【2020.06.30】
★朝から雨になったが構わずウオーキングに出掛けた。ふと立ち止まったとろろで路傍に目をやったら何と四つ葉のクローバーがあった。本気になって探した事は無いが見付けたのは30年ぶりぐらいだろうか。そんなわけで何か良いことが有りそうだとLINEに投稿はしてみたものの..「無事これ名馬」という諺通りで何にも無いのが一番良いことなのだと改めて言い聞かせる始末である。 しかしこれからは災害が多発する時期である、何にも無いことこそ最大の幸福だと思わざるを得ないだろう。 そういえば夕方になって長期入院していた同級生が退院して恩師である先生に電話があったというのが良いことだったのかも知れない。 今の人類は欲望の塊である、満足の限界など全く無いのだ。一ヵ月に1億円稼ぐ人もまだまだ稼ごうというのだから、たまったものではない。 新聞の一面には国内の自動車メーカーの生産台数が激減したことが報じられている。これもウイルスが地球の住人として人間社会に与えた地球救済策の一つだろう。クジラからすれば人間なんて小さな生き物であるように、人間から見ればウイルスなど到底同じ地球の住人とは考えられないだろう。しかし大小の差はあれど同じ地球上で生きている同居人なのである。 いま人類がその英知とやらを使うのならば彼らと共存の道を探るしかないだろう。若しも特効薬やワクチンが開発されても一時しのぎに過ぎないからだ。ウイルスは学習し強力な耐性を身に付けて再登場するだけだ。 明日からレジ袋の有料化が始まるというが、こんな事で地球環境など全く改善しない。単に政治家が世界に向けた宣伝の一つに過ぎないのだ。それよりも車の生産を半分にする方が確実に効果がある。それと政治家と人工知能との入替が必要だろう。政治家一人に2億円も払って一体何のメリットがあるのだ。様々な問題や貿易、それに軍事や教育などについても人工知能に判断して貰うのである。人工知能と言っても家にあるコンピューターと同じ物だ、だから利権とか買収とか天下りなどと言うことは全く無い。これこそ公平な立法機関では無いか。 同じように裁判所(裁判官)も人工知能にした方が確実にいい。今のように検察の起訴した案件をほぼ100%採用して判決を出すだけだから裁判官の必要性すら無いからだ。それ処か三権分立も全く葬られた今こそ人工知能に代替えすべきである。この2案件を実施することによって真の明るい未来がきそうな気がする。

【2020.06.29】
★明日から大雨になるというので南アルプス山麓の山小屋に行ってきた。花魁の衣裳や能の衣裳などを干して防虫剤を入れるためである。しかし今日は体調が悪く気温も高くて熱中症になりそうな感じもあったので14時には引きあげてきた。 また庭にある松の木をバックに能舞台を造る為にヒノキを何本か切り倒す予定だったがこれもやめた。 山小屋の周りは草ボウボウなので少し刈ったが、余りにも広範囲なのでこれもいい加減でやめた。草は秋になれば枯れるからと言う言い訳を口にしながらやめたが、数年前に山小屋で暑い日に草刈りして熱中症になった経験があるのでやめたのだ。 草刈りというのは不思議な仕事である、刈り始めるともう少しだけとか、あのあたりまでとか..どんどん広範囲になっていくのだ。その挙げ句の果ては熱中症ではやっていられない。何事も「いい加減に」という座右の言葉に倣ってやめるのだ。 今年になって精神病で労災受給を受けた人が激増したと言う。コロナ禍で働き過ぎたり差別を受けたりして精神に異常をきたしたのだろう。命より大事なモノなど無いと言うことは常識に感じるが、人は性格によってそうでなくなる。だからどんな事でも少数派の身になって考えねばならぬ。 民主主義は多数決が原則に見えると思うが、その多数派の人が少数派の意見を汲み上げてよりよい未来を造るのだという気概が無ければ巧く機能しないのだ。しかし日本の法務大臣が夫婦で選挙違反という重罪を犯したことは民主主義の根幹を否定する行為である。死刑をもってもまだ足りないだろう。 だが、受け取った市議や県議の罪も重大である。彼らも厳罰に処せることが出来ないようならば日本の民主主義は崩壊したも同然であろう。本来なら庶民の鏡であるべき者達が徒党を組んで悪事に走ると言うのは何故だろうか。モラルなどという単純な問題ではない、彼らは単にカネのための目的だけで議員に立候補して当選したのである。選んだ市民に罪は無い、何故なら立候補者全員がこうした馬鹿者揃いだからである。

【2020.06.28】
★アメリカでは新型コロナウイルス感染者が爆発的に拡大しているようだ。毎日4万人が感染し、既に256万人が感染している。死者も13万人にのぼっている。環境破壊の立役者としての責任範囲と言うことであろうか。アメリカは温暖化防止の国際的な取り組みから離脱し、自分だけ良ければいいというトランプ戦略によっ繁栄をかろうじて維持している国家である。半分の国民が感染し、その半分ぐらいの死者が出ても仕方があるまい。これこそが新型コロナウイルスの目的としている報復であると考えたい。 日本でも未だに来年オリンピックをやろうという不心得者がいるから感染者も減る事は無いだろう。要するに人が大勢集まったり、無駄なエネルギーを使ったりすることをやめなければ解決しないのだ。 どこで作ったか知らないがスマートフォンの接触確認アプリの「COCOA」は約400万人がダウンロードしたというが、その効果などほとんど期待できないだろう。何しろ国民の半数以上が登録して始めて効果が現れるのだから仕方が無い。もちろんスマートフォン人口が少ないのも要因だが、ソフト制作会社への多額の発注金額や天下りなどの懸念も払拭できないアプリであるから仕方がない。 中国から日本に旅行に来た人が一番先に驚くのは何と日本人がモノを現金で買っている事だという。中国では10年も前からキャッシュレスである。先進国だと思っていた日本が余りにも遅れていることは中国人が一番よく知っているのだ。 既にスマートフォンの生産は完全に中国で占められている、日本ではSonyなどが多少奮闘しているに過ぎない。 なぜこんな事になってしまったのか?、それは日本の教育が余りにも遅れているからだ。学校の運動会で未だに昭和の中頃から行われている騎馬戦だの組体操だのというものが尾を引いているのもその証しである。 日本では東大だとか京大だとかいうが、中国では清華大学と北京大学がそれに当たる。その教育レベルと考え方は10年前から東大などを確実に追い越している。 日本では時代に合わせて改革していこうという意欲が完全に欠如しているのである。それは政府が政治の内幕を知られては困るというような浅はかな考えの基に教育を管理しているからだ。その始まりは日教組の堕落であった。堕落というのは幹部が自己の利益の為に率先して文部科学省に組織を売り渡し迎合したことである。 僕は友人に早くスマートフォンぐらい使いこなせないと高齢になって動けなくなった時に困ると言い続けてている。中には難しいとか何とか屁理屈を付けているが、それでは始まらない。スマホなんて1万円以下で買えるし料金だって月に千円でもいけるのだ。例の10万円を使えば死ぬまで使える。便利な物は使うべきであろう。

