【2019.09.30】
★曇という予報が外れて快晴になり気温も30度を超した。先日から友人と約束していた「エゴマこなし」に出掛けた。飯田市が一望になる高台にN君の畑があり、そこではエゴマが収穫を迎えている。僕は自分が食べる分だけ自分で刈り取ってこなしてくるのだが、今日は暑くて汗だくである。エゴマに含まれる栄養はともかく、僕は来春に芽を吹く「タラの芽」を食べるためにだけ採って貰ってくる。とにかく子供の頃からタラの芽はエゴマで和えて食べることが決まりになっていてそれ以外での、例えばテンプラなどで食べるのは論外である。タラの芽は茹でてからエゴマを煎ってから擂り鉢で磨りつぶしたもので和えれば最高に旨い。モノには食べ方と言うものがあって、そのセオリーに従って食べなければ何の意味も味も出ないのだ。将棋で言えば定石ということだろうか。 野山は秋になると様々な食べ物が実る、アケビ、ヤマブドウなどは昔の子供達にとっては糖分摂取に必要なものだった。学校の帰りに藪に入りツルにぶら下がったアケビを採って食べていると秋の日はすぐに落ちて家に帰る頃は真っ暗になっていた。紅葉も綺麗だったが見とれていたことなど覚えていない。帰り道で子猿を背負った大きな親猿に出会ったことがあったり、イノシシに出会ったこともあったが、彼らは何もしなかった。 こうした生活体験は僕にとって捨てがたいものになっている、何かにつけて役立っていると言う事だ。 いい加減に暮らすという考え方もここから生まれたものだ。僕の祖父は明治生まれだったが一度も医者にかかることなく96歳まで元気で働いていた。いま考えてみると仕事や生活に対してほとんどストレスを持っていなかったのが大きな長生き要因たったと思う。祖父の仕事は「こびき」といって直系1メートルより太い大木を切り倒し、大きなノコギリを使って縦割りにして板にするという仕事である。この仕事は今で言えばソフトウエア開発者並みの技術が必要なものだった。祖父は気が向かないときは仕事をせずに近所の友人と一日中話し込んでいたという。要するに食えるだけ稼げば何とかなるという実に素晴らしい考え方を持っていたのである。いま多くのサラリーマンが同じような考え方を持って働けば日本はもっともっと良い国になるであろうことは僕が保証してもいい。 適当に、いい加減に働く事の素晴らしさを実践した人には勲章を与えてもいいのではないか。それこそが資本主義の正しい姿でもあろう。

【2019.09.29】
★庭の柿も色付いてきたりして秋の風情を感じているのもいいが、人生の時間はどんどん過ぎ去ってしまう。何かしようと考えても始める気力が無くなってしまうのが中高年である。だが僕の同級生は半分以上の人がまだ働いている、個々に聞いてみると家に居てもすることが無いからだというのが大半である。たぶん欧米の人達とは考え方が正反対なのだ、特に将来に不安が有るわけでもないが働いていないと落ち着かないというのである。働く事が生き甲斐になっている人も多いのが日本人である。 ★才能が有る学力があるとされている公務員の馬鹿者たちには呆れるばかりだ。明後日から消費税が増税されるが、ビールとつまみを買ったらそれぞれの税率が違うという想像も出来ないようなシステムだ。こんな事を考えた奴は死刑にも値すると思わねばならぬ、何故なら軽減税率の適用で店舗のレジが対応できずに買い替えなど無駄な出費を国民に強いているからだ。役人の仕事とは国民に無駄な出費をさせないように日夜考える事だ。これを忘れて下らない考えだけが先行しているとしたら死刑は当たり前だろう。江戸時代でも10両盗んだら死刑である、要するに10両(約200万円)を国民から搾取するような悪政に加担した奴は死刑という実に理にかなった提案であろう。またこうした愚策を非難しないマスコミの堕落はどうだ。彼らのこうした愚策報道を避けるために政府はマスコミ関係の税率を全て据え置きにしたのである。文句を言うなら税率を10%にするぞという脅迫にも似た優遇政策である。こんな実態を見逃している庶民の罰は品物を買ったら1割も税金を払うという国になってしまったことだ。この税金が福祉や医療費の軽減などに使われるならば多少は納得できるが、次期戦闘機を買うという暴挙などは許せない。大切に使えば戦闘機や旅客機は20年以上使える機械だ、あの危険な原子力発電所でさえ30年以上も使ってOKというではないか。戦闘機は調子が悪くなれば不時着すれば良いだけのことではないか。不時着が怖くて戦闘機に乗れるか!!..。 第一次世界大戦に際して使われた戦闘機は複葉機など技術的に未熟な飛行機だった。イギリスでこの飛行機に乗って最初に出撃したのは軍隊ではない、イギリス貴族が我先にこの飛行機に飛び乗って母国を救うために戦いに出たのである。日本で云うなら財閥の御曹司とか、政治家の息子達に当たるが、果たしてこんな勇気のある者が一人でも居るのか。自分の財産を守る為に貧しい農村青年を戦場に送ったのはこういう度胸も勇気も優しさも持っていない馬鹿者共だったことぐらいは学んでおこう。

【2019.09.28】
★周りの大半の田んぼも稲刈りが終わり風景も徐々に冬に向かって移ろいで行く。モノトーンに変わっていく風景に最後の色づけをするように彼岸花(曼珠沙華)が咲き乱れている。 我が家の三姉妹猫たちも朝方になると気温が下がって涼しくなるのか布団に集まって来て寄り添って寝ている。 秋の静かな時間はあまりない、すぐに雪の季節になって冷え込んでしまうからだ。これも温暖化による顕著な現象で、亜熱帯性気候になった日本はもはや秋と春が存在しなくなるのだ。 日本の風情というものは春と秋に集約されているように思う、文学はもとより俳句の世界でも不可欠のものだろう。その中でも特に桜や芽吹きの春と秋の紅葉や落ち葉などは詩情を高める大きな要素である。 こうして季節感が散逸していく中で詩人の「谷川俊太郎」さんは、詩情は詩の中に有るだけでなく、いま広く社会の中に薄く広がっている、と言っている。要するに様々な現代の文化の中に詩的な心が幅広く拡散していると言う事なのだろう。 先ほどテレビで高校生の「書道甲子園」というパフォーマンス競技を見ていて僕は詩情を感じた。書道部員の人達の心の中に書道という文化を通じて発散する青春と同時にその作品に詩情を感じたのである。要するに日本人の心の根底には神代の時代の「やまと心」がそのまま生きているのだろうと思うのだ。(注)「やまと心」という表現は個人的なもの。 ★「やまと心」というのは別の言い方をすれば武士道精神と言えるものだ。剣道でも柔道でも使われる武士道精神とはどういうものかといえば、「勝てばいいと言う問題ではない」という精神だろう。ズルをして勝っても、ドーピングして勝ってもそれは勝った事にならないという精神である。この精神は様々なところで見えずして発揮されている、災害地で食料や水を配布する場所で誰も先を争わないというのもこの精神の現れである。バスを待つ列やラーメン屋の待ち行列に割り込まないというのも同様の精神だ。 この精神が全く活かされていないのが日本の行政組織である。子供が虐待され殺されそうになっても知らん顔、ストーカー被害者が警察に駆け込んでも明日のゴルフが気になって知らん顔。これで何人の尊い命が奪われたのだろうか?。行政組織は、いま行方不明になっている子供は10年経っても探し出す使命があると心得よ。そして役人たる精神を磨き清めよ。

【2019.09.27】
野良猫の餌場に見慣れない老婦人がいたので話を聞いてみると、いつもエサを与えている婦人が都合が悪くてこられないので代わりに来たという。やはり水と食料は毎日やらないと猫も死んでしまう。自分が来られないときは人に頼むことも必要になる、動物を飼うのは難しいということだ。 今月も先月も先生と一緒に食べたがいつも数名であった。今日は久し振りに中繁彦先生と2人で昼食を食べた(上郷黒田にあるガストロノームマルキ)。昼食に1.5時間、我が家でお茶を飲みながら1.5時間、3時間も喋っていたが話題はまだ尽きなかった。今日は僕の仕事場を先生に紹介したが、100台を超える電子機器があって驚かれたようである。僕はマニアックな性格なので周りを様々な電子機器に囲まれていないと落ち着かない。この機器の中で作詞とか作曲をするというのも何か違和感があるように感じるかも知れないが、これで正解なのである。 誰でも何かを造ったり書いたりする時は部屋の状況に拘るのが通例である。作家ならば周りに数百冊の本が積まれていないと小説も書き出せない。ギタリストならばギターが50本ぐらい周りに置いてないと心が高揚してこないのである。 もちろんこうした拘りはスポーツなどにもあてはまる、自転車乗りは専用のヘルメットを被ってタイトな衣服が必要だ。ハーレー乗りはHDのロゴの入った革ジャンが必須である。これが整わないと走り出せないのだ。僕も昔ハーレーのチョッパーに乗っていたが、それなりの服装を揃えるために革ジャンやブーツを特注して80万円以上はかかった。しかしこの服装は伊達ではなく転倒したときに身体を防護するために必要なのなのだ。 人は環境に左右されやすい動物だ、病気も精神も周りの人や状況によって大きく変わってしまう。河原で土木作業に携わる人と、財務相で働いている人では全く違うということだ。どちらが楽な職業かというと、僕が統計などみて判断するに土木作業員の方が気楽で精神的にも安定しているということができる。これは各業界別の精神病患者の数とか、自殺者の数を比較すればすぐに納得できるはずだ。ともかく健康にはストレスが大敵だということだ。皆さんも周りの目を気にせずに好きな服装好きな道を歩こうではないか。

