【2019.08.31】
★歌手、藤圭子が他界してからもう7年になる。北海道の炭鉱を転々としながら流しの浪曲師をしていた両親の元に生まれたが、その貧困さは現在の社会では想像できない悲惨なものだったという。歌が上手だったことから偶然の作詞家との出会いによって東京に出たが、ガード下にムシロを敷いて寝泊まりしていたという。しかし独特の声の持ち主だったことからスターダムにのしあがった。もちろん大金も手に入って来て生活には困らなくなったものの、自分が考えていた歌手人生とはまるで違うことに違和感を覚え、たぶん逃げ道として結婚を選んだが破綻した。要するに歌手の実像は一般に考えるようなものではなかったのだ。それと金があれば幸福になるとは限らないことも知ったのだった。大スターという名声も人生にとっては想像も出来ない重圧だった、他界する前の彼女はバッグに1千万円をこえる現金を持って、どことなく放浪していたという。 藤圭子は落語家の初代林家三平さんの家に頻繁に出入りしており仲良くしていた。死後三平さんの奥さんである香葉子さんによると「彼女は普通の家庭の奥さんになりたかった」のだという。 幸せとはたぶん誰でも身の回りにひっそりと隠れているものだ。必要以上の背伸びこそ破綻の素因となることを知らねばならぬ。 僕も毎日こんなブログを打ち込んでいる背景には家族という幸福と安心があるからだろう。 毎日努力を続けるのは美徳とされるが、たぶんそれも資本家が庶民に稼がせるための方便であろう、その事を知ったうえで適当に努力するのが人生にとっては不可欠だ。会社など設けさせても社長や株主が喜ぶだけのことだ。国に税金を納めても馬鹿が戦闘機や戦車という鉄製のプラモデルを買い込んで庭に並べて喜んでいるだけのことである。 だから何事も適当に、いい加減にすることが自分の健康にも良いのである。ストレスを溜め込んで自滅しても誰も誉めてはくれない。 ※時間があったら、ユーチューブで「ザ・ドキュメンタリー 夢は夜ひらく 藤圭子の真実」を検索して視聴してみよう、約1時間半に及ぶ長時間ビデオだが君たちの人生にも役立つことが有るはずだ。 ★暑い暑いと嘆いていた日本の夏ももうピークを過ぎた。今となってはあの酷暑さえ懐かしく感じるではないか。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というが、これは夏が過ぎ去ることを云うのではない。どんな高給な食材を食べても喉を通過すれば何もかも同じだということだ。高額なフランス料理も良いが飲み込むまでの数秒だけのものだ。 今日、弁当を買いに近くの「イオン」に行ったが、店内に100人を超える行列が出来ていた。レジのご婦人に何事かと尋ねたら、タピオカの専門店が今日開店したからだという。タピオカと言うと何か旨い物に聞こえるが、実際は芋のデンプンを固めたようなものだ。僕も以前台湾から持って来たというものを食べたが何の感動も旨さもなかった。こんな物なら片栗粉を買ってきてお湯を掛けてゲル状にして砂糖を入れて食べた方が旨い。それより、葛粉を買ってきてお湯で固めて黒蜜をかけて食べた方が百倍良い。葛は昔から病気になったとき薬代わりや栄養代わりに使われたもので血管の老化防止にもなる。ブームに流されることは自分自身が貧困になることだと理解しよう。

【2019.08.30】
★雨の中ウオーキングして帰ってくると雨が止んだ。雨が降っても野良猫に餌をやってからヤギに草をやるのは忘れてはいない。毎日待っていると思うと足が向いてしまうのである。僕は彼らに救われていると思う、何故なら彼らに会わずにそのまま歩いていたら、僅か数秒の違いで車にひかれていたかも知れないからである。回り道は人生に安全と福をもたらすのだと信じれば浪人しても落第しても中退しても幸福に導かれるということ。 現に僕はいままで暴力団と対決したり、税務署に踏み込まれたり、2週間も連続で車で遊び回ったり、様々な苦難や危険に出会ってきたが今日も元気で生きている。それ処か最近は「青春回帰症候群」という病に取り憑かれてしまい、今もコスプレしたりして青春を楽しんでいる。金銭を使わなくとも楽しむ事は幾らでも出来る。どうせ生きているなら精一杯楽しむことだ。 歴史にきらびやかに登場してくるのは勝者ばかりではない、例えば敗者の代表でもある真田幸村である。真田家の旗印は六文銭だ、現在の価値に直すと約200円位である。この六文というのは三途の川の渡し賃である。死ぬときに六文(200円)ぐらい持っていれば成仏(極楽行き)できるということだ。税金を誤魔化して1億円持っていっても閻魔大王に死ぬまで殴られるだけだし、美辞麗句を使って庶民を欺していたのなら舌を抜かれるだけだ。 先日も紹介したが僕の同級生の先生をしていた「森の名手」佐々木健司さんから先日頂いた色紙に書いてあった「命とは自分が持っている時を、自分が使えること」という言葉が正解であると今さらながら納得している。佐々木健司さんは「竹炭」の開発者として、ミャンマーなどの外国に行って竹炭の焼き方の指導も行っている。また長野県内の障害者施設の園長としても活躍された方だ。 9月1日は学生の自殺が1年でもっとも多い日だという。マスコミや政府もこんな統計を発表する前に、なぜ学校に行く必要があるのか考えてみよう。 義務教育の義務というのは子供に課せられたものではない、国家に課せられた義務なのだ。要するに国は誰でも平等に教育を受けさせる義務を負っていると言うことだ。もちろん父母にもこの責任はあるのだが、行く行かないは最終的には子供個人の判断で良いのだ。死ぬぐらいなら毎日好きなことをして遊び回って青春を謳歌(おうか)したらどうか。後の人生に役立つことは間違いない。要するにこの遊びを有効に利用する知恵も同時に会得するのだ。

【2019.08.29】
★九月の声を聞き始めると夏が既に過去の季節となっていく。実に淋しいことだ、夏は人生に例えれば青春である。こんなに早く終わってしまっては人生に遺恨を残す事になる。 僕たちの青春時代も季節が過ぎるように何の音沙汰もなく消えていった。まだまだ貧乏な時代だった、メロンなんて食べたこともない、ステーキという食品がある事も知らなかった時代である。僕が始めてステーキを食べたのは大阪万博の会場内のレストランだった、芝生の上にテーブルが置いてあって白い布がかかっていた。周りはほぼ全員が外国人だった、たぶんレこのストランもアメリカの関係の会社がやっていたと思う。フォークとナイフの使い方は当時勤務していた会社が社会人の教養講座の一環で食事のマナー教育してくれたのが役立った。フォークとナイフも難なく使えた。やはり教育というのは大切なことだと感じたのもその時だ。 その後何度も食べようと思ったが当時は異常に高価で到底若者の食べるものではなかった。 当時僕には好きな女性がいたが一緒に食事をしたことは一度も無かった、せいぜい喫茶店でコーヒーを飲んだぐらいである。もちろん自家用車など所有できるはずもなく、高原を二人でドライブするというのは夢のまた夢だった。 その後、僕は独学で専門的な勉強してコンピューターショップをオープンした、1980年と言えばパソコンなど知る人も少なかった時代である。その後ブームが到来し売り上げも伸びて税務署に急襲されるという事件もあった。そしてやっとスポーツカーが買えるようになったとき彼女も青春も既にどこかに消え去ったあとだった。 青春とはそういうものだ、もがき、苦しみ、怒り、泣きながら何とか未来に希望を持つことだけが救いのような日々の連続だ。 今は飽食の時代である、地方都市であっても何でも安く食べる事が出来る。糖尿病と言われる人の90%は食べすぎである、食さえ昔に戻せば治るのだが二度と戻せないし戻さない方が良い。 今から60年ぐらい前の平均寿命は男女とも約50歳である。要するに糖尿病になろうと、身体の数値データーはともかく旨い物を食べれば長生き出来るということなのだ。 野菜だけ食べても長生き出来ない、貪欲な食欲こそ長生きの秘訣なのだ。 メタボなどという厚生労働省が造った言葉はもはや死語になった、何故なら太っている人の法が長生きすると言うデーターがあるからだ。このデータを隠蔽して利権に走った厚生労働省の職員は最近のパワハラぐらいで文句を言ってはならないのは当たり前だ。

【2019.08.28】
★また大雨の被害がでている、車は水没し住宅は浸水、車で通行していた人が数人亡くなっている。探査機を飛ばして小惑星から石ころを持ち帰ることが出来る時代だというのに、肝心の国民は水浸しになっているのだ。宇宙開発という利権事業は国民の生命をも超えるものなのかいささか(大いに)疑問である。夢とか希望という美辞麗句に欺される国民は戦前と何ら変わっていない。要するに庶民の学力というか現実を直視できる能力が発達していないのだ。これは教育の問題でもある、要するにこうした能力を伸ばす教育をしていないのである。年金が減額なると聞けば年金官僚を選挙で落とそうという運動ひとつ出来ないのもそのためだろう。 年金などと言う制度はやめたらどうか、困ったら生活保護で対応するようにすれば年金関連の人件費だけでも生活保護費が賄えるかも知れない。ともかく最近の社会を俯瞰すれば教育の貧困さに辿り付くのは事実である。 ★もうひとつ教育問題だが、学校や教育委員会のイジメとか暴力を隠蔽する体質も何とかしなければならないだろう。更にこうした事件の素因を掴んで対応しない限り今後も増え続けて自殺する生徒も増える筈だ。教育関係者といわれる石頭の連中など何の知恵も解決策も浮かばないだろう。以前も書いた事があるが、「さかなクン(宮澤正之)」のイジメに対する研究成果を参考にしてみたい。 彼は言わずと知れた魚類学者である、彼はメジナという魚を水槽に入れて飼育していたが、二匹以上同じ水槽に入れるとイジメが起きることを発見した。何度も違うメジナをいれても水槽内に入れると必ずイジメが起きた。彼は水槽ではなくプールのような大きな所に入れるとイジメが無くなることを研究の結果突き止めたのである。この研究の持つ意味は、狭い場所に閉じ込められるとイジメが起きるという事実だ。要するに教室という狭い場所に多人数を閉じ込めると精神的にイジメたくなるのだ。この事実はイジメる側の子供が悪いとは限らないという事も教えている。環境が精神的に悪影響を与えて居るということなのだ。こうした研究結果をどのように取り入れていくのか、少しでも考えてみようではないか。たぶんアメリカの大学の公園のようなキャンバスに囲まれているだけで変わるかも知れない。教育を重視するのが政府の方針であるならば、まず人を責めるより環境を整えることだ。汚いトイレはどんどん汚れていくが、高級ホテルのようなピカピカのトイレは汚れない。 大人の社会でのイジメを考えてみてもよくわかる。それは田舎の組合組織というようなものである、小さな集落の組織、これもイジメの原因となる。村八分とか言われる言葉もここから生まれている。僕はこうした組織が大嫌いで絶対に属さない、例え車好きの集まるクラブだったとしても加入していない。組織というものが人の自由を束縛し自由な発想を疎外するからだ。 人間の心はこのように環境の作用におおきく左右されているのである。

