【2019.10.31】
馬鹿な議員や大臣が本心を吐露した挙げ句の果てに辞任するのはニュースにもならない事件である。またマラソン選手が走る道で揉めているのも単なる笑い話であろう。如何に暑くとも訓練して強い選手は生き残るのだ、マラソンとはそういう試練を走り抜ける競技ではないのか。 日本はいま豪雨や浸水など天変地異で多くの庶民が路頭に迷っている状態だ。水攻めの次は火攻めである。首里城の全焼は何か戦国時代の城が焼け落ちる光景を見ているようだった。織田信長が山頂に築いた安土桃山城が焼け落ちたときも似たような光景であったに違いない。造った人間でさえ死んでいくのだから建物など朽ちて当たり前なのだ。 やっと復元が完成した御祝い行事で丸焼けになったのでは話にならない。建物内にはお祭用のローソクが1万本も保管した有ったと言うから、これも燃焼に役立ってしまったのだろう。 そもそも世界遺産とはお祭り騒ぎを奨励するものではない、観光客さえ制限して後世にまで現状のまま残そうと言うものなのだ。考えてみればオリンピックと同じで世界遺産の指定というのも裏で利権が絡んだものに変わって来ているのだろうか。オリンピックはプロが出るようになってから完全に利権とカネ儲けに特化したものに変貌してしまった。若者の祭典に見せ掛けて裏では老人や元総理などのヨボヨボの爺さん達が仕切っているというのもその証拠であろう。施設建設には既に3兆円が使われている、ボート競技ならば新潟港から佐渡まで往復して競えばいい。マラソンなど河川敷や開通予定の高速道路など幾らでも走るところはある。観客がいなくともヘリコプターやドローンを使ったテレビ中継を茶の間でコーヒー飲みながら見た方が遙かに現代的であろうし無駄なエネルギー消費も抑えられる。昨今の情報革命が何も生かされていないではないか。やはり馬鹿達の祭典と言われても仕方なかろう。ともかく日本はいま災害弱者の救出と日常へ戻すことが第一の命題であることを忘れてはならない。明日は我が身と言う事が念頭にあればラグビーなど見る気にはなれないはずではないか。 ついに文明の終焉という歴史的イベントをこの目で見ることになる日が近付いている。文明は発展しすぎると崩壊し人々は死ぬか離散するという歴史的事実を学んでいたのではないか。 何事も「いい加減」ということがいま学ぶべきことではないか。 僕の座右は「適当に」という言葉だが、これも言い換えればいい加減ということになる。仕事も祭も運動も教育も政治もこのいい加減という限度を既に超えてしまったから、文明は終焉に向かっていると僕は判断したのである。

【2019年10月30日】
★昨日の冷たい雨と打って変わって今日は気温も上がってまさに小春日和というに相応しい一日だった。昨日予定していた南アルプス山麓の山小屋でのバーベキューパーティーを今日に延期したのは正解だった。紅葉もすすみ空気も澄んでいてこの秋一番と言って良い好天で、一日中屋外に居たら日焼けしてしまった。 こんな時は中学時代の同級生と親交を温めるには最適である、平岡や下栗、それに松川町から集った人はもう15年ぐらい会っていない人なので昔話に花が咲いて時間の過ぎるのを忘れてしまっていた。しかし秋の日は短く15時になると日は陰り急に寒くなってくるのが山小屋の気候である。話は尽きなかったが早々に切り上げて帰ってきた、だが来月3日にもここでバーベキューパーティーを予定しているが、今度は家族と親族である。幸いあと一週間は天気がいいようなので助かる。とにかく一日でも延期すると参加者や人数が仕事の都合などでが変わってしまう。 ★マラソン会場問題でオリンピックは面白い展開になっている。この際、東京都は開催地返上をしたらどうだろうか。それと以後日本での開催はしないし選手も派遣しないという宣言をしたらどうか。多くの人が反対するだろうが、税金の無駄遣いと温暖化防止には最もいい行動であろう。だいたいがスーパーの買い物袋の節約ぐらいで温暖化や環境が好転するなどと考えるのがまちがいなのだ。それどころか政府が下らない施策を打ち出す度に温暖化は進展し、豪雨災害は多発するのである。大雨の被害こそ人災の最たるものだ。 テレビ放送も22時から朝5時までは停波することと、終電車も22時に打ち切りにする。こうした大胆な政策を世界の国が一斉に実行しなければ温暖化は足踏みしない。海水温が0.1度でも上がれば大量の水蒸気が空に上がり豪雨となる。とにかく災害を止めるには海水温を下げるしかない。 僕たちのようなバブル時代とオイルショックを生きて来た者はそんなことは知った事ではないが、未来ある若者はもっと政治に関心を持つべきだろう。

【2019.10.29】
★寒い、とにかく今日は気温が下がった。だが明日は快晴になり気温も上がるという。明日は南アルプス山麓の山小屋の庭に同級生数人が集まってバーベキューパーティーをする予定なのでありがたい。今日はそのバーベキューに使う肉などを買いに走り回った、1kg単位の牛肉をブロックで売っている店があまりないので、飯田インターの近くにある「肉のいちはし」という専門店まで出向いた。ここで適当な肉を仕入れてからダイソーで使い捨ての箸とか皿などを購入して来た。10年ぐらい前に僕が自作した電動回転式のロースターを使って焼く予定だ。ここ数年使わなかったので先日試運転をしOKだったので問題ないだろう。この装置は鳥の丸焼きとかバウムクーヘンなども作れるように工夫してある。クルクル回って焼けるのを見ながら切り取って食べるのは実に野趣に溢れていていいものだ。 僕は元々機械屋なので鉄工は得意であり、もちろん電気溶接やガス溶接の免許も持っている。若い時に様々な仕事を経験して勉強し免許を取得したのが今になっても役立っている。まあ若いときの苦労は買ってでもせよという好例であろう。 先日の台風でも腕に心得の有る人は屋根や窓を自分で修理しているのが目立った、これも今迄の経験の為せることだろう。 しかし亡くなった人の多くが車に乗っていて流されたり水没した結果である。要するに危険がどこに潜んでいるのかわからないのだ。 僕の妻は車関係の免許を持っていない、何故なら素質がないからだ。その原因となったのが24歳の時だった。バイクで自宅を出て途中のガソリンスタンドに寄ろうとして転倒し怪我をしたのだ。原因はガソリンスタンドに入るとき道路との段差が5cm位あったが、そこを斜め45度の角度で乗り超えて入ろうとして前輪が滑って転倒したのである。もちろん直角に入れば転倒することはなかったのだが、その理屈がなかなか理解できなかったのだ。だからその時点で妻に免許は全て放棄させたのである。 この理屈がわかる人とわからない人の比率はどの程度かは正確に知らないが、たぶん老人も含めて50%ぐらいは知らないのではないか。車もこうした力学が判らないと例えば回転するときもその速度関係がわからないだろう。こうした不適格な人に運転させるのは間違いである、道路交通法だけ知っていれば良いという問題ではないのだ。 例えば車の運転でもオリンピックの体操選手のような機敏な動きが出来る人が上手かというとそうではない。かえって車好きの老人の方が上手なのだ。何故かというと車の運転の善し悪しは機敏さだけではなく予測能力とか物理的な法則が大きく働くからだ。 人は千差万別だ「天は二物を与えず」と言う。これは事実であり、容姿端麗で博学であったとしても寿命が短かったら..。要するに人は全て皆平等なのだと認識したい。

【2019.10.28】
★秋晴れの好天に恵まれたもののこれといってやる事もない。何故なら明日予定していた南アルプス山麓の山小屋でのバーベキューパーティーが雨の予報が出たために延期になったからだ。今日は肉を買いに行ったり器具や燃料などを調達する事にしていたがやめた。早く買いすぎると腐るものが有るからだ。 今年の紅葉は温暖化のためか例年より1週間ぐらい遅い。まだ山小屋付近の山は3割ぐらいしか紅葉していないのだ。気温が5度以下に冷え込んだ日も無い。 亜熱帯に属するようになった日本だから紅葉もあまり綺麗には色づかなくなるだろう。紅葉の色の濃さは急に冷え込む事によって美しくなる。温暖化は紅葉にまで影響していると言う事だが、実は果樹にも大いに影響している。リンゴの産地は長野県から青森県までだが、今後は北海道も産地になるのは間違いない。夏の気温が40度近くにもなる長野県では木に実っているリンゴの中が熱で変質してしまうからだ。 温暖化は洪水ばかりでなく日本中の植物にも多大な影響を与えるが、人も木もそれを乗り越えなくてはならない。今後の人類に課せられた大きな試練なのである。 ★大雨で浸水した都市をみるとそのほとんどが川の水位より低い場所に建設されている。なぜこんな事になるのかといえば、平野になっていて家や工場が建てやすいからだろう。伊勢湾台風の時に5,000人もの死者を出したのも海抜ゼロメートル以下の土地に都市が建設されていたからだ。 僕は昭和38年から名古屋市の南区で働いていたが、近くを歩くと災害の痕や記念碑なども沢山見受けられた。柴田町や大同町付近でも多くの人が犠牲になっていて、グランドのような広い場所に山積みにして火葬したのだという。 では海抜の高いところはどうかといえば、これも問題が有る。長野県でも海抜の高い大鹿村では1961年に起きた集中豪雨(36災)で大西山が山麓崩壊して河川を塞ぎ住宅を飲み込み、その後崩壊して多くの人が川に流された。ほとんど村は崩壊状態にまでなってしまった。 日本という国は水の国である、これは世界に誇れることだ。どこでも水に困ることはない。外国に行って日本人かどうかを判断するには洗顔させれば良い、日本人は流水で顔を洗うが、他の国の人は洗面器に水を必要なだけ溜めて洗うのだ。このような習慣の有るのは日本ぐらいである。如何に水の世話になっているかがよくわかるだろう、それと台風や梅雨は日本の農業になくてはならない自然の恵みである。 先日も書いたが、人は若さを保つのが優先か癌になるリスクを優先するかという細胞の生まれ変わりとよく似ているではないか。

