【2018.05.31】
★検察の忖度を疑わざるを得ない発表があった。何と財務省で公文書改ざんし、虚偽有印公文書作成および公文書破棄などを指揮したとされる財務官僚トップの佐川宣寿始め関係者の不起訴を決定したというのである。こんな事件でが起訴されなかったらいったい何が起訴対象となるのだろうか。当然市民団体は検察審査会の申し立てを行うのだろうが、ここでも人選に携わる者達が忖度に走る可能性もある。日本という国家の終焉だと思った方が良い事件である。ともかく総理大臣が関係していようがいまいが犯罪は犯罪であり、再発防止と公務員の規律確保のためにも起訴すべき案件だろう。 今後庶民が免許証とか登記簿や保険証などを都合の良いように書き換えても犯罪では無いと言うことで不起訴になるのだろうが、それも国にとって問題にならないという事だろう。まさに無法国家の現実を国内外に知らしめた事件に違いない。我々も役所に対して都合の悪い文書など有ったら焼き捨てたり改ざんして対応しようではないか。 それと似たような事件となった日大のアメフト事件は、監督などの犯罪的な司令や嘘つき発言に対して様々な罰則が適用された。解任とか追放などという言葉が躍っているが、これこそ正しい裁きであると言えるだろう。悪は悪として対応できる事こそ法治国家である由縁である、放置すればナチスドイツを始め東ドイツやリビアのような国家と変わりない悪だけが栄える国となろう。核兵器で敗戦国となった後に、国民の多大な犠牲の下で自立した国でありながら核保有に賛同し、格差是正の政治課題も放置したままで、富裕層だけを優遇する社会構造になったのは誰の責任なのだろうか。 ★地球の割と浅い地下ならば起震装置によって解析し映像として見る事が出来る、何の目的に使うかというと油田開発や鉱脈の発見である。その資源開発の副産物として判明したのが、地球の地下には隕石が衝突して出来た巨大なクレーターが数百もあったということだ。その直径は数十キロにも及んでいて、隕石衝突の衝撃と気候変化でその都度地球上の生命体は絶滅している。要するに地球は数万年に一度は絶滅の機会があると言う事である。行きすぎた科学技術や欲望を抑えるにはこうした方法しか無いと神は感じているのだろうと思う。 人類も海の生物から陸に上がって立ちあがり人間となって科学を発達させる、そして最後は再び絶滅するという長い宇宙の周期的な時間の為せる技である。 コンピューターを使っている人はよくわかると思うが、にっちもさっちもいかなくなったらリセットしてみる、次は電源を切ってみる、それでもダメならハードディスクをフォーマット(初期化)してゼロから始める、というのもこれと全く同じ処方である。 たぶん僕が死ぬ時はこの数万年に一度の地球の若返りの時であろう、何故なら誰も生きていないのだから否定も肯定も出来ないし、歴史も時間も関係無くなるからだ。物事にはリセットとという動作が不可欠なのである、あらゆるモノがそのまま生き延びたら不具合が生じるだけだ。短期的に見ても人間が老化すれば五臓六腑に異常が出てくるのと同じ事だ。だから人も社会も地球もたまには生まれ変わるのである。死とは単純明解であり、そういうものなのだ。

【2018.05.30】
★そろそろ梅雨の季節になったか..。これも日本の農業に欠かす事の出来ない恒例の気候だが、日本の気候が亜熱帯性になってきた現状では災害を引き起こす大きな要因である。しかし温暖化の影響は避けることも出来ず我々はただ傍観するしかない。何をやっても手遅れとしか言いようが無い現状だが、世界で最もエネルギーを消費しているアメリカが温暖化防止策を実行しようとしていない、自分だけ良ければいいという資本主義の末期状態に陥っているからだ。日本とて例外ではない、資本主義経済の危惧された末期的な現象が全て出てきて蔓延しているからである。 国家が先頭に立って税金を特定の団体に補助する等という悪質な行為が日常的に行われ、貧しい庶民を振り向こうともしない姿勢は経済学者が指摘するまでもなく、資本主義経済の末期的な症状なのだ。 