたものだ。たぶん買って食べた方が安いと思うがキノコが生えて来たときの感動というか喜びは味わえないだろう。他にも畑でシイタケとマイタケそれにエノキダケを原木で育てているが、一番早く芽を出すのがマイタケでこの秋には収穫出来ると思う。 しかし天気予報を見ると今夜から明日に掛けて大雪が降るということだ。まだまだ冬将軍は退却していかないらしい。野山には雪がなくて渇水が心配だからこの際1メートルぐらい降ったら農家にも朗報となるだろう、しかし既に車のタイヤを夏用に替えた人は残念と言うしかないだろう。 ともかく4月末になっても雪が降るというのも多々有ることで今の雪などそう驚くには当たらない。 ★驚かねばならないのは税金の無駄遣いの方法である、何と政府はキャッシュカードを推進するために巨額の税金を投入することを決めて実行に移している最中である、だが今日の発表によれば新札を発行するというではないか。現金社会を変えていこうという矢先にこの有様はなんのことか。ともかく今年中には給料も電子マネーでの支払いが解禁されるのだ。 新札をデザインしている財務省か印刷局か知らないが仕事がないとカネも来ないと文句でも出たのだろうか。今後は現金の時代ではないと言っていた連中も何らかの利権がらみの作戦だったのか。ともかく無駄を省いて福祉を充実させることが日本にとって重要政策にして最重要課題である、こんな無駄から省いていくのは政府与党の責任であろう。札の顔などは誰でもいい、それよりもより多くの人に札束が公平に行き渡る方法を考えるべきである。 ★勇気ある行動というのは先日アメリカで逮捕された中国人の女だろう。何をしたかというと事もあろうにアメリカ大統領トランプ氏の別荘に泥棒に入ったのである。単なる泥棒ではなくウイルスの入ったソフトを大統領が使うパソコンに仕込むのが目的だったようだ。要するにスパイ活動である、アメリカも世界中に数千人のスパイを放っているが、中国はもっと多くのスパイを雇っているようである。如何に貧乏してもこんな仕事にだけは就きたくない、何故なら捕まったら刑がやたら重いからだ。 しかし迷惑を被ったのは別荘を警備している大統領警護隊(シークレットサービス)だろう。解雇される者も出るようであるから世の中は一寸先は闇だ。

【2019.04.08】
★何事も中途半端は良くないと言うが、風邪についても良くないようだ。いっそ39度台の熱が出て醒めれば一気に治るが、37度台の熱がぶり返していたのでは完治するきっかけがない。もう一週間ぐらいになるが体がだるくでスカッとしないのだ。かといって多少のウオーキングが出来ない状態でもない。妻の言うには5月になれば治るだろうと..。 この季節の変化は良くないのは確かである、友人のN君も僕と同様に風邪が治らない、畑に行って仕事も出来ないが、ジャガイモを植えたりタケノコを掘ったりするのは今しか無いからつい無理をしてしまう、だからちっとも治らないのだ。 たぶん僕もこのような風邪の症状になったのは10年ぶりである、その間毎日ウオーキングを続けていたから健康に貢献していると信じていた。実際に貢献していたが、今回の風邪の引き金になったのは数年ぶりに重症化した花粉症だ。この花粉症による鼻水と目の痛みにクシャミが発端になったのである。なぜ重症化したかというと毎日花粉が飛び交う道を1時間ぐらいウオーキングしながら吸い込み続けたからだ。健康増進も二者択一だということだろうか。 ★昨日から飯田市内の桜はほぼ満開になった、監視カメラで見ると桜の名所高遠も観光客が一日中歩く姿が有った。花はまだ3分咲きぐらいに見えたがよくわからない。 僕が毎年撮影している上郷駅近くの正命寺の枝垂れ桜(高松薬師堂のシダレザクラ)も満開になったので行ってきた。 日本人というのは何故か人が集まるところに出掛けるのが好きなようだ。とにかくテレビで30秒ぐらい放送された場所に多くの人が押し寄せるのだ。たぶん主体性のない民族なのだろう、それと遊びに行く場所の選択肢がないのだろう。