【2019.09.26】
★今日もウオーキング中にいつもの場所を通ったら二匹の野良猫が待っていた。この猫はもう2年ぐらい前からこの辺りに住み着いているオス猫とメス猫のカップルである。以前もここで書いたが子猫も産まれているが、まさしく毛の色から見て彼らの子供に違いなかった。親切な人がいてほぼ毎日のようにこの猫に餌と水を与えて居るから生きているのだ。だが餌代も半端ではないから与えるエサは少ないようでいつも腹を減らしている。僕が通りかかると泣きながら近づいてくるので毎日餌をバッグに入れて持ち歩いている。今日も餌とチュルチュルという旨い餌をやった。野良猫でこういう餌を食べているのは希ではないかと思うが、我が家の猫も捨てられていた猫だから同じ境遇であり多少住むところが変わっているだけだ。 中島みゆきの「地上の星」という大ヒット曲がある。人は高いところや輝くものだけを見つめていて、地上にある貧しい者や小さな命を見過ごしているという内容の歌詞である。まあ人と大方はそんなものだが、世の中にはボランティアに邁進している人、多くの障害者を助けている人、毎日炊き出しをしている人など大勢の人が地上の星を助け、同じ命として生きようとして努力している。僕の友人にも何人かはこうしたボランティアに積極的に参加している人がいるが頭が下がる思いだ。 先日の台風で屋根が飛んだ家屋に国や県は併せて2割程度の資金援助しかしないという。何か間違っていないか?、誰でも疑問に思うところだろう。 国民の安心安全とは外国から攻めてくる防衛策として利権がらみで戦闘機やミサイルを買うことではない。更に福祉国家とはゼネコンや天下り企業の為に多額の税を投入する国家ではない。もっと身近な庶民の衣食住に拘わることから充実させねばならないのだ。災害で家屋が破損したり喪失した時に少なくとも原状復帰を国家として保証することが急務だ。これが出来るだけの財力があるのになぜ出来ないのか、それは損保会社からの多額の政治献金であろう。政府が再建を保障したら損保の売上額は激減してしまうからだ。こうした賄賂政治を国民はいい加減に気が付かねばならない。今迄通りの無関心を通していると、いま目の前で現実として見ているような社会が拡張してしまうのである。 ともかく温暖化は急速に進んでいて止めようが無いのだから庶民も目を覚まさねばならぬ。レジ袋を有料にしたぐらいで効果が有ると思ったら大間違いなのだ。

【2019.09.25】
★友人のN君とまたまた飯田市内上郷にある「じゃげな」というラーメン店に行った。ここのラーメンは他とはひと味もふた味も違ってスープにパンチがある。飯田市内で有名な行列の出来る店は2、3軒有るが、ここは昔ながらのラーメンで言わば古典的な味だ。幸楽苑というラーメンチェーン店もあるが、ここもスープは万人受けするもので平凡すぎる。 「旨い物とはなんですか?..」と時々聞かれるが、僕は「100人中99人が大嫌いな物」と答える。例えば「クサヤ」とか「なれ寿司」というような類いのもので、生まれた時から食べている人でないと食べられない物と言った方がわかり易いだろう。 もう一つのポイントは「空腹は最高の調理人」ということだ。腹一杯では何を出されても食べる気にはなれない。 僕は昔からアマチュア食通として日本各地で様々ものを食べ歩いたが、最終的には「昔から好きだったものこそ一番」に落ち着いた。中華の鉄人(陳建一さん)に目の前で調理してもらって食べたこともあるが、僕にはイマイチだった。 要するに今の若者など旨いもの好きの食への欲望は「新しい物を食べること」であり、旨い物を食べる事ではなかったのである。最近流行っている「タピオカ」なども何度か味わったが、はっきり言って旨い物ではない。僕が作る「吉野本葛」を水で溶いてから熱を加えて固まらせた「葛きり」には勝てない。葛きりもこのままではイマイチなので、沖縄産の本黒糖から自家で造った黒蜜とウグイス豆のきな粉をかけて食べる。これこそ昔から有る日本の健康食品でありタピオカなど足下にも及ばないだろう。だが、タピオカも葛も地下に出来る芋を掘り出して粉にして作っていることから似たようなものであることは確かだろう。 ★日本の少子化について考えてみると「地球温暖化」と関係が有ることは間違いない。野ネズミは天候不順などで野山の餌が減ると本能的に産む子供の数を制限している、このことと人間も同じで、近い将来地球上で生きていける人間の数が減る事を感じ採って子供を減らしているのである。自然界はこうした作業を自動的に行うような仕組みをDNAに与えている。人のDNAはコンピューターを使って塩基の配列が相当数解読されたと言うが、実は全体の90%以上は何のことだかわからないもので解読できないのだ。この部分こそが人間になる前は海の生物で、その前は昆虫みたいなもので、更にその前は細菌のようなものだった頃の生命の記憶なのである。人間を構成している37兆個の細胞の全てにこの遺伝子もったDNAが入っている。その働きが人の好物も塩分が不足すると病気になるというメカニズムも全て網羅されているのである。

【2019.09.24】
★朝、5時から日本各地の情報カメラの画像を検索して確認するのが日課だ。昨日は風越山の虹を紹介したが、今日は富士山の夜明けに起きる朝焼けの美しさを紹介しよう。 ★世界各地で起きている異常気象について僕は以前から自業自得だと言ってきた。しかし誰も耳を傾けることはない。24時間営業の店はなくならないし、国家が進んで国体と称して多くの子供や青年を集めて無駄に走り回らせてどうなる、またオリンピックも中止しないではないか。野球にサッカーやラグビーなどは何万人も集めてやるような遊びではない、個人的に河原で楽しめば良いレベルのものだ。要するに衣食住に関係無いことは全てやめる事が出来なければ温暖化は止まらない。自動車生産は世界で今後3年以内に10%以下に縮小する。飛行機の運航も同様のレベルに落とすことが必須だ。何かデタラメな無理を言っているように聞こえるだろうが、このぐらいの事では災害など減るどころかまだ増え続けるのだ。 住む家を無くしたくなかったらオリンピックのチケットを争って買うような犯罪的な行為はやめることだ。 いまは情報時代である、外国に行かなくともテレビで見れば十分ではないか。 映画とか歌謡ショーなど娯楽の全てをカットすれば温暖化は多少改善されるかもしれない。だが既に地球環境は負のスパイラルに落ち込んでしまったのだ、改善には縄文時代と変わらぬ生活をしなければならない。 世界からカネ儲けしか頭に無い馬鹿者が集まって温暖化防止の会議など千回開催しても無駄な事は明らかである。それ処か彼らの会議こそ温暖化の種を撒いていると言っても良い。 テレビも新聞もカネ儲けのために資本家に忖度して車や工業製品の生産減少キャンペーンなどしないではないか。この期に及んでミサイルや戦車を造っている場合では無い、温暖化は世界中の国や民族が一致団結して取り組む良い機会である。 まあ僕たちの年代はもう地球がどうなろうと知った事では無い。好きなように楽しんで災害で家や命を奪われてもいいではないか。 可愛そうなのは人間以外の動物だ、人間の享楽の犠牲になってしまうからだ。 森の熊や猪は自分たちのテリトリーを守り、環境破壊しないように日夜努力している。野ウサギも増えすぎた木を木をかじって枯らしている、日当たりを良くして雑草の生育を助けているのだ。森はヒノキや杉があればいいというものではない、雑木や雑草があって始めて森となるのである。 此処まで来たら真の共産主義というものも見直さねばならないだろう。エスキモーは荒海に出て鯨を捕って食べていたが、誤って事故死する人も有った。残された家族には鯨を捕ったら一番先に分け前をやったという。○○主義だなどと云う名前などどうでも良いのである、お互い助け合って生きなければならない世の中はそこまで来ているのである。