【2019.10.27】
★僕はグーグルという会社(アメリカの多国籍企業)のインターネットプラウザと検索エンジンを使っている。写真の保管を始めメール、カレンダーなど多彩なサービスを無料で受けられるのが魅力だ。この企業は全世界の個人情報を数億件も自動的に取得している。タダで利用できるのはこれだけではない、グーグルマップという衛星から撮影した写真地図を誰でも利用できるのだ。たぶんこの費用は膨大なものに違いない。この会社は世界中の国に毎日数千台の車を走らせているという。ストリートサービスを提供するためだが、これも半端な資金では出来ないことだ。彼らがいま優勢なのは世界で最も詳しい地図を持っている事だろう。この地図は自動車の無人運転に利用できるから彼らもこの事業でも最先端企業になっている。 しかし、先日の新聞を見たときには驚いた、IBMを始め世界の最先端企業が開発競争を続けてている「量子コンピューター」の開発に成功したというものだ。日本で数千億円をかけて開発した世界最高レベルのコンピューター「京」を使って1万年かかる計算を瞬時に行うことが出来る能力を持っているという。(注)京とは1秒間に1京回の演算が出来ること。 このコンピューターが遂に実用化に向かうことになるが、そうなると世界のスーパーコンピューターなどクズ同然になってしまう。 もちろん数十年後に常温で動作する量子コンピューターが実用化されれば、個人のパソコンにも搭載されるようになる。 今から35年ぐらい前に僕がコンピューターの販売店を始めたときのPC−8001というNECのパソコンと今家庭で使われる最高速パソコンとを比較することに似ている。当時に比べればいま使っているパソコンは同じ金額ならば数万倍の計算能力を持っているからだ。 しかしこんなに凄い量子コンピューターが完成したら何を計算するのだろうか?。様々な文献を見てもよくわからないが、気象予測とか株の売買予測など下らないものばかりだ。一つだけ凄いと思ったのは車の自動運転に使うことだろうか。道路に落ちている小石を避けて走らせるのは当然として、細い道で対向車と出会ったとき、即座に相手車の運転士を観察し、目の動きや顔の表情などを把握していま何を考えていて今後どのような行動を取るのかを判断し、自分がバックするかどうか決める技術だ。こんな動作(計算)を0.001秒以内にするのだから人間の能力を超えてしまう。しかしこんな事は現実的にみて簡単に実現出来る範疇だ。 いまから50年前に小学校の子供達がテレビ電話をポケットに入れて持ち歩く姿を誰が創造しただろうか。 技術は果てしなく進んで、人間の臓器が人工臓器として売買される日も近い。性能の良い心臓は10万円、中古だと1万円。血管は1mあたり2千円、脳味噌は量り売りで1g9、800円だ。近い将来、人間は単なるロボットになって生きてゆくのである。

【2019.10.26】
★気象庁は先日の大雨を「記録的な大雨をもたらしたのは、関東の東の海上を進んだ台風21号や千島列島付近にあった高気圧からの空気が、関東南岸を進んだ低気圧と房総半島付近でぶつかりあい、雨雲が次々と発生したことが原因」と何とか屁理屈を付けて説明した。しかし毎年同じような偶然が頻発するのだろうか、もう一度真の原因と対策を一から考え直すべきではないか。土のう袋を山積みにして氾濫を待っているような国では仕方が無い。 国民の生命と財産は第一に守っていかなければ国家など無意味ではないか。戦後国防費は軽く100兆円を超えているが、単なる見せ掛けにすぎない飾り物である。国民が拉致されても取り返せないのならば軍備など無意味であろう。GNPの1%を上限としていた国防費は北大西洋条約機構(NATO)の算定基準で試算すると、対国内総生産(GNP)比で1.3%になる(衆院安全保障委員会説明)。世界第3位のGNPを誇る日本の国防費は明らかに高すぎるのだ。要するに国防というより、アメリカを始め軍需産業、それに被服納入に関するような小さなものまでのほとんどが利権がらみである。 もしも堤防が決壊したら戦車や装甲車を決壊地点に突入させて止水させるのならともかく、今はただの遊び道具であろう。今や戦車で戦うような戦争は起きないはずだ、無人の攻撃機によって兵を犠牲にすることなく戦うことが出来る時代なのだ。 それと今後は大規模な戦争は起こりえない。実戦に使えない核爆弾を持っているだけで威張り散らすだけの戦争である。このために世界中の庶民はタダ働きである。その挙げ句に家屋が水浸しで住めなくなったのではどうしようもないではないか。 21世紀という時代はもっと賢い時代でなくてはならない、格差や労働が均平化されるようなシステムが機能しなければならない。しかし前世紀よりも多くの馬鹿の出現によって惨めな時代に陥ってしまったのだ。その原因の一つに我慢強い国民性が挙げられる、要するに我慢という一見良さそうな行為が国を惨めに導いているのである。国民を自由に操るには貧乏にしておくのが一番だという兵法が今も生きている証拠だろう。

【2019.10.25】
★秋もずいぶん進んできた、例年だと南アルプス山麓の山小屋では月末から11月3日にかけて紅葉が真っ盛りとなる。山小屋の監視カメラを使って雨の中だったが付近の山を撮影してみたが、まだ紅葉には少し早い。今年は朝の冷え込みがないため色が付かないのである。ピークは数日遅れるかも知れない。だが、29日と11月3日には山小屋の庭でバーベキューパーティーが予定されているので楽しみである。花より団子、紅葉より焼き肉だろうか。 ★このところの雨の降り方は異常でも何でもない。日本が亜熱帯性の気候に変わって来ただけのことだ。いわば正常な雨の降り方なのだが、問題はなぜ気候が変わったかと言う事だ。いつも書いているがエネルギーの使い方が完全に無駄なのだ。学校でサッカーなど教えるのは今後はやめなければならなくなるだろう。要するに無駄な運動エネルギーを発散させないためだ。それと大学を全てやめることだ。こう言う場所で育ったオタク達が宇宙にロケットを飛ばして彗星のゴミを持ち帰ろうなどという完全なる無駄を実践してしまうからだ。 もちろんオリンピックもプロの参加容認によって薄汚れた犯罪の温床になってしまったのは言う迄もない。 ここまで危機に陥ってしまった地球を現状維持するためには世界中の人が原始生活まで戻る必要がある。こんな事は誰でも容易にわかることである。それとカネ儲けのための事業の縮小も必要だ。衣食住生産にだけ重点を置いた政策も必要になってくる。もちろん株取引などもやめて物々交換社会を形成しなければならない。 今日も少しの雨で死者が出るほどの河川が氾濫し家屋も浸水している。国土の強靱化などと要っていた政治家は一体何処の誰だーーい!!。 関西電力の贈収賄事件に苦言を呈していた大臣自身が贈賄で辞めたり、学校でイジメの相談に乗っていた教員がイジメをしていたり、相撲で最高位の立呼び出しが力士を殴って辞職したり..神も仏も常識もない。 要するに人間の脳も世紀末的な様相を呈してきたのである。地球と同時に人類も滅びる覚悟があれば地球温暖化も洪水も津波も怖くない。さー殺せというケツをまくった生き方が必要な社会は案外ストレスが溜まらなくて楽しいのではないか。

【2019.10.24】
★また雨が降ってきたようだが、前回の台風の被災地をめがけて低気圧が来ているようだ。多くのボランティアが各地の被災地に入っているようだが、少なくとも交通費や宿泊費は国が負担すべきだろう。これだけ災害が多発するようになってしまったのだから市町村や県が対応するのも限界である。国民が困っているのを助けるのが国の第一の仕事ではないか。ボランティアの仕事は重労働なのだから日当も支払ってもいい、その資金で洗濯代や靴の購入などに充てればいい。ステルス戦闘機1機買うのをやめれば国民の多くが救われるのだ。戦闘機で国が救えると思っている事自体が狂気であろう。 こうした現実に目を向けられないのは高学歴社会が生んだ馬鹿の増産のせいだ。 教育というのは常識と基礎を教え、あとは発想力を育む手法を教える場所だ。この学校の中で邪魔をしているのが「校則」というものだろう。規則は多ければ多いほど発想力が衰退する。この事が災害時に逃げ遅れる原因にもなっているのは否めない。 北朝鮮から韓国に亡命していた人が自ら進んで北朝鮮に帰って行ったのもこのせいだ。何でも決まり切った社会は暮らすのは楽ちんなのだ。服も靴も支給されるか決まったものしか無いから自ら好きなものを選ぶ必要が無い。 だから学校でも制服を自由化したら大半の生徒がセーラー服を着てきたという逸話も有る。選択というのは自己責任が付きまとう、間違ったら損をしてしまうのだ。だから判断力を養う良い機会なのである。 外国では赤信号でも車が来なければ自己責任で渡るのが一般的だ。要するに自己責任に慣れているのである。この考え方を学校で教えず何でもかんでも校則で縛り付けて成長させた者が自らの命を守る行動など出来るはずがないだろう。 自由と責任を教え無いから突然石を持って車に飛びついて窓がラスを割るような人間が出没する。30歳近い男が親に付き添われて警察に出頭してくるなど笑い話なのだが、これを当たり前に思う人達の存在も無責任世代であろう。これらの馬鹿や事件は全てルールで縛られた生活から産まれて来た産物なのだ。 この無知を修復するのにはキャンプとか山村留学のようなものも良いだろう。自然に触れて自然の驚異を知ることが命を守る為に必要な授業なのである。