【2019.08.27】
★親戚の方が昨年秋に体調がおかしくなった。病院で検査をしたところ、ほぼ癌だと診断された。その後「腫瘍マーカー」の検査で90%癌であると診断された。それも全身癌だというものだった。その後3ヶ月ごとに検査をしたが5月迄は以前と変わらない診断だった。本人はたぶんあと1年ぐらいしか生きられないだろうということで沈み込んでいた。そして今月「腫瘍マーカー」の検査をした結果、癌の可能性はゼロという診断であった。話を聞いたとき何じゃこりゃと思わず口から出てしまった。PET検査も似たようなものではなかろうか。 そう言えば以前「癌になったら医者に行くな」という記事(本)を読んだ事がある、早い話が癌だと言って手術をしている事例の半分以上はほったらかして置いても治る癌だという調査もある。 医学は進んでいるように見えるが、インカ文明の遺構から発掘した頭蓋骨をみると明らかに脳の手術をした痕が発見されている。要は古代から脳外科手術が行われていたということだから今もそう変わりなかろう。 現代医学で大きな間違いは「脳死」の判定である。脳の反応が無くなると死亡と判断されるが、人は脳の死が死ではない。基本的に人間は管(くだ)であるというのは当たり前の事実だ。いわば胃に食物を入れて肛門から排泄されるという事が出来れば10年でも20年でも生きていけるのである。現実に僕の親戚にも15年ぐらいこうした状態で生きている人が居るから間違いない。 腹が減ると飯を食べたくなるが、これは脳がやっていることではない。胃や腸が判断して脳に知らせてレストランに行こうと促すのだ。意志を司っているのは腸なのである。だから脳など無くても(使わなくても)人は生きていけるし生きているのである。 もっとこれを証明できる話がある、それは1988年に心臓と肺を同時移植した女性の話だ。移植したドナーは若い男性だった。移植が終わって暫くすると彼女は自分の中に男性を感じるようになった。更に今迄バイクとは何ら関係無かったが、移植後にバイクの音を聞いただけで心が躍るようになったというのだ。 心は脳には宿らないというが事実だろう、心は人体内の全ての臓器が司っていると言うことでだ。 昔から「腹を決める」とか「腹の底から」とかいう言葉があるが、脳に頼らず決めているのは内臓であるという意味だ。 ともかくどんな状況におかれても前向きな考えを捨てないことである。90%癌だと言われて死を選ぶようなことは決してしてはならない。

【2019.08.26】
★10日ぶりに南アルプス山麓の山小屋に行ってきた。少しの間に草がずいぶん伸びたが今日は少ししか刈らなかった。この時期は蜂の巣が所々にあって刺されるからだ。草は伸びても死ぬことはないか蜂に刺されると死ぬ恐れが有る。なぜなら僕は既にスズメバチに8回も刺されていて前回刺されたときは今まで出たことがなかった全身にジンマシンが出来たのだ。この時は郵便ポストの中にスズメ蜂の巣があって2ヶ所も刺されてしまったのだ。飯田市立病院に電話したが行くまでに1時間かかると言ったら来ても無駄だと言われた。要するに1時間も生きていたら大丈夫だと言うことである。まあ無責任のようだが現実はそんなものだ。山間地で仕事をしたりバーベキューしたりしたら刺されることも覚悟しなければならないのは言う迄も無い。 最近はマムシを見た事は無いが、湿地になっている場所を好むのでグチャグチャした場所は要注意である。吸血ヒルも出現するから足下には注意を怠ってはならない、このヒルは吸い付くと体内に麻酔薬を送り込んでから大きな穴を開けてたっぷりと血を吸う。吸い終わって離れてから靴下などが真っ赤に血で染まっているので気が付くのだ。考えただけでも気持ちが悪いではないか。人里腫れた一軒家の住人達もテレビでは取り上げないが同じ苦労をしているはずである。 海抜1、000mを超える高原はトンボも飛び交っていて、秋の心地よい空気が流れている。ここで弁当を食べると380円のコンビニ弁当も旨い。父母や先祖の墓詣りと犬や猫たちの墓詣りもするが、草が茂っているので此処だけは綺麗にしなければならない。墓という存在はいいものだ、手を合わせると先に行った家族や先祖が僕を応援してくれるような気がする。このことが気力に繋がるのである、誰かが見ていてくれるという安心感みたいなものが気力を高めるのである。だから墓の無い人達は今からでも遅くないから自分の健康のためにも建てたらどうだろうか。 今日は山小屋のオーディオシステムを一新した、MP3プレーヤーからでもスマートフォンのブルートースからでも音楽を慣らせるように改造した。広範囲に鳴らすのでウーファーを38cm径のものにかえて専用アンプも付け加えた。これで今日は森昌子の曲(13歳〜16歳頃の阿久悠作品)を聞きながら仕事をした。やはり好きな音楽を聴きながらだとテキパキと出来るのだ。澄んだ空気と音楽に心も洗われた一日だった。

【2019.08.25】
★ひょっとした事(検索に引っかかった)から荒井(松任谷)由実さんの「卒業写真」という曲を聴いた。1975年に発売された曲である。味わってみると素晴らしい歌詞である、当時は聞き流していたが、今になって聞いてみると当時とは全く違った感動が込み上げてくる。誰もが似たような経験をして長い人生を乗り越え過ごしてきたのだと改めて感じ入った次第である。 特に多感な時期(青春)は希望もあるが別れも有り涙もいっぱい流した時代であった。特に僕たちの世代は団塊の世代といって日本でもっとも人口の多い世代だ。競争も激しかった、早く食べないと残り物にもありつけないような時代だった。まだまだ食料も豊富ではなく大方の人が貧乏だった。 しかし大きな夢を抱ける時代でもあった、ヤル気さえあれば社長になるのも夢ではなかったのだ。この夢のために努力したし勉強もした、要するにやればヤッタだけ認められる時代でもあった。 だが一つの時代が過ぎ、またもう一つの時代が過去になったいま思うのは青春時代のことだ。あの時こうしておけば良かった、こうすべきだった、もっと積極的に行動すべきだった、優しい言葉をかけておけば良かった..。まさに青春は後悔の連続として今になって思い起こすのである。 僕の「卒業写真」をいま開いてみると、皆が今も15歳の時とあまり変わっていないように見えるのはなぜだろうか。変わっているのは既に同級生が11人も他界していることだ。歌詞の中に「町で見かけたとき何も言えなかった、卒業写真の面影がそのままだったから」という部分がある。これは僕も何度も経験したことだ、仲良しだったのに面と向かって何も言えない状況というのが現実にあると言う事だ。 ユーミンの歌詞はものすごく悲しくて涙を誘うものがある、例えば「飛行機雲」のような作品である。彼女の詩を読む度に完成度の高さに脱帽してしまう。僕も昨年ぐらいから詩を書いている、題名は「古希に謳う」というものだが、どうしても単調になってしまう。それと50年前に出した詩集「ある日ある人(2集、3集)」に比較しても迫力というか現実味が無いのだ。しかし今となっては初恋の人と逃避行するわけにも行かないから、青春の時間を乗り越えることは無理だろう。でも今になって書きたいという衝動に駆られるのは何故だろうか..。そう、青春は死ぬまで生き続けてているからだ。

【2019.08.24】
★昨日処暑が過ぎたと思ったら、気温も2〜3度下がって気持ちの良い一日になった。こんな日は遠方まで車で走ってみたいと思っていたが、今日は妻と施設の義母を見に行く日だった。 義母はセブンイレブンで買ったマロンケーキをペロリと食べ終り、ニコニコ笑っていたのでドーナッツをやると旨いといいながら一個食べてしまった。沢山食べると昼食が食べられなくなるので程々にしている。来月は満98歳になるのだが、百歳の壁が越えられるかどうかである。目も耳も記憶力もほとんど衰えていない。普通に暮らしている人も生きる時間に格差が有るのは間違いない。 行く度に必ず僕に聞くのが「いつになったら死ぬのだろうか」ということだ。しかしここまで生きたら何も言う事は無いだろうと思うが、百歳超えて生きていて幸せなのかどうか僕にはわからない。 午後はスポーツカーに乗って1時間ほど走ったが、途中で白髪に白いひげの75歳ぐらいの品のいい方がモーガン(オープン)に乗ってすれ違った。僕は帽子を被っていたが彼はそのまま髪をなびかせていた、これぞモーガン乗りだとバックミラーに写ったモーガンに表敬のあいさつをした。 先日亡くなった僕の同級生は白血病だったが、発覚してから多少は時間があったと思う。僕ならば貯金を全部はたいてスポーツカーを買って「葉山ツイスト、キッスは目にして」などの昭和の名曲を聞きながら一日でも良いから走り回っただろう。 たぶん人生についての考え方が違うのだろう、日本人は遊ぶことを知らないのが不憫でならない。近い将来の遊ぶことを目標に置くと人生は楽しい、いま僕の考えていることは11月に南の島(宮古島)に行って海岸線をレンタカーで走り回ることだ。きっと3ヶ月ぐらいは寿命が延びると思う。フェリーで自分の車を持ち込んで走りたいが予算的に無理なのでレンタカーにしなければならないのが残念だ。以前、北海道に行ったときはフェリーで車を運んだが、大洗から苫小牧まで船中泊してずいぶん時間と費用がかかった。 僕の姪は一昨年この難題をクリヤーして九州までドライブしていって、そこから沖縄までフェリーで車を送り自分は飛行機で先回りして受け取ってから数ヶ月遊んでいた。帰りは大阪までフェリーで送ってそこからドライブして帰ってきた。僕の姪だけあって考えていることが素晴らしい。彼女はいきなりステーキで数十キロ食べてゴールドカードを持ってるのも羨ましい限りである。だが難題はダイエットしなければならないことだが、僕には何ともしがたい現実である。