【2019.09.23】
★台風17号が通過するというのに伊那谷ではほとんど雨が降っていなかった。しかし今日は久し振りに雨になったが静かな雨である。6時頃起きて我が家の屋根にある風越山の監視カメラを見ると山を囲むように虹が出ていた。こんな光景は始めてなのでPCに記録して置いたが、何か良いことが有りそうな気もしたのだが、ウオーキング中に雨に降られて良いことはなかった。でも何事もなく夕暮れ時を迎えることが出来ると言う事は..それでいいのだ!!。 ★台風17号の影響で宮崎県では2006年に続いて大きな竜巻に襲われた。竜巻の近くでは耳が痛くなる人が続出したが、これは竜巻の時に起きる現象の一つで有る。気圧差によって上昇気流が起こりそれが加速増幅されて竜巻になる。一般に言われる「地震、雷、火事、おやじ」と言われるうちの「おやじ」がこの竜巻のことで、親父ではなく「おやじ風」からきた言葉である。竜巻が通過した痕を見ると千葉県の台風被害と酷似している。地震への備えは完璧でも風に対する備えが不備であった証拠である。 こうした温暖化による災害は増加の一途であり、減少させるには温暖化を止める以外に手段はないが、既に止められないところまで来てしまったのでどうしようも無い。 今後の考え方として大陸に住む人達のようになるべく固定資産を持たないことだ。家を持つのをやめてアパート暮らしにすれば屋根が吹っ飛んでも損害はない。家を持つ代わりにダイヤの指輪とか純金の時計や装飾品を持つことだ。こうすれば災害に遭って逃げるときも自分だけ逃げ切れば財産の多くが確保される。 なぜ日本人は固定資産に固執するかというと島国だからである、島国故に隣国などから襲われる確率が少ない。これが大陸に住んでいたらどうだろうか、いとも簡単に国境を越えて家に踏み込まれ財産を奪われる。こんな時にすぐさま貴金属を付けたまま逃げればいいのだ。 要は大陸に住む民族と島国に住む民族は基本的に考え方が違うのである。だから日本と北朝鮮や韓国それに中国と理解し合えないというこになる。 また民族によって様々な違いがあり正論も全く違う、例えば昨日大相撲で優勝した「御嶽海」は南国民族の血が入っている。母親(マルゲリータ)はフィリピン人で御嶽海はハーフである。何が日本人と違うのか多くの人は知っていると思うが、彼は稽古をあまりしない、要はそこまで稽古してまで勝っても..という南国独特の考え方が基本的にある。 赤道直下の国では男はほとんど仕事をしない、女性は野山で食料を調達してくればそれで終わり。明日のことはどうでも良いというか余り心配しないのだ。バナナやイモは野山で簡単に採れるし、魚は海で捕れるから畑を耕作する必要がないのである。欲さえ出さなければ実に暮らしやすいということだろう。 こうした基本的に考え方の違う国の人達が正論を言い合っても何の解決策にもならないということなのだ。東大出の馬鹿息子が交渉するより一般人がナアナアで進めればすぐに問題は解決するのである。

【2019.09.22】
★彼岸になってしまった、我が家の墓のある南アルプス山麓の山小屋に行ってきた。墓詣りしてから付近の見回りをしていたら先日の台風の時に強風が吹いたらしく樹木が何本か倒れていた。そのうちの一本は道路の上に倒れかけていて危険だったので建設事務所にメールで送って処置をお願いしておいた。 彼岸には世話になった親戚の墓詣りもしてくる。先日の敬老の日に百歳で表彰された「山崎はな」さん宅にも行った。まだまだしっかりしていて立ったり座ったりも出来るし、僕の名前も覚えていた。口も達者だった、この家の嫁さんは村でも評判の優しい人だから何のストレスも無く長生きしているのだろうと思う。一緒に写真を撮ったりしながら30分ほどお茶を頂いて世間話をしてきた。あと数件墓詣りしてその内2軒に寄ってお茶をのんだから腹一杯になってしまった。 年に二回ぐらいは親戚に寄って話をするのだが、こうした親戚は父母が世話になったり、僕自身も小中学校時代に世話になった人達である。年に二回の感謝の印である。 百歳と簡単に云うが家族の助けもあるが自身の生きる気力が肝心である。以前も書いた事があるが、この百歳のお婆さんは、血圧が200ないとすっきりしないという超本人なのだ。以前出会ったときも「今日は血圧が180だったから調子が悪い」と言い放っていたのだ。 高齢になって血圧が低いと末端の毛細血管に血液が循環せずやがては全ての臓器が不調に陥るのだ。だから様々な病気を引き起こす元になっている。血圧不足と塩分の不足、これらが影響して健康で長生き出来ない人ばかりなのだ。厚生労働省の言うことなど聞いていたら長生き出来ないということだ。 これらの現実は僕が以前から何度も書いていることであり、長生きしたければ医者の行くな、厚生労働省の言うことを真に受けるなということの証明である。ちなみに僕の祖父は明治生まれだったが、一度も医者にかかったことがなく歯も磨いた事もなかったが96歳まで健康で働いていた。健康管理の参考にしてはいかがだろうか。

【2019.09.21】
★また今日も同級生と食事会に参加することになった。近くに住んでいてもほとんど出会う事も無い人達だが、話してみると皆逢いたがっていることがわかる。今日もペチャクチャ喋りまくって3時間が過ぎた。一人暮らしだったり家族での会話が無かったりして孤独な人が多いのである。スポーツなどやっていると仲間も出来るが古希を過ぎるとそういう人も少なくなる、多くの老人が自ら老いを加速させているのが現状だろう。他人の悪口を言うような井戸端会議でも脳の活性化になり健康の秘訣となる。 更に昔流行った音楽を聴くのもいい、曲によっては若返るのは間違いない。僕はこのブログを書いているとき、風呂に入っているとき、車を運転するとき、ウオーキングしているときなどは100%欠かしたことが無い。特に青春時代を回顧するような音楽を聞いた方が回春効果が高い。 ★また子連れ再婚の家庭に悲劇が起きた。再婚する女性は男とは他人の子供を真剣に育てようという心が無いと思った方が良い。連れ子は男にとって邪魔な存在なのである。たぶん今迄起きた何百件もの事件を思い起こせば母親ならば感じ取れるはずだ。それでも子連れで再婚しようというのならば子供の命の危険を承知しておこう。しかし虐待を恐れて警察に行くことが出来ないケースもある。悲劇を回避するには行政が家庭を絶えず監視する必要があろう。少子化時代にこうした事件を防いでいかなければ子供の数など減るばかりではないだろうか。学校のイジメも学校や教育委員会が知っていながら放置したことによって自殺に追い込まれている。要するに公務員の無気力が事件を防ぐ事の出来ない原因になっているのである。 役人に労働基準法を当てはめるのは即刻やめよう、彼らは夜中だろうが休日だろうが庶民の為に働くことが任務なのだ。虐待家庭の申告があったら24時間寝ることなく監視するのが仕事となる。残業だとか手当というのは後で始末すればいい。これさえ認識していない馬鹿者に行政を任せておくと子供は殺されるのだということを昨今の全ての事件は指摘している。それでも改善されないから教育委員会や保護を担当しているような役所はすぐに解体して民間に任せよう。そうすれば子供の命はもっと助かるし馬鹿を雇う税金も不要となる。 こと人命に関わる事件を起こしてお詫びだけで済ませようとすることも大問題である。少なくとも業務執行の不備で死亡者が出たら、担当職員と管理者は有無を言わせず解雇しよう。税金で雇う必要などないのだ。

【2019.09.20】
★涼しくなってきた、昨日タラの木で傷めた指を昨夜は一晩中冷やしていた、だが少しは良くなったようだが治まだらない。左手でも親指が使えないというのは実に不自由である、車の運転にも支障が出てしまう。 今日はウオーキングのルートを変えて違う方向に行った、これは昨日病院で頼まれた食事会の人員集めである。だが予定の人は明日は孫の運動会ということで直接話したが誘うことは出来なかった。人集めというのはやってみると大変な仕事だ、数名であっても各自にスケジュールがあって中々一致しないのだ。まあこれも年寄りには楽しい仕事には違いないと思えば何と言う事は無いが..。 ★僕の妹が銀行関係の催しで入手した「坂本冬美ショー」に行けなくなった。結局僕がチケットを買って、今日の午後飯田市内で行われたコンサートに行ってきた。僕の好きな歌手でもあるのでチケット代4,000円はまあまあと思ったが、さすがに紅白に30回も出場した歌手である見事なステージだった。たぶん本来のチケットは8,000円以上はしたと思うから得した気分になった。しかしそれ以上にプロの歌手の根性というかサービス精神を学んだ。 僕は都はるみ、石川さゆりなど多くの歌手のコンサートを聞いたが、さすがに一流と言われる彼女たちの歌声は素晴らしい、最近のAKBなど問題ではない。 年を重ねるとやはり演歌がいい、聞いていても泣けてくるときもある。人生のなかで歌というのは何か重要な位置付けにあって思い出のなかに必ずくっついて居る。仕事の合間とか、楽しいとき、悲しいとき、飲んだときなど様々な場面でふと口ずさんでしまう。 さて今日コンサートを聞きながら演歌の歌詞を思い付いたので紙に書き留めてきた。題名は「古(いにしえ)の旅人」というもので、まだ完成はしていませんが一応掲げておきます。この題名もコンサート中に浮かんだものです。僅か数分で書き上げましたが、これから多少手直しすれば何とかなりそうです。