こういう民族だからこそ政治家の甘言に乗せられて間違った方向にも進んで行ってしまうのだろう。多くの人が良いと言えば自分も同じように言わなければ仲間外れにされるという心理も働くのだろうか。昔から村八分というものがあって今でも存在している。こうした因襲も政治や社会を悪い方向に引っ張る要因である。 僕は個人主義者である、自分が納得しないと迎合しないように心がけている。しかし学校のこととか子供の事など様々な場面で何らかの団体の考え方に賛同してしまうことが多々ある。コミュニティーで自分の意志や考え方を貫くのは実に難しく勇気も要ることだ。例え自給自足生活でも何らかの妥協をしなければ生活出来ないだろう。要するに我々は自分の考え方を実現しているように見えるが、その殆どは周りの人達に影響され拘束されて生きているのは間違いない。

【2019.04.07】
★まだ風邪気味だったが春の風に誘われて飯田市座光寺にある麻績神社の「舞台桜」を見に行った。日曜日とあって大勢の人が桜に見入っていた。飯田女子短大の茶道部の女性達が茶の接待をしていて僕と妻が500円ずつ支払って饅頭と茶をいただいてきた。春風と桜とお茶という組み合わせは日本人でしか堪能出来ないもので、まさに風流とでも言うのだろうか。同じ花を見るにも何らかの演出があると花の色も美しく見えるものだ。それと花は一人で見てもあまり感動しない、多くの人(日本人)と輪になったり談笑したりして見ると一段と良い。何か外国人には判らない日本人独特の花の見方というものが有るのだろう。 世界は一つとか人類皆兄弟などと言うが現実には理解出来ないようなものが心底に残っているということである。 そんなわけで春の一日は暮れていくのだが、さすがに昼の時間の長さを感じる。南アルプスの雪も頂上付近を残すだけいなって夏山に変身しようとしている。今年は雪が少ないせいか森から湧き出ている清水の量が少ない、このままでは夏の水涸れになるか、それとも降らなかった分の雨が一気に降って堤防の決壊や土石流災害を起こすかもしれない。何事も行き過ぎてはいけないのだ、適当にいい加減にするのが今の日本に最も必要なことだ。 ★いいいよデジタル化の波は本格的な社会の変革を起こそうとしている。何が変革かというと物の時代が終わると言うことだ。例えば自動車は個人で所有する物ではなくお互いにインターネットを経由して共有することだ。長野県から他県に行こうとしたら、インターネットで最も効率的で安価な移動方法が示され、行った先では共有出来る車が配車されてくる。ここで起きる価格競争はいまネット上で起きている一円でも安い店に客が流れていくことの延長である。僕はショッピングする時はまず「価格ドットコム」で日本の価格情勢と最安店を見る、そのうえで購入先の特典なども加味しYAHOOショッピングやオークション、アマゾンも一応チェックする。そのうえで購入するのだ。この間僅か10分ぐらいで結論が出て支払いも2分ぐらいで終わる。翌日には品物が届くのだから利用しない手はない。 韓国や中国では既に現金は通用しない、なぜなら面倒くさいしニセ札被害があるからだ。日本政府も遅れを取ってはならないとカード社会の拡大を進めている。ここで問題になるのが地方にある小さな商店である。ますます田舎が過去に追いやられる結果になるが悲観する事は無い。こうした昔の社会や田舎を好きな人が居るからだ。今でも黒電話を使い、槇の風呂を沸かし、野菜は自家製、水も山から引いてくる..。この戦後間もない田舎に住むことによってアレルギーを抑えることが出来るメリットがあるからだ。アレルギーの原因は野菜や食物に付いて胃の中に入った農薬によって体内に住み着いていた寄生虫や菌が死んでしまった結果だ。 積極的にこの菌を取り込むには森の中を歩き、落ち葉を踏んでそこから放出される菌を取り込むといい。山から出てくる水も生で飲めば様々な菌が胃の中に定住してくれる。

【2019.04.06】