【2020.06.27】
★僕の友人や同級生は団塊の世代(S22年生)である。中には入院している人や車椅子の人、施設に入っている人など様々であり年々数も多くなっている。 僕は約2ヶ月前から何とか彼らの見舞いに行けない代わりに何とか出来ないかと考えて、歌と故郷の風景それにクラスメートの写真などを織り込んだビデオを制作してみた。多くの人がスマートフォンを持っているので入院していても車椅子でも観る事が出来る方法としてユーチューブに掲載して見て貰うことにした。 その結果は好評でメールやLINEで御礼の言葉が届いている。そこで一般の方にも見て貰えるように、個人情報や写真を入れ替えて新しくビデオを制作した。それが先ほどやっと完成してユーチューブにUPしたところである。 過去の曲も併せて2ヶ月で約2,200回もダウンロードされました。世の中には物好きな方も居るようですが、相当苦労して時間も掛けて制作しているので有り難いことだとも思います。 そもそも昨年の9月にミニ同窓会があって、オンチだった僕が一大決心をして公約して始めたことですが、何とか目的を達成しつつあります。 問題は、加齢と共に耳の可聴周波数範囲が狭くなっていることです。それを出来るだけ補正して聞きながら声を出していますが、今度は声帯が振動しなくなって高音が出なくなってしまったのです。だから一般の人が聞いたらとんでもない音に聞こえているのかも知れません。しかしそこは自己満足の範囲でやっているので気にしないことにしています。 しかし家族はこうした行為をあまり評価してくれません、それも仕方ないことです。高齢の家族が公然と恥をかくのを漫然と見ていられないのでしょう。でも人生は短いのです、やろうと思った時に始めておかないと死ぬまで出来ない事になります。 そこで必要なのは勇気と鈍感さではないでしょうか。「馬鹿は風邪を引かない」という例えもありますが、本当に馬鹿になれば恐れる物など無いのです。真面目だけが人を評価する基準では無いのです、今後の社会はいままでの常識がどんどん覆されていきます。そんな時代だからこそ鈍感さが必要なのです。

【2020.06.26】
★昨日書いた友人が今日やっと退院したというLINEが入って来た。こう言う時の連絡方法としてLINEは使える。LINEの良いところは相手が読んだのか否かが即座に判ることだ。多くの人がLINEなしでは生活出来ないような状況になっているのは当然であろう。 こうした新しい考え方や手法が日本で開花しないのは何故だろうか?。明らかに教育にある。みんな同じような学力を身に付けることを目標にしているから異端児が現れないのだ。それ処か変わりモノとしていじめられてしまう。これではアメリカのような新しい発明は出来ないどころか、CPU(コンピューターの心臓部)のように日本人が考えても実用化出来ずにアメリカに持って行かれてしまうのだ。 あの日本の特許王「中松義郎」が発明したフロッピーディスクも日本の企業ではつまはじきされ、アメリカのIBMに権利が売られている。このおかげでアメリカは莫大な外貨を稼ぐことになり、若松氏は大統領の代わりにプロ野球の始球式までやっている。 新型コロナウイルスを機会に様々な因襲や慣習を180度変えていかねばならぬ。いま大企業が困っているのは現状を打開する人材が社内にいないことだ。何とか定年まで..という考え方はとうに過去のものになっている。社長を怒鳴りつけるような従業員がほしい。 あのホンダの創業者本田宗一郎氏が工場内を視察していた時に、社長に向かって「ポケットに手を入れて歩くな」と怒鳴りつけた従業員が居た。工場内で滑って転んだ時に怪我をするからだが、社長はこの従業員を高く評価して特進させたと聞いている。 要するにこうした人材が日本の学校ではつくれないのだ。

【2020.06.25】
★いままで僕の周りで「大動脈瘤」という病気で亡くなった人が数人いるし手術をした人も何人か居る。だが同級生で同じ病気になった人は居なかった。その人は丁度1ヶ月前に大手術をして成功したもののずっと入院していてやっと明日退院するという。動脈瘤が爆発するとすぐに死んでしまう病気だから発見したらすぐに手術をするのはいいのだが、後遺症として内臓の摘出とか脳梗塞などが起きるというから癌より始末が悪い。病気はその人の人生だけでなく家族は元より兄弟や親戚まで悲しくさせる。何とか病気がなくならないかと思うのだが、人は必ず死ぬという掟を破ることは出来ない。人も動物も木も全てがやがて土に還るのである。だがその土こそが新しい命の源になる。 ★朝鮮戦争から今年で70年経つという。要するにアメリカとソ連の代理戦争であり悲痛な思いをしたのは朝鮮の庶民だけである。今もアメリカとロシアは代理戦争を棄てていないが、どうせならお互いに持てる武器や原爆を使って堂々と戦ったらどうだろうか。数千発の核弾頭の雨を降らせ合うのだ、そうなれば大国は滅びて新しい世界が生まれるかも知れないが、そこは中国などが黙っていないだろう。核を持っている全ての国同士が戦えばその問題も解決するかもしれない。存分に戦って核の無い世界を造り上げようではないか。 僕は東京タワーを見る度に朝鮮戦争を思い出す、何故なら東京タワーはアメリカが朝鮮戦争で使った戦車の鉄を使って出来ているからだ。ライトアップされた東京タワーを見て美しいと感じる以前に戦争という愚かな行為に思いを馳せなければならぬ。既に第二次世界大戦前に産まれた人たちは75歳を過ぎた、あと10年も経てばその語部もいなくなってしまうだろう。その為にも教科書には戦争の愚かさをくどいほど載せなければならない。だが、戦争は儲かるという事しか考えていない馬鹿者共が教科書の編纂に関わっているから救われない。確かに朝鮮戦争で使った戦車を二束三文で買ったり、米軍に衣料などを売って得た利益は莫大なものだったが、その一つ一つが戦争で犠牲になった人達の血と汗が染みついていると思わねばならぬ。

【2020.06.24】
★東京では今日55名の感染者が出た。他県への移動解禁となってから各地で感染者は明らかに増えているもようである。欧米に比べてアジア圏では感染者が少なく日本では死者も少ない。この事実から世界中で何故かという研究が進んでいる。中でも注目されるのが家の中に入るのに靴を脱いで上がるか否かという事によって感染拡大が防げているという研究もある。確かに一日中歩き回った靴で居間からベッドルームまで入るとなると感染もしやすかろう。 しかし問題は感染しても全く無症状の人がかなりの人数で存在することだ。これは熱も無く体調も悪くない患者が日本中を駆け巡るという事を現している。田舎町の小さな旅館やレストランに寄っただけで知らぬ間に感染させてしまうという恐怖がある。この不安を取り除くためにはより一層の研究が必要となる。 日本が造った「富岳」というスーパーコンピューターが世界一になり、新型コロナウイルス研究に役立つだろうとされているが全くの誤解である。このコンピューターはとてつもない電力を消費する環境汚染マシンなのだ。消費電力をみてみると「京」の3倍とされているから、約4万キロワットである。一般家庭の約4万戸分の電力を消費するが、これは飯田市全体とほぼ同じである。 このコンピューターを使って環境汚染があと10年後20年後にどれだけ進むかという計算をするというが、明らかに馬鹿者の遊び以外の何物でも無い。自らが環境汚染の先導役になっているだけのことだ。こんなものに1,300億円を使ったというのも愚の骨頂であろう。 以前「事業仕分け」で蓮舫氏が指摘したこと(なぜ2番ではダメなのか)は正しい指摘であると今更ながら納得しなければならない。おそらく科学技術庁とか理化学研究所などが富士通と絡んだ利権と天下りの産物でしか無いと言えるだろう。こいつをやめていれば国民に毎年1人当たり3千円ぐらいは配ることが出来る。 スーパーコンピューターのあまりの馬鹿馬鹿しさには閉口するが..、僕の昔の知り合いの一般のサラリーマンの方は自作の小型コンピューターを何台か使い、発熱を家にあった扇風機を動員して冷やしながら、πの値を小数点以下世界で最大の桁まで計算しギネスに登録されている。研究とはそういうものなのであり、富岳はやる気の無い者に巨大なスーパーコンピューターというオモチャを与えているだけのことなのだ。