【2019.08.23】
★日本も近代化?したものだ、歌手の男性をストーカーしたとして20代の女が逮捕されたという。世の男性の中には一度で良いからストーカーして貰いたいという願望さえ持っているというのに逮捕されるとは..。しかし男と女の痴情のもつれについては女の方が執念深く犯罪に至るケースも多いから要注意である。最近は女性の方が明らかに強い、生活力もあるし腕力もある。中には類人猿と言われるような女性まで出現しているではないか。 我が家でも似たようなものだ、僕は通帳や印鑑がどこにあるかも知らないし、家にどのぐらい貯金があるのかも定かではない。まあ気楽に生きるにはこれでいいのだ、毎日金の計算をしていたのでは気が重くなるだけで楽しく遊べない。これも長生きの秘訣に違いない。 ★今後の社会はインターネット無くしては語れない、電話とかメールなどはともかく、来たるべき5G(ファイブ.ジェネレーション)の時代はすでに到来している。この技術を知らずして令和を生き抜くことは難しいだろう。今迄インターネットは人と人、人とパソコンを連結していたに過ぎないが、今後はありとあらゆる物がネットで常時連結される時代になる。これは間違いないし既にこの時代は始まっているのだ。スマートフォンと家にある冷蔵庫やエアコン、監視カメラなど24時間接続される。もちろん会社のコンピューターとも常時接続されるし、かかりつけの病院のコンピューターとも常時連結される。今日一日歩いた歩数、血圧や心拍数、血糖値の変化なども病院のコンピューターに蓄積されるのだ。これは監視社会ではない、明らかに人間がコンピューターとネットワークそれに人工知能と同じレベルで生活するのである。いま考えるととんでもない事だと思うが、常時接続されていないと不安で生きていられない人間に変わっていくのだ。 今でもLINEなどやっていると、友人や家族と繋がっていることに安心を覚えるのだ。僕も最近はスマートフォンで話す時はLINEの無料通話だ。 ここで考えなければならないのは、タダで電話できるというその裏である。すでにIT大企業は世界の人々の囲い込みに入っていて、一社で数億人のデータをタダで保管している。アマゾンだって通販会社ではない、世界中の人々の趣味や趣向をすでに獲得している企業なのだ。このデータは人工知能によって分析され5Gの時代には確実に収益を生むのである。 こうした未来にいち早く目を付けることの出来る人材は日本にも存在しているが、彼らはあまりにも先取りしているためにガリレオの如く扱かわれ芽を摘まれている。 フロッピーディスクの発明をIBMに売らなければならなかった「ドクター中松」氏を例に挙げるまでもない。僕も特許や実用新案を10件以上保有していたが日本のメーカーに採用される事はなかった。日本流にいえば出る釘は打たれるということだ、そのぐらいなら大学教育など無駄でしかないだろう。

【2019.08.22】
★我が家で今年豊作になりそうなのは「あけび」だ。庭に造った棚には100本以上が育っている、とても食べ切れるような量ではない。しかしこうした野山の食物を食べることは健康に良いのではないか。太古の昔から食べてきたものは癌さえ駆逐するはずである。 ★消費税が2%上がると行って庶民は騒いでいるが、先の選挙で自民党に投票して10%に上げることを承認したのだから仕方がない。結局は自衛隊の次期戦闘機の開発費に多くが充てられて庶民の為には1円も使われないのだ。だから日本人は馬鹿者揃いだというのである。  軽減税率という制度も気に入らない、なぜなら同じ物を店で買って店内で食べれば軽減税率が適用されるが、目の前の公園のベンチで食べると2%の課税が発生するのだ。こんないい加減なシステムは遅からず改正されるだろうが、消費者と労働者を馬鹿にしているとしか思えない。日本の役人の馬鹿さ加減もここに頂点を極めることになった。 しかし首相もこんないい加減な制度をOKするというなら世間知らずの馬鹿者としか形容できないのも悲しいことだ。まあ株価さえ上がってカネ儲けが出来れば良いというのを政治の根幹に於いているのだから仕方が無い..僕の知った事では無いか馬鹿な国民が不憫で鳴らない。 ★技術屋から見て新幹線が走行中にドアが開くなどと言う事故を掃除人の責任にして片付けようというのは如何なものか。圧搾空気の弁を開こうが閉めようが、自動だろうが手動操作に変更しようが時速260kmで走行している最中にドアが開くのは明らかにシステムに何らかの設計ミスがあるからだ。たぶんJRでは内容を把握して他の車両についても人知れず改修するだろうと思うが、人命に関わることだから公表すべきだろう。隠蔽するのもいいが後日同様の事故が起きたときにバレたらどうするのか。頭を下げたぐらいでは済まないだろう。北朝鮮や中国なら死刑になるのは間違いない。日本の企業責任の甘さには呆れるばかりだが、これがとりもなおさず庶民の命が軽んじられていることになるのだ。 ★世界の人々のスポーツへの感心は異常とも思える程高い。何故だろうか、こういうときに歴史を勉強した者が表に何故出てこないのだ。明らかに豊かだったローマ帝国の時代に酷似していないか。彼らは暇を持て余し、或いは憂さ晴らしにスポーツに熱中した。彼らは巨大なコロッセオ(格闘技場)を建設した。収容人員は6〜8万人で現在の巨大スタジアムにを上回る。当初はボクシングのような格闘技をしていたが、観客はすぐに飽きて人間対動物とか死刑囚対死刑囚という流血と死を賭けて戦う競技に変わっていった。観客は剣が体に刺さる度に我を忘れて絶叫していたのだ。明らかに今のサッカーとかオリンピックの競技に酷似していないか。ボクシングでは死者も大勢でている。 そうだ、人間がこうした興奮を求めるようになると社会が崩壊する前兆であることを歴史から知るべきなのだ。その為に歴史の勉強をしたのでは無かったのか。その知識も忘れてギャーギャー騒いでいる様はローマ時代の馬鹿者達と何ら変わらない。

【2019.08.21】
★最近になって感じることは、時間が早く進んでいってしまうことだ。だがもう一つ感じるのは老人という範疇に入ってから自由度が増して何でも出来るようになったこともある。60歳ぐらいまでは様々な遠慮があった。家族に対する扶養義務みたいなものもあった。しかし古希を越えたらそれぞれが家族も自己責任で生きているし、夫源病(ふげんびょう)などという言葉もあるように夫婦のあいだに距離が出来てくる事が多い。好きで結婚しておいて夫源病などはとんでもない話ではあるが、お互いが自由に暮らしたい、自由な時間が欲しい、自由な行動をしたい、など言い方は違っても他人に行動を制約されたく自由が欲しいということだろう。それはとりもなおさず老人になった事によって生じた自由願望なのだ。 要するにあと何年生きられるかわからないような状態になってから生じる願望である。だから離婚も良し、別居も良し、束縛から解放されるいい機会なのだ。 しかしここで秋元順子さんが歌っている「愛のままで」という歌謡曲の詩を書いた花岡優平さんに注目したい。彼は歌手でも有り、作詞家、作曲家でもある、僕より若い人なのだが、彼がどういう環境と印象の元にこの詩を書いたのかは知らないが、世の中にはこうした夫婦も多数存在する事を忘れてはならない。先日他界した樹木希林さんと内田裕也氏の関係を見てもわかる。彼らの関係は年輪を重ねてきた人でなければ判らないと思うが、樹木希林さんが他界後間もなく内田裕也氏も他界している。彼らは頻繁に会わないことによって愛を育んでいたのだと感じている。 同じように誰にも経験があると思うが「初恋の人」の存在も似たようなものだ。現実に初恋の人と結婚していたら大多数が離婚しているか、終いには夫源病になっているはずである。 失恋する理由はこうした不幸を防ぐために人間に神からが与えられたものだと考えると良いだろう。 たぶん相手に対する尊敬の念が有ればあるほど結婚後に不仲になるのは目に見えている。若い人には信じがたいだろうが事実である。 世の中にはDV(ドメスティック・バイオレンス)という暴力行為が多々起きているが、その大半は嫌いだから起きるのではないということだ。嫉妬という感情は好きだから起きることなのだ。こうした人の心の裏表を考えると夫源病というものも減ってくるのではないだろうか。 要するに前向き思考、プラス思考で多くの悩みは解消されると言うことである。 まあ下らないことはともかく老人と言われるようになったら様々な「しがらみ」を捨てて自分のやりたいことを積極的にやるべきなのは間違いない。

【2019.08.20】
★盆も明けて帰省していた家族が都会に帰っていったあと一抹の寂しさが襲う時期である。今日も淋しそうなN君と昼食を共にしたが、子供や孫が来て賑やかだった家の中が夢のようだと言っていた。とにかく山間部の人口は盆の時期だけ3〜5倍にもなるのである。盆が終わると一人暮らしの老人世帯ばかりになってしまうのが今の田舎の現状である。 人は一人で生まれてきて、一人で死んでいくものなのだという事実を改めて実感する今日この頃である。 だから今日やることは今日中に済ませることが肝要である、明日やるでは遅いのである。この連続が若さを招き、ピンピンコロリという最良の死に方へと続いていくのだ。 しかし最近になって僕が一番感じていることは、「青春には絶対に戻れない」という現実である。これだけはどうしようも無いと思われがちだが、肉体はともかくとして精神的に若返ることは可能である。方法は幾らでもある、一つは青春時代に歌った唄を繰り返し歌うこと、次に青春時代の仲間と付き合うこと、更に青春時代に出来なかった事に挑戦すること。これだけでも確実に7年は若返り出来ると思う。 もっと言えば、地域社会の因襲に迎合しないこと、あらゆる権力に反発することも老化を抑制することは間違いない。古希を越えたら人目を気にしないことも必要である、何を今さらという気持ちが大事なのだ。老人パワーで日本をひっくり返してやろうというぐらいの気迫をもちたい。例え逮捕されても長期に亘る懲役になる事も無いだろう。 こうした気持ちの持ち方のことを「前向き」というのだ。 馬鹿みたいに下らないオリンピックの切符を買うようなこともしない、高給取りのスポーツ選手を年金生活者が応援するなど以ての外であろう。早い話が金持ちに貢ぐなら南の島に1ヶ月ぐらい旅行した方が良いに決まっている。こうした一般的な常識を会得することも若返りの秘訣である。 次に身成も重要である、真っ黒な衣服では葬式の参列者みたいで陰気である。パッと明るく出来るだけ派手な衣服を着用したい。それだけで心は10歳若返るのだ。 ともかく僕も今後はコンピューターなど一時休止して「古希コーディネイター」にでもなろうとも考えている。 僕の行く所どこでも笑いが起きるような雰囲気の盛り上げにも努力している。これも脳の活性化に繋がるものだ。来年のR−1グランプリの予選会にも出てみたいと思っているがどうだろうか。