★花粉症が発展して鼻水だけでは治まらず、喉が痛むようになり熱も出てしまった。外は20度を超える爽やかな春の一日だが、無駄にしてしまったような気がしてならない。桜の撮影にも行くことが出来ないのが悲しいが2,3日で回復しそうである。 ウオーキングも出来ないが家の中の廊下を歩くことによって多様は達成したが、何か馬鹿げているように感じる人もいると思う、しかしこれは食後に少しでも運動して血糖値を下げるためである。薬に頼りすぎない生活をするための最低限の努力目標なのである。 ともかく最近の医療は薬漬けである、全ての薬には必ず副作用があることを忘れてはならない。本来の病気を治す代わりにもっと深刻な病気を引き起こす薬さえ有る。例えば血液をサラサラにするために飲む薬で「シロスタゾール」という薬がある。これは血液をサラサラにして血栓ができるのを防ぐ働きがあると言うが、副作用の欄を見ると何と心筋梗塞や狭心症を起こすことがあると書いてあるではないか。これは一体どういうことだ、飲むことによって狭心症が起きるリスクが上がるのでは飲む意味も無いということではないか。 せいぜい薬を飲まなくてもいい体造りに徹しようではないか。僕はウオーキングによって薬は10年前の半分以下にしている。ともかく死ぬことは一度だけだが、誰一人として死を認識した人は居ない。無になるものに過去も未来も反省も後悔もないということだ。 また健康のための努力などあまり効果は無い、本当に健康を追究するなら早く死ぬのが一番楽な方法であることは今も間違いない。

【2019.04.05】
★くしゃみ、鼻水、目のかゆみ..先日から始まった花粉症が一段と悪くなった。大きなくしゃみを連続で10回ぐらいすると胸が痛くなる。更に夕方になると熱っぽくなってきた。今年は10年ぶりぐらいに重症化してしまったようである。僕は花粉症で一度も医者にかかった事が無い、何とか毎年自力で治しているので今年も何とかなると思う。要するにあまり薬は使いたくないと言うことだ。 今年の異常気象は花粉関連業界(マスク、目薬など)に大いに貢献しているようで、関係省庁も積極的になくそうという姿勢は見られないのは関係者への忖度だろうか。 ★忖度と言えば国土交通省の副大臣が辞職したようだ。首相や財務相に代わって忖度したと発言したが、何か間違ったことを発言したのだろうか?。本当のことを言っているのに自らそれを否定し辞職する理由は何だろうか。 全国の大工事には必ず国会議員や地方自治体に関わる議員が絡んでいるのは周知の事実であり誰も否定は出来ない。 時に10億円を超えるような道路の通過地点を決めるとか、工事の請負業者を決めるというような重要案件は役所の職員では対応出来ないのだ。 確かに地元で行われる市道や県道などの少額工事は入札が正しく行われているように見えるから真面目にやっているのだろう。 ★アマゾンと言えば通信販売で世界一の企業だが、先日は社長(CEO)のジェフ・ベゾス氏が離婚してその慰謝料として株券で4兆円分を妻に支払うということで大騒ぎになっていた。さすがに世界一の企業の社長(CEO)だけ有ってやる事が大きいが世界一の金持ちでもあるから当然だろうか。 彼の発表によると次は人工衛星を計3、200基打ち上げて情報通信サービスに参入するという。たぶん資金が無尽蔵に有るのだろうと推測するが間違ってはいないだろう、何しろ世界中の通販事業で毎日数千万の商品が売れるのだから利益は無尽蔵と言って良い。地球の周りは人工衛星だらけになってしまい寿命の尽きた衛星が毎日10個ぐらい地表に落ちてくると言うのも時間の問題だろう。この人工衛星の破片に当たって死んだら誰が保証してくれるのだろうか、しっかりと保証規定を作って全世界に示すべきだろう。 しかしカネというものは無いところには転がり込んでは来ない、沢山有るところには放って置いても毎日どんどん入ってくる。そういうものだ。 4人家族で年収が350万円の家庭もあれば1,000億円の家庭もある。これは明らかに地球上に住む同じ生命体としてみても間違っているのは明らかだ。 世界の暴動もテロも戦争もこうした下地の元に生まれてくるからである。