【2019.09.19】
★彼岸が近いこの頃は庭木の伸びた枝の伐採を毎年行っている。藤、ビワ、タラなどの枝をトラック一杯分も切った。チェンソーを使って切るから安全には注意していたが、まさか切った枝に刺されるとは思わなかった。明らかに不注意である。切った木の中に太いタラの木があってナタを使って小さく切ろうとしたときに跳ね返って大きなトゲが左手の親指に刺さってしまった。とにかく痛かったのだが夕方まで放置していたところ、どんどん腫れてきて傷みも手の平全体に及んできた。仕方なく同級生の勤めている病院に行ってみたが..指の中にトゲが入っているかいないかはレントゲンではわからないと言う事で化膿止めの薬で様子を見ることになった。 切ってみるかと言われたがやめた、なぜなら外科専門の医者だから何でもかんでも切ってしまうからだ。 しかし今日は朝のウオーキングの途中で彩雲を3つも見たから何か良いことが有るのかと期待していたのが反対に祟ってしまたのだろうか(彩雲はスマートフォンで撮影したがうまく色が出なかった)。 ともかく怪我とか病気はすぐ身近にある事は事実だ。 この医者で何十年も看護師をしている同級生と話したところ、明後日に他の同級生と会食をしたいから人を集めてくれないかと言われ、これから電話とかLINEで誘うつもりである。 人集めが一段落したと思っていたが、どうも僕は同級生が利用しやすいようで、つい頼まれてしまうのだ。でも同級生の言う事では断れない、僕と青春を共にした仲間だからである。 指が痛くてキーボードを打つのもおっくうになったので今日はこの辺でやめておこう。

【2019.09.18】
★友人のN君と2週間ぶりに昼食を食べに行った。雨が降らないので畑が乾燥してどうしようもないと嘆いていた。夕方になって少しだけ雨が降ってきたが焼け石に水程度のものだ。僕が頼んで作ってもらっている「エゴマ」は水が無くともビクともしないで緑色の実をいっぱい付けているという。エゴマは荒れ地でも出来るしあまり肥料も要らず病気にもなりにくい。最近はエゴマ味噌とかエゴマ油がブームで健康食品として売れ行きがいいようだ。飯田市上村の下栗地区では、このエゴマ味噌を塗って焼いたイモ田楽が有名で大ヒット中だ。イモは言わずと知れた「下栗イモ」で硬くて実に旨いし栄養価も高いものだ。 食の安全とか健康食品とか持てはやされている食品の多くは僕たちが子供の頃に食べていた物が多い。日本人の胃腸に合っているのだろう。その顕著な例が「オリーブオイル」だろうか。このオイルはオリーブが採れる国や地方の人達には最高の健康食品だが、日本人には体質的に合わずかえって逆効果になる場合があるという。何でも外国の健康食品を食べれば健康になれるという問題ではないと言うことだ。 昔、ハワイから日本に来た女優(名前を忘れた)が日本に2年ぐらい住んでいて日本食中心にしていたら、髪の毛が金髪から黒髪にかわったという話は有名である。 我々の体の全ての細胞は1年以内に全て新しく入れ替わる、新しい細胞が食べた物でしか出来ていないことを考えたら身体は食品そのものなのだ。 この細胞の入れ替わりは若さを保ち長生きに繋がる重要な生命の仕組みだが、実はこの細胞の入替えこそが癌が出来る原因そのものなのである。 長生きをする代わりに癌になって死ぬリスクを負うということだから世の中は良いことばかりではないのだと知るべきだろう。 「癌になったら医者に行くな」とか「99%の医者は自分に抗がん剤を使わない」という本が最近注目されている。要は統計によれば癌の手術をして抗がん剤治療した人よりも何もしなかった人の方が長生きしているというデータがあるのだ。 先日も書いたが、僕は癌で死ぬのならスポーツカーで昔流行った「ツイスト」の曲を聴きながら激突死した方がいいと思う。いさぎよい人生こそ僕の望みなのだが、病気によってはその時になって口もきけなくなったらどうしようか?。

【2019.09.17】
★火事は家の物を全部持っていくが泥棒は持って行かないというが、火事処か台風も洪水も家の中の物を全部持って行ってしまう。 今も多くの家が水浸しになったり、水が出なかったり、電気が来ても家の中が水浸しで漏電するので使えない。1週間を経過した今も被害の全容すら把握できないというから、今迄どのようなシステムを構築し訓練してきたのかが疑われる。災害時には電気も携帯も使えず、道路も通行困難という当たり前の想定はしていなかったのか?。市から県への報告が全く出来なかったと言う、原因は停電が原因と言うが本当か?、停電時に使うのが非常無線では無いのか、それどころか非常無線の使い方を知らなかったのではないのか。 たかが強風でこんな事になろうとは..などと鷹を食っていた感があるのは誰の目からも明らかである。 災害時には行政の怠慢の実態が露見するが今回はその最たるものだろう。オリンピックだの歌謡祭だのと下らないイベントに知事を先頭にして振り回されて災害の事など考えていなかったと言う事だろう。 それはともかくとして、なぜこんな災害が起きるのか県か市か誰か声を上げないのは何故か?。昔も災害は起きていたが最近のように大災害は余り起きていないし、伊勢湾台風とかいうように大概は記憶に残っている。ここ10年も同等の災害は多数起きているが余りにも数が多いため記憶には残らない。 1950年頃の気候に戻すことによって今の災害は激減するが、もう二度と戻すことは出来ない。何が悪かったのか..人間のやる事が享楽に偏ってしまったからだ。スポーツを始めコンサートや芸能など何の生産性も無い単なる享楽に多大なエネルギーを消費している結果だ。不可欠な野菜や米を作るためにもこれだけのエネルギーは消費していない。 エネルギーを使えば気温が上昇する、そうなると沼地を始め海水温も上がり水蒸気はどんどん増える。大雨や台風はその水蒸気が地上に落ちてくるだけのことなのだ。 若しも君たちが災害の被害者になりたくなかったらオリンピックや国体を始めとするスポーツイベントなどは中止してエネルギー消費を抑えること、また享楽に拘わることはせいぜいラジオで落語を聞くぐらいにすればいいのではないか。 それでは人生が楽しくないというならば、画用紙と色鉛筆を持って風景でもスケッチしたらどうだ。もっと何かしたい人は徒歩で伊勢神宮参りなどをすれば健康にも良いだろう。 空から降って来る雨は人の享楽を悲しむ天の涙だと考えるとわかり易いだろう。 極端な考え方にも感じるだろうが、これぐらいの内容はまだ甘い考えであることを記しておきたい。

【2019.09.16】
★今日もウオーキングをしながら猫に餌をやりヤギにも草をやっていつものコースを一回りして家に戻った時に火災発生の放送があり消防車のサイレンも聞こえた。場所を確認すると野良猫の住処の近くらしいので心配になって車で見に行った。するとほほ毎日通る道路脇で15分ぐらい前に通ってきたばかりの家から出火していて驚いたが、野良猫の住処に影響は無いようで安心した。車も5台ぐらい燃えたようなので黒煙が高く立ち上って真っ赤な炎も出ていたが、怪我人は出たらしいが死者は無かったようである。台風や集中豪雨の夏が過ぎると火災ジーズンになってくるから要注意だ。 ★弱り目に祟り目という諺がある、先日の台風で被害を受け屋根が飛ばされた地域に限って今日も大雨になっている。世の中はそうきものなのだ、落ち込んでいると社会や世間はここぞとばかり攻撃してくるのだ。手を差し伸べる人など居ないと思った方が良い。最後に助けてくれるのは家族だけである。東日本大震災のあとに結婚した人が急増したのは家族が如何に大切なものか実感したからである。社会の最小単位は家族である、しかしその家族も核家族化してからずいぶん時間が経って家族という集団は崩壊状態にある。これを立て直さない限り個人的には安寧の日は来ないだろう。 先祖の墓すら守れなくなって墓仕舞いをする人達が急増していると言うが無理もないことだろう。 家族の次というか人生に欠かす事の出来ない援助者は恋人ではないだろうか。中には僕には恋人など居ないという人も有ろうが、憧れている人ぐらいはあるだろう。その人を恋人と思って心から信奉する事によって大くの苦難から逃れたり勇気を貰えるはずだ。それも出来ないようなら何の為に自分は産まれて来たのだろうか再考すべきではないか。 僕も人生の前半はこうした恋うる人の存在が大きな影響を与えてくれた。辛い仕事も知識の習得(勉強)もその叶わぬ恋によってのみ支えられていたのだ。僕はそのことを毎日「詩」にして書き留めていて「ある日ある人」という本にして2冊を出版した事がある。 現在も似たような想いを書き留めていて「古希に謳う」(そうだ初恋を探しに行こう)という本にして出版したいと鋭意執筆中だ。ともかく、「いつでも青春」というのが僕の信条である。