今日も国会では党首討論が行われたが、新しい展開は無きに等しい。政治を如何にしてクリーンにしていくか、利権を如何にして減らしていくか、公務員の倫理観を如何にして高めるかなどという議論も見当たらない。 ニュースを見ると、日本のラグビー協会は日本大学の監督とコーチが先に行った記者会見をその全てが嘘であると認定し永久追放された。 国家を預かる者達が行った発言が嘘と判っても、公文書を改ざんしても罪を問わないどころか出世した者まで現れる不始末はどうするのか。この国にして無法地帯という表現こそ適切であろう。国民の70%が自国の首相の説明に納得できないと答えている現状で、何が憲法改正か、働き方改革か?。これらの表面的な内容はともかくその根幹は企業優先、資本家優先でしかないことは明らかであろう。 しかし世の中はそう甘い物ではない、時間と時代の変遷が彼らを裁くことは間違いないと確信しなければこの世の中は生きていけない。 ★日本の国民の大半は未だに今の暮らしを平均的だと思って居るから始末が悪い。何も無ければ平均でいいのかということだ。この考え方は家族が高齢になったり病人が出たりするとおそらく変わってくるだろう。僕の周りの多くの家庭が社会保障の貧弱さに嘆いているのは事実である。それどころか高齢者でなくとも毎月取られる介護保険料の値上げには困っているのだ。本来ならば健康保険の中で補える筈の介護費用が医師や製薬業界の利権確保の為に2本立てにしたのが間違いなのだ。 ロシアを始め北朝鮮や中国から日本を守るという軍事費を考えてみよう。日本中の企業がたたき出す総生産の10%以上も使われているのである。これでは国民を外敵から守る前に自滅してしまうではないか。 先日も飯田市のJR飯田駅前周辺に住んで居る高齢の親戚と話をしたところ、彼らも「買い物難民」になってしまうと危惧していた。これは駅前にある大型店(ピアゴ)が近々閉館して食料品を買うところが近くに無くなってしまうからだ。市の中心部で買い物難民が出てしまう現状で何が先進国か?、政治家諸君ももう少し言葉を選んで発言したいものだ。

【2018.05.29】
★爽やかな五月も足早に通り過ぎようとしている。今年は温暖な気候で桜の開花も早かったし野菜などの出来も極めて良い。一年中がこのような気候で過ぎていく南方の国々の人達は日本人のように馬鹿みたいに働かない筈である。どの時期に種を撒いても時間さえ経過すれば確実に出来るし、野山には一年中野生のイモやバナナがあって喰うには事欠かない。 テレビ番組で見たことだが、南方の男達はめったに働かない、家の中で男達だけで談笑したり賭け事をして過ごす。女達だけが農業と食事を作ることを仕事としてやって居るが本格的なものではない。男達は気が向くと小舟に乗って海に入り魚やエビを捕ってくるぐらいのことだ。学校など行かなくとも言葉だけ覚えれば生活出来るのが気楽な暮らしの基礎であり、争いが起きない理由でもある。 病気になれば年老いた祈祷師に薬草を煎じてもらって飲むとすぐに治る。別に薬草が効くのではなく、薬を飲んだという事実が病気を治すのだ。 こうした事実は病院で睡眠薬だと言って飲ませた粉が良く効いてすぐに眠りにつくのと同じだ。最近の調査でも病気の理由がはっきりしているものは数えるぐらいである。例えば腰痛の70%は原因がわからないし、自閉症とか免疫関連の病気の原因も全くわからない。 どこの国だったか忘れたが、自閉症の子供の診断のために試薬を飲ませたところ翌日には自閉症が治ってしまったという症例が報告された。その後その試薬で何人もの自閉症が治ったが、国からは因果関係がわからないので治療薬として認められなかった。しかし裏でその試薬は高額で取引されるようになった。そこで勇気あるアメリカの病院がその効果の検証を始めたというのだ。 良く聞く話だが、癌が発見されても治療しない人が居るのも似たようなものだろうか。どうせ手術しても確実に治る保証はどこにもない。