【2019.07.31】
★たぶん今年の最高気温を記録したと思う。飯田市の最高気温は36.4度と公表されているが、気象観測所と違ってコンクリートに囲まれ、家屋が密集する場所では気温は38度(体感温度は40度)ぐらいにはなっていたと思う。飯田市の気象観測所は飯田市中心部より高いところ(文化会館)の近くにある。比較的風通しのいい高台にある、だから市内中心部よりも涼しい。観測所はともかく暑さ寒さは一番先に弱者を襲ってくることも考えなくてはならないが、政治家にはそれを考えたり何か対策を考えるような行動は見られない。それどころか政党交付金欲しさに徒党を組む相手を捜し回っている始末である。情けないとはこういうことを言うのだと学校でも教えようではないか。 ★企業ガバナンスなどと言う言葉は日本には無い、詐欺罪以上の刑罰に匹敵する無責任な「かんぽ生命」や[日本郵政」の経営者は辞任もせずに居座る覚悟を白昼堂々と会見で述べているのだ。吉本のお笑い芸人でもきっぱり辞めるという意思表示をしている。20万件にものぼる契約書が違法だったという事件は、営業マンが10人や100人の仕業では無い。明らかに企業ぐるみの組織的な犯罪なのだ。組織的犯罪というのは暴力団に使われる表現である。この事件のよって株価が下がったなどと言う報道や表現は不適切というほかないだろう。こういう組織は福島第二原発のように解体したらどうか。政府から払い下げられた企業と言う立場が官僚的な発想によって経営されているのだ。甘え体質が無責任体質になってしまうのだ。 昔から第三セクター(官民共同出資会社 )といわれる企業が成功したと言う例は少ない。これも親方日の丸経営と言って無責任経営の代表格だからだ。挙げ句の果ては庶民に多大な損失を負わせる結果になる。 以前秋田県や秋田県木材産業協同組合などが作った住宅会社が破産した。これは首都圏の住宅に秋田杉を使って木材の需要を増やそうという大義名分の元に始めたが、儲からないため会社ぐるみ(県ぐるみ)で欠陥住宅を販売したという犯罪を犯したのだ。これらは最高裁でも民法719条2項の共同不法行為に当たるとされた。要するに役人が税金を使って、俺達も儲けてそのおこぼれに預かろうというガキでも発想しない馬鹿げた行為に走ったのである。こんな連中を税金で飼っているとしたら、納税者も犯罪に加担することになる。 こんな馬鹿げた事が日本では日常的に行われているのだ。これを正そうという議員も政党も皆無どころか、俺達もこうしたおこぼれに預かりたいと願っている始末である。これでもまだ議員や役人を信用しようというなら君たちは救いようのない馬鹿者でしかない。

【2019.07.30】
★朝から暑かったが、何とか今日も約6kmのウオーキングの行程を完走した。途中でいつも出会う82歳の方も、犬を連れている83歳の方も、この暑さをモノともせずに頑張っている姿を見ると大いに励まされる。特に犬を連れている方は水を背負っているが、これは自分が飲む水ではなく愛犬に飲ませるものだ。こうした現実を目にすると、人間の優しさというものが活き活きと伝わってくるではないか。 食物連鎖の頂点に君臨する人間は全ての生き物に対して優しさを持たねばならない、これが自然界の掟なのだ。 ★ぬいぐるみに入っていたアルバイトの青年が熱中症で死亡したというニュースがあった。この時期になぜぬいぐるみなのか、従業員の健康管理は企業に課せられた最優先責務である。場合によっては殺人罪の適用も考えても良いだろう。 また子供達の運動や練習なども管理責任が生じる。昔はこんなに暑くなかったから平気でやっていたが、今は北海道で米の生産が出来るようになったのだから、温暖化の影響は半端ではないことを誰もが承知しておかねばなるまい。NHKや民放では地球温暖化という言葉を使わないが、これは最も温暖化に悪影響を与えて居る自動車産業の思惑を忖度してのことだ。こんな嘘つきのマスコミに金を払って見聞きするようでは「NHKから国民を守る党」に投票した僕も鼻高々だと言うほか無い。 ニュースをみるとこの党には、スネに傷もつ無所属議員たちが既に入党若しくは検討中というから頼もしいではないか。政治をぶっ壊すにはまず宣伝媒体であるNHKを壊すというのは正解である。壊すには一癖ある議員の庶民感情を意識しない率直な意見と行動力が必要だろう。 だが新党が不倫政党になったのでは落としどころも見付けられないから要注意である。 勢いの有る者には放っておいてもすすり寄ってくるという現実も我々は目にしている。安倍首相の元に擦り寄っているのは考え方の一致ではく、政党助成金目当てであると言う事がよくわかっただろう。その金目当てに庶民の代表という肩書きまで棄てた連中なのだ。酒も飲まず貯金もゼロというスーパーボランティアの尾畑さんの爪の垢でも煎じて飲ませたいものだ。 堕落した政治は堕落した役人を生み、更に堕落した企業を醸成し、最後には庶民の生活までどん底に落とす。もっと切羽詰まったら戦争という逃げ道を考えているのだから役人でなく悪人と呼ぶのが相応しかろう。

【2019.07.29】
★例年通りの蒸し暑い日がやってきた。南の国から来た人達もこの暑さには閉口しているというから本当に暑いのだ。来年この時期にオリンピックをやるというが、日本人はともかく外国人に熱中症による死者が多発する恐れもある。それでも見たいのだから僕の知った事では無い。 それどころか小さなアパートに住んでいる老人世帯で、エアコンは付いているが年金では使う事が出来ずに死んでいく人達をなんとかしたらどうか。お祭り騒ぎなど個人で楽しむ行事に3兆円も使うのに弱者救済になぜポンと予算が出ない。 弱者にカネをやっても何の見返りも無いのがその理由だろう。国会議員は見返りが欲しくてたる職業では無い。本来ならば無休で国民のために尽くしたいというボランティアなのだ。この前提を心得て居ないから不倫議員や脱税議員、それに暴力議員が台頭するのだ。この原因は何かと言えば学校での点数重視、学力重視の誤った教育だ。 政治の改革はともかく議員の無知と馬鹿さ加減を何とかすべきだろう。 ★アメリカは中国に対して第四弾の経済制裁を発動するようだ。内容を精査すれば馬鹿でもアメリカ自身と同盟国が損する内容ばかりではないか。そこまでしてなぜ発動するのか?、それは習近平との密談の結果だろう。世界の平和はアメリカにとって死を値するほど深刻なのだ、同じように中国も国家の安定は国家間の争い無くして達成出来ない。要するに指導者の保身の為に世界の不安を煽っているのである。それが彼らの保身と欲望の完遂に不可欠なおである。 庶民は「敵が攻めてくる」とか「爆弾が落とされる」という言葉に恐怖を感じて彼らの策謀に気が付かないのである。 もちろん日本の場合も与党ばかりでなく野党もそれを承知していて適当なところで迎合を繰り返すのである。 この暗黒なものを排除するにはどうしたら良いかというと、国に金を持たせないことだ。要するに納税額を減らすこと、働かないことだ。 庶民の過度な労働がこうした戦争に直結する危機を生み出す原動力となるのである。 何ははともかく国家や地方自治体が主催するイベントなどに参加しないことから始めようではないか。無視こそ最大の抵抗なのである。 世界の映画ファンが忘れない「ローマの休日」のオードリーヘプバーンも第二次世界大戦の頃はレジスタンスとして地下で活躍していたという。その頃の記憶と体験が女優をやめてから福祉活動に身を投じていった理由である。反骨精神の無い物は生ける屍ということだ。

【2019.07.28】
★お盆も近いので家族そろって南アルプス山麓の山小屋に行って墓掃除をしてきた。一年経つとずいぶん汚れるもので墓石などに赤茶色の汚れが付き変色している。タワシでこすったりして掃除するのだが、今日は気温が上がって山小屋も30度近くなった。しかし日陰に入ると暑い処かひんやりした風で全く暑さは感じない。何とか昼前に終わり昼食を食べて帰ってきたのは良いが、車から降りたら35度の熱風が襲ってきて改めて山小屋の涼しさを感じた次第である。 それでも日焼けして肌の黒さが一段と増してきた、真っ黒に焼けると肌に防護層が出来て太陽光に当たっても癌にはならないというので余り気にせずに仕事をしている。もう古希を過ぎたのでいつ癌になってもそうは後悔しないが、癌になった知人の様子を見ると放射線や薬物の治療は遠慮したい気がする。 ともかく太陽に当たらないとビタミンが欠乏して病気の元になる、人はその誕生に太陽光線も関係しているから癌を恐れずに海で精一杯焼こうでは無いか。癌になるというのはUV化粧品メーカーの演出だと思うがいかがだろうか。バレンタインチョコレートと似たようなものだ、噂に振り回される日本人の自主性の無さがここにも現れている。 ★各地で煙火大会が行われているが我が家の近くでも小規模なものから大規模なものまで煙火大会が行われる。昨日は飯田市の上郷地区で行われた煙火大会で筒が倒れて球が観客席に飛び込んで子供達がやけどをしたという。楽しい催しには必ずリスクがある。一昔前だが煙火大会が終わって帰路に就いた人達が将棋倒しになって大勢の人が亡くなった事故もある。また煙火大会の夜店のガスボンベが爆発して死傷者もでた。とにかく楽しさと危険は隣り合わせなのだ。だが登山などは危険を求めて行くのだから遭難して当たり前で、腰の曲がったお婆さんでも行けるようなルートや山は誰も行かないだろう。 冒険家の植村直己さんもその代表格で危険を求めて行っているのだ。だから彼は今もクレバスの中で凍ったままになっている。時代があと50年もすれば生き返らせることも可能になるかも知れない。現にアメリカでは本人の希望で、死んだら凍らせて生き返らせる技術が確立した時点で解凍し、再び生活出来るようにするサービスがある。そこまでして生きなくとも80年も生きれば十分だろう、最近の解剖学などの論文によると、人体の組織は70歳までほとんど変わらないという。そこから少しずつ衰え始めるのだが、100歳になっても美容師をやっていたり、医者をしていたりする人が現に存在していたのは頼もしい事実である。