【2019.09.15】
★秋になって気温の変化が大きくなってきた。こうなると高齢者の健康にも影響してくる。98歳になる義母も最近体調が悪いらしく入所している施設から実家に連絡があり食欲が落ちてきてしまったということだ。100歳近い高齢者は食欲が無くなってくると危険信号なのだ。多くの人達は死が近付くと物をあまり食べなくなる、そうすることによって安らかな死を迎えることが出来るのだ。これは人間だけではなく犬も猫も同じような傾向が有る。要するに食事をしないことによって脳を含む体内の臓器を休眠状態にして不安とか痛さなどから逃れる仕組みである。人のからだとは最後の最後までそのひとに優しく出来ていると感謝せずにはいられない。 更に脳の一部には死を確信したときだけ活動を開始する部分がある、この働きの一部がお花畑の上空を飛んでいるというような幻想を生んでいるという説も有る。 長生きは誰もが望んでいることだが、僕が接している100歳近い人達はそうそう長生きしても仕方が無いと考えている人が多い。これは何もすることが無くて毎日が暇なことも一因のようだが、もう人生に飽きたのだろうと思う。要するにこれ以上長生きしても何の楽しみも無いと言うことではないのだろうか。 青春時代のように恋愛も出来なければ失恋の寂しさも味わう事も出来ないのだ。 ひと言で失恋は死ぬほど辛いという、確かにその通であり多くの人が命を絶っていることは否めない。だが失恋も人生の大きな壁を乗り越えて生き抜く試練であると考えれば多少は和むだろう。 青春時代に好きだった人と30年も40年も過ぎてから再会し、改めて友人になると言うことだってあるのだ。実はその方が君たちにとって幸せなのである。初恋の人と結婚してみなさい、何年もしないうちに相手の性格がわかり、癖も本音も知れてくる。多くの初恋カップルが離婚しているという事実も知っておくべきではないだろうか。そういうふうに考える事が失恋の痛みから抜ける唯一の方法でもあり正解でもある。何事もプラス思考で考えればそれが正解となり毎日楽しい生活を送る事が出来るのだ。

【2019.09.14】
★ずいぶん涼しくなった。南アルプス山麓の山小屋の朝6時の気温をみると18度ぐらいあってまだまだ冷え込んできていない。だが森は松茸のシーズンになり、新聞でも各地から採取の記事が載りだした。こうなっては命がけでも行かねばならない、朝早くから山小屋に出掛けた。早速ザイルを点検してからナタとノコギリを腰にぶら下げて山に入った。雰囲気的にはまだ時期尚早という感じだったが、何と一角に数本の松茸を発見した。収穫したのはこれだけだが昨年一本も出なかったことから今年は期待大である。しかし松茸が出ているのはザイルを使っていく岩場であり行くのも今年が限界である。今日も命と引き換えの採取だった。 僕はたかが松茸で死にたくはない、どうせならスポーツカーでザ・ヴィーナスの「キッスは目にして」など聞きながら死にたいと思っている。先日もこの曲を聞きながら真っ赤なオープンカーに乗って走ったが、死ぬことに対して何の恐怖も無いどころかこの状態で本当に死んだとしたら世界一の幸福なのだと思って走っていた。 こんな死に方など望んでも出来ないだろう、抗がん剤でボロボロにされたり、糖尿病で脚を切断したら無理だ。元気である事が条件である。 僕は始めてのスポーツカーだったスーパーセブンに乗ったのがもう30年余昔になる。この車は走る棺桶と言われてほぼレーシングカーに近いものだった。様々な故障に見舞われたが命を落とすことも無く次の車種に移行できた。現在乗っている車は4台目だが、家族も友人も乗せたことが無い。 しかし還暦を過ぎると300馬力を越す車は扱いにくくなってしまった。なにしろ出足が早すぎるし、カーブからの立ち上がりも命がけになる。家族から絶対に人を傷つけないように言われているので最近はそこんとこも注意している。 しかし「ランボルギーニ.アベンタドール.ロードスター」を買う夢はまだ諦めて居ないのだ。こいつに乗って突っ走ったら癌などは消え失せてしまうに違いない。まさにスポーツカーは古希を過ぎた僕にとって医者要らずの妙薬なのだ。

【2019.09.13】
★仏滅、13日の金曜日というまさに神仏の加護もないような1日だったが、何とか生き延びていることにただ感謝である。震災や水害でひどい目に遭っている人達がテレビに写っているが、泣いている人はほとんど居ない。ほとんどの被害者が笑って居るのだ。これは笑うことによってストレスを減らそうという人間の自律神経の為せる技の一つなのだ。泣いてばかりいてもどうなるわけでもない、笑っていた方が明日に対する希望も湧いてくるのである。 人は死ぬ寸前にも同様の脳神経が作用して苦しさと痛さから救ってくれるように出来ている。人間とはこの世界で最高のシステムと脳構造を持っているが、実は人間というのは一人一人顔かたちが変わっていても同じ細胞の塊に過ぎないのだ。要するに全ての人間は小さな細胞が約37兆個が集まって臓器や脳それに筋肉などを構成しているに過ぎないのである。だから人間は全て平等であると規定されるのだ。 君たちも卑屈になどなることはない、堂々と何も恐れること無く真っ当に生きようではないか。こうした考え方こそが君たちの未来に希望の光をともす原動力なのである。 ★千葉県や横浜市の県知事や市長が相次いで「今回の台風は想定外の災害だった」というコメントを出したが、彼らも馬鹿者の仲間ではないのか?。風速50mや60mは沖縄近海の島では毎年のように経験しているものだ。温暖化で気候や雨の降り方が西から東日本に移動して来ているのだから予測できて当たり前ではないか。早い話が、税金の使途について利権のことだけを中心に据えた予算配分になっているのが問題だ。インフラだとかライフラインだとか横文字で世間を誤魔化して遊んでいるとこうした惨事は再び起きるのだ。 東京電力の予測も甘かったと言っているが、福島第一原発の爆発事故の対応などで電力会社の間の抜けたというか馬鹿さ加減を学んだばかりだったのではなかったか。 NHKという利権放送局も彼らと同列であり、言わば官僚組織そのものである。 僕がいま構想を練っている小説「春からの帰郷」はこうした官僚組織がなぜ出来てしまったのか、明治維新に戻ってその事実を検証しようとするものだ。 人間は一人だとまともであっても、○○会とか、○○協会など徒党を組むと確実に悪に走るという弱みを抱えている動物である事を認識したい。

【2019.09.12】
★今日は朝から電話とLINEが鳴りっぱなしである。同級生からの御礼とか人生についてとか次の会食の話などだ。僕たちの中学生時代は男女が気やすく会話する事がほぼ皆無だった。だからいま古希を過ぎたら男も女も人生の役割はもう終えても良いので自由に話そうということだ。僕も同級生とほとんど話をしたことなどなかったが、古希を契機にして大勢の人とLINEなどでつなげて話し合っている。時には会食もするが、顔を合わせて話すのは実に楽しい。また担任の先生がお元気にしているので参加して頂いているが、みな大喜びである。過ぎ去った青春をもう一度という考えで僕は毎日頑張っているのだ。 ★台風が運んできた南の風は蒸し暑さだけでなく台風被害者を苦しめている。電気が無いと死ぬ人まで出るという社会の現実は我々が造り上げた砂上の楼閣にみえませんか?。 僕は電気など無いところに生まれ、テレビは当然だがラジオも新聞さえも無い状況で育ったが何の不都合も感じなかった。大きな事件は噂と井戸端会議でわかったし、台風の襲来は雲の動きや婆さんの神経痛の痛みで知った。これで十分だったのだが、情報が大量に供給されると何が真実なのかの判断が必要となる。だいいちNHKで言っていることはな違いないことだと信じている馬鹿が日本人の八割以上にのぼるという現実も心配を通り越して恐怖である。 この程度の台風の風で送電鉄塔が倒壊するというのは明らかに強度不足であろう。今後の風圧荷重の設計は風速100m以上で行うのを最低限として法制化しなければならない。企業のカネ儲けのために、或いはカネ儲けの加担のために作られた法や規則はもう役に立たないのである。 山間部の鉄塔や建物は倒壊しても人命に直接影響は無いが、町のど真ん中にあるゴルフ練習場などは規制しなければならないし、ビル建設の足場の強度についても法改正の必要がある。既にこれが崩れて死者も出ているではないか。とにかく国民の安全安心は憲法改正や自衛隊の増強では解決しないことは馬鹿でもわかる事実である。 消費税を増税した分を戦闘機購入に使うようなら国民は消費税が10%のものは買い控えして政府の馬鹿者達に対抗するべきだし、そのぐらいの反骨精神が無いと今後生きていけないだろう。

