【2019.11.30】
★あれよあれよ..と言う間にもう師走に突入である。「何かやろうとすると人生は短すぎるが、何にもしないで居るには長すぎる」という名言があるが、まさにその通りである。だからいっぱい何かをする為には長生きするしかない。 昨日も中繁彦先生と会食後に談笑したが、あれやこれやと新しいことを僕がおっぱじめたことで大笑いになってしまった。とにかく僕は腹の皮がよじれるほど笑ったし先生も同じように笑った。 笑うという行為は楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなるのである。だから淋しいときは大きな声で笑ってみよう、淋しさは半分ぐらいになるかも知れない。 僕は故郷(遠山郷)の見える丘の所まで毎朝ウオーキングに行く、そして大きな声でいろんな願い事を叫ぶのだ。時には亡くなった家族のこと、初恋の人の幸せを、自分の未来のことなどだ。そのあと10分ぐらい歩いて行くと神社がある、ここでも毎朝参拝を欠かさない。こうすることで明日の自分が確実に存在する事を祈願しているのだ。この神社を参拝するとウオーキングは丁度半分ぐらい過ぎたところだが、この辺から足取りが確実に軽くなり心臓も穏やかになる。よくわからないが心臓が最も痛くなるのは歩き始めて10分後ぐらいだ。たぶん運動によって血液の循環が良くなるのだろう。信じる者は救われるというが、これも事実である。何事も信じなければ先に進まない。歌の勉強をするにしても「俺は練習すれば必ず巧くなる」という未来を信じて毎日練習するのだ。僕は約2ヶ月半ぐらい前から練習を始めたがその成果をCDに焼いて昨日中先生に持っていって聞いて貰ったところ、お褒めの言葉を頂いた。僕は子供の頃から音痴で人前で歌ったことなど一度もないし、音楽の成績も最低だった。僕は電子回路が大好きだったからそれなりの道に進んだので歌をうたうことなど一度も無かったのだ。しかし、何でも真剣にやれば出来るというのが僕の信念であるからして一番苦手な歌の練習を始めたのだ。家族からも猫からも馬鹿にされたが、怒りを持って毎日練習を続けているのだ。録音して自分で聞いても毎日上達するのがわかるから楽しくなる。 なぜ歌かというと、その歌をバックに花魁(おいらん)の衣裳で舞うことを目的としているからだ。だが1日に3時間ぐらい連続して歌い続けると段々下手になっていく、喉の疲れと体力の欠乏だ。最近はハチミツをお湯に溶かして飲みながら歌っている。 家に高価なカラオケの設備を持っている人達の話を良く聞くが、彼らも同様の考えなのだろうと思う。健康にも老化防止にも実に良いことが分かってきた。手足を鍛えるだけでなく、脳や内臓まで鍛えなければ健康維持も片手落ちというものだ。人間を構成している数万のパーツのどれひとつ不調になっても死ぬからだ。

【2019.1.29】
北風がピューピューと音をたてて散歩道を吹き抜けていく。襟を立てても冷たい風は首の辺りから入って来て身体中が冷えてしまった。今日も野良猫が待っていると思うと足取りも軽くなる。遠くから足音で分かるのか公園の入り口まで二匹の猫がすっ飛んで迎えに来た。寒くなったので体力を付けるために多少多めに餌を置いて来た。 朝のニュースを見ていたら野良猫を300匹飼っていた男性が逮捕されたという事件が流れていた。何故かというと動物虐待だというが、彼の言い分によると保護して飼っていただけだという。彼は以前まで生活保護を貰って飼っていたが最近打ち来たれたという。資金の多くを餌代に使っていたと言い、打ち切った使用を殺すという書き込みをして逮捕された前科があった。彼の言い分は本来ならば野良猫や犬は行政が保護するもので餌代ぐらい出しても良いではないかと言う事だ。 彼の言い分はごもっともで、猫の飼育を楯にして生活保護を打ち切った行政にも問題が有るのは間違いない。殺処分にするのは御法度だが私財を投じて飼育している人は優遇すべきであろう。市営の施設を貸与しても間違いでは無い。お花見に暴力団を招いて宴を開くよりもまともな行為であろう。ともかく日本という国は小さな動物に対する保護意識が欠如している、イギリスあたりならばもっと暖かく保護している。 ★今日は作家の中繁彦先生とイタリアンで昼食をすべく出掛けた。場所は飯島町にある「クオーレ・ヴェルデ 」だ。ここで「キノコとパンツエッタのクリームパスタ」を食べた。建物の外観や庭が美しい店なので、それだけでも料理が旨くなる。無料のサラダバーもあって1,500円程度ならば妥当である。完食したところ満腹になったが、やはり僕は御飯を食べないと完璧な満足感が無いのには困りものだ。 その後先生の家で様々な話題で大笑いしたが、15時頃には笑いすぎて腹が減ってしまった。 やはり人は旨い物を食べると優しくなるし幸福になる、満腹の人は戦争はしないというのは当たり前だろう。腹を減らしている者が多いから争いが起きるのである。 韓国の小さな村を挟んで東西の軍隊が戦いを始めようとにらみ合っていたが、その村の人達が互の兵士に十分な食料を与えた。すると満腹になった双方の兵士達は笑いながら自分たちの村に戻っていったという逸話が韓国にある。真に世界の平和を願うならばミサイルを買う金で食料を配布する方が確実に平和になる。これをしないのは利権だけで生きている政治家の傲慢さの現れである。

【2019.11.28】
★冬が近付くと真っ赤な花を咲かせて目の保養をしてくれる花がある。我が家の庭に1本だけある山茶花(さざんか)だ。まだ蕾だと思って見ていたが、一輪だけ花が開いた。もうすぐ咲き誇ることだろう。山茶花はたぶん生き残るために季節外れに咲くという手法をとったのだろう。極寒の南極に定住の地を決めたペンギンも同様である。 人の生き方や職業も同様で、誰もやらないこと、誰も避けること、をすることによって生き残る手法もあるのだ。実はこうした手法によって大会社を造り上げた人物も多々ある。俗に隙間産業ともいうが、これは大企業が手を出しにくい仕事を探して小規模ながら起業するものだ。このなかで最も成長したのはたぶんセブンイレブンなどのコンビニ店だろう。大企業は大きなデパートをつくり大々的に宣伝し大量のお客を集めて売り上げを伸ばすが、盲点があった、それは深夜時間帯に対応できなかったのだ。今となっては売り上げも逆転し大企業がコンビニ店を始める事態になっている。要するに目の付け所を変えると新しい未来が見えて来るということだ。 これは余談だが、この花を見て「サザンカの宿」という歌の練習を始めた。 僕たちの年代(団塊の世代)にとっては最近の歌謡曲は歌詞も覚えられないし意味さえもわからないものが多々ある。やはり昭和の時代を生きてきた者には演歌であろう。事実自分自身も演歌の歌詞の様な人生をおくってきたのだ。 いま僕がやっていることはアンチエイジングだ。ウオーキングはともかくモノの考え方を基本的に変えるのだ。こうすることによってストレスは確実に減ってくる。手法としては子供の考え方に立ち返ることが基本となろう。何にでもまず疑問を持つこと、新しいことにチャレンジしてみることだ。どうせ長生きしてもあとは知れたものだ、今を精一杯生きることこそ美しい。 最近世間では「断捨離」と称して亡くなる前の身辺整理を話題にしているが、身辺整理など残された者達の仕事である。残された者が自分たちにとって必要と思われるモノを選別して保管するなり焼くなりすればいいのだ。そのぐらいの仕事を残しておかないと残された者に死に対する実感が湧かないではないか。要するに親としての親切心でガラクタでも残しておくのだ。自分が大切だろうと思って取っておいた物でも残された者が不要ならタダのゴミである。世間の流行に流されて物事をするというより、自分の考えで最後まで後のことなど考えずに楽しく生きるべきであろう。まあ自身で後始末しようなどという高尚な考えは棄てることだ。

【2019.11.27】
★この時期になると飯田市出身の寄席文字の名手「橘左近さん」の関係で「おいでなんしょ寄席」が開催される。この寄席の世話役を僕の同級生が14年に亘って行っていて今日はその第43回目の開催だ。今回も友人のN君と一緒に出かけた。彼も落語好きである。今回は林家三平の長男林家正蔵と、桂米朝の息子の桂米團治の東西の若旦那の共演という形で開かれた。親の七光りはともかく二人とも聞く度に成長しているのが分かる。 落語会は21時少し前に終わったが、例年通りN君と夕食を食べてから家に戻った。今日は近くにある吉野屋で牛すき定食の大盛りを食べた。さすがに21時ともなると飯田市では客足は少なかった。 芸能人の子供は親の七光りで芸能人になれるというのは確かだが、その後の活躍は自身の努力次第である。しかし血は争えないという言葉通り、彼らには才能が備わっている例が多い、要するに蛙の子は蛙である。結局はどこの世界も実力が武器である事の変わりは無いのだ。 僕の親戚や友人達もこの例に漏れず、大工の子は大工をしているし、建設屋は建設業をしている。 ★来年の「桜を見る会」は中止になったが、その後の首相を始めとする政治家や省庁がやっていることは何だ。暴力団を招待したり党員を集めてパーティーを開いたり..。名簿を処分したりなど、もはや法治国家とは思えない現状である。どうせ税金を使うなら花見などしたことのない人とか、花見が出来ないような庶民を招待したらどうだ。企業の経営者や芸能人などは自費でどこにでも行って花見をすれば良い。ましてやタダの焼き鳥を食べる必要もないだろう。実はこの焼き鳥も首相のお友達の会社で一手に引き受けて提供しているというから驚きである。あれほど叩かれた「加計(かけ)学園」のことは念頭に無いのだろう。もしも本当に無いと言えば明らかにアルツハイマーの症状であろう。国家のトップというものは常に身辺を清潔に保ちたいものだ。暴力団とお友達で固めた政治は既に日本最長記録を更新しているというから、これも悪政の一因であるのは間違いない。