【2020.06.23】
★各地の自治体でコロナ復興の商品券が発売されるようだ。飯田市でも来月あたりから1,500円の商品券が1,000円で販売されるという。小規模な地元の商店しか使えないようだが、自治体も無駄な箱物など造っている余裕があるならばこうした企画を推進すべきだろう。国も旅行券を出すという話だが..これは少し問題が有る。今日も東京から地方に帰省した女性が新型コロナウイルスを運んで行ってしまった。人の移動に関するものにはまだ心配があるが仕方ないだろう。 このウイルスににかかると治っても頭痛や肺の痛み、それにうつ病などの後遺症が残るという。ウイルスは体内から消えたように見せ掛けて実は内臓の中に潜んでいつまでも悪さをするようだ。時代の進歩に合わせてウイルスも確実に進化している証拠だろう。 これだけ医学や科学が発達していても未だに新型コロナウイルスの全容は解明できないのだ・ ★連日のように総理大臣や法務大臣などの堕落ぶりがニュースになっている。要するに樹木も大木になると表面は正常でも中心部が腐ってくると言う事だろう。人間も木も何ら変わらないのだ。 俗に「たわけもの」というが、この意味は広い田んぼを集団で仲良く耕していたが、自分だけ儲けようと思って自分の田んぼだけを区切って一人で耕作する意味である。まさに彼らにもこの金言が相応しいとおもう。 それと、悪事をすると「おてんとうさま」が見ているからやめなさいと言うが、ここでいう「おてんとうさま」とは太陽のことではない。自分の心のことである。自分心が見ているから悪事をしたら死ぬまで後悔しなければならないということだ。まあ、今日はこのぐらいにしておこう。

【2020.06.22】
雨なかをウオーキングしてきたら体が冷えてしまったので、昼前から近くの温泉に行ってきた。まさかマスクは不要だろうと思っていたが、付けるように言われたが玄関から入って風呂場までの話である。風呂の中は普段と何ら変わりない、ただサウナに入れる人数が半分ぐらいに制限されていた。これもほとんど意味が無い、何故なら半分にしても70センチしか離れないからだ。とにかく余り意味の無い対策があちこちでデモンストレーションで実行されていて住みにくい世の中になってしまった。最も重要なのは外人を国内に入れないことだ、それだけ守れば確実に沈静化していくはずである。 漫才するのに二人の間にプラパネルを立てて仕切ってやっているのをテレビで見掛けたがこれも効果ゼロだろう。ネタ合わせのために相当近寄ってやっていると思うからだ。 武田邦彦教授も言っているが、マスクなどしても何も効果が無いのだ、感染はトイレとかソファーなどのモノを介して手から侵入してくるのである。 しかし1億人がマスクをするとこれだけで一大産業が出来上がる。使い捨てにせよ洗って使うにせよ毎日一人で50円から200円位が使い捨てられるとすると莫大な経済効果である。何しろ1枚で千円するものさえ出ているからマスクは今やファッションの一部になってしまったようだ。監視カメラで犯人を捕らえても全員マスクをしていてはその設置効果も半減してしまうであろう。ともかく第二波が来ないことを祈るばかりである。 京都を始め長野県の軽井沢まで観光客が押し寄せている、だが地元商店街は喜んでばかりは居られない。保菌者がうようよしているからだが、そんな事を言っていたらインフルエンザの場合も休業しなければならない。毎年学校が休校になったり学級閉鎖になったりしても営業していたではないか。このインフルエンザで肺炎で亡くなった人は年間で3千人以上に達して居る。新型コロナウイルスに比べて死者数が多いインフルエンザでなぜ非常事態にならないのか?。ワクチンなどしてもしなくても変わりないし、病院のベッド不足でも医療崩壊という言葉も聞いたことは無い。どうせ老人も若者も何らかの原因で死ぬのだから、何か今回の新型コロナウイルスは騒ぎ過ぎのような気がしてならない..。

【2020.06.21】
★久し振りに飯田市の周辺を車で走ってみると車の通行量が相当多かった。日曜日はともかくとしても何か耐えきれずにいたのが爆発したような感さえある。レストランの駐車場に車が多かったのも良い傾向である。このまま制限されていたら多くの会社や商店は破綻し、失業者が多数でてしまう。たかがウイルスで破綻するという経営者の無念さが伝わってくるではないか。元を正せばウイルスの国内侵入を欲と利権で許してしまった政府や行政の責任が大きいのだ。 世界はまだ新型コロナウイルスの蔓延期にある、こんな時に外国に飛行機を飛ばす必要など無いだろう。 今朝のニュースを見るとスエーデンでは集団免疫によって制圧すると目論んでいたが大失敗に終わったようだ。これは免疫を獲得しても数ヶ月で抗体は陰性になり何の効果もないからだ。 スエーデンはこの政策の失敗で死亡率はアメリカの倍以上となり、人体実験と言われても仕方がないと言われるようにまでなった。しかも死亡者は5千人で、日本に換算すると5万人である。要するに政府が「高齢患者をむやみに病院に連れて行かない」とのガイドラインを現場に通達していたためだ。結局これは命の選別と同義であり国内で大きな反発が起きている。 ウイルスを巡って国と国、国と国民という戦いが始まったわけである。これも新型コロナウイルスが期待していた効果であろう。もっと殺し合わないと地球が軽くならないからだ。 なぜこんな事態が世界で起きたのか..それは備えが無かったからだ。日本でも疫病に関する予算は有ったが何に使ったのかは誰も詳しく調査していない。おそらく何らかの利権に回ったのであろう。 法務大臣が自ら進んで犯罪を犯すという国家である、落ちぶれてもここまでは来ないだろうという限界はとっくに超えてしまっている。庶民が多少犯罪を犯しても目をつむってもらわなければ犯罪者も気の毒だ。JRでキセルをしたとか、物干し竿からパンツを盗んだぐらいで逮捕されるなら、彼らは即刻死刑であろう。馬鹿馬鹿しくて遵法精神など吹き飛んでしまった。国会議事堂に火を付けたぐらいではたぶん訓戒ぐらいになるだろうと推測される(訓戒とは多少怒ってみる程度のこと)。

【2020.06.20】
★梅雨だコロナだのと言っていたら六月も下旬に突入してしまう。何をやってきたのか良くわからないうちに一日が終わってしまうのだ。庭の草の育ち具合を見ることで時間が過ぎ去って行くのが良くわかる。 交通の自粛が解けて自由になった途端に空港は観光に飛び立つ人で混雑しているようだ。余程我慢して居たようだが、確かに僕たちのような田舎暮らしの人とは違ってアパートの一室で暮らしている人達にとっては大きな苦痛だったに違いない。 昨日は首相も仲間を集めて料亭で雑談に花を咲かせていたようだが、たぶん切羽詰まった話もあったに違いない。支持率は下がり続け、やる事為すことが裏目に出ているからだ。たった2枚のマスクを配ったという行為だけでも非難が集中しているし、いまや街でこのマスクをしている人は見かけない。それ処かやっていようものなら笑い者になり兼ねない始末だ。 いま首相が見習うべきは学者でも識者でもない、天皇陛下を見習ったらどうだろうか。天皇陛下はそれなりに「帝王学」を学んでいるからだ。この帝王学とは一国の王としてのリーダーシップを如何にとるべきかというものだが、それだけではない、王として庶民を如何にして幸福に導くかというようなものも含まれる。要するにトップに立つ者は如何にして庶民に幸福と安全を与えるかということだ。これが出来なければ完全に失格であり王でもない。 王とは利権やカネ儲けに走ってはいけない、それ処か自分の財産も命も時には投げ出す覚悟も必要なのだ。 第一次世界大戦の時、イギリス軍の戦闘機に真っ先に乗り込んで敵と戦ったのは貴族であった。彼らは自らの命さえ省みずに貴族としての使命を果たすことに生き甲斐を持っていたのだ。それに貴族としての勇気を庶民に見せるためにも命を投げ出すことを誇りにしていたのである。 今の日本の政治家や指導者に欠如しているものがまさにこれであろう。今こそ命を賭けて庶民の前に立とうというう帝王学こそ必要なのではないか。