【2019.10.23】
★毎朝起きて日本にある公開されている情報カメラを見るのが日課になっている。晴渡っていい風景を眺めながら起きると一日の気分も良い。昨日は南アルプスな初冠雪を紹介したが、今朝は富士山の初冠雪である。昨日の朝は見られたと思うが深い霧に包まれていたため何処のカメラからも見る事が出来なかった。やはり富士山は日本一の山である、姿や形が良いだけではない、四季折々に見せつける衣をまとった姿も素晴らしい。時には大きな笠雲をかぶり、時には朝焼けの雲を従えて我々にその姿を見せつける。信仰の対象になるのは当然とも言えるが、登山客の増加で山は汚れていくのは見るに忍びない。 世界遺産というものは観光地化ではない、むしろその反対で観光客を減らす事によって現状を守ることに意義があるのだ。カネ儲けの亡者の手にかかると山も寺も野山もボロボロに蝕まれるのだ。 ★即位の礼も世界から大勢の王族などを招き、160億円の予算を使って一段落した。まあ英国でもローマ市国でも即位式となれば相当な税金が必要となるのは否めない。かといって一食3万円の料理を数千食も造るというのは時代に逆行しているような気もする。3千食作るならば約一億円である。1ヵ月6万円で暮らす人も現実に存在するのはともかくとして、料理の内容を見ればせいぜい五千円程度のものにもみえる。また食べてみたいような物は何一つなかったし、何か薄味で旨みに欠けるような内容だった。これを美食と言えばそれまでだが、日本なのだから松茸御飯に土瓶蒸しなんていうのも良かったのではないか。全員が食べきったとはとても思えない、たぶん多くの食べ残しがあったに違いない。 それと元首クラスを招待するならば隣国の北朝鮮の金正恩氏なども含めたら良かったのではないか。拉致被害者を5人位連れてきたかも知れないし、世界のすう勢を見て貰うのも良い機会だったであろう。それに外交の場として使えば税金の使途としても半分ぐらいは国民に納得されよう。陛下も世界の平和を謳っている、平和とは何かというと敵を作らないことなのだという事ぐらいは政府も外務省も知っておきたいものだ。

【2019.10.22】
★10時頃降っていた雨が止んだのでウオーキングに出掛けた。いつもよりも寒いので長袖を着て出掛けたが、林の道路に入ると落ち葉で紅くなっていた。 東の方向に有る南アルプスをみると真っ白になっているではないか。初雪の到来である。遂に季節は冬に移行してしまったのだ。寒いけれど初冠雪した南アルプスの山々を見ていると清々しい気持ちになってくる。故郷の方向に向かって「ふゆがきたぞー」と叫んでみた、南アルプス山麓の山小屋には父母を始め先祖が眠っているから呼びかけてみたのだ。何か山を見ているとそんなふうに叫びたくなる。やはり「故郷の山は有り難きかな」なのだろう。 僕は親が残してくれた山を持っているが、普段はお荷物だと思っているのだが、やはり有り難いものだ。僕が産まれたときに父母が植林したヒノキはもう大木になっている。切り出して売るのもいいが、そのあとに植林をしないと山が崩れてしまうから売るにも問題が有る。そう簡単に売れないと言う事だろう、関東大震災でも来れば材木の需要が増えるから売るチャンスとなる。要するに災害とはそんなものだ。不幸な人が居れば確実に儲かる者がある。今回の台風災害でもゼネコンや下請けは諸手を挙げて喜んでいる。損害保険会社が損をするだろうと思うが間違いである。こうした大きな災害があると保険に加入する人が爆発的に増えて返って儲かるという図式があるのだ。 ★ウオーキング中に出会っている野良猫が子猫と共に2日まえから行方不明になっている。今日も辺りを探したのだけれど見付からなかった、誰れか保護したのだろうか、それとも他の動物に襲われてしまったのか、たかが野良猫でも心配でならない。野山に雪が来ると野良猫も生き抜くのが大変だろう、同じように山小屋の池から巣立って山に入っていたモリアオガエルたちも気掛かりである。更に山にはヤマネなども生息しているが、死ぬも生きるも自然の成り行きに身を任せていくしかない。おなじように人間だって自然にいだかれて生きているのだから同じように運命に任せるしか無いのだ。世の中はなるようになって収まるのである。

【2019.10.21】
★様子を見に南アルプス山麓の山小屋に出掛けた。余り寒くはなかったが周りは秋の気配が充満していた。 来週同級生とここでバーベキューパーティーをする為の準備をしたが、雨になると中止である。山小屋の紅葉は通年だと月末から来月3日までである。その後は一夜にして散ってしまう。そうなると本格的な冬が来る。気温はどんどん下がって最低だと−18度にまでなることもあるのだ。昔はこの家で生活していたわけだが、そう寒さに堪えた事は無い。祖父は夏でも夕方になるとコタツに入っていたし、おおよそ夏布団と言うものはなかった。 しかし今もこうした海抜の高いところで生活している人は多い、近くには下栗という有名な場所もある。夏に遊びに行くには良いところだが住んでいる人は大変な苦労をしていると思う。それでも生まれたところはいいのである。誰も引っ越そうなどという人は居ない、不便ながらも住めば都なのだろう。現に僕も山小屋には一ヵ月に2〜4回は足を運んでいる。紅葉も素晴らしいし水も旨い、それに森の中から漂ってくる空気が健康に良いのである。この空気を浴びることを「森林浴」というが、この目的は森の空気の中に混じっている雑菌を吸い込む事に有る。農薬のかかった野菜を食べ続けた胃腸にはもはや回虫など住むことは出来ない。有用な菌も全て死滅してしまったのである。 この事によって人体内にある雑菌を殺す必要が無くなり、免疫細胞は健康な細胞まで攻撃するようになってしまった。要するに最近最も多い「免疫」に係わる様々な病気の原因である。 森の空気には落ち葉や朽ちた木材から発散される「雑菌」が多く混じっている。人は時々この空気を吸い込むことによって免疫作用を安定させるのである。 今からでも森に行って深呼吸してみよう、雑菌はともかくとしても何か明るい希望が湧いてくるはずだ。

【2019.10.20】
★大月IC―八王子JCT間の中央道が今日になってやっと開通した。1週間ぶりの開通だが、この道路が止まると長野県の物流に大きな影響を与える。物ばかりでなく人の動きにも影響してくる。昔は高速道路など何も無かったが特に必要性を感じなかった。何故なら車がなかったからである。車がなければ高速道路は要らないと言う事になり、車がなければガソリンも要らないから二酸化炭素の排出も増えない。温暖化の原因の一つは排気ガスだから車の抑制が温暖化防止に役立つことは間違いない。しかし便利な物をひとたび享受してしまった人類はそう簡単に手放すことなど出来ない。電気自動車だってガソリン車だって使うエネルギーは変わらない、モーターで制動エネルギーを回収して少し役立にてているだけだ。 しかし道路が1ヶ所通行できないだけで宅配便で飯田市から東京方面に荷物が送れないのだ。他にまだ道路はあるが高速道路を通って荷物が流れる仕組みになっているから違う方法では中継などがうまくいかないようだ。 東京のタワーマンションといい決壊した堤防といい、何か建設について反省点を見付けて実行しなければならないだろう。 千曲川の氾濫も過去に何度も起きていて水が上がってきた場所に先人はちゃんと目印をしてくれている。今回の水位は過去に比べたら低く大きな洪水ではなかった。 東日本大震災でも先人はちゃんと津波の到達位置に目印をしてくれていたが、どんどん海抜の低い場所に住宅が建設され続けただけのことだ。要は人類に反省が無かっただけのことではないか。 もっと危惧されるのは世界でも例を見ない阿蘇山のような活火山のカルデラの中に町が出来ていることだ。巨大噴火覚悟のということだろうが、実は神をも恐れぬ人間の根性がこうした危険を顧みない行動として重宝されてきた。この行動力が無かったら現在の進歩はなかったし、まだ猿のままだったと思われる。大昔に猿だった人類になる祖先は危険を恐れずに海岸沿いから森に進出していったのだ。そして森の惠を得る代償として恐竜に襲われる危険を担保していたのだ。この根性(DNA)が川よりも低い位置に住宅を造るという暴挙の原因である。しかし次の災害までは安全に住むことが出来るのだから捨てるわけにもいかず、多くが今後も住み続けるだろう。危険だからといって逃げ回っていたのでは商売にならないのだ。 この仕組みは人体の中でも生きている、それが癌である。癌は人が老化せずに長生きできるように考えられた細胞が生まれ変わる仕組みが引き起す病気だ。もし20歳ぐらいで死んでもいいのだったら癌は出来ない。 しかし厚生労働省が癌検診を始めてから癌患者が増加の一途を辿っている。これは癌検診に使われるマンモウーグラフという機械によって大量被曝することから発生率が上がっているのだ。検診に行かなければ癌にならなかった人が半数はあると言うことだろう。 病気にかからないように努力することが癌になる原因になっているのだ。要するに人間のすることなど複雑な人体にとっては有害なのである。水害も癌検診もにたようなものであろう。