【2019.07.27】
★今月もあと僅かになった。このところスケジュールが立て込んでいてウオーキングの時間を取るのが大変だ。今日も晴れ間が出たので出掛けたが、ずぶ濡れになって帰ってきた。これで風邪を引いて肺炎になって死んだら誰か褒めてくれるのだろうかと心配になる。 軍隊で長距離を行軍するときは雨に濡れても誰ひとり風邪を引かないという。引いて歩けなくなったら置いてきぼりにされて死ぬことになるから精神が肉体に勝って風邪など引かないのだ。 これで如何に病気とは気の病かわかるだろう。 ★先日から八方手を尽くして探していた岡崎に居るK君の居所がわかって電話してみた。僕の中学の同級生だった奥さんが電話に出て、彼は脳梗塞を2回発症し体調がかんばしくなく電話に出られないというではないか。彼女と話したのは何と60年ぶりだが、1分もしないうちに心は中学生時代にタイムスリップして毎日会話を交わしているかのような雰囲気になった。 しかし彼女も狭心症を患っていてニトログリセリンを持ち歩いているという。我々の年代で元気なのが不思議なぐらい病んでいる人が多いのはなぜだろうか。K君も高度成長の時代やオイルショックの時代を乗り越えて体力的に無理をしてきた。もちろん夜間勤務も長期間経験している。その時のストレスが今になって表面に出てきたのだろうか。 病は気からと先日書いたが、その気が先行して体力を上回り病気になることもあるから要注意である。 あの永遠の若大将、加山雄三さんも82歳にしてバーベルで筋トレやりすぎて腰を負傷してしまった。老体にむち打つなどという行為は長生きにはならないと言う事だろうか。 今日、いつものように義母(97)が入っている施設を訪問したら、2週間前に行ったときには話が出来ていた隣室のお婆さんが亡くなっていた。聞いてみると急に食事が食べられなくなり急激に衰弱していったという。要するに老衰によって生涯を終えたのである。災害などによる死よりも見方によっては幸せな一生だと思う。 団塊の世代の我々の寿命もそう長いことはないから、僕は毎日「今日はこれでいいのだ」と言えるような生き方にしている。世間など気にしないような爽やかな生き方を志しているのだ。

【2019.07.26】
★最近になって押し入れの奥や倉庫の中に仕舞ってあったものの整理を始めた。15歳の時から手元を離さずに持っていたものも多い、だから安易に棄てることなど出来ないし、家族に整理を任せることも出来ないのだ。中には褐色に変色した写真も出てくる、その1枚1枚に僕の青春の思い出が詰まっているのだ。今は亡き友と行った上高地の写真も見付けた、先日は彼の嫁さんとLINEでその写真を送り思い出をやりとりした。 インターネットを使ったこうした無料サービスは素晴らしいものだ、利用しない手は無い。特に高齢者は覚えて利用すべきもので想像以上の効果をもたらす、パソコンが無くてもスマートフォンが有れば利用出来るから容易い。 昔は三種の神器というと3Cと言われ、CAR(自動車)、COOLER(エアコン)、COLOR−TV(カラーテレビ)だったが、今は当たり前に利用出来るようになった。 令和の三種の神器と言えば何だろうか?。第一に上げられるのは「高性能スマートフォン」だろうと思うが、とりあえずそれ以外のものは思い当たらない、強いて言えば「自動運転自動車」だろう。こいつが近い将来普及すれば90歳になってからでも病院にもスーパーにも行けるどころか一人で遠距離の旅行にも出掛ける事が出来るのだ。たぶんあと10年以内には実現可能な技術だから団塊の世代にも利用可のだろう。 つい最近までテレビ電話など我々の世代では使えないだろうと思っていたが、いまはスマートフォンさえ持っていれば富士山頂とでも簡単にテレビ電話出来る。 第二次世界大戦中に絶対出来ないだろうと考えられていたのが「色の濃さの変わるサングラス」だが、これは戦後10年目にして実現している。 しかし100年前から実現出来るだろうとされていて未だに出来ないものが有る、それが自動車の「ウインドーワイパー」だ。アメリカでは圧縮空気で吹き飛ばす方法の車も発売されたが直ぐ中止になった。余りにも費用対効果に差が有りすぎ、メンテナンスも大変だったからだ。だから今も大正時代も同じ方法で窓拭きが行われているが、我と思わん発明家はチャレンジしてみたいものだ。あんがい簡単に出来るか破産するかのどちらかだろう。 発明は有る日突然に閃くものだ、そうそれは「初恋」の始まるときと変わらない。

【2019.07.25】
★最近になって過ぎてゆく時間は空虚すぎるように感じる。たいした目的も無い、仕事も無い、遊ぶ気力も無い、家族サービスも必要ない、学ぶ事もない..。とにかく何もしないと自分自身が駆け足で棺桶に向かって走っていくような気がしてならない。同級生の友人を訪ねても同じようなことを言っている。今さらスポーツジムに行く気も無いし、危険を冒して山に登る気も無い。もちろん電車や飛行機に乗って旅行に行く気もおこらない。老人性の痴呆はこうした何もヤル気がしなくなり、他人との会話が途切れることから加速されるのだろう。かと言って外に出歩くと徘徊と間違われてしまう。車で出掛ければ事故が待っている、これでは日本の老人はボケた人ばかりになってしまうではないか。 僕が時々一緒に食事をしている中学の担任だった先生(88歳)はこうした症状が全く見られないどころか、8年前に奥さんが他界してしまったため立派に自炊生活をしている。こうした健康と若さを維持しているのは、時々大勢の聴衆を前にして講演したりその原稿を作ったり、また新聞に寄稿したり仲間と歓談したりと多忙な生活を送っているからだろう。要するに暇になったらダメなのだ。 僕も空いた時間を使って友人を訪ねたり、空き家になった実家に行って草刈りしたり、LINEで友人や同級生と毎日やり取りしている。もちろん毎日ウオーキングも欠かさない。 僕が驚いたのは最近の血圧の変化である。必ず毎日血圧を測って記録し、コンピューターでその変化をグラフ化したりして傾向を管理して居る。 5月に同窓会をして友と語り合い、6月に先生を交えて数名で伊那市で会食し談笑した。何と5月の同窓会を起点として一週間の血圧の平均値がこの2ヶ月間10〜15も下がっているのだ。何故だろうか..5月以来僕は同級生や先生と直接合ったり電話したりすることに多くの時間を割いている、その都度友と大いに笑っているのだ。そして切れ目なく次の楽しみを作っていく、予定された会食が終わるとすぐに次の予定を立てているのだ。 遠い将来の目的など何の意味も無い、出来れば1ヶ月以内に何でも良いから楽しめる目標をひとつ持つことだ。そうすれば少なくともその日まで生きていこうというような強い心(気)が生まれるのである。 それと若返ろうという願望を持つことも必要である、何も高齢だからといって社会に遠慮することなど何も無い。出来れば真っ赤なスポーツカーで徘徊するのもいい。還暦を過ぎたらスポーツカーというのが僕の座右でもある。 我々団塊の世代は高度成長とオイルショックなど幾多の苦難に立ち向い、日本の救世主である、車で信号機を一基や二基倒したぐらいで騒ぐでない。

【2019.07.24】
★朝から暑いし、日暮れ時になってもまだ暑い。ウオーキングするにはコンクリート道路が過熱していない朝の方が涼しく感じる。昼間36度ぐらいになると夜9時頃になっても道路の輻射熱で熱くて歩けない。 今日もほぼ同じルートを歩いたが途中で木陰がある道に回って体操してから帰る。腰痛には腰を曲げる運動は良くないという、スクワットのような足の運動の方が効果が有るというので、最近はそのような運動をしている。10年以上も続けてていると癖になってしまって朝になると支度して出かけてしまう。僕は夏が好きなので多少の暑さは心地よい、帰ってすぐに車庫からロードスターを引き出して1時間ほどドライブしたが、衣類は全部汗でグショグショになってしまった。これがまたいいのである。 ★様々な事件が連発してアニメ火災などとっくに過去のものになってしまった。最近多いのが警察官の不祥事である、公表していない(隠蔽)したものを含めると毎日何件かの事件が起きているといえる。先日だけでも酒に酔って警察署で保護していた男性が目覚めると財布の中の9万円が消えていたという事件。まさか泥棒が警察署の保護室まで入るわけもないから署員の犯行と断定され捜査が始まったという話。女性巡査ひとりを巡って3人の巡査長が不倫を繰り返していたというもの。 早い話が役人や警官など税金で喰っている連中の奢りと堕落の結果である、果たして真面目に働いている人はどのぐらい居るのだろうか?。署内でアルバイトの掃除のおばさんだけが真面目にキチンと仕事をしていたというようでは困るのだ。公務員の規則を改正しもっと国民の為になるよう仕事に精を出すようにしたい。役人は極力少ない資金で工事など行うように規則で定められている。税金で公用車をアメリカの「テスラ」という一千万円超えの電気自動車にした事件もあった。これは話題ではなく規則から見れば明らかに犯罪なのだ。スポーツカーというのは一般のカーマニアが乗るもので、役人が公用で移動に使う車ではないのは馬鹿でもわかることだ。それもわからないような馬鹿者がトップに立って行政を牛耳っているのはこれも犯罪である。 市長とか知事になったら権限を行使して何をやってもいいと考えるのはまともな教育を受けていない証拠である。またこうした馬鹿者を首長にする庶民にも大きな非が有ることも認識したいものである。 ★ゴーン氏が居なくなった日産自動車は再び昔の赤字会社に戻ってきた。ナアナア経営で何とかしようなどと言う坊ちゃん的発想では世界で互角には戦えない。今年4月から6月の3ヶ月間の営業利益は90%も減っている、これでは取締役会でゴーン氏の犯罪は我々の思い過ごしだったという嘆願書を警察に出して復帰して貰うしか無いだろう。日産の株を持っている議員に配慮したり、下請けの会社との契約に政治家を持ち込んだりするのは時代遅れである。いま世界のすう勢は現状維持に向かっていることは明らかである。成長率ゼロ以下でも俺だけ儲けたいという傲慢さを棄てれば経済は十分に機能するのだ。