【2019.08.19】
★福岡地裁小倉支部で子供を虐待していた父親に対する求刑があった。この父親は11〜18歳の子供三人に対してスタンガンを押しつけて虐待していたという。46歳という年令からすると子供に対する不満とかしつけという理由は間違いで、会社や社会に対する不満とかストレスが原因では無いかと感じる。社会的なストレスの持っていくところやぶっつけるところが無くて子供に当たるのだ。要するに成熟した社会の負の断面を見ているのである。成熟というのは裏から見れば不満の蓄積に対して自ら解決策を見付けることを要求される社会で有る。 父親は公判で勉強をしないときに罰としてやったと言っている。ここにも現代社会の負の部分が隠れている、家で勉強しないというのが罰になるのかということだ。学校で十分やれば事足りるように日本の教育制度は出来ているが、なおかつ勉学を進めるというのは親のエゴと憂さ晴らしではないのか。 僕はそれこそ勉強という作業をしたことがない。基本的な知識は中学校で教えて貰った事だけである。夏休みでも学校から教科書を家に持って帰ったことなどなかった、だから宿題というものをしたこともない。もちろん高校には行っていないし塾にも行っていない。 だが僕は15歳までの知識を基礎としてそれに枝葉を付けただけで今迄通用してきた。 僕が1980年代からコンピューターを教えていたのは病院の医者とか開業医の院長、それに学校の先生などだった。中には英文のワープロを教えてくれという医者もあり、使われている英語を数日でマスターして教えたこともあった。また某社の研究員にはコンピューター内部のROM(メモリー)を専用プログラムに焼き直して搭載して販売したこともあった。彼はπ(パイ)の計算に於いて現在世界一となっていて「ギネスブック」にも登録されている。 要するに中学校までの学力さえ適当に持っていれば、あとは多少のやる気があれば十分生きていけると言うことである。それ処か無駄な知識を詰め込んでいないから必要な知識を覚えるのも早いというメリットもある。それと自分の好きなところだけを趣味として伸ばすことも出来るのだ。日本の教育は世界的にみてレベルが高いとされている、しかしそれは単なる記憶力だけの事であり、想像力などはレベルが低い。それは画一化された人間の扱い方にもみられる。先生が殴ったとか蹴ったとか言う低次元でしか教育が語られていないのだ。 人はもっと自由に生きるべきだ、その為には生きる為の知識は身に付けねばならない。その方向性を示したり補助するのが両親であろう。 昨日同級生の葬儀があって参列したが、一緒に参列していた同級生のS君は「今朝泣いてきた」と言うので、まさか亡くなった友人のための涙かと思ったが、聞いてみると盆で家に帰っていた娘の2歳ぐらいの子供(孫)と別れるのが淋しくて泣いていたというのだ。彼は僕と同じように勉強が嫌いで悪いことしかしなかった男だが、年令(時間)というのは様々な面で人を確実に大人にしていく。僕はその現実を目の前で確実に実感した。

【2019.08.18】
★同級生の死というのは大いにショックである。まだ平均年令まで10年近くあるというのに逝ってしまうのは命の定なのだろうか?。今日は同級生の葬儀が行われ参列してきた。同じ同級生も7名が参列したが、お互いに気分的に弱気になったと見えてT君は葬儀を待っている間に気分が悪くなり友人が家まで送っていった。 亡くなったS君は大きな農家に養子として入って連日大いに働きまくったという。地元の友人代表の送辞でも彼の働き過ぎを指摘していたほどだ。家族の過労は家族が監視していなければ家族の意味が無い、夫婦はお互いの健康状態をいつも気を付けるのが第一の仕事だろう。日本の家庭はこうした健康管理が全く行われていない、ヨーロッパでは会社勤めのご主人が転勤する時は家族(妻)の同意が必要とされる。日本は後進国だからこうした労働者は家族の管理もとにあるという事実を蔑ろにしているのだ。 また日本の農業は労働時間は無制限、決まった休日もない、それ処か定年も無いから死ぬまで働く事になる。これでは仕事をするためにだけ産まれて来たことになる。情けないが過去の誤った常識が未だに国民に通用しているのだ。 働くために休むのではない、休むため遊ぶために働くのだ。 企業では教育で「公私の区別を付けよ」と教えているが、教える方も教えられる方も誤解している。公私の区別とは、会社の仕事を家庭に持ち込んではいけないということなのである。 こうした解釈の仕方が世界と同じにならない限り日本は確実に後進国である。多分永遠に先進国にならない国である。 働く事が美徳だと教えられるのは資本家の策謀であることは疑いの余地も無いことだ。適当に働けばあとは好きなことをして人生を楽しむことが出来る社会、これを実現させるのが政治なのだ。要するに格差是正をもっと追究すればいとも容易くこのような国が出来上がるのだ。 根本的に日本人的思考を変えることが豊かさと明るい未来に繋がると言うことである。わかるかなーー、わかんねーだろうな、洗脳されてしまった君たちの思考回路は二度とは戻らないかもしれない。しかし遊ぶこと、呆然としている時間を持つことの尊さを知れば心も豊かになる筈だ。馬車馬みたいに仕事に没頭している人に世界の常識は通用しないのだ。

【2019.08.17】
★今日も汗にまみれながらウオーキングを予定通りこなした。我ながらこの根性というか馬鹿さ加減には呆れているが、習慣は第二の天性となるという諺からも良いことだからやめないのだ。9時過ぎには30度を超えたが直射日光の下は40度ぐらいに感じる。顔も腕も真っ黒に日焼けした、家族は焦げているという表現を使っているが実に良く言い当てている。皮膚が黒くなることによって赤外線から皮膚を守るから、どうせなら焼き放題焼いた方が健康や皮膚癌のためには有効なのだ。 10時近くに帰ってきて着替えてすぐにスポーツカーを引き出してオープンでドライブした。これはウオーキングよりきつい、道路の照り返しで皮膚が焼けそうだが、そこは涼しい顔をしてすっ飛ばすのである。1時間近く乗ると確実に3歳は若返る。これは間違いない、このままだと今年中に20歳になるかもしれない。今日は80年代の「クレイジーケンバンドの葉山ツイスト」を10回ぐらい聞いて走った。ノリがいいし、このまま電柱に激突して即死してもなんの後悔もないほどに気分が高揚するのである。考えてもみよう、病院で点滴や抗がん剤を打ちながら死ぬよりも千倍は幸福な死に方である。要するにこれからの高齢者はこうした死に方も選択肢として考えるべきではないか。スポーツカーが無いというならば、スポーツカー専門のレンタカー店に行けば何でも有るから自由に選択すれば良い。言い換えれば車を棺桶代わりにするのである。 走る棺桶といえばロータスのスーパーセブンだろう、この車はただ走るためだけに作られているからラジオも冷房も無い。棺桶型の車体が君たちを優しく天国へと誘(いざなう)うだろう。電車に飛び込んだりするより生きた痕跡を残すにはいい。 ★最近になって室内で聞いているJBLのスピーカーの音が変になって来たので分解してみるとやはりエッジがボロボロになっていた。アメリカ製のスピーカーは10年が限度であるエッジの材質が日本とは違うのだ。スピーカーを交換すると結構高いのでウレタン製のエッジだけ買った、接着剤込みで1,500円である。後は腕次第だ、エッジの張替は結構難しい。今日の午後の昼寝の時間を返上して張り替え作業をして音出しも成功した。早速1980年代の音楽をバンバンかけて楽しんだ。やはり昭和に戻る(Come back to Showa)を進めるべきだと感じる、僕にとって1960年代後半からの昭和は一番良い時代であった。友人も多かったし病気の心配も無かった、恋をして、別れて落ち込んで泣いて笑って..すでに古希になってしまったが、ここからが人生の始まりなのである。

【2019.08.16】
★伊那谷は台風10号の被害もほとんどなかった。今日は天国から家に来ていた仏様を南アルプス山麓の山小屋に持っていき無事おくる事が出来た。これで盆もお終いである、また来年の盆に先祖が戻ってくるまで元気に暮らさねばならない。こうした行事一つ一つが健康目標になり得ることも忘れてはならない。山小屋は午前中小雨が降っていて気温が20度を割っており寒くて長袖で無ければ過ごせないほどだった。何か迫ってくる秋の気配さえ感じる始末である。 僕の山小屋は3本の川の合流点にある、そのうちの日影沢という川の横に突き出た大きな岩があり、そこで仏様をおくる。天ぷらとか果物などの食品はカラスなどの餌になるからいい。ゴザなどは半年も経たないうちに腐って土に戻るから、すぐに岩の上は綺麗になってしまう。自然界はなんの無駄も無く出来ているということだ。 仏様は朝早くおくるのが習わしである、そうしないと天国行きに遅れをとってしまうのだ。来るときはナスの牛に乗ってゆっくり来て帰りはキウリの馬に乗ってすぐに帰るということである。 宗教というのは恐ろしいものだ、子供の頃から同じ事を毎年やっていると完全に脳に刷り込まれてしまう。イスラム教がどうのこうのと言っているがどこの国でも同じ事だ。確か九州大学だったと思うが、イスラムの礼拝室がありちゃんと祈る方向も正しくその方向を向いているという。また学食は信者が食べられるものを使って作った料理が選択できるようになっているようだ。 しかし宗教というのは悪徳政治家に利用されて戦争の口実にされることが多い。キリスト教を始めどのような宗教でも人殺しなど許すはずもないが、毎週日曜日に礼拝に出かけるアメリカ人は何を祈ってから戦争を始めようというのだろうか。独裁者というのは何でも戦争の口実にしたがるものだ、こうした連中は美辞麗句を使ってあたかも戦いが幸福をもたらすように庶民を洗脳するのだ。その教科書を提供し洗脳を煽るのがマスコミの仕事である。 テレビに出る事を誇りにしたりカネ儲けを企む企業とか地域も存在するが、これもマスコミによる洗脳に加担していることになる。特に最近の若者の下らない自己顕示と暴走が多いのもマスコミによる煽りが大きな原因であることは間違いない。もっとレベルの高い記者や編集者を抜擢しなければ彼らも再び戦争犯罪人と言われるのは間違いない。