【2019.10.19】
★秋の長雨の時期になったのだろうか、晴れ間が出ても急に雨が降ってくる。長野県でも北部はしっかり雨が降っているらしく佐久地方には避難準備情報が出た。千曲川の水害で被害を受けた家では後片付けをしなければならないが、雨が降っては出来なくなり困っているようだ。何とか早く片付けて平常の生活に戻りたいというのが全員の願いだろう。ボランティアも多数入っているようだが被害家屋が多くて手も回らないだ。こんな時はボランティアに頼るだけでなく国家が作業員を動員して対応に当たるべきだろう。各省庁から100人に一人を派遣すればいいだけのことだ。それによって仕事が滞ることなど絶対にないだろう。例えば毎年桜の開花予想をするために桜の木の下に出向いているような人間が余っているはずである。開花予想などは近所のオバサンに聞けば電話一本で済む仕事である。 今後は省庁の仕事の内容を再点検して人員の再配置や減員を実行するべきである。こうした無駄の積み重ねこそが温暖化に結び着くのは間違いない。 ★新潟の魚沼では熊が住宅街に出てきて数人が怪我をしたという。しかし死者はいない。アニメの製作会社に押し入って火を付け36人が死亡した事件や、秋葉原の無差別殺人事件と比べてみると熊という動物の本当の姿がわかる。人間は簡単に人を殺すが熊は殺さないのだ。ただ相手の動作に驚いてちょっと相手を叩いて見ただけということだろう。 草原に人が倒れている上を何十頭もの象の群れが通過しても絶対に人を踏むことがない。あんな大きな脚で踏まれたら死んでしまうがその事を象は知っているのである。こうした「優しさ」の心がないのは人間だけであり、如何に人間は凶暴な動物なのかがわかる。 その人間がまた新しい危険知能を生み出している、アメリカのグーグル社が遂に量子コンピューターの実用化の道を開いてしまったというニュースが飛び込んできた。いま日本にある最高速のコンピューターに計算させたら1万年かかる計算を1秒以内に実行できるコンピューターが出来たのだ。これは人類に対し何を及ぼすのだろうか、たぶん人類を破滅に追いやる事になるのだろう。これは間違いない!!。このコンピューターを人工知能に活用したら..たぶん人工知能は悪にまみれた人間を殺しにかかるはずである。既にインターネットに接続された人工知能コンピューターは、独自に判断して他国の人工知能コンピューターと接続して会話していたという事実もあるのだ。こうした高度な知能に人間が追いつけるはずもなく、結局は人工知能によって開戦することも確実に起きる。まあ馬鹿な代議士でも北方領土を戦争で取り戻そうと言ったのだから、人工知能にとって戦争ぐらいは朝飯前であり、世界中の情報ネットワークを切断するのも簡単に出来る。こういう未来に生きたくないが、僕たちは50年前に原子炉が起こしたエネルギーで生活するような未来に行きたくなかった、だが現実に来てしまい危惧していた爆発も起き放射性物質は日本全土にバラ撒かれた。科学の発達は人類滅亡への道程に他ならない。

【2019.10.18】
★毎日のウオーキングというのは健康の為だから明るく元気に行くべきだが、実に困ったことにも遭遇する。それは野良猫と捨て猫である。昨年7月には三匹の捨て猫を発見し拾って来て我が家で育てているが、今度は野良猫が育てている子猫との遭遇である。路傍にある狭い空き地のような場所に捨ててある軽トラックの下を住処にしている野良猫が二匹の子猫を育てていたのだ。まだ生後一ヵ月以内の子猫だが今迄この場所では見た事がなかったのは、こことは別の場所で育てていたのだろう。子猫が歩けるようになってこの軽トラックの下に引っ越してきたようだ。 多分このままでは子猫は死ぬか生き残ったとしても野良猫になるだろう。この付近はタヌキやハクビシンが出没している、猫にとってハクビシンなどは天敵である。野良猫が産んだ子猫はたぶん野に住む動物によって殺されていると思う。 自然界というのは実に厳しいものだ、もちろん人間にとっても自然界は天敵である。今回の台風でも約100人近い人命が奪われているのだ。自然界とは時には優しく時には厳しい、この自然に対峙する為に人はどうすれば良いのか。たぶん人間として優しく接することしか方法は見付からない。 ★IOC(国際オリンピック委員会)がマラソンを北海道で開くと言ったことで騒ぎになっているようだ。たかが人が走る場所だけのことだ、どこで走ろうがそのようなことが議論するようなことか。議論するなら競技のために生活道路を通行止めにすることのないような場所について議論すべきであろう。例えば建設中の高速道路などは最適であろう。飯田市でも自転車競技を誘致までして道路を通行止めにして市民生活に不便を与えて居る。市民が文句を言う場所も設けるべきであろう。こんな無駄なエネルギー消費を誘致までして行おうというのは明らかに地球温暖化に逆行する行為である。この温暖化が海水の蒸発を促進し、その水蒸気は再び雨となって地上に落ちてくる。こんな簡単な科学も知らずにに下らないスポーツを利用しようという根性が大災害の元凶である事は馬鹿でもわかることだ。たぶん馬鹿以下の者が行政に係わっているのだろう。

【2019.10.17】
★海抜1、000mにある集落「下栗の里」は今や全国に知られる観光スポットになった。ここには僕の同級生が何人か生活している。今日は中学校時代の同級生と恩師中繁彦先生も参加して食事会を行った。場所はやはり同級生が経営するゲストハウス「やまでら」である。南アルプスを一望する最高のロケーションにあって最近は泊まり客も増えていると言う。このゲストハウスはその昔人が住んでいて空き家になっていたものを旧きを活かしてリフォームしたものだ。それなりの趣がありそれが郷愁を誘い人気の秘密なのだろう。 今日は10名程度の同窓生が集まって食事の支度をしながら談笑し時間の過ぎるのも忘れてしまっていた。 しかし台風19号の影響で栃木県から参加する予定だった人が不可能になり残念だった。こんな所にも台風は影響しているのだから如何に大きな災害だったのかがわかる。 下栗名物は先日テレビで全国放送された「下栗いも」だ。小さくてホクホクのジャガイモだ、これにエゴマ味噌を焼いて食べるのである。普通の味噌ではダメでエゴマを使わないと本来の味が出ない。たまたま僕の友達に依頼して栽培しているエゴマを先週収穫できたので持っていき早速新エゴマをつかってもらった。実に野性味溢れる料理で全員が堪能した。 僕もこの下栗と同じように海抜が1、000mを越す八丁島という所で育った、昔はバスも車も無く全て徒歩だった。こうした山村は夏に数日訪れるのはいいが、暮らすとなると大変な事ばかりだ。医者もスーパーもないから道路が決壊したら孤立してしまうのだ。要するに社会資本の恩恵にあずかれないのである。 しかし暮らしている人たちのほとんどはこの地が好きだという。やはり住めば都なのだろう、現に僕も誰も住まなくなった八丁島の家を自分一人でリフォームしていつでも住めるようにしている。電話も水道も電気も全てそろえているのはいいが、それなりに維持費が大変である。もちろん固定資産税も払わねばならないが、我が家の持山は広大なのでそれなりに高額となる。それまでしても故郷は守るのである、故郷は生き甲斐であり逃げ場所でもある。一文無しになった時に逃げ場所を持つのと持たないのでは人生の安心感が違うのだ。もちろん先祖を始め父母の墓もあるから棄てるわけにはいかない、それら全てを含めて「ふるさと」なのである。

【2019.10.16】
★今回の台風19号は日本の行く末を暗示しているようだ。河川の氾濫によって川より低いところの住宅が浸水して住民が避難するのは科学的に納得できるが、東京のど真ん中で地上47階もあるタワーマンションの住人が避難するというのは理解できないレベルだろう。最新の設計と高度な設備が使われる高層ビルは様々な災害に対して最も安全でなくてはならない。それ処か津波が発生した時には近隣住民が逃げ込む場所でもある。高層マンションの被災は一ヶ所だけではない、他にも20階建て以上もあるマンションが被災している。それも河川から離れた場所にある建築物だ。 これは明らかに被害想定を熟慮していない結果だろう。要するに建設費節減という目的に沿わなかったから安全面を犠牲にしたのであろうと考えられる。その結果住むことの出来ないマンションになってしまったということだ。 東京に大地震が起きるのも時間の問題とされているが、こんな状況では安全の確保は難しいとみなければならない。要するに都民の逃げ場が無いのである。それ処か地下も地上も水浸しになるのだからどうしようもない。 以前起きた関東大震災の時にも住宅は破壊されたり焼失したが、その後の復旧は早かった。木造の平屋がほとんどだったからである。しかし今後はどうするのか、使い物にならなくなった高層ビルはどうやって片づけるのか。 早い話が経済発展とか科学の発達と称して行ってきた様々な事業は単に「砂上の楼閣」を造ってきたに過ぎないと言うことである。 何の為に我々は日夜働いて来たのか..もうすぐその結論が出るだろう。 地上で生き残るのはたぶん未開地の少数部族だけではなかろうか、彼らはコンピューターや人工知能がなくとも、水道や電力が無くとも生きていけるからだ。 身の回りに持ち物が少ないほど安全なのである。 被災地の留守宅には毎夜泥棒が入っているという、それほど貧しい人達を造ってしまったのも今間の社会なのだ。 豊かな国とか平和な国とはいったいどういう国家なのだろうかと再度考える必要があろう。 教育も根本から見直さなければならぬ、狂気に満ちた学校という組織を作ってしまったのは誰の責任なのだろうか。それは決まっている、馬鹿しか行かない国立有名校を出てきた真の馬鹿たちの仕業である。 税金で育てた者達はもう少し常識を学んできて欲しかった、消費税の軽減税率にしても馬鹿者しか考えられないシステムではないか。