挙げ句の果ては放射線治療や抗がん剤で身体がボロボロになってから死んでいくのを由としないのである。 人は誰でも長生きしたいという願望を持っているが、死を体験した人が居ないように死んだら全ての記憶も無になるのだから人生に対して後悔するような事も皆無だ。人は今生きているという事しか実感出来ないと言う事は死んでいないと言う事である。要するに今生きている人や今の風景しか実感出来ないが、未来を想像することによってその時点までは確実に生きられるという保証ができる。例えば1ヶ月後には旅行で○○に行くという未来を想像できれば、その人は少なくともその旅行までは確実に生きていられると言う事である。この事を理解できれば確実に生きていられると言う事であり、唯一の生きることの保証となる。これは最近僕が生きるという事を研究しているときに判った事実であり、あなたたち個人に対して責任を持って保証できる。長生きしたければ未来に予定を持って生きていくことだけであり簡単な事だ。もしもこの事が間違っていたら指摘していただければ何なりと対応する用意がある。

【2018.05.28】
★先日も書いたが、我々が道路を歩くときには知らず知らずのうちに小さな虫を踏みつけて殺している。蟻やテントウムシなど多種多様だ。僕がいつも言っている踏みつけた虫の命も人の命も全く変わりが無いのだという根拠を説明しよう。僕たちの肉体も考え方も全てを含めてDNA(遺伝子)が支配している、要するに魂とか精神とか言われるモノは全てDNAのことである。なぜ1ミリにも満たない蚊のような虫も人と同じなのか、それはDNAが同じだからである。同じというのは持っている情報の内容と重さである。人も動物も生きているものが持っているDNAの情報量は1,000ページの辞典の約3、200冊分である。あまりにも膨大すぎて想像ができないほどの情報量だ。人と他の生き物が違っているのはこの膨大なDNA構造のほんの一部でしかない。殆どの内容は人も同じだと言う事だ。DNAは命そのものである、だから一寸の虫にも五部の魂と言った昔の人の評価は正しい。 これだけの情報量を果たして虫が抱えて飛んでいるのだろうか..DNAの重さは1ピコグラム位下である、わかり易く言えば1グラムの2000億分の一グラムという軽さである。だから人間だけでなく小さな虫もその重さを感じることはない。しかしその生命構造は人も蚊も起源は同じである、ただ長い歴史のなかで枝葉に分かれたに過ぎないのだ。 だから僕は学校で昆虫採集などを奨励するのは間違っていると断言しているが、その科学的な根拠がこのDNAという命の根源なのである。昆虫は採取する物ではなく自然の中で観賞するものだし、動物は動物園で見る物ではなく自然界で見るものだ。それでは見えないではないかと言うが、別に見なくとも人は生きていけるし生活に何のも影響もない。 また趣味で釣りに興じる者も有るが、これも間違いである。釣が許されるのは人が生きる為に必要な最低限の食糧を確保するときだけに限られる。その実例はアフリカのサバンナで見ることが出来る、百獣の王ライオンは腹が一杯になると目の前を動物が通っても決して襲わない。無駄に命を粗末にしないのである、このことを狩りや釣をしている者に当てはめると明らかに殺人者となり得る。 特に環境庁とか県が害獣駆除と称して鹿や熊を撃ち殺すのは犯罪であり、いかなる理由があろうとも許されない行為である。 僕は南アルプス山麓の山小屋に出掛けるが、熊や鹿に出会うのは日常的な事だが、彼らは絶対に襲ってこない。彼らは人を殺してはならないことを知っているのである、明らかに人間より高尚な考え方を持っていると言っても良い。 象の大群が倒れた人の上を通過しても絶対に踏まないのは知っての通である。彼らも命の尊さを知っていると言う事だ。それに引き換え知能が発達していると思い込んでいる人間の仕業はどうだ、昆虫や動物に対して恥ずかしくないのか?。教育もこうした原点を学んだ教師によって行うべきであり、馬鹿が教えても馬鹿が増産されるだけのことに過ぎないし、馬鹿が東大に行っても何のメリットも産まれないのはこのためだ。