【2019.11.26】
★現政府は行き当たりバッタリの政策しか出来ないようだ。消費税を上げるために来年6月迄カード決済に5%のキャシュバックをするとか、来年にはマイナンバーカードを持っている人に対して25%のポイントを付けるとか..。要するに日本はキャッシュレス後進国だから世間(世界)に恥ずかしいから何とかパーセンテージを上げようとする手段として税金を投入するという安易な解決策にしか手段が見えてこないのだ。要するに民間のように奇抜なアイデアで売り上げを伸ばそうというような未来志向の考え方が出来ないのだ。記憶力だけで大学に入って卒業した者達というような現実がそこに見えて来る。 これを何とか改革するには国立の有名校といわれる学校からの公務員の採用をゼロにすることだ。それと高校卒業程度の学力があれば主婦でも公務員に途中採用すべきであろう。今の日本にはとんでもないような思い切った改革しか崩壊を防ぐ手段が無いのだ。 ★朝日新聞の「論座」でコラムニストの矢部万紀子さんが「美」は罪であると書いている。これは絶世の美女と言われる「沢尻エリカ」の麻薬事件に関して述べたものだ。要するに彼女は以前に何回も問題を起こし芸能界から追放されていたが、その都度何も無かったかのように舞い戻ってきていた。その原因は彼女の美であろうという。周りの者達が放っておかなかったということもある。 彼女も自分の美しさのために事件に対して骨身にしみていなかったのだろうとも言われる。 確かにこうした観点から美人をみると明らかに美は罪であろう。しかし人は誰でも美しくなりたいという願望はあるし努力も怠らない。整形手術も今や日常的となった。もちろん美への願望は女性ばかりではない、男性も最近はエステサロンに通い、フィットネスクラブに通い、ブランドショップにも出掛ける。 事件とか犯罪はともかくとして単なる美は罪ではなく美し過ぎるというのが罪であるとも言えよう。誰でも美しくなることは自由であり、美しい者を見るのも好きである。 だがここで思うのだが、人は美ではなく可愛いらしさではないのか。 僕は野良猫の赤ちゃんを見る度に思う、小さな赤ちゃんを見ると苦労してでもエサを与えたくなってしまうのだ。だから人も犬も豚も大人になるために赤ちゃんは可愛いのである。可愛いとは何かと言えば、第一に頭の悪さ幼さ、それと次に小さいことだろう。自分より賢そうな人を可愛いとは思わないし、大きなものに向かって可愛いとは思わない。 要は何でも度が過ぎると悪い方向に向かうと言う事だ。だから適当にとかいい加減なという表現に値するものが一番良いのだと言える。 また醜いと思っている人はかなり多いと思う、そういう人達の大半は努力が足りないのが原因だ。歌手の「郷ひろみ」は何かに付け「俺は郷ひろみだ!!」と言い聞かせていると言う。食事でも「俺は郷ひろみだ!!」とひと言言えば食べ過ぎを防げる、また眠くても「俺は郷ひろみだ!!」と言えば運動もするようになる。たぶん多くの美は努力のたまものなのかも知れない。

【2019.11.25】
★今日も気温が20度を超して暖かい日和となった。明後日飯田市内で行われる落語会(林家正蔵ほか出演)の入場券を友人に手配してもらっていたので受け取ってきた。友人のN君と行くのだが彼も落語だが大好きだ。林家正蔵は数年前に伊那市の市民会館で聞いたが、こぶ平時代からは想像できないほど上達していた。最近はもっと良くなっているらしいから演目によっては楽しみである。落語は他の芸とちがい単独で全て完結するから個人の技量だけがものを言う。僕が好きだったのは笑点の司会をしていて先年亡くなった桂歌丸だ、何がいいかというと言葉をはっきりと発していて内容がわかり易いからだ。何かもぐもぐ言っているような落語家は聞くに耐えないものがある。 しかし僕が一番好きなのは女性演歌歌手の歌謡ショーだ、聞いているだけで若返る気がするのだ。 ★僕も9月からカラオケで歌の練習をしている旨を先日書いたが、その理由は日舞の練習のために自分の歌で踊ってみたい欲望を満足させるためだ。家族からは一応馬鹿にされているが、健康のために実に良い発想だと思っている。僕にはほとんどストレスと言うものがない、それは家族も証明し納得しているが、やりたいことをやって発散しているからであり、物事をいつまでもくよくよ考えていないからだが、もしかしたら痴呆が進んでいるのかも知れない。 いままでアレコレ考えた挙げ句にやっと今日は衣裳を注文した。男だから体に合わせて造らなければならないから納期は1ヶ月以上かかる。バックで歌う内容によって衣裳は花魁(おいらん)とか婦人とか芸者など多岐に渡るが、この際もっとも派手な花魁の衣裳に決めた。何故かというと重厚な衣裳を着ると踊りの動作が少なくてすむからだ、素人だから最初はこれが良いと判断したのだ。もちろん振り付けも曲に併せて自分で造っている。歌の内容に関係無く作っているがこれがまた楽しい。いままでコンピューターを始め電子技術に関する仕事ばかりやっていたから異分野の発想が新鮮なのだ。古希を越えたらいままで一度もやったことが無かったことにチャレンジしたいと思っていのだから..これでいいのだ!!。

【2019.11.24】
★今日もウオーキング中に野良猫の親子の住まいにお邪魔すると始めて子猫が僕の所に駆け寄ってきた。餌を旨そうに食べていたが、野の中で生活するのは楽では無い、衣食足りても近隣にはキツネやタヌキそれにハクビシンも出没している。こうした危険から身を守りながら生きていかねばならぬ、野良猫は決して自由に生きているわけではないのだ。 ★ローマ教皇(法王)が来日中である。長崎と広島を訪問し核兵器廃絶の演説をしている。広島では様々な宗教の代表者と挨拶を交わし記念品を渡しているようだった。 しかし考えても見よう、アメリカは元よりロシアもイギリスもキリスト教の国であり核兵器を持っている国でもある。仏教やイスラム教など国民の大半が他の宗教を信仰している国は原子爆弾など持っていないのだ。それに世界中の宗教の教えで人を殺していいとか戦争をしていいとかいうものはない。 これを機会にキリスト教のトップであるローマ教皇は核兵器を持っている国の国民を信者として認めないようにしたらどうか。これは正論だろうと思うが如何なものか。アメリカなどは日曜には教会に出掛ける人が多いという、そのような国がなぜ最も多くの核兵器を持たねばならないのか?。世界の七不思議であろう。 ともかく人類は核を使うことを止めねばならぬ、如何に人類の英知を結集しても核を扱うのは困難なのだ。もしも扱えるとしたら福島第一原発の廃棄を数年で終わらせることが出来るはずである。チェルノブイリ原発も同様だが一旦爆発したら完全に抑え込むことは出来ない。事故が起きれば小さな地球の広大な土地を永久に放棄することになるのである。要するに核を扱っている学者を始め企業は単なる思い上がっているに過ぎないのだ。簡単に云えば馬鹿の寄せ集めと言う事になる、彼らは米一升を生産する能力もない者ばかりなのなのだから。 それに引き換え世界で食糧を生産している人達の待遇は悪すぎないか、核兵器など無くても何とかなるし、電力や通信網が無くても食料さえ有れば生きていけるということを認識すべきであろう。 原爆投下をもって終わった第二次世界大戦の後のことを考えてみよう。100万円の絵画を壁に掛けて見ていても腹は膨れない、農家に出向いて頭を下げて食料と交換して何とか生き延びた人も多いのだ。こうした見地から国は農業をもっと保護すべきであろう、それと疲弊した農村に人を戻すことも必要だ。熊やインシシが住宅街に出てきて暴れるのも農林業が衰退したためである。 国は国家の体裁を60年ぐらい前に戻す努力をすれば国民は何とか今よりも安寧な日々を送ることが出来るだろう。天皇陛下も様々な儀式のなかで国民の安寧を訴えて居る。即位式や様々な行事も単なる見世物ではなく国民に如何にして幸福をもたらすのか政府を始め先に立つ者の見識を変える場としたいものだ。

【2019.11.23】
★年末も近付いてきたので南アルプス山麓の山小屋の山の中にある「山の神」を掃除と参拝に行く。新しいしめ縄に交換して御神酒を捧げて一年の無事の御礼と来年の無事を祈ってきた。どうでもいいような小さな山の神だが祖父の時代から祀っていたので引き継いでいる。山登りは草を刈ったり除けながら急な登りを行かねばならないから息が切れるが、その苦労こそが奉納に値するし自分の未来の健康を担うものだろう。 周りの山は既に木々は葉を落として冬になっている、何とも淋しくなった山小屋だが、今年はここで多くの友人や家族が集って賑やかだった。また来年も同じように笑い声がこだますることを願って止まない。 僕の同級生も始めてここに来てもらい賑やかに過ごせたのも一生の思い出である。人生というのは突然に素晴らしいことが起きるものだ。 最近の量子理論によると、いままでの考え方は、過去は未来に影響するが未来は過去に影響しないと言われていた。しかし現実は未来の出来事が過去に影響しているということが現実として肯定せざるを得ない状況になってきたのだ。それと自分が見ていない現実、風景や友人、それに宇宙などは存在せず、自分が見たときにだけ現れるというのも事実として認めざるを得ない時代になった。そんなときに自分がどんな生き方をすればいいのか、もういちど考え直すべき時代に我々は立ってしまったのだ。 四季折々の風景も悲惨な災害も自分が注視しているから現実になっているだけであって、見ていなければ存在していないのである。こうした混乱もすぐに当たり前として受け入れられる日も近いだろう。