【2019.07.23】
★夏が来た、僕の空にも夏が来た。 夏は青春である。暑いけど何か心に冷ややかなものを秘めていた夏があった。人生いいことばかりではない、別れも失恋も懺悔もある。僕たちの青春はこうした迷いの淵の中にあった。時には大酒を飲んで涙を流したこともあった、山に登って恋する人の名を思いっきり叫んだこともあった。 離ればなれになった人とは携帯電話がなかった昔は手紙でやり取りするしかなかった。でも何枚書いても何通書いても心の内を全て表現することなど出来なかった。その為に行き違い、葛藤があり、距離も遠のくのだった。 いまになって青春を思うとき僕は精神の弱さと勇気の無かった自分に怒りだけを覚えてしまう。君を連れて逃げていけば良かったと思うのは今でこそ言える反省文の一行でしかない。 街を歩けば幸せそうなカップルばかりだった、でも今考えてみれば一人ぼっちになった人は外に出ていなかっただけかも知れない。そんなふうに考えて心を和ませるのだ。 自分の筋書き通りに生きていくことの難しさはあなただけのことではない。世界のほぼ全ての人に平等に与えられたものだ。 人には格差が有るように思うかも知れないが、絶対にそんなことは無い。間違いなく人は平等なのだ。 恋人を失った代わりにあなたは他のものを得ているではないか。そう、まだ元気に生きている。 恋の痛手はそう容易く癒えるものではない、忘れようとする心が逆にあなたの心をかき立て高揚させてしまうのだ。 泣くのもいいけれど、手の平を広げて空にかざして笑ってごらんなさい。何か指の透間から新しい未来が見えて来るかも知れません。そう、泣いていても悔やんでいても新しい未来への近道にはならないのです。 青春の本当の恋は古希(70歳)を過ぎても忘れ去ることなど出来ないのです。青春時代のうちに忘れ去ろうなどと言うのは無理なことなのです。

【2019.07.22】
★梅雨の終わりを告げる雨の一日である。時には強く、時には優しく野山を潤すのだ。雨の日は何か心が落ち込んで淋しそうになる。それは逢う予定の人に会えなかったり、夜空を眺めても星も天の川も手に取る事が出来ないからだ。過ぎ去った日々を思い出すのも雨の日だ、なぜあの時に優しい言葉を掛けられなかったのか..。それが今になって罪のように思えてくるのも優しく降り続く雨のせいだ。 いま僕たちが見ている天の川の星の光は約2万光年前の光だ。ということは2万年前の星を見つめていることになる。反対に天の川の星から地球をみると2万年前の状況を見ることになる。丁度猿から人に変わって行く時代が見えるのだ。 僕たちの青春時代が50年前だとすると50光年離れた場所に行けば若かった頃が見えるのだ。その青春時代に戻るにはどうしたら良いのだろうか、簡単なことである、光の速さの2倍で地球から離れていけば25年で戻ることが出来るのだ。しかし光より早い乗り物は絶対に出来ないとすれば無理だ、しかしアインシュタインが予言している時空の歪みを利用すれば数分で到達する事も可能だ。この方法さえ判れば若返りのためにサプリメントを飲んだり厚化粧する必要も無いのである。この方法が判らない限り老いて死ぬしかないのだが、実は人は死んだ後には数億も存在している別の宇宙で生きることが出来るようになっている。その宇宙は何処にあるかというと、何とあなたたちの目の前に別次元(9次元ぐらい)として存在しているのだ。そこに僕たちの生きた証しや未来を包括して永遠に、まるで今の日常と同じように進んでいく。 馬鹿馬鹿しい話だが、ほぼ間違いないとしたらあなたならどうするだろうか。 ★吉本興業の内部でイザコザが起きているが、この事件によって様々な裏社会の現実が明るみに出ている。昔は芸能プロダクションというのは興行師によって統括されていた。この興行師というのが暴力団の前身なのだ。たぶん今の多くの芸能プロは多かれ少なかれこの負の歴史を引きずっているのが現状だろう。裏を返せば暴力団の資金源になっていると言う事だ。 もう一つの暗部は東西の基幹テレビ局10社が全て吉本興業の株式を保有しているという事実である。これは自社のテレビに吉本興業の芸人を出場させて賃金を払えばその賃金が株の配当としてテレビ局に戻ってくるというものだ。このような組織的な陰謀にも当たる取引は公正取引委員会で規制すべき事項であろうし、公共性の高いマスコミでは決してやってはならない事だろう。またこうしたマスコミとの結び付きは庶民の利益に反するものであることは間違いない。例えば東日本大震災で福島第一原発が爆発したとき、NHKは御用学者を連日呼んで、連日放射能は無害だというようないい加減な放送をした。何故かと言えば、東京電力はNHKな債権を大量に(374億円)買っているからだ。こんなデタラメなマスコミを信用するなと僕は連日書いているが、反応は少ない。簡単に言えばNHKは原発を推進する立場に他ならないだ。要するに日本人は自虐的なことにすら喜びを感じる馬鹿者だらけということになる、情けない話だ。

【2019.07.21】
★選挙に行ってきた、投票した時間帯にもよるが若い人はほとんど見掛けなかった。 また九州や西日本一帯は大雨で選挙どころの騒ぎでは無い、街全体が冠水し外にも出られないのだ。しかし参議院なんていう烏合の衆は本当に必要なのかという根幹から見直す時期に来ていないか。自己の考えをひと言も言えないという政党の縛りがある以上参議院など無用の長物、税金の無駄遣いなのだ。 意見の言えない議員など選んでも無意味だが、今回はひとつだけ目的を持った党があった。それが「NHKから国民を守る党」だ。今後スマートフォンの利用者からも聴取料と称した悪税を搾取しようというのだ。勝手にインターネットという公共の場所に放送を流して金を集めようなどと言うのは悪質な詐欺集団であろう。今後はNHKに出演するお笑い芸人を始めとする芸能人は悪質な詐欺集団に加担したとして引退しなければならない羽目になるこもしれない。 詐欺というのはこうして何かを隠れ簑にしたり、芸能人を広告塔にして人を欺すのである。 若しもNHKが国民のものだとしたら、視聴者の投票によって会長を選出すべきである。日本の国民は馬鹿者ばかりだから気が付かないが、毎月家族で外食出来るだけの資金を奪い取られ、更には電話にまでその魔手を伸ばそうというのだ。スマホから金を取られるハメになって騒いでも遅いのだ。僕は当然この政党に投票したのは言うまでも無い。 ★20歳位下で選挙に行った人は6人に一人ぐらいらしい。彼らは投票しようという意識が無いのではなく、行くだけ無駄だという発想があるのだろう。確かにその通りで投票に行っている老人の方が無知なのは間違いない。日本を変えようとか、福祉の充実を..などと言っても過去の例をみれば明らかにわかることだ。社会党が政権を取れば村山富市は自衛隊の閲兵式に胸を張って出掛けた。民主党が政権を取っても馬鹿の集団だったことが露見しただけだった。 若い議員に未来を託せば不倫騒動を起こしただけで庶民の為の新法の提案などしたことは無い。女性議員を多くしようと言って投票すれば権力を楯にして使用人にまで暴言を浴びせる始末である。 なぜこんな事が起きるのか、明らかに小さな権力でもそれを手にした者のおごりが爆発するからだ。要するにNHKを潰そうというような明確な目標が持てないのだ。たぶんNHKを潰したら日本という国は平等という言葉を取り戻し、暴力団のはびこらない国になっていくかも知れない。

【2019.07.20】
★ウオーキングで一回りした後に一人暮らしをして居る友人のT君を訪ねた。彼は20代から40歳過ぎまで会社の技術指導員としてマレーシアに滞在していので婚期を逃し今も独身である。途中で帰国するチャンスは何度かあったと思うが、円の価値が高く日本の倍以上の優雅な生活が出来たために何となく滞在が長期化してしまったようだ。数年前に一軒家を購入してのんびり暮らしているが、持病も最近悪くなったと言う事で心配である。まさに団塊の世代と高齢化社会との代表者である。僕たちの世代の人口は日本で最も多い、更に石油ショックやバブルを乗り越えてきた。とにかく働けるだけ働いてきたのである、労基法もいい加減で大方は残業手当など貰えていなかった。そのくせ零時頃まで働くのは当たり前の時代だった。最近はそういうケースは少しずつ減ってきたが、飲食業界では過去の当たり前が今も通用しているようだ。 昨年も飯田市の南アルプス山麓にある「しらびそ高原ロッジ」が残業代未払いが元で破産した。その後新体制で今日再オープンにこぎ着けたようだが、情報カメラで見る限り車が2台見えるだけで客はほとんどいないようだ。目玉となる宿泊施設の休館は周辺の観光業に大きな影響を与えていている。農村の活性化のためにも何とか赤字にならない程度で運用出来ればいいのだが..。 ★商売というのは実に難しいものだ。第一にその商売(業務)の内容について誰よりも熟知していなければ話にならない。特に接客業の中でも旅館業は従業員の教育も重要な要素である。 僕も約30年ぐらいコンピューターショップを経営していたが、毎日が勉強と新しい情報の収集であった。接客し販売するのは時間にすれば短いのだ。時にはアメリカにまで出掛けて行って新製品を購入し日本に送った。長野県の飯田市でアメリカで先行販売された商品が秋葉原よりも先に販売されていたと話題になった事も有った。なぜこんな事が出来たのかといえば「僕が一番先に使って見たかった」という好奇心によるものだった。その後この商品は数日で完売してしまったが、その時には既に次の僕が欲しい物が出現していた。それがPC/AT互換機である。僕は真っ先にアメリカのPOLYWELL社と契約して10台ぐらい空輸して貰った。一台が50万円位だったが僕はそれに付加価値としてNANAOという会社のビデオカードをセットにして売った。更にソフトも必要だから1セットで約100万円である。この10台は2週間で完売した。誰が買ったのか..僕と同じ道楽者だちだ。 商売はターゲットを絞ることが必要だ、フライトゲームしか出来ないコンピューターを100万円(当時は現金)で買う人が現実に大勢居たのである。 その頃松下電器で家庭用のパン焼き器が発売された、僕はいち早く買ってパンを焼き最初にコンピューターを買いに来た人に振る舞った。食べたほとんどの人が注文していったのである。たぶんナショナルの家電店よりも多く売れたと思う。要するに客と同じ価値観を持っていなければだめだと言う事だ、高額なパソコンを買う人はパン焼き器も欲しい人なのである。