【2020.06.19】
★今日から他県への往来が自由になったというし、外国にも飛行機が飛ぶという。よりにもよって長野県では今日久し振りに感染者が1名確認された。どこかの大学教授の計算によると、外国から日本に8千人ぐらい入ってくると99%の確率で新型コロナウイルスが感染爆発するということだ。今迄の苦労は何だったのか、誰が責任を取るのか。 外人は日本の観光地は自宅のテレビで見て貰えばいいし、日本食は各国にある日本料理店に行けばラーメンでも刺身でも食べられる時代である。無駄な旅行には罰則を適用するぐらいの覚悟が必要な時代が来たのだ。外貨は精密機械などの輸出で稼げば良いが、貿易が少なくなれば外貨など必要ないだろう。 国内に余りにも外国人が多すぎるのだ、各国とも外人居住者をどんどん減らしていく方向で進まねばならぬ。そうすれば人の往来も必然的に少なくなる。要は何を思いき切るかによって他の方面でもいい方向に向かうと言うことである。 僕がプロ野球に全く関心が無くなったのは外人がプレーし始めてからだし、サッカーみたいに外人が監督ではどこの国のチームなのかわからない。馬鹿馬鹿しくて応援など出来るものではない。北朝鮮と戦争をするのに日本軍の指揮官が北朝鮮の下士官だったらどうなるのか。 馬鹿馬鹿しいと言えば、日本の法務大臣だった者が逮捕されるに至っては法も秩序も地に落ちたと言って良い。任命責任を問われて陳謝した総理だが、一体何百回陳謝したら辞職するのだろうか?。下から上までまともな人材が皆無という国会で何を決めてもただ空しいだけだし、これで国が守れるのなら自衛隊など必要なかろう。だって指揮官が無能だったらどうしようもないではないか。 コロナ後の社会と良く言われるが、それは自由な社会だ。一人一人が法も規則もなく自由に生きる事の出来る社会で有る。 科学が進んだとか先進技術だとか言うが、それはまやかしの宣伝文句に過ぎない。何故なら最も進んだとされる自動車だってワイパーを見たまえ、明治時代と何も替わっていないではないか。車で最も進んだことと言えば本田宗一郎氏によって車の色が自由に設定されるようになったことぐらいだろう。これは色使いまで国家が管理しようという愚策に風穴を開けたもので、これこそが自由な社会というものなのである。

【2020.06.18】
★雨が降り出してしまったが、この梅雨は日本人が生きて来た重要な天からの贈りものだ。 この時期になると南アルプス山麓の山小屋にある朴葉も大きく育つ、大きいものは長さが40cmぐらいにもなる。先日これを採ってきて柏餅を作るのが僕の住んでいた村の習慣である。柏の木がほとんど無かったために朴葉を利用したとも言われるが、食べてみれば朴葉の方が匂いが良いことが判る、から好んで使って居たのである。一度に50個ぐらい作って親戚に少し分けて残りは冷凍にしておく。こうすれば元々米の粉で作るから御飯代わりになる。 市販の米粉を使うと細かすぎて串団子のようになってしまう、だから僕は精米機を自作して好きな粒度(荒さ)で挽くことが出来る。昔のように石臼で挽いた粗挽きでないとまるで食感が替わってしまうのだ(柏餅にならない)。今日は4個も食べてしまったが、アンコに入れる砂糖の半分はシュガーカットを使うので糖分もカロリーも少ない健康食なのである。 ★今日も雨になったが、この梅雨が無ければ(カリフォルニアのような気候だったら)たぶん日本人は絶滅するか他の国に移住していただろう。 だが行きすぎた経済発展第一の考え方がその天の恵みまでも悪魔にしてしまったのだ。毎年繰り返される洪水や土石流災害はその証拠である。ここまで来ると過去の気候はもう取り戻せないと思っていたが、何と新型コロナウイルスがその役を買って出てくれたのだ。このウイルス禍の為に多くの死亡者出るが、こうした視点からみると仕方ない犠牲と言えるかも知れない。要するに改革に犠牲は付き物であり、僕だっていつ何時その一員になるかも知れないのだ。だからウイルス禍に於いては皆平等だと言えるではないか。 平等と経済の減速、これこそがウイルスの目的であり人間という種を存続させるために不可欠なものなのだ。では病気の蔓延をどう捉えればいいのだろうか。考え方を変えると、例えば地震で2万人亡くなったとしても、それは一人一人の積み重ねに過ぎないと考えられる。要するに人は一人で生まれて一人で死んでいくという原則の範疇に過ぎないといえるのだ。人生なんて星の瞬きぐらいの時間に過ぎないのだ。

【2020.06.17】
★爽やかな夏空が広がっていたのでスポーツカーを車庫から出してオープンで飯田市周辺を一回りしてきた。今月に入って交通量は確実に増えているし商店やレストランも駐車場に停まっている車も増えている。やっと活気が戻ってきたかに見える。今日確認して見るとやっと銀行口座に@10万円が振り込まれていた。飯田市の人口は約10万人だから総額100億円が市中にバラ撒かれたことになる。この際旨い物でも食べて来たるべきウイルス蔓延に備えるのもいいだろう。 政府は観光復興のために割引旅行券を用意すると言っているが、若い人や学生それに労働者は休みが取れないから長期旅行は無理だろう。こんな時にリタイアして暇を持て余している高齢者は適任である。だから年金受給者にもう10万円追加して配るというのはいかがなものか。旅行に行かなかったら没収すれば良いだけのことだ。政府もこの程度の考えはするだろうが、アベノマスクの二の舞になっては何にもならない。 中国ではまた感染が拡大しそうだというが、重篤になる人はインフルエンザにかかっても同様な結果になるし、新型コロナウイルスだからと言ってそう恐れおののく必要も無いだろう。 しかし世界中の人間の殆どがマスクをして生活しているのを見ると何か異常ささえ感じてしまうのは僕だけだろうか。アマゾンの奥地の原住民が見たら、たぶん自分たち以外の人間は口が裂けているのではないかと感じて恐れおののくのではないだろうか。ともかく新型コロナウイルスは人類の淘汰目標がまだ不十分だと感じている筈だから再び猛威を振るう日が来る筈である。 やはり北朝鮮は相当困っているようだ、いま国内に有るのは爆弾やミサイルだけだから、何かを爆破しないと奇声が上がらない。金正恩の妹が指揮を執っているというが、女の方がやることがでかい。日本でも数億円も着服するのは女が多いし、大量殺人も女の方が平気で実行し平静を装うって生活している。イギリスのサッチャーのように戦争も難なくこなすのは女である。こうなると韓国も本気で防衛しなければならない。3密を避けた戦争とはどうするのか、防空壕の中で感染爆発しないかなど懸念材料は多い。もっと真剣にに考えよう。

【2020.06.16】
伊那谷はコロナ禍も一段落した事も有り、恩師と同級生数名で食事会を開いた。前回が2月だったから4ヶ月ぶりである。全員何とか生き延びていたというかそれなりに元気で安心した。90歳近い先生もいつものように食事も完食して元気であった。 人間を構成している髪の毛から足の爪、それに心臓まで全てが食べた物だけで造られているのは間違いない。その事を考えたら食事の大切さが良く判ると思う。世の中にあるものを万遍なく食べることが健康の秘訣なのだ。今日は料理が多くて御飯がたべられないという人が居たので、僕がもらって丼2杯食べて始末した。僕は昔から大食いである、妻を貰いに家に行った時に僕は御飯を茶碗5杯食べた。義父はそれを見てこれなら安心と言う事で嫁にくれた。しかし後日大飯喰らいが仇になって糖尿病になってしまった。それはそれで仕方ないから毎日ウオーキングして何とか持ちこたえている始末である。 いま最も元気な世代は90歳から100歳近い年代のお婆さん達である。どこの施設に行っても男性はほとんどいない。なぜ女性が長生きかというとストレス(出産や育児だど)に長い間晒されて生きて来たからだという。要するにストレスの全く無い人間は長生きしないと言うことなのだ。この事は体内に悪玉菌が居なくなったら人は死んでしまうと言うのと同じ事だ。要するに善玉菌は悪玉が居てこそ活躍するのであって、居なくなったら善玉菌は自分たちは不要なのだと思って居なくなってしまうのだ。これが様々な病気の要因となり人は病気になる。 これは腸内細菌も同じで野菜を食べる事によって農薬が体内に入り胃や腸に住んでいる回虫を全滅させてしまった。この農薬禍によってアレルギーが多発したり免疫由来の病気が蔓延しているのだ。 単に食べると言ってもその内容はあくまでも美食でなくてはいけない。例えばモツだの鯉のはらわたなどのような旨すぎるものは良くない。アメリカも日本もそうだが低所得者ほど肥満が多いというのも食べ物が美食ではないからだ。では美食とはなんぞやというと、見た目の美しい料理である、美食は見た目で判断しても差し支えないのだ。要するに大きなナベで豪快に煮込んだようなものではないということだ。