【2019.11.22】
★ウオーキングに出かけようと外に出て温度計を見るとまだ3度だ、それに冷たい雨も降っているではないか。出直そうと思ったが傘を差していつものルートを歩いた。もう真冬のような感じだが野良猫も待っているので行ってみると寒風の中で待っていた。餌を与えてガンバレよと言葉をかけて来たが何とかならないものか。 霜が降りたのでフジりんごの収穫も始まったようだ、蜜が入ったこのりんごを僕は好きだ。畑では大根の収穫をしている人も見かけたが、今年は大根が不作だという、既にスーパーでは高値になっているようだ。 野菜とか鮮魚というのはその年の気温とか雨量などによって取れ高に波があるが、これは自然界のリズム(周期)であって大きな問題ではない。こうした周期があるおかげで魚は数を増やすことが出来るのだ。 ★またまた首相と婦人の悪い噂が飛び交っている。花見に一般人である婦人が推薦した者が含まれて居たとか、右翼団体のトップが含めれたいるとか..。まるで家計学園や籠池問題のときと同じではないか。過去の反省が無いというか政治の私物化という指摘は免れないだろう。こうした現実は安倍事務所の人材のレベルが低いことを物語っている。安い給料で事務所を維持しようとしているのは明白で笑い話にもならない。政治資金規正法とか選挙法などに法に詳しい人材がいないとしか思えないからだ。優れた人材を確保していればこうした犯罪まがいのことが露見するようなことはない。他の政治家も同様で親戚のおじさんとかを採用しているのではないのか。知識の有る者ならば事務所の人間が香典を配り歩くことなどないだろう。 例の北方領土を戦争で取り返そうというような政治家も事務所の人間以下の常識しか持っていないのだ。こういう連中を国会に送り出したのは馬鹿な庶民である。猛省すべきは庶民なのだ。こんな馬鹿な事件や人物に対して何を書いても言っても無意味であるし時間の無駄でもある。早々に書くのをやめて音楽でも聴いてみよう。

【2019.11.21】
★遂に我が家の庭に置いてあったバケツに氷が張った、気温は−2度だった。 ここ数日天気が良かったので漬物用の大根は良く乾いた。明日から天気が崩れるというので妻は大根をハザから降ろし、日が暮れる前までに何とか漬けてしまった。約100本である、これをクリスマスの日に初出しして3人家族で来年の3月上旬までにほとんど食べてしまう。一日1本だから中ぐらいの鉢に朝昼晩一杯ずつ完食するのだ。これを聞いたかかりつけの医者は、高血圧の人が余りにも無謀な行為だと言った。僕は毎日薬を飲んでいたので、漬物を食べる為に薬を飲んでいるのだと言い、そこで争いになった。その後僕は3年間医者にい一度も行っていないし薬もろくに飲んでいない。だがまだ生きているのだ。 脳梗塞が怖くて生きていられるか、心不全が怖くてレストランに行けるか。と自分に言い聞かせて生きているのだ。 僕は医者に行かない事でストレスが無くなり体調は著しく良くなった。大方の人は医者に行くと血圧が20〜40位上がるが、これも医者に行くという心的なストレスが原因なのだ。医者に行くのは倒れてからでも良いのではないか。僕は癌検査を一度もしたことがない。希に発見したとしても生きる者は生きるし、死ぬ者は死ぬのだ。例え助かっても短期間生きのびられるだけだ。その生きている間も癌の恐怖にさいなまれて生きる心地はしないだろう。当然飯も旨くないし遊びに行くのも躊躇してしまうだろう。 人が死ぬと言う事は完全に何もかも無くなることだ、残るのは家族のヤレヤレ感だけかも知れない。 僕の父親は90歳を超えても生き延びるための努力を欠かさなかった。毎日必ず近くの食品スーパーに出掛けて健康番組を見てマグロの赤身とか昆布とか買ってきて食べていた。少しでも痛いところがあるとすぐに医者に行って馬鹿にされてきた。人は幾つになっても生き延びたいという願望は消えないようだ。 健康診断をすると長生き出来そうに思われがちだが、それは間違いである。例えば厚生労働省でマンモウグラフの検査を推奨し、検査する人が増えるにつれて乳癌の発生率もどんどん増えているのだ。検査で発見したからという見方もあるが、実はそれを加味しても極端に増加している。明らかに検査によって発症したと思われる。それと予防注射も似たようなものだ、死なないまでも病気を誘発してしまうのである。インフルエンザの予防注射も同様だろう、だから僕は一度も受けたことがないから正解だろう。まあ、こんな事を書いていて、この冬インフルエンザが元で死んだらお慰みである。外気温が0度程度でも昔からオープンカーで走り回っているが、僕はまだ風邪もひいていない。(数年前に一度だけ高熱が出て1週間寝たきりのことはあったが医者に行かなかったから原因は不明だ)。

【2019.11.20】
★ウオーキングの途中で野良猫の住処に毎日寄ってみているが、今日は久し振りに子猫が姿を現していた。たぶん産まれてから2、3ヶ月だろうがずいぶん大きくなった。寒さが厳しくなる中で野原にある東屋の収納庫の下で生きているのだ。今日も餌を持っていったので与えると喜んでガツガツ食べてから僕が帰る道を50mぐらい付いてきてゴロリと横になった。これは猫が信用していることを現す動作で感謝の行動であろう。冬になると餌はともかく水の確保が難しい、容器に入れておいてきても凍ってしまって飲めないからだ。それでも夫婦の猫は一生懸命に子育てをしている(オス猫はあまり関与しないがキツネなんかに襲われたときに家族を守るのだろうか)。ともかく穏やかで暖かい夏は終わってしまった。この猫たちが果たして来春まで生き延びていけるのかが唯一の心配事である。 ★中央道飯田山本ICから飯田上久堅・喬木富田ICまで未開通区間となっていた天竜川横断の三遠南信道飯喬道路の天龍峡大橋が先日開通した。中央道から分枝して富田地区まで一気に行くことが出来るが、まだ富田から上村間が未開通なので遠山地区の人達にとって恩恵は全く無い。現在は夜間になるとイルミネーションが点灯していて橋全体が光って見える。 ともかく全国的に見ると高速道路の開通は一ヵ月に複数あり、バイパス道路の開通が最も多い。これに使う金は半端ではない、それよりも既設道路の老朽化整備とか無料化などの対応が望ましいように思われる。日本の人口がどんどん減っていくというのに道ばかり出来ても仕方が無いだろう。堤防や治山治水事業などももっと真剣に取り組みたいものだ。 長野県北部まで雪の前線は南下してきた、飯田市内も今朝は薄氷が張っていた。冬になると車で出掛けるのもいやになってしまう。 何か面白いことは無いかと考えたが、どうせなら今迄一度もやった事のないものに挑戦しようと考えた。2ヶ月ぐらい前から歌の練習と日舞の練習を始めた。だが着物の着方から始めなければならない。その為には着物も必要になる。家族からは馬鹿にされるが人生何でも挑戦することが健康の秘訣でもある。頑張っていこう。

【2019.11.19】
★近くの食品スーパーに行ってみると何と正月用の「カズノコ」が山ほど積まれていた。もう今年も残すところ40日となり正月も近いのだ。早いもので桜が咲いた、暑い、豪雨などと騒いでいるうちに時間はどんどん過ぎていく。僕はせっかちな性格だから車で走っていて僕の前で赤信号になると決まって「人生の時間を○○分損した」と声を出して言う。横に乗っている妻は「昼寝している時間に比べたら微々たる時間だ」と言い返してくる。だが人生の時間とはそういう基準では計れないような気がしてならない。時間は既にずっと未来まで延びていて我々はその完成された時間という次元の途中を通り過ぎていくにすぎない。3次元は当然のように縦横高さというもので目に見える、当然のように物理的に考えて時間も見るべき所から俯瞰さえすれば見えるはずのものなのだ。過去は確実にあるのだから未来だって同じようにある。 こう考えると人生というものの儚さはともかく、生きていることの素晴らしさを感じずにはいられない。僕は時々「人生って素晴らしい」という言葉を口に出すし、友達にも言う。だって本当に素晴らしいからだ。好きな物を食べて好きな場所に行くことも出来るのだ、それに友達にも会えるのだから素晴らしいという表現しか無い。しかしこの言葉が出てくるようになったのは最近の事だ、昔はそれどころか、疲れた、休みたい、旨い物が食べたい、どこかに行きたい..という言葉しか出てこなかった。 僕たちの過去は消えてしまったように思いがちだが、実は宇宙に確実に保管されているが見る事が出来ないだけだ。なぜ見えないかというと、僕たちの今は光の速度で宇宙に放出されているからだ。光より早い速度の宇宙船に乗れば自分たちの過去を見ることは現実として可能なのだ。そうでなくとも光と同じ速度で宇宙に出ていけば年は取らず今のままでいられる。 しかしそうまでして過去など見ても仕方が無いし、過去は変えることが出来ないから青春時代の誤った選択肢も変えることは出来ない。 しかし最近は量子の世界のふるまいをみると簡単にこうした時間旅行が可能では無いかと思われる。地球や人類があと数百年このままの発展を続けてれば可能だと断言できるが、いま目の前を未来の人達が通りすぎていくのを見ないことから、人類はそこまで存続していない可能性が大きい。ともかく、「生きているだけで丸儲け」という明石家サンマの言葉が思い起こされる。彼は自分の娘に「いきているだけでまるもうけ」を簡略化した「いまる」という名前を付けたのだ。確かに未来や過去はともかく、いま生きているだけで幸福なのである。