【2019.10.15】
★朝晩はめっきり涼しくなった信州だ。しかしこの時期が一年でもっとも過ごし易いのかも知れない。新聞の死亡欄などみていると急に冷え込むこの時期は亡くなる人が多い。要するに老齢の人達は体が季節に順応していかないのだろうか。僕の祖父が亡くなったのは2月23日だった、その前日まで冷え込んで水道も凍っていて出ないような状態だった。しかし亡くなったその日は急に気温が上がって凍っていた水道も出てきたし、凍り付いていた地表も軟らかくなった。一夜にして気温が変わったのである、寒くなるのも暖かくなるのも身体に何か大きな影響や負担を及ぼすのだろう。それは人が自然と共に生きていうるという証拠でもある。 身に降りかかる様々な危険や災害を生き抜いてきても季節という大きな環境変化に人は大きな影響を受けてしまうのである。 月は地球に向かって同じ方向しか見せていない、長年の間には少しぐらいズレて変わるような気もするが全く変わらないのである。何故なのか今以てその理由はわかっていない。しかしこの月の運動は人間を始め地上の生物に与える影響は計り知れない。珊瑚は満月になるのを待ちかねて一斉に産卵を始めるが、どういう方法で満月を知るのだろうか?。僅かな引力の差によって海面が上昇するのを感じ取っているのだろうか。ともかく地球上の生命のほとんどが地球環境や宇宙の影響を受けているのは間違いない。 だから人は死んだら宇宙の別次元にワープするのではないかと言う話もまんざら嘘だとも言い切れないのだ。 これも神様と同様に、居ると信じる人には側に居て、居ないと思う人には存在しないのである。 ともかく赤トンボが野原を飛び出すと秋が深まった証拠である、飯田市は海抜が約500mなのでまだ赤トンボを見た事は無い。南アルプス山麓の山小屋ではもうモリアオガエルが蛙になって森の中に帰って行く頃である。霜が降り雪が降り、マイナス18度にもなる山麓でどのように生きていくのだろうか。数百匹が帰って行くが産卵のために池に戻ってくるのは2〜3匹である。なぜこんなに厳しい環境で生きていくのを選択しただろうか..。モリアオガエルに聞いてみないとわからないが、たぶん種を守るのに最適の環境だったのだろう。 いま荒れ果てて狂ってきた地球も人類が種を残すには最適の環境だったが、そろそろその好環境も終焉を迎えることになろう。そして全ての命は宇宙の他次元の世界に移動していくのだろう。まあ先のことは心配には及ばない。せいぜい毎日ゴキゲンに過ごす事をを優先的に考えて、手の平空に向け指を開いて太陽に向かって何でもいいから大声で叫んでみよう。幸せはきっとその手の平に降りてくるはずである。

【2019.10.14】
★今回の台風は伊那谷に何の影響も無いということだったが..現実は影響があった。中央道の大月付近で山麓が崩れて道路を塞いだために中央道が通行止めになった。僕の息子は明日東京に出張予定だったが道路の復旧には数日かかると言う事で中止した。また栃木県から同級生が16日に来宅する予定だったがこれも中止になってしまった。 家屋が水没するような事はなくても多くの人に被害が及んでいるのは事実である。だからこれは日本全体の災害である、アメリカでは大統領のひと言で戦争も始められるが、日本では延々と会議を開かないと激甚災害指定が行えないというのも馬鹿な話ではないか。海外に自衛隊を派兵するような憲法に抵触することまで一夜にして決められるのだから出来る筈である。 こんな時こそ政府の金庫に入っている秘密資金を放出したらどうだろうか。こういう場面で予算などに関係無く使えるのだから便利この上ない資金であろうし元は税金である。 衛星の画像を見ると台風19号が発生した付近に大きな雲の塊が出来ている。これが20号になるのだろうか?..。野球選手が20号ホームランを打ったというような無駄な騒ぎをしていると、この雲も20号になると言う事だ。 テレビを見ていて驚いたのは千曲川の川幅が1、000mから急に200mになる場所が有り、この細くなったすぐ上流の堤防が決壊したのである。この事実を熟知していたにも拘わらず行政はこの地区だけに非難勧告をしなかったというのだ。こんないい加減な行政がまかり通っているのは例の虐待児童を救えなかった児童相談所と全く同じだろう。早い話がろくに仕事をしていないのである。親方日の丸を庁舎に掲げて遊んでいると言われても返す言葉も無かろう。 こうした弛みはどこに原因が有るのだろうか?、たぶん政府のトップから弛んでいるとしか考えられない。不倫議員や公文書の偽造、暴言議員に収賄議員ばかりではないか。首相だって婦人は一般人だと言い張って国会に招致しなかったが、公費で数人のSPや秘書を付けているのだから明らかに公人であろう。 だから日本には改正しなければならないような高尚な憲法など存在しないのである。改正議論に無駄な税金を使うべきではない。 こんな馬鹿げた事実を毎日書いているだけでも血圧が上がってくるからこの辺りでやめよう、馬の耳に念仏というのはこのことを指すのだろうか。

【2019.10.13】
★台風19号は長野県にも甚大な被害をもたらした。昨夜は時々起きてテレビで様子を見ていたが、夜が明けてビックリした。実はテレビ放映されている映像は過去の河川氾濫のビデオだろうと思ったのだ。しかし見ていると千曲川と言うから昔のものではない、今起現実にきている河川氾濫の映像だったのだ。 日本には防災担当大臣という高給取りが鎮座しているのだが、テレビで何かを言うでも無く、被災者を励ますでもなく、支援の言葉も無い。どこで寝ていたのだろうか心配になってきた。災害で張り切っているのは予算獲得に邁進する気象庁とゼネコンだけだ。このような大災害は国土交通省はもとより、環境省、総務省、経済産業省など複数の官庁が一致協力して対応に当たらねばならぬ。総理大臣が人命第一にと訴えたが、当たり前のことだ。 日本の気候は亜熱帯性気候になっており昔とは違う事すら省庁は認識していないようだ。 堤防の強化や高上げに資金を投入すべきであり、オリンピックのボート競技場に500億出すのだから、今回のような大災害には1兆円ぐらいはすぐに捻出できるだろう。もちろんオリンピックなどやっている場合ではない、今からでも遅くは無いから日本はJOCからの脱退の宣告をすべきである。 メイン競技場は解体して被災者住宅にすれば喜ばれるが、被災者が本当に温暖化を自分たちの享楽が招いたのだと認識しなければならない。要するに無駄なエネルギーを使わないようにする事だ。 ともかく僕たちのような団塊の世代は今後どのような展開になろうが知った事ではない。 エベレストの氷河もずいぶん溶けてガンジス川を潤しているが、この先は大洪水となってノアの箱舟に乗って逃げ出さなければならなくなる日も近い。たぶんその時代も人々は飽食の限りを尽くしていたから地球が罰を与えたのであろうと推測するのが真の歴史解釈だろう。 ノアの箱舟なんて造り話だと思っている人も多いと思うが、これは実際に起きた事件なのである。中国とトルコの探検家チームが方舟が漂着したといわれるトルコのアララト(Ararat)山の山頂付近で、箱船の木片を発見したと発表している。 聖書とか古事記に書かれていることが作り話というのは間違いで、そのほとんどは事実である事が次々に証明されているのだ。 歴史を馬鹿にすると必ず不幸に見舞われるのは当然の話しである。例えば古代文明の発祥地がいま誰も居なくなったのは何故か考えてみよう。文明の発達は火を多用し水も使った。だから森林を切り倒し川の流れまで変えたのだ。その事が乾燥と異常気象をもたらして人が住めなくなったのだ。おおよそ文明の発達は人をその地に置いておかない、どこかに行けというのだ。洪水に見舞われたら他の地に移り住めと言う事である。それも日本では無く外国に出て行けというのだ。 洪水はアダムとイブの時代から人類に反省を求める手段とされてきたことを誰も知らないだろう。 日本は水の国だ、世界で日本のように豊かな水資源を持っている国は無い。その証拠に日本人は必ず流水で顔や手を洗う。いちいち溜める事をしないのだ。他のどの国に行っても必ず洗面器に水を溜めてから顔や手を洗う、だからそれを見れば日本人かどうか判別できるのである。しかし台風という水資源が無くなったら日本人は生きていけないのも事実である。

【2019.10.12】
★台風の発生は自然災害では無い、明らかに人災なのである。享楽のために無駄なエネルギーを消費した結果であることは間違いない事実なのだ。産業革命以来今日に至るまで、消費の減速という処置を誰もとらずに消費一辺倒で進んできた人類に対する警告であり報復なのだ。無制限な車の増産、果てしない娯楽の追求、富の分配の誤り..これら全てが台風の発生源である。今さら正そうと思っても時既に遅しで、今さら何をやっても焼け石に水で返って温暖化を加速するだけだ。例えばプラスチックの全得面生産禁止という処置をとればどうだろうか。相当多くの問題が解決されよう。この程度の苦難を実行しただけでは全く効果が無い、2030年までにどうのこうのという世界の馬鹿者集会の結論など無駄処か、彼らの移動に使った燃料が温暖化を加速しているのだ。気象庁が何を言おうが災害はやってくる、もっとも災害を減らすには気象庁自体を廃止することだろう。こうすれば1年に発生する台風の内1個ぐらいは減るかも知れない。要するに災害防止策とはそういうことなのである。 更にダムの危険性についても昨年から指摘されていながらまた洪水時の放流をすることになった。多くの死者を出しながら台風が来るというのにダムを空にしていなかったのである。ダムはいつも空にしておいて豪雨時には貯水するのが本来の目的である。例え発電用のダムでも同様であり、河川の流量が一定量を超えたらゲートを全開にするように操作規定で定められている。 住宅街にゴルフの練習場やゴミ焼却場などを設置するとどうなるのか、先の台風でわかったはずである。こと人命に関わることは天災とか想定外などと言う言葉では片づけられないのだ。 行政も危険な工場や高い建築物などを造るときは当然近隣住民の賛成を得ていると思うが、利権議員の暗躍などで住民の意見が抑えられることのないような法整備も必要だろう。 屋根が飛んだら大相撲を15日も見続けた結果である、住宅に浸水したらサッカーを観戦して馬鹿騒ぎした返礼であると考えるとわかり易い。 数万人が大騒ぎしても大根一本も生産できないようなことはこの際やめることだ。そうしなければ自分の住む家が無くなるのだと言う事を真剣に考えるべきである。