【2020.06.15】
★梅雨の中休みだろうか、快晴になり気温も上がった。南アルプス山麓の山小屋に恒例の水汲みに出掛けたが、飯田市内よりも気温は3〜5度低いのでカラッとして実に過ごしやすかった。草刈りしたり柏餅用の朴葉を取ったりして持参した弁当をゆっくり食べて自宅に戻った。戻ってみると飯田市内は30度もあり暑いのなんの、3〜5度の気温差は思ったよりも大きく感じる。 やはりこれからは田舎の時代だろう、仕事は山奥の一軒家でも出来る。要するに携帯電話会社の電波が届いていれば無線ルーターが設置できるからインターネットがアクセス出来る。僕は20年ぐらい前から南アルプス山麓の山小屋(海抜1,100m)の場所で野天風呂に浸かりながら商売をしていた。当時はNECの代理店をしていたりソフトバンクや富士通など10社ぐらいの代理店もしていた、そういえば僕は当時3足のワラジを履いていたが山小屋で大半の仕事はこなしていた。 今の企業では生産現場では在宅勤務が難しいとされているが、現実に物を造っている会社でも既に在宅勤務を行っている。例えば機械から出来上がってきた商品を目視検査する業務は、カメラを使って在宅の工員に商品を映し出して検査してNGならば即刻通知して除外できるのである。 僕は以前から言っているが、小さな子供が狭い道路を死の危険を伴いながら学校に通っているが、本当に毎日行く必要があるのか。時々通学の列に車が飛び込んで死傷者を出しているがほとんど対策がされていない。それならば通学しなければ良いのだ、いま友達はスマホのLINE等使って幾らでも出来るし、遊びに行きたければいつでも行ける。新型コロナウイルスはこういう行動を人々に勧めているのである。子供が学校に行かなければ文部科学省など不要な存在になるから踏み切れないのだろう。要するに文部行政も交付金を巡る利権と天下りで出来上がっているからだ。 僕が思うに、学校へは今の半分ぐらい行けば十分物足りるはずである。団結がどうとか仲間意識がどうとか言うがそんなものは将来の人類にはあまり必要ない。それどころか徒党を組んで物事をする行為は危険ですらある事を認識したいものだ。

【2020.06.14】
★夕方になったら雨も止んで明日からは梅雨も小休止に入るようだ。このこの間隙を縫って明日は南アルプス山麓の山小屋に出掛けるつもりである。おむすびを持っていって庭で何気兼ねなく自然と友に食するのが目的でもある。 庭には草が随分育っているのが監視カメラの映像から確認出来るので明日は少しだけ退治してこなければならない。広い土地を維持していくのは実に労力がかかるものだ、人は立って半畳寝て一畳という、要するに大きな部屋を持ったり大きな住まいなど必要無いどころか返って無駄な労力を費やすだけだということだ。 しかし両親が僕に残してくれたのは優しさと自然に満ち溢れたこの家だけである。父親は花木には興味が無かった、何故なら桜の木などを畑の周りに植えると肥料を吸い取ってしまうし、第一畑の野菜に当たる日光を遮ってしまうからだ。確かにその通りで農産物を増産するためには花木は不要なのである。 僕は少なからず絵本作家の甲斐信枝さんの影響を受けている、彼女は自然の中に生きている雑草を毎日観測してその優れた能力に感心しながら美しい(写実的な)絵本を描いている。その中で注目すべきは、雑草の覇権争いと生命力である。野の草も人間と同じように毎日戦いながら生きているのだ。そして負けてしまった草花は枯れるが種を地面に落として消え去ってく。しかし勝ち誇っていた草花にも確実に終わりが来る、それは火事であったり動物に食べられたり、農家の人によって刈り取られたりするからだ。しかし何年も前に種を落として消え去っていたかに見えた植物たちは太陽の光を感じて発芽するのだ。強敵がいなくなった野原にまた自分たちが生きる時代がやって来たのである。 要するに人も草花も動物も命のあるものは確実に死に絶えるが、その子孫はまた輝く太陽の下で成長し遺伝子を継続していく。それが言わば輪廻転生と捉えるべきだろう。

【2020.06.13】
★ウオーキングの途中で急に大雨になった、傘をさしたが随分濡れてしまった。風もありからだが冷えてきた。待てよ、ここで風邪をひいて熱を出したらどうなるのか?、ハタと考えた。近くの医院に行けばコロナに疑われて感染の検査をすることになり他の病院に送られるかも知れない。そんな考えが脳裏をよぎったため即座に家に戻って雨の小降りになるのを待ったが一向に止まない。丁度2L入りのウーロン茶が切れていたので近くのホームセンターに出掛ける事にした。そこで約30分間歩き回って最後にウーロン茶を買って帰ってきた。これで本日のウオーキングは滞りなく終了した。要するに雨の日だって5〜6kmのウオーキングはヤル気さえあれば出来るのだ。 僕は森の中みたいな場所に住んでいる野良猫を二匹飼っているので、多少雨が降っても約1.7km程先に有る場所までは行かねばならぬ。今日もちゃんと猫は待っていた。ホームセンターに行ったついでに彼らの餌とソーセージなどを買い込んできた。 人間が困っているのを助けるのは行政の重要な仕事である、野生動物はやはり庶民が救わねばならないのだ。例の10万円も振り込まれ始めたらしいから、不要な人は動物保護団体に寄付したらどうだろうか。 野良猫を嫌う連中の言う事は決まって庭に糞をするというようことだ。では玄関にツバメやハトが巣を作って小鳥が生まれたのを踏み潰すだろうか。こうした鳥は飛び廻って車に糞をかけたり洗濯物を汚したりする。猫よりも悪質なこの糞害は許されるのだろうか?。鳥も猫も同じ命であり場合によっては人間よりも尊いのだ。 世の中を見回してみると、大凡識者とか専門家とか政治家とか言われる者達のほとんどは猫の命よりも軽いと言わざるを得ない。 天下りやワイロを主体とした日本の政治は中国や北朝鮮の粛清政治を揶揄することなど出来ないところまで来てしまった。 中国は海上の岩礁をコンクリートで固めて飛行場を造っている、なぜ日本はアメリカの基地(飛行場)を海の真っ只中の岩礁を固めて造らないのか。造る技術がないのかそれとも度胸が無いのか?。

【2020.06.12】
★大災害が起きた時に決まって問題になるのが丸投げ=中間搾取だ。津波でも原子力発電所の爆発でもコロナウイルス禍でも必ず大きな税金が使われる時にネコババする者が現れるのだ。もちろん東京オリンピックなどは費用の半分ぐらいはどこかに消えているし、東京の築地市場が豊洲市場に引っ越すだけでも土地の買い入れ価格が相場の10倍という値段で税金が使われた。 考えてみるとこお事実は日本が発展した原動力ともなった朝鮮戦争に由来している。第二次世界大戦で敗戦した日本は疲弊していたが、朝鮮戦争を契機として発展を始めた。近くで戦争をしている米軍に様々な物資を売って大儲けしたのだ。その事から企業や政治家に戦争をすれば儲かるという観念が定着してしまったのである。要するに新型コロナウイルスも戦争と同じだから儲かるということで、困った人のための支援金の多くを誰かの懐に転がり込ませることになったのだ。それが1億ぐらいならともかく数十億円単位でネコババするシステムを何よりも優先して造り上げたのだ。 これと同じぐらい早急に物事を処理すれば例の10万円だってとっくに振り込まれているはずだし、いまだにマスクさえ届いていない世帯もある。何かが根本的に間違っているのは否定できないが、追究してみれば庶民の無知と無能さがその根幹にある事を忘れてはならない。 要するに日本人はお人好し部族なのだ。 今朝のニュースをちらっと見ると、どこかの動物園からニホンザルが逃げ出したという。動物園関係者が一同に口にしているのが、日本固有種であるニホンザルが逃げた先で交配してしまうと真のニホンザルがいなくなってしまうと言うことだった。たかがニホンザルなどで驚いてはいけない、日本人という世界でも希な民族が外国人との交配によってどんどん消滅しているのだ。誰もこんな重大なことに言及しないのは何故だろうか?。言い出すと多くの交配した人達から罵られるからか、それとも人権問題を理由に叩かれるのか。日本人はこういういい加減な民族なのである、猿の交配などどうでも良いことなのだ。 こうした問題は誰かが勇気を持って言い出さないことが原因だが、コロナウイルス対策のマスクの着用などもほとんど無意味だと言う事も誰かが言い出さないと、生涯マスクをかけるマスク人種になってしまいそうだ。