【2019.04.04】
★気温が上がってきて飯田市内にある飯田美術博物館の桜もほぼ咲いたようだ。市内の並木通りや大宮神社の前を車で通ったがここも満開近く咲いていた。しかし朝は−3度以下になってバケツの水も氷が張っていた。なんとも気温差の激しい一日だが、こんな時期は体調が悪くなる。昨日タケノコを貰ったN君も腰が痛くなったり目の調子も悪くなって今日は医者に行った。僕もそろそろタイヤ交換の時期だと言う事で2台の車の交換をした。1台は軽自動車なので楽ちんだったが、もう一台がSUVでタイヤが大きいので倍以上も時間がかかった。交換だけでなくタイヤを収納場所に転がしていって積み上げるのが大変で疲れてしまった。終わりがけには胸に痛みが走ったてきた。 春の訪れは仕事も多い、妻は植木鉢を棚に出したりしていて腰痛気味になっている。 今日は花粉が異常に飛散したようだ、午後は鼻水とくしゃみと涙で大変だった。花粉症は花粉だけでは発症しない、車の排気ガスと混ざると起きるのだが、マスコミは自動車会社に忖度して言わないし、研究者も何らかの形で黙らされているようだ。こうした利害関係を精算しなければ国民病の解決は難しいだろう。また花粉症で儲かっている団体や製薬会社も積極的に情報を公開して国民の一人として解決に協力すべきであろう。 ★昔から地球の地下には壮大な地下帝国があると言われてきたが、それはSFではなく実際に存在することが確認されている。スエーデンのオシュカシハムという場所の地下3、600mから未知の微生物が大領に発見されたのだ。この地下岩盤には栄養分は皆無でどうやって生きているのか微生物を採取して調べたところ、地球の内部から吹き出している水素やガスを取り込んでエネルギーに変えて生きているという。この微生物はメタンを排出していて更にこのメタンを食料とする微生物も多数発見されているという。要するに生命圏は地球の地下にも存在していて陸上の種よりも多いと考えられるということだ。 地下帝国というと人間が住んでいるように勘違いするが、実は人も微生物も構成している細胞の数が多いか少ないかだけの違いであり、宇宙規模で見れば人間の大きさも微生物の大きさも変わりない。 人間は小さなミトコンドリアを数千も内包した細胞が1兆個ぐらい集まって出来て居るだけであり、肉体の全ては食物が変化したものである。俺がとか私がというのは、たまたまその肉体に住み着いた意識が違うだけのことであり王様も貧民も変わりないということである。 幸福とか不幸を感じているのは、たまたま細胞の集合体に住み着いた意識が判断しているに過ぎない。たぶん猫もネズミも人間と同じ細胞で出来て居るからそれぞれの意識で個性を発揮して生きているのだ。我が家にいる同時に生まれた3匹の猫を観察しているとよくわかる。同じ時に同時に生まれた猫だが、鳴き声も全く違うし、行動の形態も人との接し方も違う。それ処かコタツが好きな猫も居れば余り寒さを感じない猫もいる。それぞれが全く同じ細胞の塊であっても住み着いている意識の違いだけで変わるのだ。こう考えると猫も意識を持っていて好き嫌いがあると言う事だが、それも事実で猫によって好きな人がある。要するに猫も人間と同じように夢を見たり社会を考えたりしているということだろう。こう考えるとミミズ一匹でも殺すのは間違いだとわかる筈だ。

【2019.04.03】