【2019.11.18】
★今日の雨は初雪になりそうな気配だったが、気温が高く南アルプス山麓の山小屋(海抜1,000m)でも雨になっている。ちなみに20時現在の現地の気温は10度もある。このまま暖冬が続くかと思いきや21日頃には気温が極端に下がるという予報も出ている。農家でも霜が降りないと収穫できない果実や野菜もある、気温の低下によって甘みが増して旨くなるからだ。 ともかく収穫できるのはならばまだいい、台風で畑が冠水してしまった農家では泥の除去で精一杯だという。明日のことなど誰も分からない、だから毎日楽しく生きる努力をしなければならないということだ。いくら悩んだとて問題は解決しない、一番の解決手段は時間である。それともうひとつは必ず好転するという確固たる希望と信念をい持つことだ。 ★世界はいまも混沌としてる、香港で大規模なデモが継続しているかと思えばイランでもデモが過激化している。本来、人は自由であるべきなのは当たり前のことだが、それを権力で制限しようという者が現れるから確執が始まり暴動に発展するのだ。 しかし今から50年以上も昔は日本だって過激なデモが行われ死者や逮捕者も連日出ていた。いま問われているのは日本の若者の行動力だ。何か気にくわないことがあれば家に閉じこもってしまうという社会からの逃れ方にも問題が有る。僕はいつもここで書いているが、「若さとは権力に反発する気力」である。この意気込みというか精神力が若さであり社会を変える原動力なのだ。こうした視点で見ると韓国の方が日本より若者の意識や国民の正義感は強い。大統領を逮捕するなども当たり前のように行われるのだから明らかに日本とは違う。 今の若者に「桜を見る会に税金を使う」事について聞くと、何が悪いのかさえ分からないというのだ。要するに塾に行って高校や大学に行って何を学んできたのか分からないのだ。こうした若者を責めているわけでは無い、本当のことを書くと、50年以上前に吹き荒れた大学紛争を主導した者達はその後企業に就職し幹部や社長となり若い頃と真逆の立場に甘んじているからだ。要するにカネでどうにでもなる連中だったと言う事だ。 僕の知っているT社の社長もその一人で、安田講堂に立てこもった実績を持っている。だが今となってはその片鱗さえ見せないのだ。かといって僕は彼らを軽蔑したり嘲笑したりするわけではない。時間の流れが環境を変え人を変えていくのである。その事が実は平穏に生きていく為に不可欠だったのだ。 いつもヘナヘナしている柳の木は強風に遭っても折れない、風の吹く方向に身を委ねて折れるのを防いでいるのだ。剛直な人間よりも適当な人間の方が長生き出来ることは確かなようだ。それと悩みも時間が解決してくれるというのも間違いないだろう。

【2019.11.17】
★僕のウオーキングルートから夏の色や秋の色が消えていく。柿を採り終えた木は葉も落とし始めてきた。風越山もいつの間にか秋の色がなくなってしまった。そろそろ車のスタッドレスタイヤも履き替える準備をしなくてはならない。 信州は実は住みにくい場所である、夏は気温が38度にもなり、冬ときたら零下10度如何にもなるからだ。夏物冬物が双方必要になるということで対応するには相応の資金もかかる。また気温が急変することから季節の変わり目に亡くなる人も多いのも特徴であろう。 なにか良いことはないかと考えてみると、台風が通過してもあまり強風が吹かないことぐらいだろうか。それと野菜や果物が豊富にある事で、友人や直販所から安く仕入れることが出来る。今日も嫁さんの実家からリンゴやネギなどが届いた。 日本はもっともっと住みやすいと国であるはずだが、多くの馬鹿者達がスポーツや興行にうつつを抜かし、享楽三昧に走った結果として温暖化が進んでしまった。このために気候まで変わってしまい、集中豪雨が多発することになったのである。 昨夜栃木市の友人から電話があり、目が悪くなって医者に通っているという。何故かというと栃木の市内が冠水し街の多くの家には泥が中まではいってしまった、その有害な物質を含んだ泥が晴れた日には舞い上がって目に入ってしまったのが原因だという。災害は次々と不幸の連鎖を継続していく。そして関係無いと思っていた自分自身の身の回りにも影響を及ぼしてくるのである。 同じように他人事だと思っていた事件も思わぬ所で係わってくる。僕の友人で妻の従兄弟でもあるK君の娘さんはアメリカに留学していてそこでアメリカ人と結婚した。その家族はロス近郊のサンタクリラに住んでいて子供達も近くの学校にっている。昨日の新聞に出ているようにこの学校で銃撃事件が有り生徒2名が亡くなった。この亡くなった子供の一人がK君の孫の友人だった。彼はショックで学校を転校したという。新聞が配られる前にLINEで知らせてきて知ったが、日本ではどうにもならないし心配事が増えただけだ。 K君の娘さんは博士号を持っていてご主人も博士だという。だからプール付きの豪邸に住んでいるのだが、事件は何処でどのように起きて係わってくるのか予想だにできない。水害で水没して家も車も家財も全て失った人達も、まさか自分がその中に含まれることは無いだろうと思っていたはずである。 いま世界は激動期を迎えた、環境も経済もである。車の需要はドンドン落ち込んでアメリカのGMでは巨大な工場を三ヶ所閉鎖に踏み切る。要するに経済はもうピークを過ぎたのだ。あとはリーマンショックを超える激変が世界を覆うはずである。 日本も真っ先にこの激変に巻き込まれる、それは不景気の株高とかマイナス金利政策など行き先の見えない対策を講じてきた結果である。日銀も馬鹿者の集団によって運営されていた結果であろう。こういう人達に意見をする水戸黄門のような人の出現がいま望まれる。

【2019.11.16】
★全国的にまだ夏の災害の後遺症が残っているというのに季節はもう冬だ。11月も半分終わってしまったではないか。夏の楽しかった思い出も何か遠い過去のものになってしまったように思える。やはり冬は淋しい季節なのだ、第一に開放的で無い。僕たちのような団塊の世代には夏に友達と遊び回った記憶はほとんど無い。企業の競争と経済成長の犠牲となって働きどうしだったからだ。だから今になって遊ぼうと思ってもそう大それた事は出来ない。 その僕らの世代がいま何をしているかというと決して遊んではいない、老体にむち打って、というより自ら進んで契約社員やアルバイトとして週に3〜5日働いているのだ。例えば施設の給食係や世話係、大企業の工場の掃除係などまさに今迄日本を背負い続けてきた者達が今もなお日本を支えているのである。 こうした労働は喰うためでは無く働いていないと間が持たないという現実があるからだ。要は遊びを知らないのである。人生の楽しみ方を誰も教えてくれないし学ぶ暇もなかっのだ。 この状況がいまの無法地帯日本を造りだしてしまったと言える。 働けば働くほどに多額の税金を納めることになる。この多額の税金が役人や政治まで堕落に導いてしまった、まるで宝くじに当たった人と変わりない。その一例が年金の無駄遣いである、役人やゼネコン、それに政治家が寄って集って年金の資金を使って無駄な建物や温泉施設まで造ってしまったのだ。それを監視する者が役人だからどうしようも無い。その役人を監視するのが国民なのだが小銭儲けに走っていてそれ処では無かったのだ。 こうした働き過ぎは企業に傲慢(ごうまん)さを覚えさ社内パワハラまでが日常的に起きるようになった。今日のニュースを見るとその現実は奥が深く広範囲に広がっていることが分かる。先生同士のイジメも悲惨なものだったが、消防士同士が消防車の中でイジメをしていたのである。逆さ吊りにして拷問まがいのことをしていたのだから殺人犯と変わりない行為である。こういう公務員が救急車で病人を運ぶのだから助かる者も助からない筈だ。それに出動回数が多くて忙しいなどというのは嘘で、影ではイジメをしていたりコーヒー飲んでいたりしているという現実が見えて来るではないか。 学校でもイジメで死ぬ者が後を絶たないのだから何とも恐ろしい社会である。この現状は堕落した政治が影響している、黒いものを白として権力で押し切るような首相の行為など目に余るものが有るからだ。 いま起きている花見疑惑もその一端で選挙違反まで疑われる始末である。懲りないというか権力を独り占めした者の行き着く先だと見る事も出来る。ともかく上に立つ者や役人はそろそろ目を覚ます時では無いか。