【2019.07.19】
★雨が時々降ったりする梅雨空なので、午後は山のように溜めてあった手紙の整理をすることにした。倉庫の中にしまい込んであったがネズミにもやられずに当時のまま残っている。中学を卒業した頃は電話すら無い時代だったので友人同士の会話?は手紙しか無かった。そこで文通という方法で付き合っていた人も多い。僕は思い出の品を棄てることは一切しない性分なので60年近く前からの手紙やハガキも全て保管している。家族から邪魔だと言われるが、これは僕の思い出であり生きた証しだから仕方ない。それと同様に今日という日を忘れないために僕は小学校六年生の時から毎日日記を付け続けていて今も欠かさない。だから本棚には日記がいっぱい並べてある。手紙と日記を合わせて見るとその時に何をしていて何を考えていて何を悩んでいたのかが良く判る。そして当時の自分にタイムスリップ出来るのだ。この今になって起きるタイムスリップこそ真の青春なのである、間違いだろうと思われると思うが、現実の青春時代というのはそんな事は何ら考えず、がむしゃらに行動し今が一番良い時だなどとは考えないからだ。古希を過ぎて思い出す青春こそ真の青春であり、胸の痛みも今になって起きるが病気では無い。 仲の良かったK君は10年以上前に亡くなったが、手紙と写真が出てきたので奥さん宛にLINEで送った。奥さんも懐かしく思い昔のアルバムを見たくなったという返事だった。 また悪友だったS君は心臓を悪くしてペースメーカーを入れる手術をしたばかりだが、電話してみたら何とか元気だった。しかし電話していても苦しそうで長時間は出来なかった。 就職した当時に仲の良かったS君に電話すると奥さんが出て、本人は2年前に白血病で亡くなったと言う事だった。そういえば何年か僕は年賀状を出さない時期があった、奥さんは年賀状を元に訃報を知らせていたので連絡が来なかったのだ。こうしてみると年賀状も安否確認の一手段として役立っていたのだ。 もうひとつ、手紙を整理していたら中学生時代に同窓生で作っていた「山の子」という文集が出てきた。しかしそれは卒業後に担任の先生から自費で卒業生に配られた物だった。コピーなど無い時代だったのでガリ版刷りである。卒業後に生徒から先生宛に送られてきた手紙を編集して、各自の現況とか住所の変更などをまとめ、冒頭には人生訓のような文書も付け加えられた内容だ。 この先生が中繁彦先生である、いつも僕が此処で紹介している児童文学作家であり、中国残留婦人、孤児の帰国に際して生涯を捧げた中島多鶴さんを描いた作品「沈まぬ夕陽」の作者である。今も多くの卒業生から慕われているのも当然であろう。一ヵ月前にも教え子4名と伊那市で会食をしたばかりだが、皆大喜びで涙さえ浮かべていた。 思い出はその人の人生を形成してきた真実の記録である、時々に交わした手紙はその確実なる証拠品である。僕は今後も決して棄てることはないだろう。

【2019.07.18】
★一時的に滝のような大雨が降った。雨樋から溢れた水が家の周りに流れ出して庭は水たまりが出来たが、こんな状況になったのはたぶん20年ぶりぐらいだろう。20分前後の降雨だったが若しも1時間も続いたら土砂崩れが起きそうなほどの雨だった。ともかく温暖化は海水温を上げるため水蒸気もどんどん空に上がって大雨になるのは自明である。 ★今日はとんでもない放火事件(殺人事件)が起きた、犯人は分別のある大人(41歳)でガソリンを撒いて放火したという。なにか会社に恨みがあったのだろうか、それとも死にたいから道連れにという考えだろうか。とにかく最近は罪も無い人を殺すという事件が多すぎないか。 現社会に恨み辛みがあるのなら権力に対して反抗すべきであろう。権力というものはその裏ではこうしたテロを受ける事態を覚悟している。だから防弾自動車とか警備員を多数従えているのだ。テロというのも考え方を変えれば立派な戦争である、第二次世界大戦の戦地で日本兵数名が決死隊を組織して敵の中枢部を狙うというのもテロだろう。 土用の丑も近いが世の中にはウナギが大嫌いな人が居るぐらいである、政治や政策それに企業の規則などに絶対に従えない人も居るのは当然だろう。 要は人間の脳が発達しどんどんその重量を増やしてきた結果である、裏を返せば喜ばしいことなのだ。 書いている途中でニュースが入って来た、それによると京都アニメの放火犯は火を付けるときに「パクられた」「死ね」と叫んだという。推測すればアニメ作品の著作に係わることが犯行の原因だったのかも知れない。たかがマンガと言っても著作権問題では国家同士が対立するのだ、カネが係わると人間の脳味噌はドーパミンが異常放出されるのだろう。 揉め事なんて世の中には幾らでも有る、近所の騒音とか子供の泣き声、ゴミの放置などキリが無い。これを逃れるには田舎生活が良いと考えるのは当然だ、しかし田舎生活にはそれよりもっと近所付き合いに問題が付きまとう。テレビでやっている一軒家に住まねば解消されない。 だがこの一軒家に泊まったときの音や恐怖は騒音なんてもんじゃない、天井裏では猿やアナグマが走り回るし、庭に猪が出てきて穴を掘る、鹿は柵を跳び越えて野菜を食べまくる、熊はミツバチの巣をげんこつで壊してペロペロなめるのだ。この音ときたら鉄砲をもっている猟師だって外に出て撃つことも出来ないほど恐怖なのだ。しかし動物はそう人を殺さないからむしろ安全だ、僕の母は草の中から飛び出してきたスズメバチに刺されて死んだ。パクられたとか、騒音だとか、人の噂などは死ぬこともない単なる日常にすぎないと思えば良い。 明日も伊那谷は大雨に襲われるから今から準備しておこう。

【2019.07.17】
★久し振りに暑さが戻ったのはいいが、少し歩き回っただけで汗びっしょりだ。それでも何とか今日も6kmを歩いてきたが目眩がしそうだった。温度計を見ると31度になっているではないか、こんな日は日が落ちてからにすべきだろう。過ぎたるは及ばざるが如しだ。 ★日本と韓国が揉めているようだが、困るのは両国の国民だけだ。また北朝鮮による拉致問題は韓国と協調して行動し解決に向かわねばならぬ問題だが..こんな現状では首相も家族の方々に弁明も出来ないだろう。双方の独裁的な考えを持った指導者がお互いに意地を張り合っているだけのことではないか。カネが目的なのか選挙が目的なのかは知らないが、昔松本清張氏が書いた小説「日本沈没」が映画化されていて、いまでもレンタルビデオで見られるから役人や議員は借りてきて見るといい。単に「日本沈没」という大災害を描いたパニックだけの映画ではない。作者はこの映画の中でとりあえず隣国とは仲良くしなさいと強く言っているのだ。遠くの肉親より近くの他人という言葉もある、喧嘩して良いことなど何も無いぐらいのことは大人になったのだから知っておくべきであろう。 ★近い将来には自動運転の車が出てくるのは間違いない。各国では開発競争にしのぎを削っている。特に中国の広東省深センあたりでは既に自動運転のバスも走り、ホテルも完全無人化が進んでいるという。更に顔認識などの技術開発も進んでいて世界のレベルに達しているが。これを見たアメリカや日本が危機感を感じ部品を中国に輸出しないなどと言うのも大人げない話である。 日本でも日産・DeNAが「無人タクシー」の実験を行っているが、なかなか解決出来ない問題が有るという。それは無人タクシーに酔っぱらいが乗り込んだときだ。寝込んでしまって起きない客をどうするか..機械やコンピューターでは対処が難しいのだ。何か最近の話題や事件を聞いてみると馬鹿馬鹿しい話ばかりではないか。昨今の様々な問題は単に人間性が問われているだけのことだ。

【2019.07.16】
★年配者の多くが感じていることだと思うが、最近の流行歌というか歌謡曲は肌に合わないのだ。要するにメロディーにも歌詞にも何の感動も起こらないということだ。やたらと賑やかなサウンドでも最近のものには違和感だけあって聞く気にもなれない。それよりも50年前の湘南サウンドとかベンチャーズの方が遙かに心が躍る。 アメリカなどで行われている痴呆症の治療もこうした研究が加味れていて、患者に15〜20歳ぐらいに大流行した音楽を聴かせると体が自然に動いて時には歌さえ唄い出すという。 僕もずいぶん忘れっぽくなったが、昔の事は驚くほど覚えているから不思議だ。要するに脳の記憶回路(メモリー)が満タンになって新しいことを覚えることが出来ないのだろうか。それとも辺縁系から大脳への伝達が昔のように行われないのだろうか。 だが老化による痴呆は治療などする必要はないと思う、いい加減に忘れた方が生活していく上で精神的に楽なのだ。考えても見よう、頭脳が100%しっかりした状態で老いていくのは実にむごい事だとは思わないか。 先日も書いたが、いま毎日少しずつ書き溜めている詩集「古希に謳う」の言葉とか状況を思い出す時にも簡単にその時代にすっ飛んでいけるのだ。 しかし簡単に思い出せる代わりに過ぎ去っていった青春の無念さも襲いかかってくる。なぜあの時に、思っていることを言葉にしなかったのか..。人生でこれほど大きな反省というものを味わった事が無いほどそれは胸に突き刺さってくるのである。 ★世界の様々な指標を見ていると、明らかにいま全ての分野でピークを過ぎたと感じる。無限の発展など有り得ないからだ。古代の地層を観察している学者によれば過去に人類は5回ぐらい絶滅しているという。要するに時々「1」から出直しているのである。言い換えればそろそろ1から出直す時期ではないかと思われる兆候があるのだ。 太陽を取り巻いて回っている惑星(土星など)の間にはアステロイドベルト(小惑星帯)という直径数メートルから数キロメートルの岩石が何百万個も集まって回っている地帯がある。一定の間隔で回っているこの岩石が時に互いに衝突すると弾かれた岩石が地球に向かって飛んで来るのだ。これが地球に衝突して人類は何もかも1から始まることになる。実は1からやり直すというのは悪いことでは無い、何度もやり直しているうちに人類全体が生きていて良かったと思える時代が来るかも知れないからだ。 そのための条件は一つだ、大脳を犬以下に小さくしなければならない。要するに今の社会の全ての矛盾と犯罪や争いは肥大しすぎた脳の仕業なのだ。 過大な欲望を持たない脳を持った人類こそ、他の宇宙で今も生き続けている宇宙人なのである。