【2019.08.15】
★今日もウオーキングしながら周りを見回すと畑や果樹園の影に多くの人が作業をしている。暑い日も雨の日も誰かが作業をしているが、ほとんどの人が僕よりもずいぶん年上の人である。年令を聞いてみると80歳過ぎた人が多い。僕はただ健康のため(糖尿病克服のため)に歩いているに過ぎず何の生産性も無い。いつも肩身の狭い思いをしながら歩いているのである。 中島みゆきさんの代表曲「地上の星」を聞いているとその詩の風景が目の前に広がって居るのである。 しかし僕はいまの人生について誰に恥じることは無いと思っている。1981年から僕は二足のわらじを履いて働いていた。一日最低でも16時間は働いていた、もちろん休んだのは元旦ぐらいのものだ。また商売を成功させるために勉強した時間も加味したら人生の時間を誰よりも多く消費してしまった。だからいま僕は今さらながら青春を求めて逆方向に走っているのである。今迄やりたくても出来なかった事を一つでも実現させる努力をしているのである。 傍目には奇異に見えるかも知れないが僕は真面目である、だから先日も書いたように、昭和に戻る(Come back to Showa)ことを実践しているのである。 その行動を助けてくれているのは中学時代の同級生である。とにかく同窓会でなくとも数人が集まって食事をしただけで若返るのだ。たぶんこういう60年来の友こそ今になって大切な存在なのだろう。 幸いにして僕たちの中学生時代に3年間担任を受け持ってくれた先生が健在なので、何事に付け大いに力になっているのは間違いない。 今日も若い頃の音楽を聴きながらこのブログを打っているのだが、実にはかどるし忘れていた単語がどんどん湧き上がってくるのも見逃せない。 元NHKのアナウンサー下重暁子さんの著書の中に「年齢は捨てなさい」(年令を封印するだけで出来ることが10倍増える)という著書が幻冬舎から出ている。 私はもう80歳だと自ら発言することでその人は真の80歳になるのである。だから私は○○歳だとは決して言わないことだ。これこそ若返りの秘訣であり、健康維持に不可欠な事だろう。もう一つ若さとは「如何なる権力にも反発する精神を持っている事」と僕は思っている。これも若さ維持には不可欠だ。権力に迎合したら人生はお終いである。

【2019.08.14】
★長野県の南部地方(伊那谷)は県内でも道路の整備が遅れている地域である。特に伊那谷の南部は道路幅が狭く雨に対して弱い。唯一遠山谷と飯田市をつなぐ通称赤石林道は数年前に山の法面が崩壊し、土砂をかたづけたままの状態で片側通行が未だに続いている始末だ。要するに本気で復旧しようという気が無いのである。田舎だの地方創成だのと政府は甘言を吐いているが現実はほったらかしである。 田舎に住むと道路だけで無く損な事ばかりである、食料品店は無く医者も歯医者もない。一昔前までは救急車さえ無かったから大けがなどすれば死ぬしか無かった。それでも何故田舎に..と人は言うが、住んでいる人達が田舎が好きだからではない、ほかに行くところがないからだ。 環境だけでなく経済的にもマイナスだ、会社や商店のある飯田市まで1時間かけて山岳道路を通勤しなければ収入も得られないのだ。学校の先生でさえ不便な山村を嫌って飯田市内から通勤していた。 首相は内閣府特命担当大臣(地方創生担当)を指名していいるが、地方交付金の奪い合いの中に割って入っているだけだろう。地方創生という言葉は何か心地よく聞こえるが、田舎人にとっては迷惑なことばかりだろうと思うが如何だろうか。  ★台風が近づいているが手ぐすね引いて待っているのは国土交通省傘下の土木業者だ。災害が大きければ大きいだけ仕事が増えるし仕事の単価も上がる。いわば焼け太り企業であるが、こうした企業が成長した影には国会議員や地方自治体の存在が噛んでいる。官製談合を常態化した超本人達だが、彼ら一介の役人がなぜそんな悪事に加担しているのか、官製談合を追究するに当たってはこうした枝葉を刈り取って追究しなければ改善されない。そうでないと無駄に税金を取られている庶民はたまったものではない。なれ合い、癒着、天下り、贈賄など全てが相互に絡んで税金をドブに捨てているのだ。 行政改革の第一歩は役人個人の常識を一般人の平均まで高めることから始めなければならない。何故なら採用している人材が馬鹿者を中心にしているからだ。要するに役人に学歴や成績はさほど関係無いということだ。それよりも一般常識をどれだけ持ちあわせているかが問題なのだ。 先日も学校の行事で火傷を負った生徒の親に担任が言った言葉が全てを物語っている。「火傷はふだんからのバチがあたったんです」。こうした言葉が躊躇無く出て馬鹿者を採用した者達も処分の対象にすべきだろう、もしかしたらこんな馬鹿者が先生になったとしたら裏口採用かも知れないことも疑いたい。

【2019.08.13】
★昨夜僕のところに友人でもあり同級生の訃報がもたらされた。彼は5月から入院治療していたが完治すること無く他界してしまったのである。病名は白血病だという、世の中には助かった人も多い病気だがなぜ助からなかったのだろうか?。たぶん今になって考えれば彼の体は疲労しすぎていたのではないかと思う。彼は自動車の整備士をしていたが、縁あって農家に養子に入った。最近出会った時に話をしたが何しろ疲れると言っていたし顔色も良くなかった。白血病の原因は多々あるだろうが、その一つは肉体疲労だといわれる。これは肉体を酷使しすぎた事による中止命令だと考えれば良い。水泳(競泳)の池江璃花子選手が白血病になったのも医師によると筋肉疲労が原因だと断定している。白血病に限らず大概の病気はそうした酷使が原因である。 日本人のいちばん馬鹿なのは働き過ぎという一種の仕事中毒である。確かに収入は多少増えるかも知れないが、自身の体を痛めてしまうのだ。もっとも悪いのは仕事が好きという病魔に取り憑かれることだろう。僕が昔からここで書いていることだが、だいたい小中学校の校門近くに二宮金次郎像なと建てて崇拝するような教育自体が間違いなのだ。こうした教育関連の問題点は国家が国民から搾取するための策略とみて良いだろう。 遊ぶことを忘れたら人間ではない。この考えがわからない凡人は「俺は遊ぶために産まれて来たのだ」と考えれば正解だろう。 ★今日は南アルプス山麓の山小屋に行き先祖の霊を迎えに行ってきた。そして夕暮れに迎え火を焚いて家の中に入れるのだ。 久し振りに畑の横のヤブに入って行くと「くまんぼイチゴ」が群生していた。知らぬ間に増えてしまったのだ、このイチゴは食べる事が出来て昔はいいオヤツだった。きょうも採って食べたが甘さと渋さがあいまった懐かしい味がしていっぱい食べてしまった。 先祖の霊を迎えるというのは非科学的に感じるのだが、ひょっとしたら8次元の空間に丸められて存在していた霊というか先祖が目に見えない次元で家に戻ってきている可能性もある。まさかというが、いまほとんどの人が使っているスマートフォンなど50年前は「まさか」だった。まさかこそ未来の科学の中心となるものだ。

【2019.08.12】
★最近僕が考えているのが昭和に戻る(Come back to Showa)ということだ。いまになって考えてみると昭和という夢多き時代が一番良かったと思う。それは青春時代を過ごしたせいだと思うがそれだけでは語れないものが有った。戦後これから経済を復興し人並みの生活をしようと全ての国民が目標を持って働いた時期だからでもある。 要するに国民の心がある程度同じ方向を向いていた時期でもある。 そして1980年代になると経済も復興し一応世界レベルで普通の暮らしが出るようになった。その頃流行ったのが50年(フィフティーズ)という1950年頃のアメリカの音楽とファッションだった。まさに当時から見て財布の中身も考え方も30年前(1950年)のアメリカ並みになって来たという証拠でもあろう。 僕はこの時代を生きてきた、そして十分に働いた。だから彼らのように楽しんだことはほとんど無かった、いつの日かインパラに乗って踊り明かしたいというような夢を持ち続けて頑張っていたのである。 実はその夢が実現するのは還暦を過ぎた頃からだからつまらない話では無いか。だが99%の若者は僕と同様だったと思う。 真っ赤なスポーツカーも所有し一応お膳立てはそろった、車内で聴く音楽はやはり1980年代の曲が多い。この頃は「ツイスト」というダンスが流行っていて、躍るためのテンポのいい曲ばかりである。例えば「ザ・ヴィーナス キッスは目にして!」というようなダンスナンバーだ。 今日もこの曲を聞きながら気温35度をモノともせずにコンバーチブルのスポーツカーで突っ走った。熱中症になる危険性は80%位有ったと思うが、いつも妻には僕が例え車で死んでも悲しまないでくれと言い残している。なぜなら70歳を過ぎてスポーツカーでダンス音楽を聴きながら死ぬなんて..誰もが夢見るような何の悔いも残らない死に方だからである。 「キッスは目にして!」というようなダンスナンバーを聞いていると何故か腰痛の腰も自然に治ってツイストできるようになる。まさに昭和時代を生きているような錯覚に陥るのである。これこそ気の病の直し方であろう。 ツイストはともかくとして家の中で聞くことによっても気分が高揚し血流が激しくなり体全体が若返るのが自覚できるのだ、医者にも出来ない凄い治療法ではないか。 老人が車を運転するときはこのノリが不可欠なのだと思う。ノリの正体は何なのかと言えばアメリカンなファッションだろうか。女の子のポニーテールとギャザー・スカートである。今でもたまにこのスタイルの娘を見ると精神的に青春時代にすっ跳んでしまうのだ。 老人を山奥にある施設に入れると長生き出来ないという、その昔歌舞伎町の近くにあった施設に入るとヨタヨタの老人も立ち上がり飲み屋街に出掛けるまでに回復したという。 そう、人は死ぬまで青春を忘れてはならないということだ。(ちなみに1950年頃の日本人の平均寿命は50歳だった)、また話し合いも出来ない猿にも劣る馬鹿者が引き起こした戦争によって数百万の日本人の犠牲の上に今がある事も忘れてはならない。