【2019.11.15】
★最近は量販店も販売競争が激しくなって品揃えなど新しい試みをして居る。我が家の近くにあるケーヨーという販売店も1週間ぐらい閉店してリニューアルし昨日からオープンした。特に変わったのは売り場のなかに「CANDO」という100円ショップが出来たことだ。しかし以前から近隣の100均に対抗すべく商品を揃えていた。例えばダイソーで100円の造花は98で売っていたのでケーヨーの方が安かった。 最近の100均は200円とか300円の商品が多々有る。売りたい一心なのはよくわかるが値段を見ずに商品をレジに持っていった時点で200円と判ってがっかりしたことが多々有る。これでは気軽に買い物かごに入れることは出来ない。ともかく近隣の住民は老人が多いので話を聞くと100均が開店して大いに喜んでいた。 いま国民の消費は確実に落ち込んでいる、特に消費税の増税前の駆け込み消費が全く伸びなかった。こんな不景気に消費税が上がるからと言って急いでモノを買う人が居なかったのである。政府は景気を良くしようとして策を巡らせているようだが、馬鹿を寄せ集めての議論では名案など浮かぶはずがない。景気を良くするには格差の是正と消費税をゼロにすることだ。一時的に税不足になったら公務員の数を減らせばいいだけのことだ。 近くにある食品スーパーも買い物客が減ったようにみえる、しかし5%サービスの日は駐車場が一杯になる盛況となる。これは税金が安くなることで消費が伸びる証拠であろう。 今年一番の失政は消費税の軽減税率を巡る問題である。店の中で食べれば10%持ち帰れば8%というもので、分かりにくい処の騒ぎでは無い。明らかに世間を全く知らない馬鹿者達の発想ではないか。昨日も友人とレストランに行ってレジで払うとき、果たして8%だったか10%だったか分からなくなった。代金を支払ってからレシートを見て10%だと分かった次第である。しかもカード決済したのに割引が無かった。これは大型店は除外されるというのだが、どこまでが大型店なのか判断が付かない。店の入り口に大きな字で看板を出しておくべきであろう。 また宗教色の強い大嘗祭などに公費を使うことについて皇族の中でも意見が割れている。 日本も皇室が事業をしたりカネ儲けできることを解禁すればいい。イギリスのバッキンガム宮殿などは女王の個人資産なので、見学者から料金を徴収して自分の収入として処理している。 日本は皇居の見学とか新年祝賀式の参列、それに桜並木の通抜けなどに1万円程度を徴収すれば税金を使わなくて済む皇室になるだろう。しかし政府は反対である、カネを与えることによって自分たちの言う通りに皇室を支配し動かすことが出来るからだ。 だが、お花見の親睦会に税金を使うよりは皇室に使った方が庶民は納得する筈である。

【2019.11.14】
★明日から冷え込むという予報が出た、飯田市でも1度ぐらいまで下がるというから大変だ。山小屋は−3度ぐらいになるはずである。僕が自作した電子式雨量計は雨水を取り込んで計測するので溜まった雨水が凍って装置が壊れる恐れが有る。先日行ったときに本体を取外すのを忘れてきたので、朝一で山小屋に走った。いま飯田市と上村間の道路は至る所で工事中で、一方通行が5箇所ぐらい有る。このために時間が余計にかかってしまう、特に通勤の人は災難である。 今朝は暖かかったが連日の冷え込みで紅葉は既に終わってしまっている。落ち葉の季節になったのだ。先日バーベキューパーティーをやったテーブルにも落ち葉が秋の終わりを知らせてくれていた。 昨夜は僕の作業室にハエが一匹迷い込んできた、中々出ていかないので皿に砂糖水とリンゴの皮を置いたところ早速寄って来た。この先あまり長くもない命だと思うから栄養を補給して一日でも長生きして欲しいと願うばかりである。この様子を見ていた妻は「馬鹿でないの」と言い放って去って行った。人間も動物も同じ地球上に生きる者同士だ、仲良く暮らしていくのが一番良いではないか。 ミツバチは蜜を溜める以外に人を刺す事も有る、しかしこのミツバチが持っている毒は人間にとって万病の薬になるという。わざとミツバチの針を刺す治療法もある。 おおよそ地球上に生息している昆虫から植物に至るまで人間の為にならないものなど何一つないのだ。 ウオーキングの途中の公園に夫婦の野良猫が住んで居るが少し前に3匹の子猫を産んだ。そのうち2匹は貰い手があって引き取られていったがまだ一匹のこっている。野良猫の母がこの子猫を育てている光景を見ると親の有り難さが判る。僕が餌をやると少し食べてから残りを子猫に与えて居る。子猫は警戒心が強くていつも住んでいる公園の物置の縁の下に、人を見ると逃げ込んでしまう。だから僕はこの小屋の下に餌を置いてやるが、そうすると子猫が出てきて食べている。この冬を越せれば長生き出来るかも知れないが、野原で子猫が冬を超すのは難しいだろうと思う。 税金を使って花見などする暇が有ったら捨てられた動物の一匹でも助けた方が為になる。花見などは家族や近所の人達と少人数で出かける方がいい、僕は写真を撮ったりするので大概の花見は一人出行く事にしている。それでいいのだ!!。

【2019.11.13】
★好天だったので庭で炭をおこして魚を焼いた。この魚はアメノウオともヤマメとも言われるもっとも旨い魚だ。先日下栗に行った際に友人に調達してもらったものだ。この魚は焼き方によって旨さがまるで変わってしまう。炭火で長時間かけて乾燥するような気持ちで焼くと身が締まってホクホクするような食感になる。僕は子供の頃から川でこの魚を釣って食べていた、当時は一つの淵に20匹ぐらい泳いでいるのが目視できたが、この見えている魚を釣るのは難しい。餌は生の蜂の子、ゴトウムシ、カワセミなどだが、何と言っても蜂の子が一番釣れた。僕が最初にアメノウオを吊ったのは父母の話によると5歳ぐらいの時だった。桑の細い棒きれに祖父がテグスとゴトウムシの餌を付けて持たせてくれた。淵の中に投げ込んで10秒もしないうちに30cm位ある獲物が釣れた。この時のことを僕は今でもしっかりと覚えている。心臓がバクバクして釣った魚を持って走って畑に居た両親の元に見せに行った。始めて両親が誉めてくれたのはこの時だったように思う。その頃から僕はこのアメノウオが大好きで釣ったり買ったりして食べている。  ★今日から18日までNTTの光回線とインターネット信州サーバーの運営会社変更のために様々なデーターの更新が止まる。このブログも公開されるのは18日になると思う。インターネットを始めとした様々な情報網は回線とか電波の状態、それに災害や運営企業の破綻や譲渡などによって停止する。今年明らかになった弱点は台風などによる停電だろう。スマートフォンの基地局は停電しても24時間程度運用できるバッテリーしか持っていない。バッテリーは幾らでも大きくすることが出来るが、定期メンテナンスの費用や劣化が早いこと、それに大容量になれば消防法の適用も受ける。こうした事からせいぜい24時間程度の容量にしているのだろう。大型のバッテリーは硫酸など使用しているから大量保管には問題が多いのだ。 僕が昔勤めていた会社で使って居たバッテリーは48ボルトで数千AH(アンペアアワー)もあって、バッテリー1つの大きさが団地の風呂桶より大きかった。それに寿命は約10年程度で交換には1千万円以上かかったと思う。 昔はスマートフォンなど無くても何ともなかったのだから、元々持っていなかった思えば気も休まるが、どっぷりと便利さに浸ってしまった人間にとって後戻りは難しい。だから常平生の心構えとして情報機器を余り使わないことだ。今でもテレビを見ない家庭も相当あるし、新聞を取っていない家も多いがいかんせん料金が高すぎる、広告収入で無料で配った方が部数も利益も増えそうな気もする。

【2019.11.12】
★雲一つ無い真っ青な空だ。午前中にウオーキングも兼ねて近くの姫宮公園に行ってみた。モミジは既に最盛期を過ぎてしまったが、それなりにいい雰囲気だった。 荒れ狂った今年の気候を打ち消すかのような穏やかな一日だった。まだ行方不明の人が数名いるというが、今年の災害では100名近い死者を出している。また数千軒の家を水没させ、10万台以上の車を廃車にしてしまった。家も車も無くてもいい、家族が無事であったら..と思うが、それだけでは諦めきれない人ばかりである。人生は一寸先は闇なのだ。あの万年青年の若大将(加山雄三)だって先日脳梗塞を発症して現在入院中だというではないか。彼は体調がおかしいなと思ってすぐに病院に駆け込んで事なきを得て回復も早く、近々退院してコンサートに復帰するという。都会に住んでいれば近くに病院は幾らでも有るが、山村(無医村)に住んでいると多少体調がおかしくなっても医者には行かないし行けない。だからと言って山村の人達が早死にするかというとそうでもないのだ。先日も書いたが南アルプス山麓の上村でも今年100歳になった人も居る。僕の祖父だって96歳まで元気だった。病院が近ければ長生きするというのは間違いなのだ。 前にもここに書いたが、日本で最高の知識(データ)を持つ人工知能に「長生きするのはどうしたらいいのか」と聞くと、「総合病院を無くすことだ」と答えたという。その一例が北海道の夕張市で、赤字財政で総合病院が運営できなくなって廃止してしまったが、何とその後病人は減り長生きの人が増えたのだ。この原因は薬に飲みすぎが無くなったことだ。薬は全て毒である、毒を以て毒を制しているのだから当然で、何かを治せば何かが悪くなる。だから病人が増えて長生き出来なくなるという図式である。 もうひとつ病院に行かないと血圧が安定するということだ。ほとんどの人が定期的に病院に行って血圧を測ると10〜30位上がる。これは白衣性高血圧と言い、計られるというストレスが血圧を押し上げるのである。このように病院に行くという行為だけで体はストレスを溜めてしまう。だから行かないに越したことはないのが病院である。僕もも3年以上医者に行っていない、薬もほとんど飲まないが血圧は安定し、狭心症さえ回復し血糖値も下がった。 気温が下がると血圧が上がると言うのも不思議だ、僕は今後テストしてみようと思っているが、寒いと思う心がストレスとなって血圧を押し上げているのではないかということだ。 とにかく無駄な薬を飲まなければ健康で居られるというのは人工知能が人間に教えてくれた最良の答えであることは間違いない。