【2019.07.15】
★今日も雨に降られてずぶ濡れになってウオーキングから戻ったが..実は世にも不思議なことが我が家で二度も起きた。その現象は今月の4日の夕暮れ時の雨の後で発見した。家の裏口にある屋根の下と側溝に直径10ミリから30ミリぐらいの水玉のような水滴のような透明な真球のボールが30個ぐらい転がっていたのである。屋根の無い場所ならば雨のように空から降ってきたことも考えられるが、屋根の下にまで転がっていたのは実に不可解だ。翌日に小さなものを洗面器に水を溜めて入れておいたら一日に1.2倍ぐらいずつ大きくなっていき、数日後直径が35ミリを超したころに割れた。 そして昨夜やはり同じ場所に20個ぐらいの球が転がって居たのだ、大きさも前回と同じ位もものだったので、また水に浸けて観察している。ゆで卵のような堅さで簡単に手で潰すことが出来るからプラスチックのようなものでは無い。 4日からインターネットで同じ現象を探していると日本でも世界でも同じことが何度も起きている。外国では牧場に数千個も落ちているという写真も公開されていた。いろんな機関で分析しているようだが未だに結論は出ていないという。 小判でも降ってきたのなら喜ばしいことだが、有毒か無毒かも判らないような物体が音も無く降ってきて転がっているというのは実に不気味である。しかし手で触っても潰しても皮膚に何の変化も無いから無毒であろう。 日本で空から魚が大量に降ってきたという報道も何回か有ったが、カラスなどの鳥類が落としたにしては多すぎると言う事で、ここでも理由はわかっていないようだ。 例えば海岸に「りゅーぐーの使い」という深海魚が打ち上げられると地震が近いというような事例は科学的な根拠のある現象である。 世にも奇妙な物語というドラマもあったが、たぶん実際に遭遇してみないとその気持ち悪さとか不快感は判らないだろう。 だが、不可解と言う言葉を使うならば、今の日本で政府の言う事とやる事の矛盾について使うべきだろうと思うがいかがだろうか。 ともかく水晶のような球が落ちてきたのだから何か良いことが有ればいいと願うばかりである。

【2019.07.14】
★伊那谷も日照不足で桃の生育に影響が出ているという。僕の長男の嫁さんの実家では桃を生産しているが、今年は色つきが悪く糖度も低いと言って嘆いている。農業とか漁業は自然相手の職業だから何事も自然のなすがままに応じてそれに寄り添って行かねばならぬ。しかし農業に比べ漁業は良いと思う、農業だと耕したり種を撒き草を採り収穫してようやく金銭に換えられるが、漁業は餌をやるわけでもなく海が育てたものを勝手に取ってくるだけで金になる。船酔いさえしなければ漁業もいい職業だが、荒波の中で命を張ってやるのも一考を要する。 近辺の農家はどんどん減っている、ともかく高齢化で田畑の草取りさえ出来ないのだから仕方が無い。総理の地方再生などと言うのは口から出任せと言っても間違いでは無い。 ★この季節になると僕は憂鬱になる、野山に蜂が巣を造るからだ。南アルプス山麓の山小屋の周辺にも毎年幾つもの巣が出来ている。僕は既にスズメバチに7回刺されてれている、最後に同時に2つ刺されたときには全身にジンマシンが出た。僕の母は家の前でスズメバチに刺されてショック死してからもう25年になった。自然を相手に生きるというのは山小屋であろうと都会であろうと変わらない。どのような災難が襲ってくるのか予想だに出来ないからだ。だから僕たちは毎日陽気に笑って過ごすことが義務なのだ。そうしなければ人生は儚すぎないか。 人は握りこぶしをつくってはいけない、いつも手の平を広げているのだ。そして笑ってごらんなさい、この状態では絶対に怒ることなど出来ないのだ。手の平は人の感情を司っている、握りしめるとこれから戦うぞと言う信号を脳に送る、脳はそれに対応して次の一手を考えて指令するのだ。手を太陽に向けるとき誰もが手の平を広げているのは平和を願い戦うことを否定する心の現れである。 音楽や音響の専門家によると、人間の耳は20キロヘルツ(1秒間に2万回の振動する音)より高い音は聞こえない。だがバイオリンの音色の違いは20キロヘルツ以上の音に現れる。ではどうやってその音を聞き分けるのかと言うと、肌で感じるのだという。嘘のように思えるが、ガラスをツメでこする音を聞くと鳥肌が立つことがその証明でもある。 恋に落ちるときのように目と目で人は感情の疎通を図ることが出来る。目は口よりもの言うというのは事実で有ろう。 人は嫌いな相手に接しているときに感情を露わにしないように心掛けているが、実際は全身で嫌いだと発しているのである。だから嫌いな人をつくらないようにすることも処世術のひとつであるのは間違いない。人は付き合ってみるとそう悪い人は居ないものだ、だが最近は親切に寄り添ってくる人ほど悪人が多く欺されるのだ。これはテレビの影響である、何でもかんでもイケメンがいいという風潮である。この原因になっているのはウルトラマンとか仮面ライダーなどのテレビドラマである。悪い奴(怪獣)は全てが醜く正義の味方はイケメンだ、これが今に至る誤った風潮を造りだしてしまったのだ。

【2019.07.13】
★義母の入所している老人ホームに隔週土曜日には妻と2人で出かけている。ここ数年ほとんど欠かしたことが無い。妻が母親と話している間に30〜40分間この施設の周りをウオーキングするのも恒例になっている。近くに農業用の大きな池があり川サギも時々池に浮かんで居るし、湖面に周りの景色が映って素晴らしいコントラストが生まれるときもある。山間地だからワラビも生えるし桑の実もできる。山野草の花も見られるし小鳥もいっぱい飛んでいる。 今日も歩いていると道路に百日草が一本だけ咲いていた、どこからか種が飛んで来たのだろうと歩いていくと田んぼの脇にいっぱい咲いているのを見付けた。そうか種(子孫)を増やそうとして離れた場所に一生懸命飛んできて周りに新しい花畑を造るつもりなのだろう。こうした自然の行為は人間と何も代わらないのだ。 僕も古希を越えたのでこのあたりで一念発起して、もう一度「詩」を書こうと思い少しずつ書き溜め始めた。タイトルは一応決めている。これまで人生を謳歌してきたことから「古希に謳う」とした。サブタイトルは「そうだ、初恋を探しに行こう」というもので、昔書いた詩集の続篇という意味もある。 野にあって出会う花は初恋の人に見えて来るし、雄大に茂っている木は父にもみえる。畑で鍬(くわ)を持っている人を見れば母にも見えて来るではいか。 僕は昔からいい加減で乱暴な男だった、しかし人一倍感傷的な性格だったのはそれを知る人が居なかっただけだ。 何十年も昔に消え去っていった初恋ほど素晴らしいものはない。後の人生を決定付けてくれたのも初恋である。 時間は戻ってこないからやり直しなど出来ない、反省するならその時にもっと勇気を出して頑張りなさいと教えてくれたのも初恋である。車を運転しているとき、風呂に入っているとき、山小屋で仕事をして入るとき..いつも僕を包んでいるのは青春時代の歌謡曲である。舟木一夫、西郷輝彦、加山雄三、石原裕次郎、山口百恵、小椋佳、藤圭子...彼らのヒットした曲の歌詞を改めて見てみよう。それは誰にも共通する初恋と別れの詞ばかりである。 だが今になって聞くと感傷的になる側面もあるが、若返るような気がしてくる。事実、言動や行動が昔の自分のように蘇ってくるのである。 僕はいま若い人達に言いたいのは「恋をしなさい」ということだが、実際に古希にまで思い出として切なく残るような恋はたぶん一度しかないだろう。そして恋しようと思っても出来るものではない。 いま高齢者と言われている人達の多くの人方々が胸に秘めているのは「初恋」であろう。だから、そうだ今から初恋を探しに行こうではないか。(近いうちに詩を紹介するよ)。

【2019.07.12】
僕がウオーキングの途中で毎日のように餌をやっている友達ヤギはいま一頭だけだ。2年ぐらい前まで2頭一緒に住んでいたが一頭死んでしまった。飼い主に聞いたところ原因はジャガイモを食べたことが原因だった。餌として与えたジャガイモの中に青っぽくて芽の出かかったものが混じっていたのである。 野菜は健康食だとか胃に良いとか言っているが、実は大量に野菜を食べていると野菜が自ら持っている毒素によって胃を痛めてしまい、最悪の場合死に至る事も有るのだ。例えばギンナンを子供にオヤツとして与えると最悪死に至る。 キャベツもニンジンも白菜も野菜は害虫からの自己防衛のため毒素を持っているのである。 話題になったのは遺伝子組み換えの大豆だろう、これも本来大豆の持っている毒素を数百倍になるように遺伝子を組み換えて育てたものだ。もちろんその影響は葉や茎だけに止まらずマメにも及ぶのだ。豆腐はいいと言って食べると毒素も一緒に体内に取り込むことになるのである。これが遺伝子組み換え食品の弊害の実態なのだ。 これによって現実に体内で何が起きているかというと、胃の中に住んで居る必要な虫や雑菌が全て死んでしまうのである。その結果、アトピーを引き起こしたりする菌を処理することができずに炎症を引き起こす。さらには免疫機能に異常を引き起こすから、膠原病などの病を引き起こすのだ。これが判っていて野菜に農薬を使ったり遺伝子組み換えを許可するのは明らかに国民を病気にしようという魂胆に見えてならないのだ。 ★先日も僕はNHKを始めとするマスコミの余りにもひどい忖度と報道の自由の軽視について書いた。僕は時々中部大学総合工学研究所特任教授で ホンマでっかテレビに出ている武田邦彦氏のユーチューブでの発言を聞いている。余りにも不条理な社会制度、それと原発問題などについて歯に絹着せぬ語りは文化勲章に値するものだ。ともかく一部をここで見ていただくと常に僕の言っている事も間違いでは無いだろうと思っていただけるだろう。彼は学者の立場から正論を唱えているし、僕は一庶民として思ったことを書いているだけだ。彼の発言を幾つか聞いてみると日本という国家の哀れな末路まで見てくるようだ。 今日もアオリ運転や幅寄せ運転を取り締まっている警官がパトカーを使って、幅寄せしたり暴言を浴びせたりするという考えられない事件が起きている。若しも警官という自覚があるのなら彼らを始め監督する立場に有る者は全員が辞職すべきだろう。更に副業で2000万の副収入を得ていた警察関係者も発覚して辞職に追い込まれるという事件もあった。世の中乱れ放題であり、憲法も刑法も何も無い国になった。免許証など無くても車を運転しても罪にならない時代に突入したのだろう。