【2019.08.11】
★夕立があってほんの少し雨が降った。これだけで一気に気温が34度から27度に下がった。たった5分の雨はとんでもないエネルギーの節約になる、今夜は少しは安眠できるだろう。 毎年この時期になると仏壇とは別に「盆棚(精霊棚)」を飾る。これも上村地区の仕来りに従っている。和尚さんもここに塔婆(とうば)を持って来て飾る。お墓の裏に立てる卒塔婆(そとうば)よりも小さなものだ。 そして11日は上村の「多宝院」というお寺から和尚さんに来ていただいてお経をあげてもらうのが我が家のお盆の始まりである。一応家族全員が集まって和尚さんと一緒に昼食をするのも毎年のことだ。ここで約3時間ぐらい話をして帰るのだが、今年は嫁さんが一人増えているので話も盛り上がった。和尚さんは盆前には檀家のほとんどを回るので、現在の上村の様子や同級生の様子なども聞くのも楽しみである。 ★各地で鹿や猿それに猪などの動物が森から下りて来て被害が広がっていると言う。この問題を考えるとき環境破壊が要因だと考えがちだが、もう一つの大きな問題は、昔は森に多く住んでいた「オオカミ」が居なくなったことも原因として考えねばならない。オオカミは森の動物の頭数を管理していた。増えすぎた動物を食べて数あわせをしていたため森に餌が無くなるという事もなかったのだ。しかし毎日森を管理する者(オオカミ)が居なくなった今、動物たちは森から下りて田畑を荒らしたり噛みついたりするようになった。要するにオオカミを殺した人間に原因が有ると言うことである。なぜ人間がオオカミを殺したかというと、人を襲ったからだ。しかしこの襲う原因に着目してみても、オオカミは人間を襲ったのではなくヒツジを襲ったのだ。何故かというと焼き肉を食べた人間からは強い動物の匂いがして、嗅覚の発達したオオカミは人と動物を間違えただけだったのである。 人は熟慮もせずにジビエだと称して多くの鹿を毎日殺しているが、これも後世に遺恨を残す事になろう。この中心になっているのが、予算を獲得して動物を殺し利権を得ている環境庁であろう。動物から農作物の被害を減らすという名目の交付金は県から市町村に分配され、最後は動物を殺した猟師に手間代として支払われる。この間に農林行政と同じような利権が絡んでいるのは間違いないだろう。交付金(税金)がバラ撒かれる裏には必ず横取りが起きるのが日本の常である。畑の作物を守る前に庶民の懐を守るべきであろう。

【2019.08.10】
★お盆も近くなってきたが台風が近づいてきている。僕の同級生の女性の旦那さんが心筋梗塞と脳梗塞を併発した、多少具合が良くなったてきた旦那さんの希望で、奥さん(僕の同級生)の故郷に行ったことがないので一度行きたいということになり、お盆の14〜16日に南アルプス山麓の村に帰ってくることになっていた。僕も16日に合流することになっていたが、こんな時に限って台風が邪魔するのである。世の中は巧くいかないものだが、考え方を少し変えれば彼らにとって良いことになるかも知れないではないか。希望とはいえ病人を長距離旅行させるのは危険である、場合によっては死んでしまうかも知れない。台風は、それを見越して止めなさいと言っていると考えればいいのだ。 人生は全てプラス思考で考えればいい、例え美人の彼女に失恋したとしてもだ。彼女と結婚したばかりに数年後に子供だけ残して死に別れなんて事もあり得る。昔から「美人薄命」というではないか。その実例と言えば失礼だが、歌舞伎の市川海老蔵さんを見ればわかるだろう。誰もが羨む美人で素晴らしい才能の持ち主だった奥さんだったが若くして他界してしまった。 蔵要するに体の造りが頑丈で顔が黒くて力持ちで腕や脚が太い人と結婚すれば男は幸せになれると言う事でもある。 ★僕はいま母親が亡くなった年令になった、考えてみれば若すぎる死だったが、運命の神はここらが人生の区切りだよと囁いたのかも知れない。お盆になると我が家に帰ってくるのだが、もう20年以上になるが年を取らず昔のままだ。僕は時々母に向かって聞くのだが、母は満足して天国に行ったのだという。 その兆候は亡くなる1年ぐらい前からあった。父と母と3人で仏壇を買ってきて業者が家の仏間に運び込んだとき母が呟いたのだ。「こんな立派な仏壇に入れるんだな−それなら幸せだ」と、何かすぐにでも入るような口ぶりだったのを昨日のように覚えている。確かに百万円位で買った仏壇だから金ピカで綺麗だったが誰もすぐには入ろうなどとは思わない筈だ。 人の未来はすでに確定している、というのが最近の物理学の常識である。要するに時間軸は過去と未来に既に伸びていると言う事だ。確定した未来の特定の時間に向かって我々は飯を喰って生きて居るに過ぎない。 西の空を見上げると風越山に入道雲が昇ってきたが雨も雷も降る様子はない。ただ我々が蟻のようにセコセコと食物を家の冷蔵庫に運んだり、理由もなく地球を汚すのを見ているだけだ。 雷は空から地上に向かって落ちるというのも今迄は常識だったが、実は雷は宇宙に向かっても落ちているのだ。たぶん眞空のなかに落ちるのでは無いだろうから、未確認物質(ダークマター)に向かって落ちているのだろう。 世の中の常識などと言うものは全て誰かの作文に過ぎないと思った方が暮らしやすい。

【2019.08.09】
今日も酷暑だ、台風でも通過してくれれば助かるのだが、こんな時はわざと避けて通過するのだろう、世の中とはそんなものだ。 今日は恩師中繁彦先生を交えて同級生と昼食会を催した。しかし今日は驚くことばかりが起きた。会食したレストランのオーナーシェフは僕たちの同級生の従兄弟(いとこ)だった。更に彼は中繁彦先生の教え子だった。それ処か中繁彦先生の長男と高校の同級生だったのだ。余りの偶然に大いに盛り上がって4時間も過ごしてしまった。 中学時代の同級生というのは何物にも代えがたい存在である、何でも気軽に話が出来るところがいい。それに性格が昔とほとんど変わらないから相手の心も良くわかる。要するに子供の頃の友達感覚で何でも話せるのである。こういう特殊な友達はそうは居ないし出来ないだろう。今日も楽しい時間を過ごし充実した人生の一ページとなったのは間違いない。 ★僕は毎朝ウオーキングしながら聴く曲は季節や気分によって変わるが、最近は森昌子さんの曲がほとんどだ、それも阿久悠さんの作詞の曲が中心である。例を挙げれば「愛傷歌」「中学三年生」「あなたを待って三年三月」「あの人の船行っちゃった」「面影の君」「北風の朝」「同級生」..。とにかく若返るための原動力となっているのは間違いない。それは連絡も付かない初恋の人を思い出したり、昔の友を思い出して電話して見たりできるからだ..。僕は真っ赤なオープンのスポーツカーに乗っているが、今乗っている車は4台目である。 このスポーツカーの横には誰も乗せたことがない。もちろん家族も親友も乗せたことは一度もないのだ。先日も友人と喫茶店で話をしたときに、なぜ乗せないのかと問い詰められたが「それはいつも横には初恋の人が乗っているからだ」と答えた。これは本当のことだ、このために一台の車を維持しているのである。どこかに消えてしまった初恋の人がいつの日か隣に座ってくれる日を夢みていると言うことである。そのとき彼は僕のことを「初恋依存症」だと断言したのだ。だけど彼は僕に愚かだとか馬鹿だとかは決して言いませんでした。キザに見えるでしょうが、これが男の本質ではないかと思うのだがいかがでしょうか。 しかし、今日も女性陣に言われましたが、古希を過ぎて初恋の人(古希過ぎ)とスポーツカーでドライブしていてどこかに飛び込んだら、絶対に全国ニュースになるだろうと..。まあそれはそれで楽しい人生じゃないですか。

【2019.08.08】
★暑くて外で何も出来ないので室内でテレビを見ていると、申し合わせたように同じニュースを流している。ここで僕の目を引いたのは小泉進次郎氏と滝川クリステルさんの出会い方である。小泉氏は以前から犬(レトリバー)を飼っていて、滝川さんは震災で飼い主を失った犬(レトリバー)を育てていた。この犬というキーワードが彼らを結びつけたのである。お互いに40歳前後になっても相手が見付からず結婚していなかったが、たった一つのチャンスがあって結ばれたのだろう。 僕もっこで以前書いたが、我が家でも40歳近くなった長男がやっと今年の5月1日(令和の日)に結婚することが出来た。 昨年7月に僕は野原に捨てられていた子猫を3匹拾って来た。そして今迄飼っていた猫や犬と同様に家族として飼っていた。妻と「猫は幸運を運んでくる」から何か良いことが有るかも知れないと話していたが、既に時は師走になっていた。そこで1本の電話が長男から入り、彼女を連れて31日に家に行くというのである。聞いてみると付き合い始めたのは僕が猫を拾ってきた1ヶ月後からだといいう。 妻と「これは猫が幸運を呼び寄せたのだ」と確信し疑うことは無かった。 どんな小さな命でも人間と同じ命には変わりない、助けるのは当然だが様々な理由によって一生飼い続けていくという決断が出来ないのだ。何とか多くの動物を助けようとボランティア団体などが協力しているが、毎日何百頭と言う犬や猫が殺処分されていくのが現状である。 行政もくだらない祭やイベントをするのもいいが、こうした小さな命を助けずして何がボランティアか、何が地域社会だ、何が豊かな街造りだ。 命を粗末にする者が使う言葉では無い。 僕は「一日一命」という心構えで毎日過ごしている、道路に出てきて干からびそうになったミミズを路傍の草の中に戻す、これも命を救うことだ。家の中に入ってきた虫を優しくつまんで外に出す、ネズミは毒やぺったんこは絶対に使わない、死んでしまうからだ。必ずネズミ捕でつかまえ元気なまま野に放してやる。 冬になると森の鹿は食べ物が無くなる、タクアン漬け残った塩などの入ったヌカを持っていって野に置いてやる。こうすれば多くの鹿が生き残ることが出来るのだ。野菜を食い荒らすのは人間が鹿の領分を侵しているからだと理解したい。食物連鎖の頂点に居る我々人間に無くてはならぬもの、それは弱い者への優しい心遣いである。 金が無い、幸福になれないなどと嘆く前に虫一匹でも助けてやったらどうか。それだけですぐに幸福感に浸ることが出来る。神社仏閣もいいが、虫一匹救えないような者が行くところではない。