【2020.06.11】
★如何にも梅雨入りかと思わせる天候だったが、朝の内は晴れ間が出ていたのでウオーキングには差し支えなかった。用心に傘を持っていったが無駄だった。これをマーフィーの法則というのだ。たぶん傘を持って行かなかったら濡れて帰ったであろう。マーフィーの法則の説明に最も使われるのがパンだ。片側にジャムを塗ったパンを床に落とした時、高額なじゅうたんを敷いてあったらジャムの側が下になり、安い敷物だったら何も塗ってない方が下になるというものだ。この確率は50%であり間違いはないが、世の中は簡単に何事も無く終わったことは忘れて、苦労してじゅうたんを拭いたことだけ覚えている。 世の中で、俺は不幸だと口癖にしている人が居るが、彼は自らをわざと不幸にしているだけのことだ。決して彼らは不幸ではなく、彼よりも不幸な人は山のように居る。 この口癖というのはやっかいなもので、俺は不幸だとか、俺は貧乏だとか口癖にしていると本当にそのようになってしまう。 だから幸福な人は如何にどん底でも如何に貧乏でも俺は幸せだと思っている。だって生きているだけでも幸せではないか。 武田鉄矢が奥さんとどん底の生活を味わっている時、妊娠していた奥さんと2人で皿洗いのバイトの帰り道で奥さんが「この景色を見ておこうね、どん底の景色だから..」と言ったそうである。どん底とはこれから立ちあがる前のひとときだと思えば良いのだ。 何事も諦めたらダメだ、俺には必ず出来るのだと自ら確信することも必要である。 僕は1981年からコンピューターを販売していたが、1990年頃は英語と言えばbasic(ベーシック)の命令の単語と中学の英語の知識だけだった。そこに客のお医者さんから英文ワープロをインストールしたパソコンを説明付きで売ってくれと言って来た。もちろんソフトウエアは全て英語で取扱説明書も英語だ。僕は困ったが、この程度なら一夜付けで何とかなると確信して徹夜で説明書を翻訳しながら読んで次の日に納入した。そこで使い方を2時間ぐらい医師の自宅で説明したのだが、ほぼ納得して使えるようになった。要するに相当な難問であってもやる前から諦めたら何も前に進まないのだ。 難問に出会ったらチャンスだと思って突破しようという気力が今後の社会には何よりも必要である。コロナウイルスを前にして為す術も無く破産するようでは経営者とは言えない。

【2020.06.10】
暑い日が続いたが明日から雨が続くようだ。ジメジメした日本の夏が始まると気分も落ち込んでしまう人が多い。 僕は1週間前から、生活に落ち込んでいる友人とか入院している同級生を励ますためのビデオの制作をしている。昨日は入院中の同級生のために、今日も同級生のためのビデオを作ってユーチューブにアップロードした(未公開)。思ったより反響があったのには驚いたが、遠方で入院している人を励ますには良い方法だと思う。これも現地に行かないから、いま流行りの(遠隔)見舞いという事にもなるだろう。 人が移動しないと言う事は地球温暖化に多大な貢献をするのは間違いない。車は減るし、電車の本数も減る、これだけでも原油の使用量は確実に減るのだ。ウイルスは地球にもっと優しくなれと言っていると以前からここで書いているが、まさにその通りになって来たのは有り難いことだ。しかしこの国難に際して税金をネコババするような輩(やから)は逮捕しなければ民主主義は成り立たない。 世界の指導者が馬鹿者揃いになったところで解決策は一つだけ有る。それは選挙を直接投票に移行することだ。本人確認は映像や指紋それに光彩(眼球)など幾らでも可能である。言い換えれば現在よりも公正が期待されるのだ。新しい情報化時代の投票は投票所に出向かなくとも家で出来る事になる。あと数年すれば当たり前になるだろうと思われる。 朝から晩まで選挙カーで叫び続けるという明治時代から何も変わっていない選挙運動もネットに変わって当然である。選挙に出ようという立候補者の銀行口座を全て国家で管理すれば選挙違反も出来なくなる。 確か手塚治虫の昔読んだ漫画だっと思うが、その中で活躍する大型のコンピューターの名前が(ソーイ)と名付けられていた。要するに国民の総意によって物事を決めるということだ。 人工知能の発達で例えば通訳の仕事とか、速記などの仕事は無くなるが、立法や行政の仕事も不要となるだろう。例えば橋を架けるにしても、その場所とか通行量を始め効果を即時に計算して一番良い場所に架けることが出来る。 もちろん裁判所の仕事なども半減するだろう、なにしろ今でも法律に基づいて判断などせず、検察の言う事を鵜呑みにしているだけだからだ。とにかく検察から上がってきた案件の99.9%は有罪になるのだ。裁判官は僕でも出来る簡単な仕事なのだ。

【2020.06.09】
真夏日になった所も有ったが、明日からは気温が下がって梅雨に入りそうだ。コロナも下火になったが、一人で車を運転している人の半分はマスクをしていた、癖になったというか世間体なのか疑問である。今後汗をかいて口の周りにアセモが出来てしまわないうちに外そうではないか。少なくとも店舗の中だけで十分だろう、苦しいだけで効果がほとんど無いのだ。 国会中継を30分ぐらいみたが何ともはや馬鹿馬鹿しい討論は中学生のホームルームよりも劣る。 支援金のネコババや住民基本台帳、それに中小企業などに支払うためにシステムも全く使えない状態だ。ここに天下りと再委託という問題がある。要するに最終的に仕事をする会社は安い請負費なのでまともな仕事をしていないのだ。天下りはこの新型コロナウイルス蔓延を機会に全廃すべきであろう。彼らがいなかったら消費税をゼロにしてもまだ税金はあり余るのだ。 弱者から搾り取って資本家や国会議員で山分けするような政治と行政はこの際改めねばならぬ。 既に次の総理の綱引きも顕著になっているようだが、誰になっても余程の力と技を持っていないと腑抜けにされてしまうのは間違いない。 言い換えれば権力などというものは周囲のおだてが有ってこそ持続できるのだ。民主党が政権についた時に厚生労働大臣になった長妻昭が初登庁時に出迎えもされなかったことでも判るだろう。要するに役人は大臣を必要とせず、只の飾りとしか見ていないのだ。だから役人の誰もが「俺が日本を動かしている」と自負するに至るのである。 こうした悪政を正すには新型コロナウイルスでは役不足だったようだ。あとは関東大震災と富士山噴火の同時発生を待つしか無いということか。