【2019.09.11】
★テレビも新聞も相変わらず異常気象の大雨だとか集中豪雨だなどと報道しているが、明らかに間違いである。たぶん政府筋や自動車産業などを忖度しての報道だと推察するが間違いでは無かろう。これは異常な気象ではなく日本が明らかに亜熱帯気候地帯に入ったことを証明するものなのだ。集中的に移動しながら短時間に大量の雨を降らせるのが特徴であり、春夏秋冬がなくなって夏と冬だけの気候になる。だから秋の時間が短くて一気に冬に突入してしまうのだ。 ここで問題になるのが法改正や企画基準の改正である。建築を始め学校の行事に至るまで大幅に見直さねばならないのだ。先日も幾つかの学校で数十人が熱中症になって病院に搬送されているが、これらも明らかに文部科学省の気候変動に対する対応の遅れであろう。 河川の改修や堤防の高さ、建築基準法の見直しも必要であり、急傾斜地や湖沼の埋め立て地への住宅建設は禁止しなければならない。それに伴って宅地、農地などの見直しも必要だろう。 要するに各省庁の役人が対応策を何も考えずに遊んでばかりいる証拠である。もし遊んでいないというなら馬鹿の集団でしかない。僕は後者だと思う、遅くまで残業して給料と点数稼ぎはするが仕事内容が何も無いのだ。こんな役人達に税金で賃金を支払う価値などどこにも見いだせない。 最近は気象庁が国土交通省や総務相に代わって災害時に命を守る行動などと言っているのはどうしたものか。明らかに河川の水位が上がってくれば国土交通省管轄の河川ならば逐一テレビで情報を流すべきだろう。インターネットのホームページなどほとんどの人が見ていない。テレビでないと効果がない、NHKや民望でなく衛星放送の空チャンネルは幾らでも有るから利用すれば良いではないか。税金の使途はこう言うところに使うべきであり、役人の宴会や天下りに使うべきではないのだ。こんな事は北欧諸国などでは当たり前であり、日本の行政の貧弱さを知ったら驚くであろう。 更に税金を使ってこうした先進国の視察を繰り返しても行政に反映しなければタダの無駄遣いである。こうした馬鹿共を取りし締まる組織が必要になってきたのは言うまでもない。第二次世界大戦中の日本で言えば「憲兵」アメリカで言えば「MP」要するにミリタリーポリスだ。「役人特高警察」とでも命名したら迫力が出る。これを今の行政組織に投入するのである。そうなれば子供の保護施設の連中とか教育委員会の馬鹿共も投獄されるのは間違いない。これらの処置を早急に実行しないと日本は役人に食い潰されてしまう。これはクロネコヤマトの創業者の言葉でもある。もちろん本田宗一郎氏などの賢人が生きていたらツイッターやユーチューブなどで発信するであろうが..。

【2019.09.10】
暑い、とにかく暑いのだ。この猛暑の中で停電している家が60万軒あるというがどうしたものか。鉄塔が倒れたと言う事だが、電線かかる風圧荷重は計算してみると大きな値になる。これから鉄塔を建てるには風速100m位を想定しないとダメだろう。台風の最大風速が50mと言っても瞬間的には70〜80mなる場所もあるからだ。側溝の排水量の基準も考えないと流しきれない水が噴き出して街は水没する。温暖化によって蒸発する海水は毎日とんでもない数字になるだろう、50年先を見越した設計基準に改訂していくべきである。 とにかく電気が止まるとアパートなどは水が出ない、冷蔵庫もエアコンも使えない。スマートフォンも充電出来なくなる。老人ホームや介護施設は自家発電設備設置を義務化しなければならない、今迄無かったのが間違いなのだ。 ★今日は中学校時代の恩師と一緒に、教え子の経営しているレストランで会食した。このところ毎月1回ぐらいのペースでやっているが、来月の会食も既に計画に入っているのだから楽しみが多い。古希を越えたら仕事などしないで遊ぶことに専念したい、作業で1万歩歩いてもストレスと疲労が溜まるだけだ。それよりも好きなスポーツとかウオーキングで5千歩歩いた方が健康には良いに決まっている。 団塊の世代は日本の発展に体を張って貢献してきた年代である、国から温泉入浴券を毎月配ってもいいぐらいだ。更に遊興費として毎月10万円位ずつ配るとなおいい。今の政府で出来るわけは無いが、北欧のように貯金ゼロでも老後を暮らしていけるシステム造りが急務であろう。GNPが日本の半分にも満たない国がこうしたシステムを持っているのだから出来ないわけがない。要するに政治の謀略と貧困であろう。 ともかく老人にカネを配って観光地に向かわせればカネが循環する。一部の人達にとんでもないような巨額のためこみを許していては国が滅びてしまうのだ。ともかく今後の人生を悔いの無い満足いくようにしたいものだ。働くために産まれて来たのではないことを再確認しようではないか。

【2019.09.09】
★真夏のような暑さである、ウオーキングしていても真夏と変わらないのだ。実は先日のことだがいつものウオーキングのルートを歩いていると時々餌をやっている猫に道で出会った。猫はこっちに来いと何度も振り向きながら僕を先導して農家の小さな道具小屋の裏に案内した。金網で囲まれた屋根下の一角を見たら何と生まれたばかりの子猫が3匹居るではないか。いつも持ち歩いている猫の餌をそこに置いて立ち去った。次の日に毎日この親猫の面倒をみている婦人と会ってこの事を伝えた。そして今日その場所に行ってみると子猫は既に居なかった。たぶんその婦人が保護したのだろうと思う。 僕は歩きながら考えた、人も猫も産まれる家を選択できないという言わば天命があるということを。要するに生まれたときから格差が付いているようなものだから早速逃れようが無い。 だからといって野良猫が産み捨てた猫であっても不幸になるとは限らない。僕も捨て猫を三匹育てていることは何度も書いたが、捨て猫だったからこそどこの猫よりも幸せに育てているつもりである。運命などと言うものは生まれた場所で決まるものではない事だけは認識しておきたいものだ。 ★台風も伊那谷には何の被害も起こさずに足早に立ち去ったが、東京や横浜では浸水したり壁や足場が飛んだりして騒いでいる様子が報道されている。要するに災害は他人事では無いのだ、このことも認識しておきたい。高台に家があるからと安心していると裏山が崩れてくることだってある。絶対に安心がない事は昨日の例でもわかるだろう、老人が避難所に行く途中で死亡したというのだ。家の中に居れば助かったかもしれない、命を左右するのは現金でも地位でもない。人の未来は先のことなのでわからないことだと言われているが、最近の科学では既に遠い未来まで時間軸は存在していて、我々はその時間の断面を生きているだけだという事だ。要するに死ぬまで既に自身の時間軸は伸びているのである。逆らうことが出来ないのはその為である。「色即是空」とか「空即是色」というのがその事を顕して仏教の教えなのだが、お経を百万回読んでも既に出来上がったものを変える事は出来ない。 難しいことを考えずに楽しく生きることが時間軸を伸ばす唯一の方策だと納得したい。

【2019.09.08】
★明後日には数名の同級生が集まって会食することになっている。そこで何か面白いプレゼントが出来なものかと昨日いつもの曲を聴きながらウオーキングしていたら、ハット思いついた。そうだこの曲と僕の挨拶というかコメントを録音した音楽CDを作ってみたらどうかという発想だ。早速家に帰ってからコンピューターに僕の音声を録音し、好きな曲を何曲か取り出して音楽CDファイルを作った。再生してみるっと何かコメントを話している時が閑散としている、そこで昔の流行歌のカラオケをダウンロードしてから、フェードインとフェードアウトを加え多重録音したところ聞けるものになった。ここまで5時間かかってしまった。そこから「BurnAware」というCDを焼き込むソフトを使って音楽CDを5枚ほど作っていたら一日が終わってしまった。 今日になって10時頃から再び製作を始めた、何を作ったかというとCDのラベルである。早速電気店にラベルの用紙を買いに行ってから写真を探したりしフォトショップを使ってデータをこしらえて印刷した。実はこの作業はこれからが本番で、丸いCDの表面にピタッと合わせて貼り付けるには特殊な治具が必要になるのだ。昔使ったことがあったのを思い出し倉庫の中を探したところ20年ぐらい前の治具が出てきた。何でも保管しておくべきだ。 こうして何と2日がかりで完成したが、家族に聞かせたところ、唄が旧いとかコメントが不自然だとかクレームを付けられた。しかし収録曲のほとんどは50年ぐらい前のヒット曲だから仕方が無いだろう。 最初から聞いてみると実に良いモノができたと我ながら感動した。僕は作詞家の阿久悠さんのファンなので、森昌子の中学三部作(せんせい、同級生、中学三年生)は作曲が遠藤実で一見子供臭いような作品だが中学の同級生が老いて楽しむには一番いいのではないか。 こうしてようやく森昌子が8曲を始め、舟木一夫、荒井由実、西郷輝彦、山口百恵など全20曲が入った CDが完成した。そのCDを聞きながらいまキーボードを叩いているが、懐かしさと思い出と初恋の感動などが不死鳥のように蘇ってきて、いつの間にか頬に涙が落ちてきてしまった。 僕は最近涙もろくなってしまった、何故だろうか?。何か小さな事でも青春時代の友のことや出来事を思い出すと泣けてくるのである。こんな時はスポーツカーを出してきてザ.ビーナスの「キッスは目にして」という曲をハイパワーで鳴らしながらかっ飛ばすと涙は風に飛ばされて朗らかさを取り戻すのだ。こんな馬鹿な人が近くに一人ぐらい居てもいいではないか。