【2018.05.27】
★昨日書いておいたクマンバチが今日も現れたので写真に撮っておいた。遠くから僕を見つけて飛んで来ているようである、特にエサを与えたわけでもないのでやはり猫の「クロ」なのかもしれない。 ★愛媛県が出した「加計学園」に関する文書が注目されている。この文書の問題点は、加計学園が愛媛県の関係者と面談した際に話した内容のなかで、安倍首相と面会したという一節である。愛媛県側は裏に首相が控えているという認識で話を進めてきたが、ここに来て加計学園は首相と面談した事実は無いと否定した。 もしも面談が事実とすれば安倍首相の答弁が嘘だったことを示し、面談が虚偽だったとすれば加計学園が嘘を言って県や今治市を欺して学園建設を進めたことになる。どちらにせよ嘘で固められた学園建設には間違いないから、今治市は無償提供した37億円の土地代金を加計学園に請求できるだろう。土地代は明らかに市民の税金であり行為は詐欺行為に等しいから加計学園を犯罪者としても立件出来るだろう。この点では篭池事件と変わりないのだ。ともかく権力を利用して国民の財産を私物化するような者たちの事件であることは間違いない。 ★科学が社会を混乱させると云うのは僕が以前から指摘していることだ、最近は官民が協力して兵器開発に勤しんでいるのが気掛かりでならない。この主体はロボット開発である、日本はロボット技術先進国だと思っている人が多いと思うが実は後進国である。例えば未だに福島第一原発の中に入って活躍できるロボットなどは存在しない。数分間写真を撮っただけでダウンしてしまうのだ。しかし外国ではこのロボット技術を発展させて既に兵士に代わる殺りくロボットが実用化されているのだ。もちろん日本が開発した技術も多数応用されているし部品も使われている可能性が高い。ロボットの腕には機関銃が装備され、体内には高性能爆薬が仕込まれている。敵地で爆発させたり倒されたときに技術が盗まれないように自爆させるためだ。開発者に言わせると戦争の時に兵士が犠牲にならないからいいというが、敵の兵士や敵国の市民(非戦闘員)はどうなるのか考えに入っていない。 我々が素晴らしい技術だと褒め称えているモノが実は戦車と同じ兵器なのだと言う事を認識したいものだ。これをやめるには産業や医療にロボットを導入しないことだ。政府が企業のロボット開発などに資金援助しているのは、兵器に転用できるというメリットが有るからに他ならない。 早い話が政治経済活動の大半が戦争(人殺し)を目標としているのは間違いないと言う事であろう。極端な話に思えるが、過去の歴史を勉強すればすぐに納得できることである。

【2018.05.26】
★今日も丘の上を歩いていると大きくて真っ黒なクマンバチが頭上に飛んで来た。いつも同じ場所に来ると決まって寄ってくるのだ。僕はこの黒いクマンバチが先日死んだ猫の「クロ」の生まれ変わりではないかと思い「クロ」と声をかけるとよりいっそう近付いてくる(そんな気がする)。以前も書いたが昨年死んだ猫の「シロ」にも同じようなエピソードがある。水田や野原を歩いていると、どこからともなくモンシロチョウが頭上まで飛んでくる。このチョウガ「シロ」の生まれ変わりではないかと真剣に考えていた。 こうして毎日自然の中を歩いていると同じような光景に出会い他界した家族や犬や猫を思い出させてくれるのだ。人は何でもそのように考える事によっていっそう優しい心になれるのではないか。 ウオーキングの帰り道に道路に目をやると小さな虫が横断しようと頑張っていた。このままだと車が来れば確実に潰されてしまう。だから助けようと思ったがやめた、自力で横断させた方が自然の理にかなっているからだ。でも潰されては元も子もない、車が来た時点で助けようとして監視していたが幸い通過することなく横断に成功した。僕たちの歩く道路の上にも様々な命が一生懸命生きている事を忘れてはならない。 ★俺はは貧乏だと思っている人は日本人の過半数にのぼると思う。しかし諸君はその原因について真剣に考えたことがあるだろうか? 昨日も関連することをここで書いたが、日常的にスポーツ選手や歌手などを御神仏のように称え崇める行為が原因ではなかったかと思い当たらないか。一人のところに世の中のカネが集中すれば諸君のところに来る分け前ははどうなるか..という実に単純なことだ。資本主義を進めていくと最終的に今の時代のような大きな格差に突き当たるのは当然だが、実はその格差を盛り上げ加速しているのは諸君たちなのだ。馬鹿みたいにスタジアムで歓声をあげている人たちを見て格差の根源を感じ取るらねばならぬ。それを感じることなく没頭すればストレス解消というような美辞麗句に欺されて自分たちの取り分がなくなるということだ。何もスタジアムに出掛けるなと言うのではない、何事も程々に適当にしないと新興宗教に勧誘されてカネも人生も奪われるのと何の変わりもないと言う意味である。 こうした背景には学校のクラブ活動も大きく影響しているのは確実である、勝たねばならぬという目標を掲げる事自体が宗教に近いものなのだ。その結末は今年になって発覚した様々なスポーツを取り巻く事件に発展しているが、これは氷山の一角でありたぶん90%は泣き寝入りしているのは間違いないだろう。 こうした社会のことを独裁国家というのである。少数の者だけが得をして大半の者が苦しめられる社会のことだ。この独裁国家は世界には幾らでも有る、カメルーン、ウズベキスタン、サウジアラビア王国、シンガポール..日本もアメリカもこうした国と紙一重の位置にあることは間違いなさそうである。(注)選挙制度が機能していれば独裁国家ではないというのは間違いである。

【2018.05.25】
★スポーツも加熱してくると選手や監督の人生にまで影響してくる。スポーツ選手になってカネを稼ぐというような考えも地球環境に良くないのはいつも書いているとうりだ。学校でスポーツを奨励し推進しているのはスポーツマンシップの精神を養うために他ならない。いま選手と言われる者のほとんどの連中は勘違いして突進しているだけだ。犯罪まで容認して金を稼ごうとか優勝しようという考え方がスポーツ界に蔓延してしまったには現社会の大きな間違いだろう。また金メダルを崇拝したり優勝者を御神体の如く祭り上げるのも人間社会だけが犯す極めて退廃的な間違いである。 こうしたスポーツの原点を考えてみると、僕が最初に思いついたのが古代ローマの円形の競技場で行われた戦いである。これは特権階級の娯楽として人間とライオンなどの動物を戦わせたり、収監中の犯罪者を戦わせ勝つと無罪放免という賞品を与るという狂気の娯楽である。当初は単に今のボクシングのような形態だったが、エスカレートした結果は人と動物の殺し合いになった。観衆は血を流して死んでいく格闘者を見て興奮し大きな拍手をおくったのだ。 この古代の狂気に満ちた娯楽の名の下で行われる戦いが今の時代も脈々として続いていると解釈すべきだろう。21世紀という時代になっても未だにケダモノ精神が人々のDNAに受け継がれているのが驚きである。何事もいい加減にしないと昨今のような事件にまで発展するのは当然の成り行きだろう。 ここで力道山が活躍していた頃のプロレスを考えてみるといい、何事も丁度いい加減にやっていたから良かったのである。例えば力道山の強敵として来日したブラッシーという噛みついて流血させる恐怖のレスラーが活躍していた。これがいい加減だったから面白かったし社会的に人間的に救われたのだ。何故かと言えば、ブラッシーを招いたのは力道山だったし、噛みつくことをショーとして考案したのも力道山だった、それにブラッシーの歯をヤスリで摺って尖らせていたのも力道山だった。要するに全てがショーなのだ。どんなスポーツもこうしたいい加減さを忘れると犯罪にまで発展してしまうのである。オリンピックでも女子スケートのメダル候補の選手を襲って大怪我をさせたという事件も現実に起きている。 