【2019.07.11】
★今日は母親の命日だったので妹と二人で南アルプス山麓の山小屋に墓詣りに行ってきた。あいにく雨が降り出してしまい気温も下がって寒いぐらいになったので早々に引き上げてきた。妹は「河原アザミ」別名「河原ゴボウ」の味が忘れられないと言って鎌で切って持ち帰っていた。僕もこれは大好きな田舎の味のひとつだ、ゴボウを10倍ぐらい旨くしたような味で煮物にしたら最高だ。一度も食べたことのない人にも食べらるので特別に嫌みな味ではない。河原に行けば幾らでも生えているしアザミの紫の花も綺麗だから簡単に見付けられる。 ★僕は友人との連絡などはツイッターとフェイスブックを中心にし他はメールで対応していたが、最近になって同級生も始めるようになったのでLINEに加入した。すぐに20名ぐらいの友達が登録され毎日のように文や写真のやり取りをしている。これは子供にやらせたら夜も寝る暇が無くなるのは当然だと思う。メールでは送っても相手が呼んだか否かが判らないので返信は適当に空いた時間を使って出来るが、LINEは相手に見た時間が表示されるので早く返事をしなければという焦りがでてくる。まあ情報は早い方が効果もあるからいいか、これが嫌ならメールで対応すればいいだけのことだ。 ★テレビを見ていると芸能人の大麻汚染が問題になっている。しかし大麻はそう悪い麻薬では無いようだ、現実にアメリカでもワシントン州やコロラド州などは合法でたばこ屋で売っているようだ。オランダなども合法で大麻よりもタバコの方が人体に悪影響を及ぼすとされている。イギリスなどは合法ではないが発覚しても逮捕されることは希のようだ。 自由というのは自分の判断と責任で食べたり飲んだりすることも許されることだ。現に体に治療用の鍼(はり)を打つことは誰が何本打とうと自由だが、他人に対して行うと医者の利益が減るから違法となるだけのことだ。 国家が徴兵をするというというような理不尽な事を考えたら、麻薬を吸おうが毒薬を飲もうが国家の知った事ではない。それ処か故意に冤罪を造って庶民を罪に落とした検察官が厳罰を受けないのは麻薬を吸ったというような単純な問題ではない。 一般庶民はこうした理不尽というものを知らねばなるまい、そして冤罪が権力維持に使われるという実態も知っておいてから投票所に向かうべきであろう。 昨日友人のN君と昼飯を食べながら話したが、彼は老人が免許証を返すのが有料だとは知らなかったし、70歳以上の高齢者研修が5千円も必要だという事も知らなかった。あれだけ老人に返せというなら御礼に5万円位のタクシー券と引き替えても良いだろう、それによって人命が救われるなら誰も文句は言わない。老人教習も若者が減って教習所の生徒が減るのを補っているようなものだから、何か役人のカネ稼ぎと天下りのための制度を作ったような気がしてならない。

【2019.07.10】
★僕は一般にあまり見る事の出来ない「石」を持っている。その石は「さざれ石」というものだ。国家の「君が代」の中に出てくる「さざれ石の巖(いわお)となりて」のさざれ石である。この石は伊吹山と滋賀県の県境にでしか発見されていないと思うが、当然地元では厳しく採掘制限がされているから一般に出回る石ではない。もともとさざれ石とは河原に転がっている少し大きめの砂利のことだ。しかしこれが大きな石(10kgから数トン)になったものを一般に「さざれ石」と呼んでいる。なぜ大きくなるかというと鍾乳洞のツララが出来る過程によく似ている。石灰岩の洞窟内で地表の砂利の層の上部から落ちた石灰を含んだ水によって砂利が固まったものだ。僕の持っているのは重さが60kg?ぐらいで高さが50センチぐらいのものだ。似たような大きさの物は宮内庁内と科学技術庁の玄関に展示されている。 価値というのは判らないが、僕が保有している石は横から見ると達磨さんが手を合わせているように見える実に味わいの有る石である。 さざれ石は十世紀の「古今和歌集」に出てくる短歌「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌(いわお)となりて苔(こけ)のむすまで」というのが元となっている。もちろん僕の石もいま長期間に亘り露天に置いてあるので苔もずいぶん付着している。その点で苔のむすまでという歌の文句に合致している。 最近になって国の天然記念物に指定されるという話も聞いたが、産出地の揖斐川町では昨年安倍首相にも贈ったという話もある。 この石が僕の所にやって来た経緯は伏せるが、偶然の連続によって僕の家の敷地内に安置されることとなったものだ。僕は盗難防止の為にそれなりの処置をしたり、24時間監視カメラと写真撮影装置を備えていて随時飯田市内に送信し盗難に備えているが、たぶんさざれ石を持ち出すことは出来ないだろう。こういう物は行き先とか安置先が確認されているものが多いため売り買いは出来ない。 産地では唯一の観光資源となっているが、現地に展示してあるのは1トン以上もありそうな巨大なさざれ石だ。こう大きくても価値がそれに比例して増す物では無いように思う。 ともかく神秘的なものだ、是非現物を見たいという希望があれば日程を調整の上で見学は可能である、何か大きな御利益をもたらすかも知れない。
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【2019.07.09】
★以前、自由というものについて書いた事があった。北朝鮮から韓国に亡命してきた人物が自発的に北朝鮮に戻ったのだ。その理由が、何をするにも自分で選択する必要に迫られて暮らしにくいというものだ。我々からすると、服を選ぶ楽しみや喜び、靴一つでも何軒かの店に寄って見て選ぶというのが楽しみなのだが、裏を返せば面倒くさくて不便なのである。工場労働者の男性はこの靴と決まっていれば選択の必要がないだけでなく他人と比較することも無い。子供の頃から選択する事を喜びであるとしてきた我々には腑に落ちないところもあるが、自由の無さは暮らし易いのである。 しかし本来自由というものを実感するためには不自由を体験しておく期間が必要である。例えばある高校で制服を自由化したところ半数以上の生徒が制服を着て登校し、これが一番いいと言っていたという話も現実に有った。また校則が厳しい学校を卒業した人ほどファッションや行動に対して大いに個性を発揮しているという話もある。こうしてみると不自由という環境も案外無責任で気楽に生きていける環境なのではないか。 ★韓国と日本の貿易摩擦が起きていると言うが、そもそも貿易しなければ生きていけない国というのは国家の失策であろう。他国から調達しなければならない物は使わないか造らないか国産にすれば良いだけのことだ。第二次世界大戦開戦時の輸出制限とか交渉決裂とかいう屁理屈も、無い物は造ればいいし欲しなければいいという考えに徹すれば良かったのである。たかが貿易摩擦ぐらいで国家の命運をかけようという裏には何があるのだろうか。政府による国民の誘導であろうと考えるのが正しかろう。政治というものは如何にして国民を同じ方向に誘導していくかということであり、言い換えれば飼い慣らすと言う事だ。 消費税が上がったその増分の税金を戦闘機の購入費に充てても文句を言わないような人造りである。こうした隠れた洗脳は小中学校の教科書から始まっている、文部科学省が国家の名において検閲しているのがその証拠である。なぜ文部科学省の審査ではだめかという疑問だが、これは審査する者達が時の権力者に忖度しているからであろう。それと独自に審査出来るような歴史認識などを持ち併せていない者が多数であろうとも思われる。 ともかく自由という言葉には広大な意味があり、日本やアメリカのように格差が極限まで達してしまうようなものまでを自由とする事は確実に是正が必要である。例えば最高税率の引き上げや株の儲けなどにはもっと高い税率を適用すべきであろう。

【2019.07.08】
★ウオーキングしていると大勢の人に出会う、杖を2本ついた方とかウサギの散歩をしている人、農家の人も多いが同じようにウオーキングをしている人も多い。大概は言葉を交わすので知り合いになってしまう。だから住んでいる場所も名前も知っている。昨日は犬を連れて散歩している83歳のSさんに出会った、連れている犬は柴犬で品評会に出るような立派な風体である。出会うと時々写真を撮ってやっているが、今日はその写真を額縁に入れて家まで届けてあげた。家族の方も見た事は無かったが僕のことをよく知っていて玄関で30分も話し込んでしまった。 犬を連れた婦人と時々出会って話をしているが、今日話している途中でやはりウオーキングしている男性に出会った。この男性もよく出会う人で知り合いだったが、まさかこの二人が夫婦だとは知らなかったので驚いた。全く違うルートをウオーキングしているという。 様々な人と話してみると自分と何某ら接点が有るのには驚く、例えば同じ遠山出身だとか同級生の兄だったとか、時には嫁さんが上村の人だとか、たまに中学の同級生にも出会うからウオーキングというのも楽しみの一つになるのである。 ★参議院選も始まったが珍しく特定の主義主張を掲げた人が出ている。党の名前も「NHKから国民を守る党」というらしい。掲示板にはポスターが貼られていないので知らなかったが(作ってないらしい)、市の広報を確認していて見付けた。演説に回っている様子もないので真意はわからないが、僕と同じようにNHKという官僚組織に反発している人だと考えられる。実に良いことであり、社会の歪みはこうした組織の破壊から始めなければならないと思う。だいたい聴取料を支払っている人がNHK会長の選挙権がないというのもおかしな話ではないか。政権に対する忖度だけでニュース報道するなどとんでもない話である。先日も書いたがこれはNHKでなく日本のテレビ局の全てに共通することでもある。こうした政権に組した報道によって過去に日本は戦争に突入し、数百万人の庶民が殺され、更には原爆まで落とされたのである。あれから70年余、世代は代わり時代も変わったが政治の暴走は止めることなど出来ないではないか。反省も無く、唯一の被爆国でありながら自国に原子炉を持ち、原爆の材料となるプルトニュームを世界的にみても膨大な量を溜め込んでいるのだ。 イランがウランの濃縮を始めたと言うが、日本のプルトニュームの蓄積を考えたら大騒ぎするようなことでも無い。このままの独裁政治が継続すると再び国民が悪夢に巻き込まれるような気がしてならない。ともかく無用の長物と化している参議院議員だが、多少でも暴走の歯止めになるような構成になることが望まれる。