【2019.10.11】
★表現が良いのかどうかわからないが、「弱り目に祟り目」という諺がある。それは病気で食欲が無く体力が無くなってくると他の病気にかかる、というような意味もあるし、歯が悪いと胃腸など内臓の病気を引き起こし歯痛以上に深刻になるということでもある。 そろそろ台風19号は日本に近付き上陸しそうだ。しかも千葉県に近付くのだからたまったものではない。まだ復旧も手付かずのところが多く、屋根はブルーシートのままのところも多い。そこに追い打ちをかけてくる台風の目的とはいったい何だろうか。たぶん環境を破壊する人間をこの辺りで淘汰しないと地球自身が危ういという判断が働いているのだろう。 ともかく人はこの「弱り目に祟り目」にならないように細心の注意をするべきである。「無事之名馬」という諺もある、如何に仕事が出来ようが頭脳明晰であろうが病気になったらお終いだという意味である。こうした人生にまつわる諺を事典などを買って覚えておくのもいいことだ。 僕も昔小さな「諺小辞典」というのを買って一通り読んで覚えたが、これが人生や健康面など大いに役に立っている。 昨日は屋根に登ってアンテナや監視カメラなどに異常は無いか点検したが、これも「備えあれば憂いなし」という諺に起因したものだ。諺は千年以上の昔から人々が経験したことをわかり易く後世に伝えようとしたものだ。今こそこうした知恵を働かせるときでは無いだろうか。 実っても一向に頭を垂れようとしない者達もあるが、何れは死ぬことは決まっていることを考えてみよう。何か世間に施すことが有る筈ではないか。 アメリカでは日本よりもこうした考え方が浸透していて、大金持ちも慈善事業に惜しげも無く資金提供している。日本もアメリカに戦争だけでなく学ぶ事も多くあるはずである。海外旅行はその為にするのだと考えるとわかり易いではないか。 ★台風が来る前から飛行機や列車は運休を決めている。国際線も明日はほとんど運休するという。こんな時にだってどうしてもアメリカに行かなければならない人も居よう。誰か勇気を出して飛行機を飛ばす者は居ないのか。江戸時代だって荒れ狂う海をものともせずミカンをいっぱい積んで江戸まで持って来た人が居る。紀ノ国屋文左衛門だ。大儲けしようというなら今をおいて他に無い、台風も地震も津波も大きなチャンスだと捉えるといい。新しいビジネスは混乱から生まれるもので有ることも知っておきたい。

【2019.10.10】
★台風が近付いているが信州は日本晴れである。雲一つ無い真っ青な空だが、紅葉にはまだまだである。今年は松茸が不作だという、僕も小さなものを数本採っただけで今年はお終いだ。もう諦めて山には登らないことにした。何しろ命の危険を伴うのだから松茸には替えられない。どうせ死ぬのなら僕はスポーツカーで死にたいと思っている。大好きな車で激突死するのは冒険家の植村直己さんがアラスカのマッキンリーの氷河でクレバスに落ちて死ぬのと変わりないだろう。人は絶対に仕事中に死んではならない、何故なら健康で豊かな生活をするために会社で働いているからだ。出来るならば趣味とか道楽の最中に死ぬのが良い人生だったと思えないか。 台風19号は土曜日に日本に接近するようだ、しかも多くの家が屋根を飛ばされている千葉県を目指しているのだから始末が悪い。更に猛烈なという形容詞まで付いている、現在(10日20時)中心気圧は915hpで最大風速は75m/sだからとてつもなくでかいのだ。 しかしでかいから被害が大きいとは限らない、前回のように小型だとたかをくっていると電柱や鉄塔まで倒されるのだ。 人間も似たようなものだ、図体が大きくて強そうに見える奴こそ腕力が無くマザコンだったりする。 小柄な人ほど行動力があり強い、例えば中国の指導者をみても小柄な人ほど大胆な改革をしている。 中国と言えば思い出すのは毛沢東だろう、偉大な指導者などと言われ文化革命だとか何とか言って庶民を欺し、紅衛兵と称して数千万の若者を軍隊みたいにしていた。彼らは文化人を数百万人も殺害した超本人だ。しかし後になると紅衛兵が毛沢東にとって危険な組織となったために農村地区に勤労奉仕団として追い払った。もちろんカネも無く追い払われた紅衛兵の多くが餓死したのだ。毛沢東という馬鹿者は一体何をしたのか、自己満足のために数千万人の中国人を殺害しただけのことではないか。詳細に調べればヒトラーよりも上を行く罪人であることがわかる。 指導者と言われるような馬鹿者には多かれ少なかれ毛沢東のような考え方を持っている。何かを理由にして戦争をしたり粛清したりして同胞を殺そうと考えるのである。要するに指導者には悪魔が宿っているということを知っておくべきであろう。彼らに加担していい目を見ようと思っても、やがて責任を押しつけられて路頭に迷うのは暴力団組織と何ら変わらない。 組織というものの発生が今のようなデタラメな社会を造ってしまった、なぜ縄文時代が3万年も続いたかというと、組織が存在しなかったからである。

【2019.10.09】
★教育者のレベルが著しく低下している、以前から僕はここで教員や教育委員会の実態について何度も書いてきたが、いよいよその集大成となるべき事件が起きたようだ。教師による教師へのイジメという誠に信じがたい事件である。車まで破壊したと言うから明らかに学校内犯罪である。同じ校舎の中で監督責任のある校長や教頭は何をしていたかというと、如何にして隠蔽しようか相談に明け暮れていたのである。教育委員会も学校から適当な報告を受けて、それを良いことに独自で調査確認もせずに隠蔽していたのだ。こんな事件に係わった者達は全員犯罪者であるからして懲戒解雇しなければならぬ。そうしなければ秩序も法の実態もなくなってしまう。 こういう凶暴な教師は生徒や父兄の見ている前で自分たちが行ったことと同じ事を罰として受けさせたらどうか。子供達もイジメをしたらこうなるのだと実感するはずである。そうでもしなければ馬鹿者達は反省もしないし、犯罪とは何か罰とは何かもわからない。 アメリカの州によっては死刑(電気椅子)をテレビで放映したこともあった。これは江戸時代の処刑と同じで公衆が見守る処刑場で処刑してから公園の横などにさらし首にしたのも犯罪抑制のための知恵である。 何の罪も無い人を殺したのだからその時点で自身の人権も放棄されたと見做して良いのである。日本はアマゾンの奥地に住む原住民よりもこうした取り組みが遅れているのは言うまでも無い。同時に権力を持つ者(警察や政治家など)の犯罪も確実に公平に捜査して厳罰を下すべきだろう。彼らの犯罪は全て弱い者イジメになるからである。法は弱い者を守る為に存在するのだと言う事を改めて認識したいものだ。 ★まだ日本には馬鹿馬鹿しい話が山ほどある。例えば大阪の動物園で飼っていた「コアラ」が外国に売り飛ばされるという話だ。何故かというと、コアラの餌はユーカリの葉だが日本には無いため、それを買うために1年に3,000万円の餌代が必要だからである。 なぜ動物園でこんな動物を飼わなければならないのか?、ライオンや象だって同じ事だ。実物を見なくとも写真で見たりビデオで見たりすればいいだけのことではないか。6万円の年金で生活している人が居るのだから餌代は他に使い道が有る筈である。 情報化社会とは現地に行かなくとも会議や仕事が出来るし買い物も出来る社会のことだ。 僕も昔東山動物園でライオンとかキリンを見たが、写真で見て知っていたので何の面白さも感動も無くただ臭いだけだった。それよりも自宅の裏山で熊とかイノシシを見る方が遙かに感動し驚く。日本だって数万の動物や昆虫が生息している、少しずつ観察しても一生かかっても見切れない。 シマウマやパンダを見て驚くのは余程情報に隔絶されていた人達ではないのだろうか。今は寝転がって居ても世界の絶景や町並みが見える、飛行場に乗って地球を汚さなくても簡単に見る事が出来るのだ。それで我慢するのが温暖化防止の有力な手段であることを知っておきたい。