【2019.09.07】
★台風が持って来たのかどうかは知らないが、夏の暑さがぶり返してきたようだ。阿南町にある施設に出掛けて周りを約30分ほどウオーキングしたが汗でびっしょり濡れになった。 周りの景色も秋の様相を見せだしたのか、神社では氏子が祭りと煙火大会の準備をしていた。秋の味覚の代表「さんま」も今年は不漁らしい。価格も跳ね上がっているが、どうしても食べたいとは思わない。高くて品不足という宣伝文句には欺されないことだ。倉庫には幾らでもストックがある。 日本中にこれだけ多くの車が走っていて事故が少ないのは、運転者が注意をして運転しているからだろう。今日のニュースを見ても駐車場の入口と地下鉄の入口を間違えて飛び込んだ人がいた。要するに街の構造が複雑になりすぎてわからないから飛び込んだのである。もっと簡単に建物自体を色で識別するぐらいにしないと人間の判断能力を超えていて事故が起きるのは当たり前のことだ。おびただしい交通標識も問題が有る、標識を山ほど立てなければならないような道路を造らないようにすることが先決だろう。いい加減な都市設計によって庶民は惑わされ、終いには犯罪者にされてしまう。これは本当の街の姿では無い。要するに目をつぶっていても歩けるような街を造るべきだが、そういう技術者は日本にはいない。何故なら教育が詰め込みだけの単純なものだからである。担当省庁は想像力をかき立てるような教育に変えて行くと言うが、戦争や原発の怖さを隠してしまうような教育ではダメなのだ。官僚や内閣が教育に口を出している以上改革は進まないだろう。 改革とは総理大臣を含めて金持ちが大きな痛みを伴うものをいう、彼らが平気で暮らしているようならば改革をしたことにはならないのだ。 地球温暖化も彼らの痛みがまるで伴わない政治によって引き起こされた現象なのである。 今日はもう少し書こうかと思ったが、18:30分から友人が出演するテレビ番組が始まるのでもうやめた。

【2019.09.06】
★このところ気温の変化が大きい。老齢の方々は体調を崩さないように注意してほしい。最近はこうした酷暑などによって若い人も体調を崩す人も多いと聞く。気温変化がストレスとなって精神的に悪影響するのだろうか?。人体はこうした環境変化についていくのが苦手である、転勤などで体調を壊す人が多いのもこのせいだろう。 僕の知り合いに喘息がちっとも治らない人がいたが、思いきって住む場所を変えたら一夜にして治ったという例もある。この人は大きなダムのすぐ下流に住んでいた、ダムが放流すると大量の霧が発生する。この霧が原因だったように思うが病気によっては転地は有効な治療法である。 僕の南アルプス山麓の山小屋から2kmほど離れた場所に引っ越してきた家族がある。子供の喘息が治らないので引っ越してきたのだが、この例も同じように治ってしまった。この環境の良さに惚れ込んで家族全員が引っ越してきてしまったということだ。 日本は既に亜熱帯性気候になってしまった、体もそれに合わせる事が必要になる。また農産物もこの気候に合わせないとリンゴなどの収穫に影響し、やがては生産できなくなる。伊那谷の農業試験所では暑さに強い品種作りに精を出しているという。もうすぐ北海道でもリンゴが生産できるようになるだろう。 ★台風15号が本土を狙っているようだ。8日から10日にかけて本土を通過するようだが、10日には食事会を予定しているので何とか避けて通ってほしいものだ。何とかしたいが人力では無理である、こうなっては神頼みしか方法がない。僕はほぼ毎日ウオーキングの途中で神社に寄って参拝している。明日からは台風除けを祈願してみるとするか。 災害列島になってしまった日本である、戦闘機を買うよりも仮設住宅を買った方が喜ばれるのは明らかだ。外国の仮設住宅は一般の住宅とほぼ変わらない広さと設備がある。災害に遭っても安心できる住環境こそ毎日幸福に暮らす必須条件ではないのか。 安全安心はミサイルや兵器保有によって得られるものではないことを政治家諸君は知っておきたいものだ。また知っていても改革しないのは犯罪である。 国民の税金は天下りの土産では無い、自分たちの未来を少しでも明るくしたいためのものだ。年金が毎月6万円でどうやって幸福が掴めるのか。政治家の昼飯代の一回分にも満たないこともあろう、こうした格差を少しでも無くしていくことも政治家の仕事なのである。政党の下に金魚の糞みたいにくっついて政党交付金の恩恵にあずかろうという根性こそ、いま政治家がいち早く捨てなければならないものだ。

【2019.09.05】
★傘をさしてウオーキングに出たが途中から晴れ間も出てきた。こうなるとジメジメムシムシして余計に暑くなるから雨が降っていた方歩くには好都合なのだ。 イギリスもいまだにEU脱退の決断がされす右往左往、韓国もタマネギ男などと言うお笑いのような人物が現れてグチャグチャになっている。北朝鮮も攻撃して占領するなら今の内なのだが、そんな度胸も資金も無いようだ。 日本でも子供は虐待のうえ殺されるし、電車は脱線し死者や怪我人が出ている。 雨が降れば人も家も流れ、自動車さえも水没し動かなくなる。裏山は宅地開発の犠牲になって崩れ、容量のない側溝は雨を流しきれずに吹き出し家の中まで水が侵入している。 21世紀の科学や医学、建築や防災などが万能の世界にいったい何が欠けているのだろうか。明らかに利権とカネ儲けの犠牲となっているのは否めない。 例えば今日の電車と自動車が踏切で衝突した事故もカネ儲け優先の末に起きた人災事故である。大都市の中を走る道路と鉄道がなぜ立体交差になっていないのか?。田舎の歩道でさえ線路の地下を通過している。 計画的に立体交差化をすすめればとうの昔に出来ているというのに人命をも軽視して利益優先に走っているのが鉄道会社という大企業なのだ。何の為に鉄道があるのか、社長や株主が儲けるのが目的ではないはずだ。要するに公益事業である、庶民の為に奉仕しようという考えが根幹に全く無いと言うことだ。こんな会社が我が物顔で都市の中を電車が走り回っているのだから事故が起きて当然である。 フールプルーフという考え方が基本に無くてはならぬ、要するに馬鹿が通っても怪我を絶対にしない仕組みをハード的に作るのだ。現在は通行する人の注意によって事故が起きていないだけのことだ。 駅のホームには最近になって危険防止の為の扉が造られているが、こうした対策をもっと早く、例え大幅に企業の利益が圧迫されてもやるのが庶民の為の公共事業ではないのか。 大雨で浸水した町並みが毎年テレビに映し出されるが、地球を温暖化してしまった反省がどこにも見えない。全く必要としないスポーツ大会やオリンピックを開催すれば温暖化は一段と加速されるのは小学生でもわかることではないか。こんな利権事業を平気でやっておいて何が温暖化会議か?、関係者の官費旅行としか思えない。会議をやること自体が温暖化に拍車を掛けているのだ。 更に温暖化の予測のために1万軒の家庭の電気を使ってしまうスーパーコンピュータまで造って毎日オタクが遊んでいるのだ。これでは災害を助長し歓迎しているようなものだ。台風など予測しなくとも空が暗くなって風が吹いてくれば近づいてきたと判断できるのが人間なのだ。