【2019.11.11】
★午後15時前後だったと思うが、雷鳴が轟いて強風と大雨が吹き荒れた。そのために庭の植木の葉の大半が落ちてしまった。紅葉していた木々もこれではひとたまりも無いだろう、昨日書いたが南アルプス山麓の山小屋に写真撮りに出掛けたのは正解だったといえる。 監視カメラで見る限り昨日で今年の紅葉は終わったようだが、これも予想通りである。既に山小屋周辺は朝の霜で真っ白になっている、雪で真っ白になる日も近い。 こうなると海抜1、000m地帯で生活している人達にとって長い冬の始まりになる。夏は観光客で賑わっていても冬はその反対に寂しさが増すのだ。僕も森の中で育ったから、冬は想像を超えた厳しさがある事を知っている。 ★世の中でくじ運が悪いという人は幾らでも居るが、僕ほど悪い人はそうは居ないだろうと思う。昨日の新聞によると、飯田市の宝くじ販売所で先日抽選が行われた「ハロウィンくじ」で5億円の当選者が出たという。羨ましい話だが..僕は宝くじを買い続けて50年以上になるが、高額当選したと言えるのは10万円が一度と5万円が一度だけである。どのぐらいの枚数を買ったのかというとよくわからないが、近年に買って不発となり保管してあるクジだけでも軽く500万円分は有る。だから箱に入れて保管してある分を入れると1千万円分はあるだろうと思う。これで当たらないというのは明らかにクジ運がないからだ。ただ僕は当選して豪遊するために買っているのではない、単なる運試しである。若しも10年ぐらい前に当たっていたら僕はこの世に居ないだろう。何故ならスーパーカーを買ってどこかで激突死していると思われるからだ。 クジに当たらない代わりに、この年まで癌にも災害にも事故にも当たらなかったのだ。 カネよりも病気や事故に当たらない方が確実に幸せである事は言うまでも無い。 しかして以前当選した事のある5万円は長男が東京の大学に行っていたから小遣いと生活費として送った。10万円はと言うと、妻と娘が長野市にある美術館を見学する為に使った。要するに僕は一度も使った事が無いし、時々当たる3千円は次回の購入費に充てているから全く使っていないのだ。 まあ世の中は何が幸せなのかと考えてみると、一億円以上当選した人の大半は奈落の底に落ちているというデータもあるようだから当たらない方が不幸になる確率は小さいと言えよう。ちなみに宝くじの一等に当選するのは日本中で交通事故死する人より遙かに少ない、運が悪いのではなく確率が低すぎるのである。

【2019.11.10】
★好天のようなので南アルプス山麓の山小屋に写真を撮りに行った。紅葉は今日あたりが見頃で明日から散り始めるだろうと思われる。もう霜が降りて野原は真っ白になっていたから、紅葉の終わりと共に今年ももうお終いである。思い起こすと今年もいろいろあった、なかでも同級生や先生を交えて何回も食事をしたことが記憶に残る。下栗まで出掛けてここに住む同級生と談笑したが、たぶん彼らと会うのはもう無いかも知れない。人生の一日一日が何か貴重に思えた一年であった。 山小屋で音楽を聴きながら周りの風景を楽しみ、紅葉を撮影し、昼飯を食べながらのんびり過ごすのも今日が最後だろう。もう寒くなって屋外で食事することも出来ないからだ。 持っていった音楽データのなかに「月の沙漠」という曲を入れてあった。井上陽水と倍賞千恵子がそれぞれ歌っているものだ。高原に透き通った声が轟いて何か別世界に来たように思えるほどだった。 この曲は砂漠の歌だが舞台は日本の千葉県の御宿である、作詞者は「加藤まさを」作曲は「佐々木すぐる」となっていうるがどういう人かは知らない。しかしこの曲は童謡にも思えるが全く違うものだ。たぶん作詞者は友人か身内に「かけおち」した人が居るのだろう。この先にどのような人生が待っているか苦労が待っているのか?。その苦労の旅路を危険な砂漠に二人でラクダに乗って出掛けていくという情景に置き換えて表現したのだと思う。砂漠は実に危険な場所でいったん出たら戻るのも困難な場所で、2つのカメに水を入れてぶら下げただけで出掛けたのだから、たぶん死ぬつもりで旅に出たのだろうと想像できる。この曲はこうした死の逃避行を歌ったものであり悲しい詩であり曲である。僕は山小屋の庭で何度も聞いた、そして一緒に歌った。なにか涙がでてきてしまった。テーブルの上に小さな虫が飛んできたので卵焼きを少しやると夢中でかじりついていた。もう冬が近いから虫も衰弱しているようだ。もう野原には餌になるものは何もないようだ、もしかしたらこの食事が最後になるのかもしれないと思うと秋の寂しさが伝わってくる。さっそくペンと紙を持って来てこの情景を詩にした。人間を含めて全ての命は自然に抱かれて生きている、虫や人が必ず死ぬのも自然界の掟であることを改めて感じた秋の一日であった。

【2019.11.09】
★台風23号と24号が発生していたが、東西にそれて日本への影響は全く無かった。若しも近付いていたとしたら、今日行われた天皇即位の式典も大変だっただろう。夕方になると気温も下がって寒かったと思う、もう少し時間を早めれば良かったのではないだろうか。最後に国旗を手にした数万の国民が「天皇陛下バンザイ」と手を挙げた時は何か違和感を感じてしまったが。 ここで祝辞を呼んだのが15歳の芦田愛菜さんだった、この子は度胸も良く才媛で将来は大女優になるか小説家になるだろうと思う。最近は子供であっても大人を凌ぐ学力や知識を持った者が多くなった気がするが、そのほとんどがマスコミに洗脳されているというのが気になる。未来は若者の為にだけあるものだ、「老兵は死なず、単に消え去るのみ」なのである。老兵がいつまでも利権と欲に絡んで若者の祭典などに口出しすると、若者も意気消沈してしまう。特に政治家は65歳ぐらいになったら自ら退くべきであろう。長い間利権の中に身を置くと善悪の判断さえ付かない人間になってしまうからだ。 ★そういえばベルリンの壁が崩壊してから今日で30年になる、その後の様子は余り報道されないので判らないが、韓国と北朝鮮の境界線がなくなったらどうなるのか..想像も出来ない。だいいち地球には太古の昔から線などどこにも引いていない、誰でも自由に大地も海も歩き回ることが出来るのは当然の権利であろう。そこに無理矢理空想的な線を引き出すから国家と国家の争いが起き戦いも起きるのである。いったいこの線は誰が引いたのだろうか?。よほど賢い者か、それとも農民だろうか。お互いの利益を守る為に多くの人が団結して引いた線なのだろう、いつまで経っても消される事は無い。この団結とか権利という亡者的なものが人間から消え失せない限り線は残る。もちろん田んぼの境界線も残るが、残さなければ争いが起きることは間違いない。何れも人間のほとんどが私利私欲に満ちあふれているからだろう。これを全て捨て去るというのが共産主義だが、実は本来無いはずの格差や特権がいつの間にか国中を覆ってしまうのだ。これこそ人間の深層心理の為せることだ。たぶんあらゆる宗教や思想も太古からのDNAを持っている限り競争意識がなくなることはない。この競争意識こそ人間という種をここまで生き続けさせた原点と捉えると今の社会もこの成り行きの中に有る。 森の中に入っても同じように、木々は我先に背を伸ばそうと競争している。たぶん全ての生命体は弱者を切り捨てるように働くのである。そのなかで唯一人間としての優しい心こそが救いとなる、今後はボランティアに行って泥だらけになって満足できるような心の豊かさを醸成するようなことが教育の主体とならなくてはならない。日本一になろうと放課後にクラブ活動する姿やオリンピック選手になろうという教育とは正反対なである。

【2019.11.08】
★今日は立冬だ。僕にとって今年の秋は10日ぐらいしか無かった、何故なら10日前までは半袖半ズボンだったが、3日ぐらい前から長袖長ズボンである。これが危険極まりない亜熱帯気候特有の症状である。いままで危険な兆候は幾らでも有ったが金儲け優先のために誰も言い出さなかった。それが癌を転移させてしまったのである。全身に癌が及んでから騒いだとしても取り返しが付かないことは医者でも知っていることだ。 森の紅葉は赤い葉を霜が覆ってしまい日が当たると茶色に変色している、もう紅葉の時期もお終いである。北海道からは雪の前線がどんどん南に降りてくる、気を付けなくてはならないのは、亜熱帯性気候は温暖化をもたらし大雪を降らせるということだ。特に関東地方は要注意で有る。 日本でも著名な憲法学者3人が安倍首相に対して違法と言い放ったが、これも戯言とあざ笑ったのと同様に温暖化についても嘲笑い放置したのは失政そのものである。特にアメリカのトランプ大統領の離脱発言は地球を見捨てるものである。 今度は巨大なハリケーンがトランプタワーを吹き飛ばすかも知れない。 豪雨災害で浸水した多くの家や自動車は国家の犯した温暖化放置犯罪による人災によるものだから全て補償すべきであろう。今後も災害によって家や仕事を奪われた者は全て国家の責任に於いて対応すべきなのだ。無職となった人は国家公務員として採用し、賃金は公務員全員でプールすればいい。一人あたり千円も出せば数千人を採用することができいるではないか。ろくな仕事もしない役人は今の半分ぐらいの給与で十分である、いやなら民間企業に行けばいいだけのことだ。根本的に社会システムを見直すときが来たと言える。 ★舛添前都知事に代わって今度は森田健作知事が自宅(別荘)で大災害をよそに過ごしていたことがバレたようだ。要するに権力というのはこういうものなのだ。権力は人を変えるし傲慢にすることを忘れてはならない。特に安倍首相などはその最たるものであろう、疑獄に相当するような事件も次から次にもみ消して何とか生き延びているが、神も知っていることだから、事実であれば確実に天誅は下ると思うが如何だろうか。大臣は多少の失言ぐらいは許されもしようが、事件性を帯びてくるとそうはいかない。必ず足を引っ張る者が現われる。総理にとって最も危険な人物は側近なのである。だから北朝鮮は幹部を始め親戚や兄弟まで粛清してしまったのだ。要するにナンバー2は二番目に実力があるということだ。だから幹部が韓国に亡命するという事件も多々起きるのである。人が豊かに平穏に暮らすには何でも適当でなければならない、偉くなっても有名になってもダメでいい加減が一番いいのだ。 この事は民主党政権下で蓮舫氏が言い放った「なぜ二番ではダメなのか」という言葉でも代用できるだろう。オリンピックも同じで銀メダルではダメなのである。こんな国際親善のための競技がどこにあるのだろうか、もう一度原点に戻って考え直す時期であろう。