【2019.07.07】
★近くに住んでいながら一度も行ったことがなかった飯田市山本の城山公園に行ってきた。特に行きたかった場所ではないが、最近親戚になった家の招待で遊びに行ったところ連れて行って貰った。360度の景観は圧巻だが、最近は来る人も少なく荒れていたのが気掛かりだ。こうした資源を放置するのはもったいないと思うが人口が減っている田舎では仕方ないことだろう。果樹園を経営している家なので桃畑に案内され数個を採ってもらい今年始めて食べてみた。実に旨い桃だ、僕は甘さではなく堅い食感が好きなので伊那谷の桃はもう食べ頃なのだ。今年は昨年に比べて収穫時期が多少遅くなっていると言うことである。昼食には僕の大好きな御幣餅を用意していただき遠慮も無く3本も食べてしまった。天竜峡近くの道の駅(蕎麦の城)で造った物らしいが、俗に言うワラジ御幣で丸くて串に刺したものと違って一本の大きさが違うから3本も食べれば腹一杯だ。それに抹茶を2杯もいただき、更に和菓子を食べ大皿の各種サシミと皿盛りなどまで食べたため夕食はほとんど食べる気にならなかった。 専業農家の方々は土日とか定年とか休暇がないため休むときがほとんど無い。だが休んでいるよりも畑に居る方が気が休まるという方々も多い。毎日ゴロゴロしていて旨い物を食べようという僕の根性が糖尿病を招いたのは間違いない。 ★アメリカのニューヨーク・タイムズ(電子版)は5日の記事で、菅義偉官房長官が記者会見の時に東京新聞の記者の質問に対して故意に回答を拒んだのは独裁政権を彷彿されると書いている。特定のメディアを指摘したうえで、「日本は憲法で報道の自由が記された現代的民主国家ではないのか」と批判している。確かに指摘されるまでもなく日本はヒトラーの時代とそう変わらない独裁国家になっているのは間違いないだろう。先日も書いたが日本は既に憲法も三権分立も放棄した国なのである。要するに裁判所までが判決に忖度を加味していると言う事であり中国にも劣る。特に原発問題などは政府の考えを踏襲した判決ばかりで有り、時に政府の意向を無視した判決を出そうものなら裁判長は大都市から地方に即座に左遷させられている。 ニューヨーク・タイムズはこうした背景にはマスコミを対象とした記者クラブの存在があるとも指摘している。確かにその通りで、記者クラブを媒介して癒着しているのは間違いない。政治の有るべき姿を取り戻すには記者クラブの廃止が不可欠なのである。これは僕もこの場で何度も指摘して来ている。 「なんとなく、クリスタル」を書いた作家の田中康夫氏が長野県知事になった時にまず最初にしたことが記者クラブの廃止だった。クリーンな政治はマスコミとの蜜月を断ち切ることから始まるのである。

【2019.07.06】
★梅雨前線が通過して100ミリ以上の雨が降ったため南アルプス山麓の山小屋の周りに被害が無いか見に出掛けた。幸いにして被害は無かったが、モリアオガエルの産み付けた卵が既に池に落ちていた。たぶん時期的には丁度良かったのではないかと思う。梅雨時に雨が降らないとモリアオガエルが産み付けた卵が乾燥してしまい卵は死んでしまうのだ。温暖化で季節が熱帯性になってくると山に住むこのガエルたちも絶滅してしまうのだ。 秋になるとオタマジャクシから蛙になって森に入って生きて行くこの蛙の根性は並大抵ものではない。零下15度以下の環境で他の動物から逃れて再び池に産卵に来るのは数匹である。それでも此処を生きる場所に決めたのだから生きていくしか無い。例え捕食にされても命のある限り生きていくというその生き方には頭が下がる。だから僕は池の水を飯田市から絶えず監視カメラで監視していて決して涸らすことのないように協力しているのである。 たぶん僕でなくてもモリアオガエルのオタマジャクシの目を見ればその鋭さに並々ならぬ決意を感じるはずだ。 愚かな人間の享楽が森の動物たちの絶滅に関係していたとは誰も知らなかっただろう。しかし先日も書いたようにどうでもいいようなスポーツなどに過大に熱を上げていることが大雨や種の絶滅に係わっているのである。 中には娯楽も必要だという者も有ろうがそれも間違いである。数万人も集めて騒ぐ行為などストレス解消にもならない、単に騒々しくエネルギーを無駄に消費しているだけなのである。サッカーの盛んな国ではサッカーの無い日に比べて試合のある日は犯罪の件数が5倍になるというデーターもある。 もうひとつ理由があるとすれば企業や国家が馬鹿な庶民から金を巻き上げる手段として使って居ることであろう。数万円のチケットを買って現場で見る行為こそ情報化社会に咲いた徒花(あだばな)と言えよう。これだけ情報が飛び交っているのだから大概のことは家の中でも簡単に見えるのだ。エネルギーを使って情報化を進めたのならば、その分だけ人は家にこもる必要があるということだ。また双方向に即座に通信が出来る環境があるにも拘わらず遠距離通勤をしているなどと言うのも大きな間違いである。 僕は温暖化などどうでもいいのだが、森の動物たちのために何とか今迄の環境を持続させたいと願っているだけなのである。

【2019.07.05】
★大雨一過何とか列島に平穏が戻ってきそうだ。しかし温暖化による異常気象は日本だけではない世界中に及んでいるのだ。フランスでは気温が46度まで上昇しているし、メキシコでは高温から一転して大量のヒョウが降り積もった。明らかに地球が怒りをむき出しにしているのである。ここまで地球という大地をあなどり、痛めつけたのだからこの程度の仕返しは当たり前だろう。だがこの反撃はいま始まったばかりである。この先に起きる災害は人類を滅亡に近い状態まで追い詰めるに違いない。 日本のテレビでは温暖化という言葉が禁句になっている、それは裏を返せばトヨタを始めとするCO2排出産業を攻撃することになるからだ。これでマスコミが務まるのだから日本も落ちぶれたものだ。今さらレジ袋を紙に代えて庶民から小銭を取ろうなどと言う姑息な考えでは破綻への道は断ち切れない。 移動手段を公共交通だけにしても既に手遅れだし、多人数を集める全てのスポーツ大会とコンサートを禁止しても間に合わない。商店の営業を一日5時間以内に制限しても効果は限定的である。既にこの温暖化現象は50年前から確実に予測されていたが、資本家のカネ儲けと利権で繋がった政治家によって揉み潰され続けたのだ。 あの土石流と河川氾濫は北朝鮮のミサイルの比では無い事を知っておきたいものだ。 しかし人間は幾多の困難を乗り越えて種を増やしてきた、それは知恵を働かせ最良の方策を実践してきたからだ。しかし憲法すらその意味を持たなくなったいま、正義とか正論などと言っている場合では無い。 僕たちはもうすぐ別の宇宙に移民するからいいようなものだが、こうした知識を学ぼうとしなかった若者たちは今後苦しい人生を強いられることになろう。 ★これもテレビに係わることだが、今日の朝日新聞デジタルにも報道されたように、最近のテレビ局のヤラセは悪度過ぎないか?。ともかく外国でロケを行う時でも番組用の祭まで新たに創作し何とか内容のありそうな番組に仕上げているのである。僕はテレビで報道されることを鵜呑みにする危険性をいつも訴えているが、温暖化問題だけではなくお笑い番組まで創作しているからである。武田邦彦氏などもこの件に関してはNHKをも厳しく批判している(武田邦彦 NHKで検索してみよう)。要するにNHKというのは教育委員会と同じような官僚組織になってしまったと言う事だ。例えばイジメと判った事件もひた隠しにしたり、生徒のアンケートを握りつぶしたりするようなことを罪の意識すら感じずに行っている組織なのだ。こんな連中になぜ我々が税金を払う必要があるのか、日本中の組織を解体して民間のボランティアに任せた方がまだ良い。 いま人間社会は猿や狸の世界よりも確実に劣っていると公言出来る。どれもこれも元を正せば間違った教育と、その教育の評価にあると言わざるを得ない。凶悪犯人が逃げ回るのも、ストーカーの殺人を止められないのも、子供の自殺を防げないのも全て歪んだ教育の結果と弛んだ根性にして為せる技であろう。

【2019.07.04】
★8時台は曇っていたので傘も持たずにウオーキング出たところ10分もしないうちに雨が降ってきてしまった。大木の下で10分ぐらい待っていたが止む様子も無いのでずぶ濡れになって家に戻った。これで風邪をひいて肺炎になって死んだとしたら..余りにも馬鹿馬鹿しい話だと妻と大笑いしたが、気温が高かったために助かった。健康法というのは裏を返すと病気になったり死を招いたりする事がある。また健康のためのサプリメントの飲み過ぎで内臓を悪くする例もあるから要注意である。 今年はアケビの豊作である、毎年20個ぐらいしか実を付けなかったが今年は100個ぐらいある。雨のなかでウチョウランも小さな紫の花を咲かせている。これは南アルプス山麓の山小屋の我が家の山から採ってきたものだ。 ★連日の大雨で死者も出ている、老人の一人暮らしの方ばかりだ。この雨の中を80歳を超えた老婆がどうやって避難先に行くのか。たぶん行く途中で息絶えたかもしれない。これも寿命だと思えばそれでもいいのだろう。 赤塚不二夫の漫画のなかには「これでいいのだ!!」という言葉がいっぱい出てくる、この言葉も土砂で生き埋めになった人と変わりない。何故なら彼が満州から家族で引き上げてくる船の中で、食料不足と疲労などから妹が目の前で死んでいった。彼はその悲しみを乗り越えるために「これでいいのだ!!」と叫んだその言葉なのである。彼の漫画を単なるお笑いマンガとして見るのは間違いである。様々な場面でこうした戦争の悲惨な思いをギャグとして笑いとして昇華させていたのである。 彼は漫画の収入のほとんどを戦争に反対する人達や天井桟敷などの劇団の活動に惜しげも無く与えていた。何の見返りも意見も言わなかったのだ、彼は金線に対する執着が皆無であった。タバコを吸い、酒を飲み不健康なことはたしなめられても聞く耳を持たなかった。たぶん妹や家族の居る天国に行けるのだから死ぬことに何の恐怖も現世の名残も感じていなかったのだろう。 最近になって世界の哲学者とか宇宙物理学者、それに量子工学の研究者の間では死後の世界について新しい考え方が広まっている。それは死後も他の宇宙に存在している確率が高いというものだ。これは最先端の研究による物理の矛盾を解明する上で重要な事項で、我々がいま見ている存在している宇宙以外に他の宇宙の存在を肯定しないと物理学が成り立たなくなったのだ。ざっと言えば8次元などという多次元宇宙を認めないと物理学が破綻してしまうということだ。 ともかく人はいま住んでいる宇宙から消え去ることは間違いないが、これは現宇宙に住んでいる人から見えないだけだということである。要するに電子とか原子という超ミクロの世界と同じで、見ようとすると見えなくなり、見ていないと存在し、時には同時に複数箇所に存在するというものだ。これは実験で確かめられており否定の余地はないし、次世代コンピューターと言われる量子コンピューターに既に使われているものだ。 こうなってくると面白いことがいっぱいある、例えば何らかの理由で結婚出来なかった二人が別の宇宙で結婚出来るというもので、まさに夢の世界が現実となるかも知れないのだ。諸君、未来に希望を持って生きていこう、夢は必ず叶えられるのだ。