ドーピングというのもこうした一連の行きすぎた拘りとカネ稼ぎと名誉欲が絡んでいるだけのものだ。何ならどんな薬品でもOKにすればいい、死者が多数出るから濫用の危険性に対する実証ともなり薬物使用の沈静化には良い結果となるだろう。 ★北朝鮮vsアメリカという2カ国の欺し合いもここまでエスカレートすると馬鹿馬鹿しくてニュースも見ていられない。一国の大統領が行くとき決めたら行かなければ話にならないのは当たり前であろう。こうなったら北朝鮮は核弾頭付ミサイルを積んだ潜水艦をポトマック川の奥まで侵入させてから交渉するしかない。ここからならワシントンDCも目と花の先だ。力と力のぶつかり合いは高度な策と作戦によって勝利を得ることになる。平和裏に解決出来ないなら殺し合いをするしかないという考え方がここにもあるではないか、その源泉を辿ればスポーツと称して戦いを行い享楽を得る人間という愚かな動物の末路とも言える姿なのである。特に何の選手でなくとも農業さえ出来る知識が有れば生き延びられることを子供達に教えたい。

【2018.05.24】
★昨夜は夜中に何回も目が覚めて睡眠不足だった。寝がけ録画しておいたビデオを見たのが原因だったようだ。まあ中高年は4時間も寝れば何をするわけでもないので十分だというから気にしないことだ。 友人が温泉に行こうというので天竜峡にある「天龍峡温泉交流館ご湯っくり」という温泉に行った。自宅から約30分かかる場所だが、あまり行かないのでたまには行ってみることにしたのだ。ところが、併設されている食堂「農耕百花」で食事をした後でいざ風呂に行くと悲劇が起きた。何と約30度で湧き出した源泉の温度を上げるボイラーが故障したのである。メインの風呂は37度台になった、気温が高いとは言え風邪を引きそうだ。仕方なく90度のサウナ風呂に入って暖まったが、長時間だったので目眩がしてしまった。 ★朝5時頃は目も完全に覚めてしまったので、日本中にあるめぼしい(美しい)場所にある風景カメラの画像のチェックをしていた。そこで中央アルプスの駒ヶ岳の千畳敷ホテルにある画像を見ていところ、またとない現象に出会ったので写真で紹介しておこう。陽が昇りかけると雲海が滝のように現れたのだ。約1時間の間少しずつ形を変えながら消えていった。こうしたチャンスも時にはあるが、今朝の富士山も傘を差していたので各方向から50枚ぐらいの写真を記録した。暇に任せて、火山や熱帯地方の動植物なども観察してみると面白い。金も要らないし労力もさほど必要ない、ぼけ防止にも良いだろうと思うが如何だろうか。 ★いまネットやなどで話題になっている案件は「安倍首相6月離婚解散」と「阿部夫人ホテルに軟禁されている」というものだ。真相は明らかではないが有り得ない話では無い。首相はここまで追い詰められると残されたカードはこのぐらいの事しかないだろう。ネットでは「夫人も守れない者が国を守れるか」というような書き込みが多いようだ。なぜ軟禁かというと昭恵夫人は根っからの楽天家で事件発覚後も様々な集会やイベントに参加している。ここで何か不都合な言葉が飛び出したら総理も一巻の終わりである、だから外に出歩かないようにしているのだという。この事実関係もはっきりしないが某高級ホテルの高層階に居てワイン浸りだという話も出ている。 しかし過去にあったロッキード事件のことを回顧すれば、当時田中角栄首相の秘書官だった榎本敏夫の夫人榎本美恵子が庭で事件の証拠書類を焼き捨てた経緯などを証言してしまったのだ。この証言を指して「ハチの一刺し」と言われたのだが、今回もまごまごすればこの事件の二の舞になり兼ねないということだろう。軟禁もやむなしと言う事だろうか。しかしここまでして首相の椅子にしがみつく理由は何だろうか。単に「憲法改正」は俺がやったと歴史に名を残したいだけのことだろうか。こんな僅かな名声のためだったとしたら彼の人生は空しすぎないか?。まあ「昭恵の一刺し」という場面があったら、この方が歴史に残る偉業(事件)ではないだろうか。 (注)ロッキード事件とは、当時の田中角栄首相がロッキード社からワイロを5億円を受け取った事件であり「受託収賄罪」で、首相自身が逮捕された事件である。