【2019.11.07】
★日本の飲酒モラルは一向に回復しない。車の運転はまだしも飛行機のパイロットやバスの運転手など多くの乗客の命を預かる者が平気で酒を飲んでいる。今日も全日空の機長が自らビール4本を飲んで搭乗しようとして飲酒検査に引っかかった。検査がなければ酔っぱらい運転である。以前名古屋空港に墜落した台湾の飛行機事故も飲酒が原因だったとされる。この事故では飯田市の市民の多くが犠牲になり、僕の知人や友人も数人死んでいる。 タクシーを始めとして他人の命を預かる職業に就く者は飲酒を禁止するような法改正も必要だろう。一生酒など飲まなくとも生きていけるのだから当然である。僕は20代で酒をきっぱりやめた、もちろん冠婚葬祭や忘年会それに同窓会や祝賀会などでも一切飲まなかったが何ともなかった。酒を断るのに強い意志など必要ない、ただ僕は飲まないので要らないと言えば済むことである。 新年だから飲むとか、御神酒を頂くとかいうが別に飲まなくとも御利益に変わりは無い。神様は酒を飲まないという理由で差別はしない、それ処か大酒飲みの方が相手にしない。 沖縄では深夜に路上で寝込む者が多発しているというが、車にひかれでもしなければ目が覚めないのか。こんな奴らをひいた運転手が可愛そうだ。早速法改正して路上に寝込んでいる者はイノシシとか豚と同列の扱いにするのが望ましい。そうでもしなければ馬鹿者のために不幸な人が出来てしまうのだ。 ★やはり大学入学共通テスト英語の「民営化」は天下りの給料補填と将来に亘って継続的に天下りする為のものだった。今年中にも二名が検定を請け負う会社に天下りすることが決まっていたようだ。こんな事を省内で秘密裏に決めて実行しようと画策したのだからとんでもない話である。関与した者は退職勧告か懲戒が適当であろう。全ての省庁で同じような事が行われているのは明らかだ。身近では70歳過ぎた人の免許更新講習である。一人5千円以上を取って何をするかといえば、ビデオを見せて車で数分コースを回って、適当に目の検査をするだけだ。少子化で教習所の生徒が減るための補填策である事は明白である。それと業務に関連する企業に天下りするなど以ての外であろう。とにかく政治改革、公務員改革はこうした天下り禁止からスタートすべきであり、首相も憲法改正の議論などどうでもいいからこうした天下り問題を徹底的に議論し禁止すべきであろう。定年後に働き口を見付けたければハローワークがあるではないか。

【2019.11.06】
★今日も昔の歌謡曲を聴きながらウオーキングをしていると果樹園の端っこに植えられている菊が満開になっていた。農家の人達は畑の空いたところに花を植えて楽しんでいるのだ。だから毎日歩いていても季節によって花も変わり気分も変わる。たぶん農家の人達も仕事をしながら花を見て心を癒やしていのだろう。 いま市田柿の収穫と皮剥きで農家の人達は猫の手も借りたいほどの忙しさである。我が家のすぐ横の柿農家でも2,3人のバイトのオジサン達が頑張っている。皮むきをすると皮の生ゴミが大量に出る。ほとんどは柿の木の根元に肥料として捨てられている。今日は大根の漬物を付けるために乾燥した柿の皮が必要なので妻が貰いに行ってきた。この皮を天日乾燥して漬物に入れると旨さが倍増する。他にもナスの茎と葉も入れていたが今は入手できないので柿の皮だけにしている。他にも唐辛子など独自のものを入れるが、これが我が家の味になるのだ。 ★今日のニュースを見ていて一番驚いたのは国際オリンピック委員会(IOC)の委員は入国審査なしで入国できるということだ。要するに各国の元首と同等の扱いになっているのである。これにはどういう屁理屈があるのかは知らないが、何兆円もの金を使う利権団体としての特権だろうか。 またIOCの独断によって1,490億円を投じた新国立競技場がマラソンのゴールにならないことで投資の半分は無駄になった。いったい馬鹿者達は何を騒ぎ何をしたのだろうか。オリンピック憲章には何を書いてあるのか、特定の国の選手が有利になるために競技会場を変えることが妥当だと書いて有るのだろうか。これも何らかの国際的な裏利権が関与しているのは間違いなかろう。国民の多額の税金を使って誘致し、道路の舗装までやり直し、アメリカの都合で真夏に開催するのもオリンピック憲章に合致するのか。おおよそ「踊る阿呆に見る阿呆」と言う言葉を浴びせるが的を得ているだろう。 言い換えれば利権馬鹿とスポーツ馬鹿の祭典なのだ、テレビで見る奴はもっと馬鹿者と言えるだろう。 僕に言わせればオリンピック強化選手は無駄に汗を流さず千人単位で被災地を訪問して泥出しレースなどして体力を付けたらどうか。あの肉体とエネルギーを無駄に消費するのはもったいない。

【2019.11.05】
★やはり亜熱帯気候特有の現象が顕著になってきた。以前から何度も書いているように、この気候の特長は春と秋がなくなってしまうことと集中豪雨だ。つい先日まで半袖でウオーキングに行っていたのが今日はジャンパーに手袋である。夏から冬への移り変わりが急激に起きるのだ。南アルプス山麓の山小屋ではこの冬始めて零下になっり、周辺は霜で真っ白になったし、海抜2千メートルのしらびそ高原では雪が積もったように真っ白になっていた。 僕は冬が大嫌いだ、幾ら暑くても夏の方が良い。夏は開放的で躍動感があり、新しい発想も次々に生まれてくる。それに野山の緑も美しい。友人とバーベキューも出来るし旅行もいい、多少集中豪雨があっても仕方が無い。 この仕方が無いという言葉は英語など多国語に翻訳できない日本独特の言葉だという。外国人には何の努力も発言もせずに諦めてしまうという考え方が無いからだろう。どんな政治家の悪行も仕方が無いという言葉で見過ごしてしまうのもこのためであろう。 ★最近は高齢になっても結婚しない男女が増えているが、菊池桃子さんの結婚相手になった経済産業省の新原浩朗・経済産業政策局長(60)もその一人だ。しかしあえて言うなら待って良かったという表現が適切だし、何とも羨ましい話なのは間違いない。僕だって結婚してくれと言われたら妻も子も年金も全て捨てることが出来るのは疑う余地もない(たぶん妻はこのブログを読んでいない)。まあ世の男性とはそんなものであり、女性が如何に真剣に相手を選んだとしても「男なんて皆同じ」という定説は覆らない。 しかし男と女の関係というのはよくわからない、ハンサムで収入も適当にある男性よりも犯罪を犯して逃亡している犯人の方が女友達が多いという事実だ。この原因は諸説有るが、第一に多少悪い奴の方が面倒見がいいこと、それと多少悪い奴の方が女性が惹かれるという事実であろう。要するに真面目くさった男よりもチョイ悪の方が付き合いやすいのだ。 昔から美人に醜男(ぶおとこ)という諺があるが、これも似たようなものであり事実である。 しかし通産省の局長というのはどういう性格の人物なのだろうか?。付き合ったことがないのでよくわからないが、真面目一本ではこのような立場にはなれないから適当に砕けた性格の人なのだろう。最近は警官も大臣も先生も悪の道に走るケースが多いから当たらずとも遠からずだろうか。これらの考えも美人の嫁の夫になったという羨ましい現実から派生した考えなのだ。それにしても今夜は冷え込んでくる、早いとこ寝るとしよう。