【2020.06.08】
★朝から太陽が照りつけて暑い。ウオーキングに出るといつも出合う80歳を過ぎた方々が元気に歩いている。彼らと話をしている横で果樹の消毒が始まった、仕事をして入る人は話し相手の友人だというが、何と86歳だという。農業は定年が無いから仕事というか労働に区切りが無い、だから病気になるか死ぬまで働く事になる。その結果は足腰の痛みになって現れて苦労する。医者に行ってもヒロポン並の注射をするだけだから半月もしないうちに痛みがぶり返してしまう。僕の母親も同様で近所の足腰の痛いおばさん達と一緒にタクシーを一日借り切って岐阜県の長良川病院という所に行っていた。だが結果は同じで3回ぐらい行ったが諦めた。結局他界するまで膝の痛みを抱えて苦労していた。 人は何でもかんでも働けばいいと言うものでは無い、休む時は休み辞める時は辞めるというようなメリハリが必要なのだ。 今回の新型コロナウイルス騒ぎでサラリーマンが気が付いたのは、満員電車に何時間も乗って通勤しなくとも大概の仕事は家で出来ると言う事だ。 10年前まで僕はコンピューター関係のショップ経営をしていた、ハードウエアの販売をしていた頃は店舗で行っていたが、販売商品がインターネット関係のサーバーレンタル業に替わってから、ソフトの開発とかサーバー運用業務などは南アルプス山麓の山小屋で野天風呂に浸かりながらやっていた。今で言う遠隔勤務なのだが、もう15年以上前の事になる。 社員を会社に集めないと何か不都合があるのだろうか、課長が憂さ晴らしする相手が居なくて困る程度のことだろう。 ハンコなんか有っても無くても業務にさほど影響は無い、何故なら国家の重要文書でもハンコがあろうが無かろうが書き換えても何の罪にも問われないではないか。 ともかく新型コロナウイルスは我々に新しい時代の考え方を教えてくれた、それだけでも亡くなった人の供養になろう。 しかし未だにウオーキングしている人達がマスクをしているのが異常に見えてならない、それほどウイルスに恐怖を感じる必要などない。

【2020.06.07】
★ハワイのマウナ・ロアにあるCO2の観測所は新型コロナウイルスによる工場の停止などにより低下傾向を見せていた大気中のCO2濃度が5月末には元に戻り過去最高を記録したという。要するに反省の無い社会、カネ儲けだけを目的とした社会はもう止めることが出来ないと言う証しである。政治家は口さえ開けば成長率の数値ばかりだが、何か国民に対して或いは環境に対してプラスになる事を言えないのか。 何か良いことのように持ち出したのがレジ袋の有料化ぐらいなものだ。これこそ完全に無意味で効果など何も無くただ温暖化に対する似非政策なのだ。 もちろん野党だって様々な支援団体の圧力でこのような成長率無視政策発言は出来ないどころか、原発を運用している企業も巨大な支援団体である。このような構図では政治とか社会が好転することなど有り得ないのだ。選挙という制度自体をもう一度ゼロから練り直したいところだが、それを議論する者達も全てこの仲間なのだ。日本人のようなお人好し(オバカさん)国民を操るのは実に簡単だろう、日本の政治家がアメリカに行ったとしたら確実に無視され罵倒されるはずである。 ★日本の有識者たちは何故首相に今の姿を克明に伝えないのか。官邸という所はマスクを例にすれば判るだろうが、首相に対して悪いことは伏せ良いことはいっそう増幅して伝えるのだ。これを一般に「官邸病」というそうだが、自身もその仕組みを理解していながら深く探ろうとしないのにも問題が有ろう。 しかし首相に甘言するのは官邸ばかりではない、自民党員も省庁の役人も耳障りの良いことだけを報告するのだから首相は正しい道に戻ることさえ出来ない。これが独裁の特徴と言えばそれまでだが、本当に政治家(特に参議院)の中には首相に意見できるような者は居ないのだろうか。総理がいま最も必要なのは友達検事ではなく、率直に意見できる本物の有識者だろう。

【2020.06.06】
★焼け太り行政がまたその姿を現した。コロナで疲弊した中小企業に配る「持続化給付金」のネコババである。白昼堂々とこんな不正が行える国がいった何処にあるのだろうか。暴力団より悪いのは明らかである、暴力団はそれなりにリスクを抱えながら働いて資金を得ているが、こちらは通産省などの国家機関がそれなりの権力を持ってやっているのだから始末が悪い。 台風や津波それに原子力発電所の爆発というような国難を餌にしてカネ儲けしてきたのは既知のとうりだが、今回のような国民全体が困窮するような事態に濡れ手で粟という犯罪行為は許しがたい。 100年も続いているような旅館や企業が破産し従業員が多数解雇されているのは忍びがたいものがあるし、飯田市内でも毎日のようにこういう話を聞くが、コロナのデマで閉店したり、全国一律の非常事態宣言で客が来なくなり破綻した店もある。 いまも東京では感染が続いているが、拡大していくようならオリンピックなど誰も期待していないのだから手っ取り早く終息するには、東京とその近県を暫く都市閉鎖してみたらどうだろうか?。 国難に際してカネ儲けを考えている人達にいいニュースがある。それがウイルスのとてつもない進化である。すでにコロナウイルスの100倍も大きく進化した巨大なウイルスが世界中で発見されているのだ。このウイルスの遺伝子情報量はコロナウイルスのやはり100倍もあるという。だからもうこれはウイルスと言うより新しい生物体なのだ。近未来にこの巨大ウイルスが蔓延したら生き残ることが出来るのはポツンと一軒家で自給自足の生活をしている人だけぐらいだろうか。 縄文時代のように集落や集団がない事が人類の生き残りの要素だとしたら..科学の発達など無意味だと言うことである。確かに最近の高度な理化学技術をみていると感じるのは危機感だけだ。この直感的に感じる危険こそ将来人類を滅ぼす脅威であると定義できるだろう。

【2020.06.05】
★去年の今頃の気温をみると、今日と同じぐらいの32度前後である。去年と違うのはこの暑いのにマスクでウオーキングしている人が多ことだが、この効果については疑問である。かえってほかの病気になりそうではないか。「ほんまでっかTV」の武田邦彦教授によればコロナウイルスは空気感染はほとんど無くて、一番多いのがトイレのドアノブだと言っていた。東京で起きた最近の感染者の多くがバーやクラブのトイレでの感染であると報告されたことを考慮するとマスクなどエチケットにもならないと言う事だ。 東京で20人などというのは感染には値しない数字である、100万人に2人であるから、飯田市のような10万都市では0.2人である。それよりも難病で亡くなる人の方が遙かに多いだろう。難病も世界のメーカーや学者それに政府が一丸となって取り組めば治療薬などとっくに完成しているはずだ。 一般的に疫病の蔓延では人口の半分ぐらいが死ぬとされるが新型コロナウイルスはそれほどでも無い。しかし新型コロナウイルスがこの秋ぐらいに流行するとすれば確実に耐性を身に付けているはずである。だからその方が手強いと言えるだろう。今から感染病棟の建設を進めるか、中止間違いないオリンピックの施設を改修して病棟にするなど有意義に使うことを考えたいものだ。 ★以前秋葉原で起きた大量無差別殺人の凶器はナイフだった。その為に大型のナイフの持ち歩きは禁止されたが、今回起きた殺人事件はボーガン(洋弓)である。ナイフよりもこの方が明らかに危険にも拘わらずなぜ持ち歩きや所持を制限していなかったのか。なにしろ当局のこうした対策は気休めに過ぎないが、そのために社会には大きな迷惑をかけている例ばかりだ。一例を挙げれば父母が留守の家で小さな子供がライターを使って火事になったということで、100ライターのバネを強くして子供や老人が使えないようにした。その為に仏壇のロウソクに火を付けるためにマッチを買う家庭が増え、結局この事による火事が増えたら対策は逆効果しかないということになる。そう簡単に制度や規則は変えるべきでは無いと言うことである。