【2019.07.03】
★夕方から雨になったが午前中は何とか持った。今日はウオーキングの一つの節目を迎えた、僕が使っている万歩計は歩く歩数に応じて距離が四国八十ハヶ所の巡礼の遍路に沿って加算される。一番札所から八十八番札所まで徒歩で約1,200kmあり、毎日歩く度に万歩計の地図上の目盛りが進んで距離感が判るようになっている。僕はもう20年近くウオーキングを続けておりこの万歩計も2台目だが、これを購入してから今日で1,039日で6,000kmを走破した。要するに四国遍路を5周したことになる。この万歩計を買ってから医者に一度も行かず薬もほとんど飲まないようにした。もちろんインフルエンザの注射もしない。結果として体重も減ったし血圧もほぼ正常に戻った。血糖値もほぼ正常になってきた。やはり歩くことは医者要らずなのだ。 一日あたり約6km歩いたことになるがこの1,000日の間休んだことは無い、台風の時も吹雪の時も親戚の葬式の日もだ。今日一日ぐらいやめてもいいだろうという考えだと後が続かない、とにかく外に出て1kmでも歩く根性を持つことが必要である。 糖尿病だと言われる人の大半は根性もなく性懲りも無く暴飲暴食をするから治らないだけだ。また血圧は高いと思うから高いのであって180ぐらい普通だと思えば正常なのだ。90歳過ぎた知り合いのお婆さんは、今日は血圧が180に下がったので調子が悪いと言っていた、普段は200以上あるというがそれでも何ともない。 今日6、000kmになったのはいつも餌をやっている通りすがりの友達ヤギの前だった。ヤギと一緒に記念写真を撮ってから500m位離れた黒田神社に報告がてら行ったが、まだkm数値は変わらなかったのでここでも記念写真を撮った。 家に戻って友人のN君にも電話して一緒に御祝いの昼食を食べ、午後は近くの温泉に行って疲れた体を癒やした。 次の目標は1万kmである、加齢もあって平均6kmは無理かも知れないが何とか3年以内に完歩したい。 人間何か目標を持てばそれに向かって進むことが出来る、特に古希を越えた人はどんな小さな事でもいいから近い将来に楽しみを持つことが必要である。友人との食事会や小さな旅行など幾らでも考えられる。 僕も例えば7日には長男の実家の食事会に呼ばれているのでおおいに楽しみだし、8〜9月には親しい同窓生との食事会も考えておりこれも楽しみだ。老いても夢だけは忘れてはならない。

【2019.07.02】
★また大雨のシーズンがやってきた。僕がいつも書いているように大雨の元は海水が蒸発した雲である。自然に空に水滴が出来るはずがないのだから当然だろう。海水温が0.1度でも上昇すれば一日に蒸発する水蒸気は太平洋だけでも何億トンにもなるのだから大雨は必然的に起きるものだ。雨を降らせないようにするには気温上昇を防ぐことしか無いのである。それでもまだ夜中に野球やサッカーを観戦して平気でエネルギーを使うのだから大雨だと言って騒ぐのは見当違いというものだ。 もう少し真面目に真剣に考えたら馬鹿で無ければくだらないスポーツを観戦したり、オリンピックの切符を買っている場合ではないことぐらい判るだろう。 今日も夕方のニュースは各地で堤防が決壊し大量の水が住宅地に流れ込んでいる映像ばかりだ。なぜかさ上げをしておかないのか?。不思議でならない、資金不足ならば他に予定している官制行事や箱物建設をやめればいいだけではないのか。 熊本も地震で壊れた城の再建などいつでも出来るし戦国時代では無いのだから城など不要なのだ。いま早急にやらなければならない事は他に幾らでも有るのは間違いない。 国家強靱計画だとか何とか言っていた政治家が居たが何をやったのか全く見えてこない。地方創生だとか言う政治家も治山治水にどれだけの知恵と金を出したのか、数字で示してみたらどうか。結局は口先だけだったことがわかるであろう。 医者も代議士もいなかった縄文時代に還るつもりで対策をしなければ弱者は死に絶えてしまうだろう。そうなったら国会議員や企業の社長らが田植えをしたり大根を作ったりして自活するようになる。それもいいだろう、人間は確実に死ぬのだから多少早く死んでも格差社会で奮闘するよりましだということにもなろう。 ★休業していた飯田市上村の「しらびそ高原ロッジ」が新しく「しらびそ高原天の川」という名称に変えてようやく宿泊の予約を始めたという。この天の川という名称は南アルプス山麓で灯火が全く無いロッジで星空の観測に適していることから付けられた。僕も昔何度か撮影に行ったことがあるが、交通の便利さなど考えると天体観測には絶好の地である。 飯田市はリニア新幹線が通過し駅が出来ると意気込んでいるが観光となる場所も施設もない。いまや観光は地域の活性化に不可欠だというが、日本人を対象にしただけではもう時代遅れである。有名な観光地は50%が外人なのだ。日本人は暮らしが第一で度々遊びに出掛けられるような家庭は少ないし、第一長期の休暇がないのだから遊ぶにも遊べない。さらに学校の休みと同調出来ないから家族での旅行は夏休みなどに限られる。ここにも落とし穴があってホテル代は倍以上になるし交通費も高くなる。これでは観光立国にはほど遠いと言っても過言では無い。 家族で旅行をする費用を年に1回ぐらいは全額税金で負担したらいい、どうせ無駄遣いしてしまうだけのカネだ。2018年度の税収はバブルの時期の60兆円を越えたのだ。役人に金を持たせたら利権がらみの無駄な使途に消えていくだけであることは火を見るより明らかだ。これでもまだ消費税を上げるのなら上水道などの費用や公共料金はただにすればいい。大学など行きたい人が行くだけだから馬鹿を造る為に補助などする必要はない。どのような勉強でも独学で出来ないものなど無いのだ。僕も今持っている技術のほとんどは独学だから堂々と言うことができる。

【2019.07.01】
★6月末に恩師と同級生が数人が集まって伊那市で食事会を開いたが、僕たちの学んだ小学校も中学校も過疎化による生徒数の減少のために廃校になり今はない。特に小学校はサラ地になって建物すら残っていない。十数年前に壊す直前に写真を撮ってきた、今月のトップページの写真はその時に撮影したものだ。僕が小6の時はクラスが12人で全校生徒が約100人在籍していて賑やかだった。当時この学校は父兄や地元の人達の労力と支えによって維持されていた。給食の野菜も交代で家から運んでいたし、備品購入にはゲンノショウコなどの薬草を生徒が野山から採ってきて売り、その利益で購入していた。しかし旧い木造校舎だが半世紀以上経過した今でも懐かしい思い出や生徒の声が空から聞こえてくる。 生徒数が少ない分だけ生徒同士の繋がりが密になり、今でもお互いに電話したり食事会をしたり同窓会をしたりするが、古希を越えると少しずつ人数が減っていくのが悲しい。もちろん僕もやがては姿を消すだろう、それでも母校で学んだことや仲間との親交は忘れずに天国まで続くだろうと思っている。 今日も知多半島に住んでいる同級生のK君に電話してみたが、昨年から難病にかかりやっと生きている程度だと言っていたのが悲しい。 人は何故死んでいくのだろうか、寿命は誰が決めるのだろうか?。如何に真面目に生きようと寿命は変わらない、反対に悪事を重ねても寿命に差異はない。 どうやって生きれば良かったのか、若人はこれからどうやって生きたらいいのか。神仏でもその答えを出すのは難しかろう。しかし忘れてはならないことがある、それは親孝行だ。世の中で一番幸せなことは親孝行をすることなのだ。もうひとつ、それは自分が愛した人を忘れないことだ。僕も青春時代は大いに悩み苦しんだことがあった。しかしその苦しみや絶望感の中から僕は詩を書くことを覚えた。覚えたと言うより書くという行為によって悲しみからの逃避を計ったのである。そして書き溜めた詩を本にして止むなく別れなければならなかった人に贈ったのだ。たぶん今の時代だったら絶対に別れなかったと思うが、幸福になったか否かは判らない。幸福とは愛する人と結婚することとは少し違うような気がするように思うからだ。 いま青春時代のなかに居る諸君は、そんな馬鹿なと思うかも知れないが、よく考えてみよう。毎日一緒に暮らしたらお互いに欠点も見えて来るし、その欠点を悟られまいと苦労するに違いない。生き詰まったらその時点で別れればいいだろうと思うだろうが、お互いに傷つくことは間違いない。青春とは死んでもいいと思うほど悩み、絶望を味わうことによって成長する期間なのかも知れない。僕は彼女と一度だけ2人で会って喫茶店でコーヒーを飲んだことがあった。今もその喫茶店の前を通ると当時の思い出と切なかった胸の鼓動が伝わってくる。こうした優しさと恐れと戻らない時間の中を生きていくのが人生なのであろう。