【2019.11.04】
★このところの冷え込みで伊那谷にも紅葉前線が降りてきて、遠望する山々も紅く染まってきている。モミジの綺麗な場所では祭りが開かれ好天に恵まれたこともあって賑わったようだ。 何か変わったことがないかと思っている人達もテレビなどで最近の災害現場をみると、普通が一番、今のままが一番、と思えてくるのではないか。普通に生きて暮らしていくこと自体が幸福の要因なのだ。 今年の台風や大雨がもたらした教訓を考えるとき、数字的なものをみると良く理解できる。例えば水没した車である、台風15、19号で水没した車は約10万台と発表されている。思ってもみないような大きな数字なのだが、自然界が車を減らせと警告しているのはこの数値からも見て取れる。 もう一つは家屋の浸水だが、台風19号だけでも45,000棟が被害を受けている。この教訓は川より低いところに住まないのは当然だが、街を高い堤防で囲んでも効果が無いと言うことである。例え高さ20mの堤防を造っても無意味と言う事だ、これは中小河川の水が本流に流れ込むことが出来ずに溜まってしまうからだ。 日本中の家屋の8軒に1軒は空き家である、なのにそれを効果的に利用せず危険な場所に宅地開発をした無駄が災害を招いている。要するに無駄をしてはいけないと言う事だ。 日光の猿軍団は「反省」というポーズが人気だが、人間はこうした大災害に際して何も学んでいないし反省もない、台風がくるというのに何でもかんでも会社に出掛けるから混雑してしまうのだ。会社などは2日や3日社員が出てこなくてもどうっていうことはない。政令によって災害が予想されるときは出社を禁止することが望ましいことは馬鹿でも納得できるであろう。要するに用事も無い者が出歩くから警察や消防が忙しくなるのだ。更に行政に携わる者達の再教育の必要性だ、彼らは箱物を造ったりイベントを企画したりするのが仕事ではない。住民の生命と財産を守るのが第一の仕事であることを頭にたたきこもう。災害の予見される場合は職員を3班に分け、24時間体制で情報入手や監視、それと地域内を巡回をする行動が当たり前だ。こうした取り組みも出来ないし、考えが及ばない首長などは即刻リコールすべきであろう。 戦国時代でもトップに立つ者の判断力が勝敗だけでなく家族の命まで決める。馬鹿がトップにいると庶民は死ぬことになるのは戦国時代と何も変わらないのである。 学校で歴史を学ぶのはテストのためではない、自分たちが如何にしてトップを選ぶのか、如何にして生き延びるのかという勉強をしているのだ。

【2019.11.03】
★今日も何とか好天に恵まれて南アルプス山麓の山小屋でバーベキューパーティーを実行した。予報では曇となっていたが、9時から14時までは晴れ間が広がって焼き肉には丁度良い陽射しになった。妹や姪など大勢を招待したのだが紅葉はまだ60%位進んだだけで錦秋というわけにはいかなかった。 今年も被災もせず焼き肉をしていられるのも運が良かったのだと思わねばなるまい。家を喪失したり水没したりと運の悪い人達は紅葉処ではないだろうが、正月が来る前になんとか以前の暮らしに戻って欲しいものだ。 一度でも災害に遭うと人生に対する考え方が変わるのだろ言う。それに癌のような病気から生還した人も同じようにその後の人生に大きく影響している。その多くの人がボランティアに参加したりして世の為人の為に尽くすようになる。 僕の義兄も癌から生還して人生というか人間性が大きく変わり、山村や子供達の為に率先して尽くすような人物になった。 死んだ気になれば..という言葉を良く聞くが、まさに死んだ気になって社会に貢献する姿をどう解釈すればいいのだろうか。たぶん周りの人達のおかげをもって助かったというような考えか主導しているのだろう。 アメリカでは大企業に対してボランティア税を課すような法律も近々できるというが、日本もアメリカに倣って早速導入すべきだろう。 一つの企業が地方の病院経営をバックアップしたり、様々な保護施設の運用資金を提供したり幾らでも参加する方法は有る。 こうした法律が議論さえされないのは政治の方向性が間違っている証拠であろう。 会社も人間も植物も動物も地上にある全てのものは、いつの日か必ず消滅するという事実に考えが至れば、企業も個人も利益を喜んで社会福祉に投入するだろう。しかしカネの亡者になってしまったり権力の亡者になってしまった者達はここまで考えが到達することはないのだ。 産まれた川に遡上してくる鮭の最後を見るとき、人は最後に何をすべきなのかがわかる。鮭が川の上流まで遡って死ぬのも大きな意味がある。自分の死骸を川に託して産卵した稚魚の餌となり成育を助けるのだ。人も子孫を残すことによって往生できるのだろう。 立て続けに南アルプス山麓の山小屋でのパーティーは疲れを残す結果になった。特に準備と後片付けに要する労力は大きい。今年も既に冬になった、楽しいパーティーもそろそろ打ち止めである。

【2019.11.02】
★伊那谷はいま市田柿の収穫で農家は多忙である。こんな日には近くの温泉はガラガラである。今年は暖かい日が続いたため書きの成長が良く大きくなっている。それに台風や大雨の影響がほとんど無かったためにどの木を見ても枝が折れるほど実が付いている。 今日は秋晴れだが市田柿を干すには気温が高すぎるようだ。このままだと干してもカビる例もあるから暖冬は困るのだ。 農業という商売は地球の気象や環境の影響を大きく受けて成り立っている、特に雨や気温の影響が大きいのだが、人為的にどうすることも出来ない。今回の災害で多くの農地が水没した、しかし河川の氾濫というのは本来は天の恵みとして捉えるべきだろう。来年から水没した土地に野菜など栽培すれば見事なものが出来る筈だ。これは川の上流から森の栄養を川が運んできてくれたからだ。 ナイル川の周辺に文明が栄えたのもナイルの氾濫があったからだ。たまに氾濫してくれると肥料など与えなくとも食料が生産できた。その後も近年に至るまでナイルの周辺は農業が盛んで多くの人々が裕福に暮らしていた。しかし1970年に完成したアスワンハイダムはこの状況を一変させてしまった。巨大なダムの為にナイルは氾濫を起こさなくなってしまったのである。土地は痩せ衰えてもはや農業も出来なくなり人々は農地を放棄して去って行ってしまったのである。 要するに文明の発展と衰退は環境によって左右されるが、その環境は人間が手出しをした結果である。 まさにいま21世紀の文明は発展しDNAまで解読されるまでになった。しかしこの発展こそ終焉への近道を造っているに過ぎないのである。遠い昔の歴史を学校で学ぶ理由はこうした事実を知ることにあるのだが、だれもそれを認識していない。それ処か過去の歴史を偽ってまで無駄な物を造り続けてきた。もちろんIPS細胞もその一つで有る。それを使って人が助かったとしても多少延命をできたに過ぎない。 人間など永遠に生きられるようには出来ていない。若しも生き続けるような技術が完成したとしたら..100歳を超えたらほとんどの人は自ら死を選ぶだろう。要するに生きるのが面倒くさくなるのである。せいぜい100歳まで長らえるための技術などそもそも必要なのか再考すべきであろう。 人は死ぬことによって新たな次の命を生み出していく、それは11ヶ月で体の全ての細胞が生まれ変わるのと同じだ。 長生きして、例えば一人の総理大臣が50年も続けたらどうなるのか、一考すればすぐに判ることだ。

【2019.11.01】
★11月になったら急に冷え込んできた。飯田市内も今朝は5度まで冷え込んでいる。南アルプス山麓の山小屋では3度を割ってしまった。こうなると必要になるのが暖房器具である、ストーブにコタツは必需品だ。冬は血管が萎縮してしまうから血圧も上がる、かといってサラサラ剤を大量に飲むと鼻血とか歯茎から出血しても止まらず病院に駆け込むことになる。薬と称しているものは100%毒である、だから飲まないに越したことはないが、必要であっても最小限にすべきだ。サラサラ剤を飲んでいて脳梗塞で死んだ友人や同級生も後を絶たない。心臓に金属製の弁を付けた人などを除けば飲んでも無駄であろう。 人は老化を防ぐために様々なことをする、ウオーキングやストレッチそれにジムに通う。中には登山したり旅行したりする人も有る。しかし本当にこれで良いのか?。 と言うのもこれらの若返り策には未来に向けた斬新な希望とか今迄に無かったような達成感が感じられないのではないか。 要するにいままでやった事がないものにチャレンジする精神に欠けているのである。要は今迄と同じ事の繰り返しだけでは体力はある程度保たれたとしても若々しさは失せていくと言う事だ。 若さとは何か..反骨精神とチャレンジ精神である。 オリンピックに異議を唱え競技は一切見ないし聞かない、地球温暖化を加速させるイベントには参加しない。行政や社会の因襲にいつも疑問を持ち自らの意見を公表する..など幾らでも有る。若さとは少年の脳に還ることに他ならない。子供や少年が持つ疑問こそ正論と言えるものが多いいのも、先入観がないからだ。 昔グループサウンズが流行った頃に大ヒット曲を放ったグループでも「長髪」という理由だけで紅白歌合戦には出演できなかった。これはNHKという団体が右傾化しているだけでなく旧態依然としていたからだ。未来を変えようという冒険心も勇気も先進性もなかったのである。 僕は子供の頃から歌が苦手でカラオケで一度も歌ったことがない。音痴でありもちろん音楽の成績も最下位であった。今年の9月中旬頃に若返りの為に新しいことを始めようとしていた時この事実に気が付いたのだ。そこで歌の練習をすることに決めてマイクとカラオケ用のアンプを買い込んだ。僕は技術者なので購入したマイクの特性が気に入らずに5本ほど買い込んでテストしソニー製のマイクに決めた。もちろん音符も読めないので幼稚園のレベルから始めた。そしてこの1ヶ月で同じ歌を約600回歌って録音し聞いた。そして音符と歌手の歌ったものと自分の歌を比較して音程のずれを直した。こうしてまあまあ歌えるようになったのが「夢芝居」だ。そこで次に踊りも覚えようと思い花魁の衣裳を購入することにした。しかし化粧が着付けや踊りより難しいことを知り、ネットでその仕方を学びだしたところだ。必要な化粧品など数十種類を揃えたので今月中には習得できそうだ。振り付けの完成は衣裳を揃えてから始めるので来年の春になるかも知れないが、チャレンジとしては面白そうでやりがいもあるではないか。