【2018.05.23】
★雨の一日になったが、従兄弟二人が遠方から近くに来たという電話があったので伊那山脈を越えて遠山谷まで行ってきた。70歳過ぎの女性二人が交代で運転しながら6時間かけて来たと言うが元気なものだ。一人はいわき市の海岸沿いに住んでいるが、その住宅が高台にあったために津波の被害には遭わなかった。しかし僕が東日本大震災の前年にこのいわき市に行って一緒に昼食を食べた寿司屋さんは跡形もなく消えていた。それは今日いわき市の被害を克明に記録した分厚い写真集を見て始めて知った。写真ではこの店の鉄の看板だけがわずかに残っているだけだった。港一帯の家は全て流失して残骸だけが残っている風景はヒロシマの原爆投下後の風景に酷似していた。 ★首相夫婦を震撼させた籠池夫婦の保釈が決まったようだ。この保釈の裏には森友学園への国有地の払い下げをめぐり、財務省が「廃棄した」と説明いた学園側との交渉記録が発見されたというような問題も有ろう。しかし本当は政府と一体になっていた裁判所も首相の最近の答弁を聞くに及んで我にかえったのではないだろうかとも思える。 今迄無いと言われるモノは必ず出てきている、自衛隊の派遣記録もその一部であるが、役人は如何にして書類を管理して居るのか、それとも全く管理していないのか根本的な疑問すら出てくる。まるで小学生程度のレベルではないか。 このように新しい証拠や書類が毎日のように出てくるが、その全てが行政機関からのものだ。これを否定するには自らが反論の確たる証拠を示さねばならないだろう。 首相も毎日のように何らかの答弁や弁解を強いられているようではだめだ。ここらで潔さを示した方が得策ではないかと多くの国民も感じているのではないか。首相という名前に固執しているのか、それとも椅子や利権にだろうか。僕のように毎日いい加減に生きている者には理解しがたいものだ。もっと気楽に生きる道を模索すれば新しい価値観とか幸福感を発見出来る筈である。 最近の小泉元首相の話を聞いていると、彼も最近になってこの考え方が少しだけ分かりかけてきたようである。 有能な政治家は友人が経営する会社とか、接待ゴルフにもそうそう係わらないものだ。ここまで国民に不審を抱かせたのはまだまだ政治家として未熟であると言わざるを得ない。 しかしお喋り篭池夫婦がシャバに出たとなると..頭を抱える人も多かろう。

【2018.05.22】
★スポーツ界でまたイザコザがあったようだ..午後に記者会見が行われるというのでテレビで見た。何と3局が生中継をしていたので驚いたが、20歳の選手が自分のしでかした行為を謝って、監督やコーチの指示だったと白状していた。自ら望んだ記者会見だったようだが、本来の記者会見とはこういうものだろう。自らの非を認め相手に謝罪し、なぜこのような事態になったのか真実を述べ、例え上司や監督であっても事実は事実として公表するのだ。潔いと言う事だろうが、この記者会見を財務相の官僚や総理も見ただろうか?、国民の殆どが知っていると思われる事実を保身の為に嘘で切り抜けようとする態度は今日の若者とは雲泥の差がある。 この差は何だろうかと考えた時に、スポーツを志す者と法学部の違いであろうとしか思えない。 自分はスポーツをやめても事実を公表しようというのは明らかに国民にはその精神が伝わってくる。官僚の答弁には税金で喰っているにも拘わらずこうした正義感が全く無いのだ。明らかに国民を馬鹿にした行為であり、彼らには政治という任務を任せるのは間違いであろう。 例えばこういう連中に外交を任せても険悪な結果を招きかねないし、事実日本は外交で何も誉められた事など皆無だろう。海外の外交官は何処の国も同じかもしれないが、高級なワインを飲んで関係者を集めてパーティーに明け暮れているという話も聞いたことがあるが事実だろう。