【2020.06.04】
★道で行き交う人は暑い暑いと連発しています。しかしこれからの夏は30度程度の暑さは涼しい部類になる。僕は夏人間なので暑い夏が大好きだ、反対に冬は血圧も上がって体が硬くなって大笑いも出来ないから大嫌いである。なにせ海抜1,100mの高地で生まれ育ったので冬の寒さだけはトラウマになっている。冬の冷え込んだ深夜になるとパーンという大きな音がする。これはマイナス18度以下になると木の内部の水分が凍って膨張し木が爆発する音だ。反対に気温が高くて雪が降ると木が根元から倒れる。これは地面が凍っていないために木の枝に雪が積もるとその重量で根こそぎ倒れるのである。 要するにこんなに寒い環境で生活するのは御免被りたいということだ。 ★やっと構想から1ヶ月に渡って制作してきた「夕陽の丘」のビデオが完成した。自身で北海道の各地を回って撮影してきたデーターがようやく役立った。なんでも取り置きしておくのはいいが、昔の写真はフィルムなので探すのが面倒だし、そのネガをデジタル化するのが更に面倒なのだ。いまのデジタルカメラから始まる映像のデジタル化は芸術に至るまで簡便にしてくれた。この功績は大きいが、デジタルカメラも最初は30万画素程度から始まった。当時は600万画素有ればフィルムと遜色ないと言われたが、当時はイーストマンコダックから1台だけこのカカメラが市販されたが何と600万円だった。それが最近では1億画素のカメラも実用化され何とこれが10万円台のスマートフォンに内蔵される時代になったのである。当時は夢のような話だったが、集積回路の密度が上がったことにより実現出来たのだ。これには日本の光学機器メーカNIKONも活躍した。最近のCPU(パソコンの心臓部のIC)は数億個のトランジスターが集積されている。これを1個のトランジスタとしてみると10トンのダンプカーにも積みきれないだろう。既にコンピューターは量子の時代に入ってきた、あと数年すればいま世界一のコンピューターの性能を家庭で使えるかも知れない。しかしそこまで行っても新型コロナウイルスの発生は抑制できないと思うが..。

【2020.06.03】
★いやはや今日も眠い。このところ映像と歌を併せたストーリービデオの制作で徹夜に近い毎日なのだ。たぶん19歳頃に観た映画で「夕陽の丘」というのがあった。当時は人気絶頂の裕次郎と浅丘ルリ子の共演だが、当時は余り面白くなかった。要するにヤクザの女を取り合うというような内容でピストルの撃ち合いや殺しもあった。しかし夕陽の丘という歌は実に良い歌で時々口ずさんでいた。最近になってアマゾンでこお映画のDVDを見付けたので買ってみた。やはり恋愛と暴力という当時の日活で主流であったストーリーそのものだ。 よしこの歌を覚えようと1ヶ月近く前から練習してきて約100回ぐらい歌ったところでこの歌の詞の内容が理解できてきた。作詞した人はヤクザとは関係無い次元で作ったのだ。人の人生行路をバスの旅に見立てていたのだ。やがて丘の上に立つと見えて来る夕日が沈む有様はまさに人間の老化していく姿そのものだ。 この映画のロケのほとんどは北海道で行われた。そこでバックに使う風景は以前北海道で撮影した写真や下栗とか僕の山小屋などを配して、やっと作品が先ほど完成したのだ。近いうちにユーチューブに上げることになるから美しい風景だけでも観ていただきたい。 人生は様々な試練と絶望と希望が交錯した楽園である。せっかく産まれて来たのだから言いたいことを言って、やりたいことを積極的にやれるように努力しなければならない。 このコロナ禍のなかでもチャンスとして捉えて売り上げを伸ばしている企業は幾らでも有る。これからのビジネスは明らかに「働かないこと」を中心角として考えねばならない。もう奴隷のように働くのではなく富の分配を図るのだ。東京の夜景を見たまえ、余りにも美しく宝石のように輝いてはいるが、地上に降り立てばホームレスが右往左往する現実がある。これを克服しない限りオリンピックなど開催している場合ではないだろう。

【2020.06.02】
★昨夜は日本各地でウイルス退散をテーマにした花火が打ち上がったという。新型コロナウイルスはあらゆる業種の仕事に影響を与えているが、花火製造工場も全国の煙火大会が中止になったために大きな損失を抱えていたのだ。それ処か病院の看護師までが給料の減額が告げられているという。これは病院が患者の受け入れを拒んだために患者が激減したためだ。確かに個人経営の病院では拒むという選択肢は有り得ないかも知れないが、若しもクラスターが発生したら病院経営も破綻してしまう可能性が有るから仕方なかろう。要するに影響を受けていないのは公務員(役人)と代議士ぐらいであろう。こういう何の不満も無い人達が専門家と称する何の不満も無い人達を呼び集めて秘密裏に議論し対策を講じるのだから、何事も手遅れになるのも当然だろう。会議をやっている状況をテレビで見ると30人以上の人達が集まっているのだから、これでどうやって意見をまとめようというのか。聖徳太子でも無理であろう。だから議事録など作れないはずだ。将来の同じような疫病禍の時に少しでも役立てようという気すら無いのだ。これが正常な政治形態とは言い難いのは当たり前だろう。 ★今日になってようやく例の10万円の申請書が届いた、中を見ると免許証のコピーだの銀行のカードのコピーまで要求している。この書類がどのように破棄されるのかは不明だが、何か信用できない気がしてならない、きっと後日この書類を元にした詐欺事件が起きるような気がする。この書類があればあとは暗証番号さえ聞けば即刻カードを使った物品購入などが出来るのだ。性善説などと言う言葉が死語になった今、このような手法は危険極まりないと言えよう。 行政のやる事為すことが小学生並みのもので公務員試験にだけ合格した人としか思えない。 だから憲法も常識も吹き飛んでしまったのだろう。コロナウイルスが正そうとしているのもこうした問題も含まれているに違いない。

  【2020.06.01】
★なにか6月に入ったら急に人々が朗らかになって屋外で空気を吸いまくっているようだ。以前から6月1日は衣替えである、心機一転して仕事なり遊びに向かうには良い区切りかも知れない。 例の10万円給付で揉めている、例えばホームレスはどうするのかというような件である。住所が無いから申込所も行かない。北海道ではボランティア団体がホームレスを一人ずつ訪問して指導しているというが、こんな事は行政の一番重要な仕事ではないだろうか。そもそも最近になって若いホームレスが増えていると言う、要するにアルバイト先から解雇されてアパートや漫画喫茶を追い出された人達である。支援金は第一にこういう人達に届けるべきものではないのか。そもそも10万円給付を決定する前にこんな問題はわかっていたことだ、担当者が数時間も考えれば配る手法は地方自治体に指示できるはずだ。それを下の組織に任せて自分たちはコーヒーでも飲んでいようかというのだから始末が悪い。 そもそもこのコロナウイルス禍に対する反省が何処にもみられない。ほぼ制圧したそのあと社会をどのように変えていくのか。車の生産減や旅行の制限、大勢の観客を集めるイベントの中止、商店の22時終了、最終電車を22時で打ち切るというようなことだ。まずこうした直近の仕組みを考えておくべきである。その事も忘れて検事の定年だなんだとまるで方向違いの議論に終始した挙げ句のはては検事に犯罪という幕引きとなった。犯罪者を任命したり定年延長しようとしたことに対して誰も反省していない。それ処か処分を決めたのが誰だか判らないというずさんさである。これで30%もの庶民が内閣支持をしているというのも解せない。たぶん調査段階で忖度があったとしか思えない。無かったとしたら国民の多くが痴呆化したと言う事だろう。昔から馬鹿は風邪を引かないというから、日本の感染者が少なかった原因はバカばっかりだったと言う事も考えられる。昔からの言い伝えは医師会や内閣の発言よりも正しい、その証拠に24節気という季節の変わり目を現す日が有るが、気象庁よりも当たっている。山に人型が現れたら豊作だというようなものも農林水産省の調査員よりも正しい。学校では不必要な歴史を学ぶが、こうした昔からの言い伝えこそ教えるべきであろう。テレビのクイズ番組に出るわけでは無い、もっと実用的な歴史を学ぼう。 そろそろ信州も梅雨に入るが、国家で梅雨に入ったとか出たとかいうが、こんな事を公務員がやる事なのか、それこそ不思議でならない。入ったと断言すればまだしも、梅雨に入ったらしいなどいう発表は無駄な仕事そのものを現しているのである。