【2019.08.07】
★救急車のサイレンが毎日鳴り響いている。飯田地区でも毎日3〜4人が熱中症で救急搬送されているようだ。昔も「暑気(あつけ)を引いた」とう表現は違ったが熱中症はあった。真夏に畑で草取りをしていたり、土木工事をしていたりしていて熱中症になっていた。だが今ほど多くはなかったと思う。一つはエアコンが無かったことだ、いつも会社や住宅のエアコンのある場所で生活していて急に買い物に出たりすると倒れるのだ。それと昨日のようにエアコンの効いた電車が停電で突然止まったりすると抵抗力の無いひとはバタバタ倒れる。 僕はそういう意味で居間とキッチンにはエアコンを入れて居ない。暑さの訓練になるし居間などはいつも誰かが居て何とかなるからだが、これらは妻の提案である。 要するに電気に頼るだけではなく自身の体も鍛えなくてはならないと言う事だ。これも生き抜くための条件である。 ★僕が外出から帰ると妻が大ニュースだと言ってテレビを点けた。小泉議員と滝川クリステルが「できちゃった婚」を発表したというものだ。僕はさほど興味が無いのでどうでも良かったが、それにしても昨日は「スマイルシンデレラ」というゴルフの選手の話題で沸騰していたが、今日になればできちゃった婚だ。これだけ毎日大量のニュースを取り込むには余程の脳の記憶域の確保が必要である。スマイルシンデレラという言葉を覚えたせいで他の大事な事を忘れたのだから困りものだ。今日は何曜日、今日は西暦何年、と言うようなことが飛んでしまうのである。これではこの先75歳の自動車免許の更新もままならないではないか。 ★今日は同級生と飯田美術博物館に「天空の里写真展 遠山郷下栗」という写真展を見に行ってきた。千葉県に住んでいる写真家が下栗に5年も通い続けて撮影したモノクロの写真展だ。海抜1、000mに暮らす人達の祭や日常を描いた写真である。僕は下栗地区の出身では無いが同じ村の出なので見ておきたかった。また友人がここで民宿を始めたりしていて写真展の手伝いをしているということもあった。写真展の内容については評価するような立場では無いので控えたいが、不便な山村に今も暮らしている人たちが居るという事実を知ってもらいたい。夏はいいが雪の降る季節は気温も下がり買い物にも難儀しながらも、なぜ此処で生きているのか。社会保障など行政の手は届いているのか?。例えば新聞を取るのも郵送料が必要になる、これだけでも山村での暮らしは大変なのだ。病院に行くにも1時間以上かかるから命の問題でもある。要するに山村で暮らす人は命も軽んじられていると言うことだ。山村の祭や食物もいいが、こうした厳しい状況についてもマスコミや写真家は追及すべきであろう。

【2019.08.06】
★この暑さは女性の方が耐えられるようだ。我が家でも妻は何ともない様子で家事をしているが、横で僕は暑い暑いと嘆いている。 女性が男性よりなぜ7歳も長生き出来るのか、今迄の通説では男性に比べて肉体労働が少ないと言われていたが。しかし最近の研究だと女性の方が泣く回数が多いからだという説がでてきたという。しかしこれも間違いのようだ、僕は妻が泣いたのを一度しか見た事が無い、それは犬が死んだときだった。 僕はと言えば、母が死んだときとか、犬はもちろん猫が死んだりする度に号泣している。それどころか映画を見ても泣くときがあるから、泣く回数が寿命に影響を及ぼすとは言い難いのだ。しかし泣くことはストレスを発散するために人間にだけ与えられた治療法である。医学的にも効果が有ると言うから、悲しいときに泣けばストレスも減り長生きに結び付く事も否定は出来ない。 とにかく病気がストレスによって引き起こされるのは間違いない、特に胃の病気はてきめんである。長男が務めていた会社が倒産したが、後に長男は胃が痛くなって医者に行った、カメラを飲んで検査したところ胃潰瘍だと診断されたこともある。明らかにストレスによるものだだった。 僕はと言うと一見してストレスとは無縁のように見えるらしいが、これでも一人前にストレスはある。それが何かというと説明しにくいが、一例を挙げれば最近になって友人や仲間が次々に病気になったり亡くなったりしているのも大きなストレスになっている。 ★セブンイレブンが始めたキャッシュレスシステム(7Pay)が1ヵ月で中止になった。不正利用で数千万円の被害があったからだが、キャッシュレスと言っても現金が係わらないわけでは無い。即座に銀行口座から引き落とされるのだから現金を出して買っているのと何ら変わらない。こうしたシステムで大きな落とし穴と言えばハッカーだが、最近はこうした個人の犯罪から国家の犯罪に変化してきている。その国家というのがテロ国家であり代表は北朝鮮である。国家を挙げて犯罪に取り組んでいるのだから困りものである。最近発覚した仮想通貨の流出も北朝鮮の仕業であり、国連の報告書によると短期間に2、000億円も手に入れているという。 こうした国家が有る限り庶民も含めて被害に遭う確率が高い。こうした犯罪を助長しているのが、カネがあれば何でも出来るという社会システムだ。これを変えようと思っても簡単には無理だ。ではどうすれば良いかというと。国家と企業が共同で被害を救済するシステムを作れば良いだけのことだ。セブンイレブンの被害でも数千万円である、戦闘機一機が1兆円とすれば、これを買わなければ簡単に捻出出来るのだ。自衛隊の巨額予算は闇の中で決済され機密事項として表面に出てこない。この予算を多額獲得すれば何でもやりたい放題と言う事になる。官房機密費を積み増ししたようなものだ。隠蔽された政治と資金の流れさえ破壊すれば格差の小さな豊かな国になることは間違いないだろう。

【2019.08.05】
★日本中が過熱気味である。異常高温も去ることながら、W台風も発生し九州あたりを冷やそうとしている。株式市場も円高も過熱して105円台になり、株価も過熱して400円近く安くなった。こうしたことも「輪廻(りんね)」というのだろう。輪廻とは人間を始め、動物や植物が死んで生まれ変わるとき、今迄と違う生命となって生まれ変わるというものだ。 例え地球が無くなっても他の場所で他の生命体となって生き返るのだ。実に公平な世界ではないだろうか。  数ヶ月前から書き続けてている詩集がある。この詩集は既に数百編は書いているが、まだ完成の域に達したのは50編程度に止まっている。何故かというと、同様の詩作を20代に行っているが、その時に書いたものを超えることが出来ないからだ。青春の中で肌で実感したことを一気に表現したものとは違い、50年も遡って新しい感覚で作品にすることは実に難しいものなのだ。何とか今年中には完成したいと思っているが..この暑さでは。 詩を書くという行為は実にいい、まず大脳を極限まで使って忘れかけていた昔を思い出す。それは現実にあった初恋の思い出が光陰の如く高速で脳の記憶回路を接続するのだ。どんな医療システムでもこれ程の医療行為は絶対に出来ないだろう。 人の思い出は何故残っているのかという基本的な理由もここで明らかになったではないか。 しかし時間の過ぎ去るのは早い、特に還暦を過ぎると体の動作が緩慢になるのに反比例して時間は過ぎていく。 時間の行き先を考えるが誰も答えは出せない。経験した人と話す機会が無いからだ。 8月6日付けの「南信州新聞」中先生が連載している「死と文学のかかわりを追う」という記事の一節に「生と死は決して相対するものではない」とある。要するに死というのは人が生きていく時間の一部として存在するのである。だから人は死を含めて生きた事(人生)になるのである。 難しい話はともかくとして、この暑さを乗り越えて生きるのも人生である、戦争にかり出されてビルマの砂漠で戦うことを思えば何と言う事は無いだろう。 僕の父親は中国からラバウルに転戦して酷暑の中で病気になったり、決死隊に3度参加したが、絶対に家に戻るのだという怨念にも似た信念の元に生還したのだ。