★飯田市内に竹やぶを持っているN君から電話があり、タケノコが出たので持ちに来いと言うことで行ってきた。この寒風の中でようやく地面を持ち上げてきたのだ。タケノコは頭が5cmぐらい地表に出てしまうと味が落ちサシミでは食べられない、それと一気にアクが増えるのだ。地表の僅かな盛り上がりを見付けて掘り起こすのだが、バールとトンガを使い一本掘るにも苦労する。やはり春の惠はタケノコ、こごみ、サンショウ、タラの芽と続く。これを家庭ごとにそれぞれの食べ方で食べるのだ。初物を食べると3年長生きをするという諺があるが、これは事実である。要するに初物を食べられるようならばすぐには死なないと言う事だろう。 それにしても全国的に冷え込んでいる、伊那谷でも海抜の高いところは雪で真っ白になっている。桜も開花を一時止めてしまったようだ。 ★読売オンラインによると全国の自治体では年号が替わってもシステムの改修が追いつかずに困っているという記事があった。以前も書いたように、行政の文書は西暦に統一すべきだろう。たぶんシステムを請け負っている会社との利権関係があるのだろう。無駄な改修費を払う為に元号を使っているから税金をいくら納めても全部消えてしまうのだ。癒着と忖度と利権それに天下りで使われる税金は納税額の半分になるかも知れない。これでは社会保障の充実が出来ないわけだが、それこそが大きな利権の存在を暗に現している。もしも北欧諸国のように老人の医療や住宅などを完全に無料にしたら困る者が居るのだ。こうなると誰も生命保険など掛けない、だから生保会社との利権の為に福祉が進まないように画策しているのである。これを実現するための口実として1、000兆円の借金を減らさずに飾りにして赤字財政だから..というのである。いかに損保業界保護といっても確実に行き過ぎであり、悪賢さもここまで来ると確信犯である。しかし公文書は偽造しても無罪、国有地を二束三文で払い下げても無罪、選挙違反をしても無罪というような政権では当たり前かもしれない。 薄暗くなっても家の前で選挙カーのかん高いウグイス嬢の声が響き渡っている。近くの広場には老人達が50人位集まって義理を果たすべく寒風に耐えている姿をみると怒りさえ込み上げてくる。 とにかく福祉の充実を図ることが防衛よりも重要課題であるのは間違いない。外国から攻めてきて殺される前に飢え死にしてしまうではないか。老老介護や母子家庭の問題、それに施設に収容されている様々な事件事故の遺児の問題も有る。それどころか普通の家庭でも年収300万円以下では子供を小学校にも通わせることも困難になる。 ミサイルや爆撃機よりも貧困率を考えて予算配分や地方自治を行うべきだろう。そうしなければ本当に「痴呆自治体」になってしまう。

【2019.04.02】
★飯田線上郷駅の近くにある正命寺の枝垂れ桜をウオーキングがてら見に出掛けたが、余りの寒さで心臓が痛くなったために早々に引き上げた。肝心の桜は下半分は八分咲きで上半分は3分咲きと言ったところで満開にはまだ数日かかると思われる。午後になると更に雪も舞ってきて気温も一段と下がった。 近隣の桜の撮影も毎年しているが、桜が咲くと気温が下がり天候も悪くなる。花冷えというか寒の戻りというか、この時期の天候は不安定なのだ。同じように季節の変わり目は人間にとっても良くない、やっと春が来たというのに体調が悪くなるのである。これも古代からのDNAの仕業だとしたら、この時期はあまり陽気に浮かれて張り切らないように大人しくしていろと言うことだろうか。 ★世間は令和饅頭だの万葉集だのと改元に湧いているようだ。ニュースを見ても各局とも似たような内容のものばかりである。元号の出典は「梅花謌卅二首并序」の「初春の令月にして気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」という一文から引用していると言うが、国文学には疎いのでどういう意味なのかも判らないし、なぜ令和になったのかなのかも判らない。ともかく来月には新元号になるのは間違いない。 僕も昔ならこうした発表の時にはパソコンの前に座って登録ページを開き、ローマ字で「reiwa.com」と打ち込んで即刻登録するのだが、最近はあまりドメインに興味が無いのでやめた。それどころか今も「nahganoken.com」「sinanoji.com」「ooedo.com」「jalpack.com」などトップレベルのドメインを数十件も維持しているので毎年の維持費も半端ではない。昔は一件一年維持するのに1万円以上必要だったが、最近は日本にドメイン管理会社ができて安くなったのでありがたい。 しかし改元の裏では物価の上昇を画策している人がいるから要注意だろう。こうした大きなイベントの裏では確実に庶民が損するようになっていることも忘れてはならない。