【2019.10.08】
★僕がウオーキングしているとき野原には蝶がいっぱい飛んでいる。その中で真っ白な蝶を見かけると2年前に死んだ「シロ」を思い出して、飛んでいる蝶に向かって「シロ」とか「シロ元気でな..」などと呼びかけていた。しかし「シロ」は猫だったのだから生まれ変わって蝶になったのでは可愛そうだと思って最近は白い蝶を見ても「シロ」と呼ぶのをやめていた。そこでシロは何に生まれ変わったら良かったのだろうか考えてみた。犬、猿、鳥、鯨、そして人間。人間になったら良かったのだろうか、本当に幸せになれる保証など何処にもないではないか。現実として人間がそんなに良いものなのかどうかだ。勉強させられ、働かされ、病気にもなり、医者に行き、家族の面倒まで見ながら毎日過ごすのが本当に素晴らしい一生なのだろうか。 今日もウオーキングしながら一匹の野良猫に餌をやった。彼らも蝶と同じ運命で自然の成り行きに任せて生きているが、餌を見付けたときの喜びは宝くじにでも当たった気分だろう。家の中で檻に入れられて飼われているペットよりも自由で幸せだとも思えることだってある。 ここでようやく「神様」が登場するのである。神様は全ての生命に対して平等であるべきだと考えると、先ほどの様々な生き物や人間の人生になぞらえればまさしく「平等」でありこの考えは正解なのである。 カネがあっても病気では何も食べられず旅行にも行けない。恋が実って結婚し平和裏に見えても離婚する者も山ほど有る。法務大臣になっても投獄されようとする者も有る始末だ。元気で幾らでも旨い物が食えるがカネがない人も有る。だからこそ若くして亡くなった者だって幸福だと考える事も出来るのだ。 この地球上にあって全ての命ある者は平等に出来ているのは間違いない事実だということである。 ではこれからどうやって生きるか..簡単な事だ、自由に生きることだ。多くの人がこうした高尚な認識を持つことで社会は改革されよう。総理大臣が戯言を言っただけで世の中など変化するものではないことは現状を見れば明らかだろう。改革とか平和は人が自由に生きることであり、実に簡単な事なのである。

【2019.10.07】
★朝起きてみると妻の格好がいつもと違う、寒いので冬物を着ていたのである。朝の外気温をみると15度だから半袖から長袖に替える時期なのだろう。それにも拘わらず朝一で半袖のままオープンカーでドライブしてきたら血圧が180まで上がってしまった。無理は禁物だが、ヤル気とか気力というのは忘れてはならないものだ。たまには無謀なことをしないと生きている実感が湧いてこないのである。 ★日本の出生数が一年で90万人以下になったという、人口減は加速されているが、なにしろ少子化を止めようとしている総理大臣に子供が居ないのだからしてどうしようもないではないか。 江戸時代の人口は3〜4千万人だった、しかし都市部に人は溢れていたし、農業生産も人が食べる分だけは生産できていた。それ処か花の吉原では遊女を含め1万人が働いていた。客も含めるとまるでディズニーランドのような賑わいだったという。それ処ではない、一人の花魁(おいらん)には数十人の付き人がいて花魁道中は華やかさを極めた。ゲタ職人から、衣服職人、カツラ職人、髪飾り職人、帯職人など千人近い人が花魁一人に係わっていたのである。要するに日本の人口は今の半分もあれば十分すぎると言う事だろう。もっと少子化が進めば農業生産も輸入も半分で収まる。田畑を造る為に山を削って環境を破壊することもない。要は無駄な人口を養う必要から農業人口が必要となるだけであろう。 これだけの大人数だと文化も衰退してしまう、なぜなら嗜好が多岐に渡るからである。 自衛隊もアメリカとの安全保障条約もやめてモナコのように外国に金を払って安全を確保した方が現実的であろうし資金も今の20%で済みそうだ。 そろそろ既成の考え方を一新するときが来たと思う、100年前と変わらず小学校の運動会で騎馬合戦をしているようなものだ。確実に時代は変わっているのだが、それを理解していない教師や教育委員会の連中ばかりのため、新米教師を古参教師がイジメるという事件が起きるのも納得できよう。もちろん自衛隊や警察の組織でも同じようなことが日常的に行われ居ることにも目を向けねばならない。如何に日本人の考え方が古代思考かということである。 だいたいオリンピックなどというものも古代史に出てくるような徒歩競争を未だにやっているだけではないか。いい加減にこんなことも止めないと地球は汚染され災害は多発し人類は滅亡してしまうだろう。

【2019.10.06】
★天候も良く野良仕事日和ということで妻と二人で南アルプス山麓の山小屋に出掛けた。朝の気温は15度近くまで下がっていたが昼頃には22度まで上がってきた、しかし吹く風は冷たい。秋の仕事はまず草刈りである、もうこれ以上伸びないというところまで来てから刈るのだ。妻は栗拾いをしたが野ネズミに食べられてしまって1kgぐらいしか拾えなかった。 草刈りはエンジン刈り払い機でするが1時間もやれば腰に来てしまう、だからと言って鎌で刈っても同様である。僕は山の中で育ったが農業をしたことが無い、もちろん田植えなども一度も経験したことが無い。だから腰を使ってする仕事は不向きなのである。昼飯が近くなりエンジンの燃料が切れたところで草刈りはやめた。だがその直後に動物よけの金網を出るときに掴まる場所が悪くて柵の針金で指を刺してしまった。やっと先日傷めた親指の傷が治ったと思ったのに、今度は人差し指である。仕事は終わりがけが一番注意しなければならないのは鉄則だが、やはり気の緩みはこの僅かな時間にでてきた。針金なので傷口は小さいが、指の半分ぐらいまで刺さったので夜になっても痛い。まあ自業自得と言うところだろう。 日が暮れてから下栗の同級生に電話したところ風が冷たくなってきて冷え込んでいるということだ。もう千メートルを越すような場所は暖房が必要になるのである。 そう言えばこの山小屋で生活している頃に祖父は一年中コタツを使っていた。それに真夏でも夏用の布団など必要なかった、陽が落ちると急に気温が下がるからだ。 こうした場所で採れるキャベツやトウモロコシは実に旨い、朝夕の寒暖差が甘さを生み出すからだ。 先日写真を整理していたところ50年ぐらい前に親戚の家族を撮影した物が出てきた。もちろんモノクロ写真だが、これをコンピューターを使ったカラー化システムを使いカラーにした。こうして作った写真数枚を親戚の家に持っていってあげたところ凄く喜ばれた。この時期はどこの家にもカメラが有るような時代ではなかったので、子育てをしていた頃の写真が1枚も無かったのだという。 僕は中学生時代から写真が好きで安っぽいカメラを持っていた、12枚撮りとかの白黒フィルムを買って2ヶ月ぐらいかかって撮り終えてからバスで1時間半ぐらい行った先の写真屋で現像しプリントしてもらっていた。今のデジタルカメラ時代からは想像も出来ないが、それなりに楽しめた。 僕は一時プロになろうとした時期もあった、富良野を有名にした写真家「前田真三」さんと何回か撮影に同行して風景写真を教わった。しかしプロで飯を喰うことは漫才師になると同じぐらい難しいことなのであきらめた。しかしアマチュアとして今も撮り歩いている。趣味は第二の天性ともなり得るものだ、せいぜい好きなことに没頭しなさいと子供達にも言っているが..。

【2019.10.05】
★丁度良い気温と湿度で過ごしやすい一日だった。こんな日ばかりが続いていて集中豪雨さえなかったら日本は天国に一番近い国になるだろう。しかし享楽に溺れきった国民を神様はほったらかしにしてはおかない。享楽に代償は付き物である、例えば同性愛にはエイズ、売春には性病などは代表的な代償だ。しかし最近はそれ処の話では無い、数万人が集まって乱痴気騒ぎをしているのである。大きな代償が無いはずがない、子供でもわかる問題である。 まあそれはともかく、空にはウロコ雲が浮かび日本の秋を満喫させてくれるような一日だった。今日は義母を見に施設に行ってきたので周りを4kmほどウオーキングしてきたが、農家は既に仕事を終えて後片付けをしているようだった。農業用のため池は稲刈りも終わり掃除のためか水が抜かれていた。村の所々に神社の秋祭りを知らせるかのような幟が風に揺れていた。これらも秋の風情だろう。 明日も晴れると言う事なので南アルプス山麓の山小屋に行くことにした。そろそろ冬の準備に入る時期になってしまった。海抜が1,000mを超えると11月後半には霜が降りたり、水道が凍結する恐れが有るからだ。うっかりしている間に季節は断りもなく移ろいで、もう夏は終わっていたのである。同じように人生の終焉にも一歩近づいたことになる。まあこんな事を考えるようになったのは古希を過ぎたせいだろうか..。何時でも青春などと息巻いていても足腰に痛みが走ったり、同級生が次々に他界していく様を見ていると自然に考えることも変わってくる。 父は戦争に行っていたので生死を共にした戦友と死ぬ間際まで付き合っていた。時々温泉旅館で戦友会があったが、行く度に人数が減っていて帰ってくると淋しそうだったが、それよりも精神的に老いていったような気がした。 しかし女性は強いというか根性がある、義母は先週で98歳になったが目も口も脳もほぼ正常だ。転んで大腿骨を骨折したのが原因で車椅子生活になったが何の不満も漏らしていない。甘い物をいっぱい食べて脳を活性化させているのが痴呆にならない秘訣だろう。とにかく80歳を超えたら糖尿病など心配しないで甘い物を食べることだ。脳は水分と糖分だけで生きている臓器だからである。厚生労働省や医者の助言はいまさら必要ないだろう。