【2019.09.04】
★世の中はスマートフォンを持たないと生活に支障をきたすような状況になってきた。僕が最近困っているのはスマートフォンを持たない人への連絡である。まずLINEが使えないから写真や図面が送れない。電話もタダで掛けられないから長話も出来ないのだ。 ショッピングもスマートフォンでないとパンも買えないようになる。中国ではほぼ100%がスマートフォン決済である、何故ならニセ札が大量に流通していてレジ係が判別できないからだ。スマートフォン決済ならばそういう心配は無い。電子決済の危険性はハッキングによるパスワードなどの流出だが、これも最近は100%保証されるというから安心である。 ここまでスマートフォンが増えると政府や省庁も未来を想像なしければならないだろう。いま問題になっているのは歩きながらスマートフォンを操作していて事故になるケースだ。自転車に専用帯が設けられているようにスマートフォン専用帯付きの歩道が必要になる。禁止するだけが制度では無い、如何にして事故を無くしてスマートフォンを活用できるかである。こうしなければ中国や韓国には絶対に追いつけない。 先進技術の5G(第五世代技術)では中国が一歩進んでいる、これらはファーウェイ社の技術によるものがおおきいが、アメリカはその出る杭を恐れてファーウェイたたきをしている。何の根拠も証拠も無く、単に恐れと自国の未熟な技術のために。 機密や個人情報が盗まれると言うが、アメリカのFBIなど毎日世界の通信を盗聴しているではいか。日本人がかけるの電話の内容などまで膨大な量の通信を盗聴しているのだ。これをサバいているのが人工知能である。盗聴した内容を分析してテロとか大統領のスキャンダルに係わることなどを抽出して記録してレポートするのである。 庶民は盗聴が怖くて電話が出来るか、という勇気を持てばいいだけのことだ。先日も書いたが「さあ殺せ」という覚悟があれば何も怖いものはない。 それよりも日本の警察や検察が冤罪をでっち上げる重大な犯罪を人工知能を使って発見すべきである。この冤罪方が北朝鮮のミサイルよりも明らかに国民にとって大きな不安材料である。 香港でもデモ騒ぎが続いているが、権力というものは治安と弾圧が表裏一体である。この権力の扱いを今後どのようにしていくのか真剣に検討すべきだろう。 ともかく馬鹿者たちによって運営される国家はこの先ろくな事は無さそうだ。 韓国では入試制度改革をすると言うが、下らない意見だけを戦わせるだけで何の実効性も無いだろう。日本も韓国に先んじて東大と京大から公務員を採用しないようにすることだけで十分に入試改革できるのだ。こんな簡単な事を何故しないのか、馬鹿としか言いようが無い。

【2019.09.03】
久し振りに気温が上がって33度になったが夏も過ぎた感がある。しかし南の海には台風が幾つか渦巻いているようだ。これも暴力団と同じで必要悪みたいなものだ、台風に寄ってもらえなかったら農業などに支障が生じるのは間違いない。 今日は中先生を連れ出して近くのレストランで昼食をしながら4時間ぐらい歓談してきた。しかし88歳になって自炊生活は堪えると思う、僕ならばとうにギブアップしている。僕の父もやはり88歳ぐらいまで南アルプス山麓の山小屋で自炊生活をしていた。やはり戦争を乗り越えてきた人達は根性というか気力が我々とは違うものがあるのを感じる。山小屋の近くには97歳まで一人で住んでいた婦人がいたが、その気力は並大抵のものではなかった。94歳ぐらいの時に居間で脳梗塞になったが、這って電話機の所に行って救急車を呼んで病院に行ったのだ。早い時間に病院に入ったので注射して1週間ぐらいで退院し翌日から畑仕事をしていた。 もっと凄い話もある、家から30m位離れた場所でミツバチを飼っていたが夜になると熊が出没した、ロケット花火を100本ぐらい買ってきて夜中に熊が出てくる音を確認すると、何と熊に向かってロケット花火を何本も打って追い散らしていたのだ。さすがの熊も二度と来なくなったという。 生きる(特に長生きする)というのこと健康診断に行ったり薬を飲むのではなく根性であると僕はその時悟ったのだ。僕はもう数年間医者に行っていない、理由は医者と意見が合わず喧嘩して行かなくなったのだ。だが僕は医者や薬に頼らず自分の力で治そうと覚悟を決めたのだ。1年に2,000km程度ウオーキングしたりして健康維持に努めた結果、血圧は平常になり、糖尿病はほぼ薬が不要なレベルまでになった。また狭心症も既に90%位は克服したと思っている。 ここまでやって死んだとしたらそれは寿命である。こうなったら高名な医者にかかろうと手術をしようと1ヶ月ぐらい長生き出来るだけだろう。 人間、昔のヤクザのように「さあ殺せ」という覚悟があれば何とか楽しく生きていけるものなのだ。

【2019.09.02】
★中学校の同級生の親睦を深めるために食事会を時々催している。古希を過ぎてから懐かしい仲間と食事をするのは実に楽しいものだ。来週も各自のスケジュールを調整して何とか開催することにこぎ着けた。難しいのは介護している人が居たり、更に週3日ぐらいでアルバイトしている人も居ること。中には自営業の人もあるから集まるのも大変だが、それなりにやりがいもある。 ともかく70歳過ぎたらせっかく天から貰った命を自由に有効に使い切るべきである。この世に未練をいっぱい残したまま逝くのは罪である。それと近隣の目など気にせず考えを貫く事が出来る年令になったのだ。 ★企業が安い賃金で従業員をコキ使って貯め込んだ金は過去最高の463兆円に達している。2019年の国家予算の一般会計が101兆円だからその五倍近く溜め込んでいると言う事だ。このバランスを取るのが政府の仕事である。法改正して貯めた資金に高額の税を課すべきであろう。また社会福祉に対する寄付を奨励して全国に「特別養護老人ホーム」を4、000ヶ所ぐらい建設するように計らいたい(とりあえず各県に100ヶ所、1万人程度を収容)。日本の発展に貢献してきた人達の最期を看取るのは国家の仕事であることを忘れてはならない。間違っても子供や家族に強要しないことだ。家族に看護をおしつけると生産性は確実に低下し税収も減る。これを巧くさばけないような者達に政治経済を任せるべきでは無い。 海千山千のような経験も無くそれらしい顔をした馬鹿者達の行う政治は堕落という末路しか浮かばないが、いま既にこの末路を迎えたような気がする。 消費税の増税にしても同じ物を買っても食べる場所で税金が変わるというような馬鹿げたシステムはどこから発想したのか知りたい。あまりにも馬鹿馬鹿しくて正気の者が計画したとは思えないのだ。要するに国民は馬鹿者に舐められていると言う事だが、それでもまだ従おうというのも正気の沙汰では無い。 スーパーのレジ袋の件も同様である、何年か前から有料配布する店が出来たが、僕はそういった店は極力買いものを避けている。店に入ったとしても絶対にレジ袋は買わない。1円未満の袋を10倍の5円も出して買うなど正気では出来ない。ビニール公害を無くすならビニールの生産自体を禁止すればいいではないか。実に簡単な事だ。庶民は竹の皮に包んででも対応できるところを見せようではないか。竹の皮さえ知らないものが法など作るべきでは無いということだ。

【2019.09.01】
★防災の日にも拘わらず好天に恵まれた。長男夫婦が上村の下栗に行ったことがないということで急遽同行して行く事になった。飯田市から約1時間半、下栗の中心となっている「半場亭」の脇で風景の撮影をしてから友人宅に寄って昼食をごちそうになった。下栗の産物をすごみに使った料理と下栗芋、それと特産品を使った炊き込みごはんなどをいただいてきた。ビューポイントからの風景も霧や雲に遮られること無く観賞できた。しらびそ高原ロッジまでの道路は一部通行止めとなっているため今回は行くのをやめた。 夏から秋にかけての下栗の風景は実に良いが、冬から春までの半年間はあまり住みよい場所とは言えない。なぜなら僕も下栗と全く変わらない海抜1,000m超えの山の中で育ったからである。こうした医者もコンビニもない環境で生活するのは並大抵のことではないのだ。しかし今の世の中、この不便さこそ観光の目玉になってるというか、目玉に仕立て上げているのには頭が下がる。 田舎はなぜ大切にしなければならないのか誰も知らないし理解していない、田舎は水源地を守る役目だけしているわけではない。人材を都会に送り出して日本の発展をになってきた立役者だったのだ。こうした山村の人達に報いることのない発展は何の意味も持たない。言い換えれば日本人の持っている「美学」が全く感じられないのだ。君たちはこの「美学」が何かもわからないだろう、それは日本人がオリンピックなどの競技でドーピングをしないということにも現れている。ロシアなどは国家を挙げてドーピングしたりKGBがその隠蔽に協力しているではないか。 美学とは「勝てば良い」「儲かれば良い」という考えと正反対の考え方である。ドーピングして勝っても勝った事にならないという実に美しい考え方なのだ。 これからの日本は武士道とその美学を学ぶべきだろう。 悪事が発覚したとき、例え死に値しない罪であっても自ら非を認めて切腹する勇気と正義と社会に対して詫びることだ。更に死を目前にして辞世の句を詠むという世界に類を見ない教養も身に付けておきたいものだ。 この武士道を全うできないような公務員は辞めて貰うのが良いだろう、どうせ税金を無駄遣いしてしまうだけの存在になる。 今回の佐賀県で起きた浸水災害でも油の流出を見逃していたのは役人である。前回も同様の流出事故を起こしたにも拘わらず何の処置も講じていなかったのだ。明らかに官庁怠慢による人災である。すまないでは済まされないものであり、被害者は行政を相手取って補償請求すべき案件だ。田畑に入った油は土を汚染してしまったから、今後稲作や野菜造りは出来なくなり生産者が路頭に迷うことになる。ここまで行政が怠慢だと9/1の防災訓練など何の役にも立たない処か単なる時間の無駄でしかない。