【2019.04.01】
★桜が咲いて暖かくなる4月は新学期とか新年度という物事の始まりには良い季節かも知れない。だが新しい環境に慣れるまでに多くの人がストレスを感じてしまうことも確かだ。だいたい企業の花見のための場所取りという仕事をつくって新入社員に与える会社の社長の顔が見てみたいと思わないか。そんな暇が有ったら企業経営の本質とも言える社会奉仕のために歩道の掃除でもした方がいい。 今日は新しい年号が発表されたが..大勢の有識者とか学者などを集めて莫大な税金を投じて造られたのが「冷和」という。僕に頼んでくれたらこの程度のワードは3千円ぐらいで作ってやったのだが..。ともかく世界は西暦で動いている、日本しか通用しないようなものは余り意味を持たないようになるのは間違いないだろう。現にスマートフォンやコンピューターなど世の中の中心になって使われているのは全て西暦である。 しかし日本人という神代の時代から延々と続いている倣わしも何か続ける事によって民族の団結のような意識が生まれるのも否定出来ない。 あと10年も経てば日本中に外国人が溢れ、土地や企業は外国人に買収されてしまう恐れが有る、だから年号もそれなりの道を辿るのだろうと思う。しかし公文書や官庁それに行政で使うのは西暦で一本化すべきである。面倒くさくて仕方が無い。 ★所用で豊丘村に出掛けた、時間があったので森を見上げていたら神社が見えた。そこで行ってみようと思ったのが間違っていた。下から見上げると石段が見えたが大したたことは無いだろうと思い長い石段をやっとの思いで登ってみると、更に同じように急な石段があるではないか。戻るのも面倒なので神社まで登り切ったがさすがに息切れがして胸が痛くなって狭心症で死ぬかと思った。 神社仏閣はあまり若い人は行かない場所である、還暦を超えたあたりから急に信心深くなって行くようになるが、どこの神社も必ず石段がある。本当に参拝したい人は息切れがしたり足腰が弱くなったりして登れない老人が中心なのだ。あえて石段を造ったのは何か意味があるのだろうか?、それとも人が歩いたり生活している地面よりも一段と高い場所を選択して建設したのだろうか?。神も仏も人より高いところを好んでいたとは思えない、建設に携わった者の根性が現れているとしたらどうだろうか。世の中は神仏を利用して何事かを企んでいる者ばかりで有る。新年号もやはり同じように何らかの因縁や利権が裏に有りそうな気がしてならない。過去には年号の制定は王様(天皇)がその権力を誇示するための大きな柱であったこ事は間違いないだろう。 ★飯田市の丘の上というと市の中心である。しかし人通りは少なく商店街も閑古鳥が鳴いていて土曜日曜でも閑散としている。飯田駅も屋根を真っ赤な原色で塗って注意を引こうとしても人は誰も集まってこない。 毎回鉛筆を舐めながら発表している日銀短観も景気下落と書くしかない状態に追い込まれている。マイナス金利、増税、、無駄遣い、利権政治、忖度社会の終焉も近付いて来たような気がする。何とか日本の政治やモラルを「普通」の状態に戻さないとならない時期だが、既に行くところまで行ってしまった政策に打つ手はない。このままだと消費税増税も中止しなければならなくなるだろう。増税で経済を好転させようなどと考えるのは愚の骨頂である。減税こそ今後の日本に不可欠な政策なのだ。近隣の主婦も我が家も、スーパーの5%引きセールの日にしか買い出しに行かないのも当然だろう。庶民になって経済は考えるべきであり、大学の教科書には本当の経済学など書いてないのだ。