【2019.08.04】
★周りの桃の生産農家は朝から猫の手も借りたいほど多忙である。このところの高温で一気に収穫が早まった為だ。桃の収穫は傷を付けないように優しく扱わないと傷物になってしまうから慎重である。ウオーキングしていると桃の収穫中の人に大勢出会うのだが、いつもと違い多忙なのであいさつも出来ないぐらいである。あいさつと言っても「今日も暑いね」というぐらいだが..。 真夏の太陽はいまが一番勢いのあるときだろう、人間で言えば16歳から20歳の年令に当たる。この時代に今ある人は現在が人生で一番良いと時だなどとは思っていないだろう、それどころかひねくれたり何にでも反感を抱いたり、親にさえも下らないことで反抗している時だ。 僕が言いたいのは、50年経ってから思い起こした時一つでも後悔するようなことは控えろと言う事だ。 世の中で一番の幸せは何かと言えば「親孝行である」。反対に「親孝行したい時親は無し」と言う諺もあるように家族とか親は世の中で一番信用できる人達である。家族が信用できないようでは自身の不幸なのは間違いない。何事も家族の信用(絆)の元に達成出来ることだと信じても間違いは無いだろう。 ★日本では入手が極めて困難だというオリンピックのチケットが中国のチケット販売サイトで2倍近い価格で販売されているという。これがオリンピックの利権の実態なのだ。要するに裏で横流しして利益を得ている者が存在すると言う事だ。横流しは正規ルートでは出来ないから裏ルート(暴力団)が遠からず関係していると見た法が方が正解であろう。 この図式はどこかで見たことが有る筈だ、相撲の観戦チケットである。特にマス席といわれる高額な席のチケットは裏ルートを通じて旅行会社などに転売されていた。ここにも暴力団が関係していて、それが八百長相撲へと発展していったのである。 いま騒ぎになっている吉本興業も似たようなものだろう、テレビ局が株式を持っていて吉本の芸人を優先的に出演させる。支払った出演料は株の配当として戻ってくる。また政界への献金のお返しにほとんどの省庁で芸人をポスターなどに起用して税金を支払うのだ。こうした悪の循環を断ち切るのは難しい、なぜならほとんどが地下で工作されるからだ。 こうした社会悪を公表し断絶するにはマスコミ界の浄化が必要なのは言うまでも無い。松本サリン事件のようにマスコミが犯人のでっち上げに一役も二役も買っているからだ。警察のでっち上げ(冤罪)に加担するようなマスコミを信用するようでは社会の正常化も期待出来ない。まず最初にNHKを解体することから始めるか先決であろう。

【2019.08.03】
★飯田市では「いいだりんごん」という夏祭りが行われている。伊那市の友人からLINEで届いた情報によると「伊那祭り」も今日行われているという。飯田市は16時頃から雷雲が発生し雷鳴も轟き豪雨に襲われた。17過ぎにはほぼ止んで祭も始められたようだ。 夏の高温には雷雨が一番冷却効果がある。外気温が一気に下がりエアコンの電力量消費量も激減するから雷雨は最も効果的な温暖化策である。 来週友人たちと会食があるのでめぼしいレストランに試食(偵察)に出掛けた。娘も行きたいというので一緒に出掛けたが、試食という屁理屈を付けてレストランで旨い物を食べようという趣向である。夏は体力が落ちるから肉類を多く食べてエネルギーを体内に充満させなければならない。僕は夏冬問わず肉食なのだが、やはり33度を超す気温の中でウオーキングを5〜6kmして帰ってくると体重も減る。ほとんどが汗となって蒸発するため水分と塩分補給は欠かさない。 塩分を摂りすぎると高血圧になるというが、摂取量に標準などと言うものなく、その時点で欲しいと思った量だけ摂るのが正解である。 以前も書いたが糖分を制限すると痴呆が進行するという事実もある。だから老人であっても当人が欲しいだけ食べれば良い。早い話が麻薬を吸うわけでは無いから何をどれだけ食べようが国家が介入することもなく個人の自由である。自由というのはこういうことなのだ、だからその食事によって糖尿病になっても個人の自由なのである。自由というのは自己責任である、だから国家など介入する事もないと言う事だ。 特に大麻については酒やたばこよりも常習性が無いとされ、アメリカなど複数の国で自由に買い使用することが出来る。 マリファナなどの麻薬は何故禁止されているかというと、国内に大量に出回って国民が自由に利用すると国家が破綻するからだ。だからアヘン戦争というものまで勃発した。しかし本来ならば自由であるべきだ、例え吸った人間が幻を見て犯罪に走っても国家によって戦争に走り数百何人が死ぬことを思えばたいしたことは無い。 基本的の物事の見方考え方というものは先入観を捨て去ってからでなければ論じられない。我々の知識のほとんどは独裁者によるメディアを使った刷り込みとか、親や先生、友達や広告などによる嘘かほんとかわからないことが媒体によって先入観として植え付けられたものだ。 しかし世の中の人々は先入観を棄てた人間を見ると、自身の先入観によって異端児扱いしてしまうのだ。社会が間違った政治を由としたり、現状を硬直させてしまうのも先入観だけによって判断するからである。 ここで登場するのが「人工知能」だが、これも過去の事例を読み込んで蓄積させたデーターが基本となるので、先入観の塊になるっている可能性もありそうだ。現在、人工知能は彼ら(人工知能自身)の判断によってインターネットに接続された世界の人工知能と自発的に接続し、ゲームの対戦をすると言うから人間社会はどうなることやら。

【2019.08.02】
★夕方から雷雨の予定になっていたが降ってきそうにない。飯田近辺の監視カメラをみると18時30分現在降っているのは南アルプス山麓だけのようだ。特に下栗地区はどしゃ降りになっている。下栗は急傾斜地ばかりなので時間雨量が100ミリを超える雨が降ると、僕の同級生が何人もこの地区で暮らしているので心配で仕方がない。 災害はあるひ突然襲ってくる、気象庁に言われる前に自分自身の命は自分が守るのだという意識を持つことが必要だ。 ★隣国とは仲良くしようというのが国家として重要な事だ。まだ日本は独立国とは認められていない、だからこそ近隣諸国との付き合いが大事なのだ。非独立国とは中国と違って外国の軍隊が国内に常時駐留して居る国家だ、だから間違いはあるまい。属国が韓国と喧嘩しようというのはたぶんアメリカの北朝鮮政策と関連しているのだろう。脆弱な属国の日本政府が独断でホワイト国取り消しという行為が出来るとは思うえない。陰にはトランプ大統領の思惑が絡んでいるか、それとも忖度なのかは不明だがどちらかであろう。 なぜこんなことが起きるのだろうか、それは国家という組織が明らかに暴力団の形態を為しているからだ。内容を見てみても暴力団がネオン街からみかじめ料を取って体裁を保っているように、国家は庶民全体から税金と称するみかじめ料を取って組織が喰い繋いでいる。 国家が正しいとすれば、健康に悪いというタバコの売り上げからみかじめ料など取らないだろうし、酔っぱらい運転やアル中などを引き起こす酒類からも税金を取ることも無いだろう。 では我々一般人が国家と同じ事をやったらどうなるか、国家が正しいとすれば何の問題もないはずだ。例えばスピード測定器を道路に置いてスピード違反車両を捕まえて地域の安全を守り、反則金を取って地域活性化に使ったとしたらどうか。明らかに犯罪となり逮捕投獄されるだろう。要するに国家とは縄張り(国境)をもった暴力団と何ら変わるところが無いのだ。 選挙に出向くときもこうした事実を納得した上で投票すべきだろうが、馬鹿な庶民は気が付く事もない。だから年金を何十兆円も無駄遣いや利権目当てに使われて支給額が大幅に減り掛け金が増額しても文句も言わないのだから驚く。NHKも同様で勝手に電波を空中に流しておいて、見ても見なくても金を払えという、明らかに暴力団のみかじめ料である。それ処か番組を勝手にインターネットに垂れ流して、スマートフォンを持ってるなら全員が視聴料を払えと言っているのである。こんな事が許されるのは暴力団国家の日本だけだろう。その国家を作ったのは他ならぬ馬鹿な日本の庶民集団である。 ○○党だのXX会派などと言うものも存在するが、暴力団と同じ言い方をすれば傘下の○○組というものだ。 こうした連中が喜ぶのは災害である、ひとたび大災害が起きれば利権がモノを言って大儲け出来るのだ。最近では東日本大震災の津波災害の復旧工事、それに福島第一原発の爆発処理や除洗が該当する。復旧費用のほとんどがトンネル会社(多くが組系)が95%を搾取し、実際に除洗などしている労働者には渡るのは5%以下だろう。世の中にこんなことは絶対に有ってはならないが、暴力団と同じ形態の組織の脅威があっては誰も文句が言えないだろう。

【2019.08.01】
猫もグッタリして遊ぼうとしない。氷枕をおいてやると覆い被さるようにして寝ている始末だ。冬のこたつの中は40度ぐらい有る筈だが、やはりこの暑さとは違うのだろう。 古希を迎え高齢者教習と言う事で近くの自動車教習所に行ってきた。13:30分から16:00までビデオ鑑賞と、目の検査、自動車を運転しての検査などをしてきた。費用は何と法外な5,100円だ。警察でやるべき仕事を民間に委託したのだから、入札をして安いところに発注すべきだろう。特に自動車学校でなくとも設備があれば良いのだ。 児童数減少と若者の車離れによって教習所に通う人が減少している。これは葬儀屋と同じように明らかに老人をターゲットにしたシニアビジネスであるのはまちがいない。 行政のすべきことの第一は如何にして国民の負担を減らすかということだ。1千万円の公用車を買ったり桜祭りを主催したりと無駄が多すぎる。特に警察という権力を使った庶民からの搾取は問題がおおきいことを有権者は知るべきであろう。 ★アメリカの利下げは円安を招いている。これは輸入品、特にガソリンなどが高騰することになる。もちろん牛肉なども影響を受ける。今後は株価も低迷するだろうと言う事だが、自国の利益の為だけに政策を実行するのは弱小国ならともかく、アメリカのような大国のすることでは無い。何でもかんでも一人勝ちしようとすると大きなしっぺ返しが来ることを忘れてはなるまい。 医療機器のテルモに痛くない注射針を提供したり、携帯電話の液漏れをしないバッテリーを発明した中小企業の社長「岡野雅行」氏は特許を取らないという。なぜ特許にしないかというと、誰も同じ物は作れないからということと、特許にして自分の会社だけ大儲けしたら必ず他企業のネタミを買って圧力がかかるからだ。結果は出る釘は打たれるという諺の通りである。まあ人生も世界経済もかならず周期的な浮沈があるということだ。いま落ち込んでいても何れは良いときも来るというのが通例だが、最近はそうでもない。若者の車離れの原因は車が買えないという実にはっきりした理由による。給料が安い、駐車場が無い、スマートフォン代などの通信費が高いというように若者は金が無いのである。 今後消費税を上げると言うが不景気を招くだけだ、また日銀は金融緩和を続けるというがどうやってマイナス金利を処理するのか。生きたりバッタリの政策なら僕でも出来る。日本は経済大国なのだから世界に誇れるような福祉や医療を実現しなければ政治家が馬鹿者揃いだとわかってしまう。 先進国になる第一歩は老人医療、介護、住宅などの無料化だと心得ねばなるまい。貧乏なロシアでも医療費などは無料だという。