【2019.10.04】
★僕は毎朝、日本全国で数百台公開されている監視カメラのうち気に入ったものを集めて自分専用のホームページに登録して簡単にアクセス出来るようにしている。そして夜が明ける頃に一台一台切り替えて見るのだ。中でも富士山周辺にあるカメラは絶景ばかりだが、特に朝夕の富士山は美しい。長野県内にもたぶん300台以上のカメラが公開されているが30台位を登録して眺めている。これらのカメラで風景を見ることによって寝ていても季節を感じる事が出来る、例えば駒ヶ岳の千畳敷カールの紅葉の進み具合なども確認出来る。 秋に入ってこれらのカメラは朝夕の特に美しい風景を写しだしてくれる。朝は上村の下栗にあるカメラに朝焼けと共に映し出されたのは数件の民家だが、僕は直接この場所でこの風景を眺めたことがあるが、朝5時過ぎに見るのとは全く違う。 今日17時30分頃は富士山周辺を眺めていたが、富士山はその東西南北の見る方向によって全く違う姿を見せる。もちろん天候も違うし霧の様子も夕暮れの感じも違う。山中湖の湖畔から撮影しているカメラを見ていると、徐々に夕焼けに染まる富士山がてっぺんに少しだけ雲の帽子を被っていて美しかった。 この美しさの裏には何があるのだろうかと考えてしまう。世の中の便利な物や輝いているものの裏には必ず何かが潜んでいるものだ。 もちろん富士山は活火山である、明日噴火して数万人が死ぬことになるかも知れない山なのだ。だがこの富士山のおかげで生きている人は数知れず居るのは間違いない。要するに危険なものを売り物にして生きていると言うことだ。5年前には木曽の御嶽山が噴火して63名の死者が出た。真っ赤な紅葉に惹かれて登った人達の命を奪ったのである。この紅葉の美しさの裏には悪魔が潜んでいたのだ。 最近話題になっている人工知能もその一つで有る、何年か後には数万人を殺す事になるコンピューターシステムだが、今は誰も気が付いていないだけだ。 世界で開発競争が盛んなロボットも全く同じものだ、既にこの技術は兵器として利用されていて、既に何人も殺されているはずである。一見便利そうに見えたり、美しそうに見えるものが人を殺すことになる。綺麗なバラにはトゲがあるのだ。 毎日ラグビーだのサッカーだのと騒いでいるが、実はこうしたスポーツは娯楽に見えるが間違いである。政治家は馬鹿者達が熱狂する事によって政治に目を向けさせないようにする手段なのだ。熱狂のあとに何が待っているのか、少しぐらいは頭を冷やして考えよう。増税、年金、憲法改正、戦争まで待っているということだ。

【2019.10.03】
★朝晩は涼しくなってきたが、こうなると冬はすぐそこまで来ていることを実感する、僕は冬が大嫌いである。小学校の頃は20センチぐらい積もった雪の道を長靴でかき分けなら学校まで歩いて行った。それ以上の大雪になると父が先頭になって歩いて雪の中に細い道を作りその後ろを歩いて行った。こうした経験をすると冬は大嫌いになる、だからウインタースポーツ(スキーやスケート)などもしたことがないし、わざわざ雪の積もった場所になど行く気もしない。 しかしこうした経験は貴重なもので、いま社会を牛耳っている役人とは一線を画すことになる。少なからず僕と同じような経験をした人も同じようなことを考えているのではないかと思う。 まあ人生はそれぞれ違う、そこに個性とか信条というものがあり、時には相容れない事もある。同じ家族でも殺し合う世の中である、こうした連中は猿に学ぶべきであろう。猿は他の猿の子供も同じように面倒を見て育てるというが、人間の社会も60年ぐらい前までは猿と同じであった。赤ちゃんであっても親が二人とも留守をするときは隣の家に気軽に預けていったものだ。その家では自分の子供と同じように面倒を見ていたし金品の御礼も不要だった。なぜ今になって猿の社会と乖離してしまったのか?、理由は簡単な事だ、猿の世界には今も通貨が無い。要するに人間社会に於いてだけ欲が先行してしまったのである。この欲によって生活は豊かになったように見えるが、それは半分ぐらいの人で残りの人々は格差の下で泣いている。この泣いている人が存在しないと裕福と言われる家庭は存在しないというのも事実だろう。 しかし裕福もいいが賄賂を受け取っておいて、受け取らないと相手の気分を損ねるとからという言い訳をした関西電力のトップの馬鹿さ加減は限度を超えている。また贈賄した助役だか明らかに「水戸黄門」のドラマの見過ぎろう。菓子折に小判を入れて風呂敷に包んで行くなど明らかに江戸時代である。しかし現実の江戸時代の代官には優秀な人材が登用されていた、彼らは悪事処か毎日激務に追われていたという記録もある。少なくとも武士の中でも秀でた人達で有ったのは間違いない。 ともかく猿以下の連中によって政(まつりごと)が行われると、今のようなデタラメな社会になるのは自明であろう。せめて猿の社会程度まで常識を戻す努力をすることを願うが如何なものだろうか。

【2019.10.02】
★今日の中日新聞の地方版に中先生の著書「ぼく、半分日本人」という以前書いた著書が電子出版されることになったという記事が載った。さっそく同級生にLINEやメールで記事を送ったところ御礼のメールがバンバン届いた。この本は泰阜村という伊那谷の小さな村から中国に開拓団として多くの人が国策として渡り、終戦になってから引き上げてきた人達の苦悩を描いたノンフクション小説である。中先生の著書には戦争の悲惨さを描いた「沈まぬ夕陽」という話題作もある。この本も帰国子女や残留孤児の現実を中島多鶴さんを通じて描いており、多くの人に読んでももらい、戦争の悲惨さを改めて考えて貰いたい本である。 今も世界では戦争の中に巻き込まれ何の罪も無い人が何万もの命を落としている。これは21世紀の地球上に生きている者にとっての恥である。その戦争を好んで始めようという者達が各国の政権を握っているのだからして、消費税など幾ら払っても利権と兵器に変わって行くだけだ。 この事は先日発覚した関西電力の原発利権と酷似している。そもそも原発など日本に無くとも全く電力供給に問題が無かったにも拘わらずなぜ政府や民間企業がこぞって推進したのか。それは、例えば長良川河口堰や諫早湾の閉め切り工事と同じことで、巨大な公共事業をしてリベートや資金の環流だけをねらったものだったのである。いま日本の原発はほとんどが休止しているが電力は有り余っているではないか。この事からも原発建設は巨大工事をすることによって裏金を造り山分けしようというのが本来の目的だったのだ。 たまたま関西電力がヤリ玉にあがったが、他の全ての電力会社でもほとんど同じ事が行われ、国会議員などに100億単位の金がバラ撒かれていたと推測しても間違いでは無かろう。 政府の意向を忖度して動いている警察も検察庁も捜査しようと思はなかったのも籠池事件など一連の事件と変わりない。 要するに日本は三権分立という根本的なシステムが既に崩壊してしまったのである。 先の東京電力の幹部の裁判でも無罪としたのも似たようなものだろう。たぶん検察審査会の弁護士までその力が及んでいたのだろうと推測するしか無い。あれだけ大きな原子力災害で責任者が一人も罰せられないというのは誰が考えても不思議なことだ。パンツ1枚盗んだ者などは罪に当たらないどころか表彰されるようなものだ。 ともかく、こうした一連の事件に絡んでいる者達が戦争利権を考えていることは間違いないだろう。北朝鮮がミサイの発射をやめたら資金を送ってでも日本海に向けて撃って貰いたいと思っているのだろうと考えられる。これほど日本という国家は戦後70年で大馬鹿の国に変身してしまったのだ。 東大で余分に学習しなければ普通の生活さえ出来ない馬鹿を集めて役人にしているのもそれこそ馬鹿げた話ではないか。こんな連中や教授の給料を税金で賄うなどとんでもない話だろう。

【2019.10.01】
★10月になっても30度超えの気温は明らかに温暖化である。高い気温は海水をその分だけ多く蒸発させるから大雨が振るのは当たり前のことだ。甘受せざるを得ない行動を世界中の人がやっているのだから仕方ないだろう。僕なんかは人生も残り僅かだから温暖化など知った事ではない、未来を創造するのは若者である。この若者達が下らないスポーツにうつつをぬかしているのだから世界は変わらない、災害に遭っても文句を言えないのは当たり前のことだ。 ★倉庫から25年以上前に使っていたローランド社の「CM500」というMIDI音源を探し出した。今使って居るコンピューターにMIDIインターフェイスは無いので格安のUSB/MIDI変換器を購入した。たぶん中国製だと思うが、何と金額が送料込みで600円だった。まったく信じられない安さである、中国恐るべしということろだろうか。こんなモノで果たして動作するかどうか心配だったが、PCとCM500を接続してサンプル曲を演奏したところ確実に動作した。昔は、やはりローランド社の「みゅーじ郎」というソフトウエアを使っていたがWINDOWS10では動作しないので「世界樹」というフリーのソフトウエアを使って作曲することにした。しかし30年ぐらい前に使っただけでその後全く係わっていなかったために1から再勉強である。しかし本格的に作曲することは無理だろうと思う、ピアノを使ってメロディーだけを作るのが精一杯かもしれない。まあ道楽なので適当にいい加減にやればそれでいいのだ!!。 こんな事ばかり考えていたため、車のガソリンが無くなっていたり、猫の餌がなくなったりして買いに走った、なんと今日から消費税が10%になることを忘れていた。 きょう10月1日は日本の悪政が後世にまで語り継がれる日となるの間違いないが、日本のマスコミもその魂を政権に全て売り渡した記念すべき日としても後世に残ることは間違いないだろう。 マスコミは消費増税の核心に全く迫ることもせず、ただ値上げ前に何を買うべきかなどと言う戯言だけに終始した罪は今後消えることは無いだろう。新聞など購入するのはもうやめようではないか、政府に変わって増税を何とか庶民に押しつけようという機関に成り下がった新聞記事を読んでどうするのだ。テレビのニュースは娯楽番組として視聴するのが正しい見方である、こんなモノを信じて見ていたら殺されることになる。 このブログはたぶん5年後10年後に再評価されるのは間違いないだろう。貴重な時間を使って書いているのだから、そのぐらいの保証があっても良いと思うのだが、いかがだろうか。