どこかの国の日本大使館の地下には1本数万円のワインが山積みされているという。 現にペルーで1996年12月に発生した「日本大使公邸人質事件」を思い返せばよく納得できることだと思う。利権関係者を招いて公邸でパーティーをしていたときに事件は起きたのである。今になって振り替えるとゲリラが悪いのではなく大統領の方が悪かったという顛末がそれを物語っている。大統領は日本のODAがらみの資金に絡んでいたということだから日本との利権を守秘するために日本が亡命を受け入れたとの説も有力である。要するにパーティーでその関係を築いていたのだろうと推測できるのだ。 ともかく政治という名目で税金を不正に操ることは犯罪であることは間違いない。正しい選挙を行うためにも、口利きなどという行為は政治家に有ってはならないのだ。だがこれを必要悪として認知している国民にも問題点が有ることを知っておきたい。政治は特定の団体や企業のモノではないということである。

【2018.05.21】
★今日もウオーキング中にヤギの小屋に寄った。草を持ってほぼ毎日寄っているので辺りの草はほとんど無くなってしまった。果樹園や田畑の回りにある草は動物には与えられない。とにかく消毒液(農薬)がいっぱいかかっているからだ。国道の土手にある草も排気ガスのために表面は黒ずんでいて与えられない。そうなると自由に草を採れる場所は限られてくる。今日も何とか木の枝などを含め一抱えの草を採って持って行った。ヤギに50mぐらいまで近寄ると小屋の隙間から僕が行くのを待っている、そして近付くと舌をペロペロしながら喜んでいるのがわかる。こういう仕草は犬も同じ事だし、人間だって似たようなものだ。しかし僕はこのヤギの飼い主に一度も出会ったことがないのだ。 ★今日の昼飯は妻も僕も子供の頃から食べている「そば団子」である。蕎麦をこねて中に塩サンマを半分にして入れて焼いたものだ。そばを煮出していないから旨みも香りも栄養も全く損なわれていない。妻も僕も約400gの大きさのものを1個だけ食べる。昔は2個は食べたが、10年ぐらい前から1個にしている。それでも膨満感はすごくて食後は1時間以上寝ることになる。 ★日本は世界的に見ても高齢化社会であるのは間違いない、そして結婚する人がどんどん減っていて産まれる子供の数もどんどん少なくなっている。これを危惧して政府などは税金を投じて様々な対策を試みているが、何の効果も上げていないどころか事態は深刻化していくばかりで無駄な事業となる。ここで深刻化と表現したがこれは間違いである。日本にとって将来にとって何ら深刻な事などないからだ。 世界の人口を見てみよう、フランスは約6,000万人、イギリスも約6、000万人だ。中国やインドと多民族国家のアメリカを除けば日本は国土の面積が狭いにも拘わらず1億人を超えている。要するに日本の人口は多すぎるのである、その弊害が様々なところで起きている。通勤電車は満員だし、レストランに行けば待たされる、保育園は満員だし、道路は混んで大渋滞だ。これを緩和するには日本の人口を適切な数まで減らす必要がある。僕が考える最適な人口は明治維新の約3,500万人だろう。これだけの人が居れば農工商とも何ら問題はない、それに政治家の数も半分以下になるし、役人の数も今の30%ぐらいまでとなる。要するに無駄な公僕を養うことがないから個人的には明らかに豊かになる。別のところに目を向ければ、例えば犯罪も半減するし、裁判の数も半減すると言う事になる。 野ネズミは木の実が不作だと子供産む数を減らす事は良く知られているが、人間も食糧不足や収入不足を予感すると古来から女性の持っている本能が働いて子供を産まなくなるのだ。だから人口は自然に調整されるようになって居る。 中国は今後どうなるかと言えば、一人っ子政策がなくなってもこの制度のために人口のバランスは極端に崩れる。そうなると如何に経済発展しようが餓死者が出るようになり、日本よりも極端な人口の減少が起きる筈である。 僕たちの年代(昭和21〜24年)頃に産まれた人たちは団塊の世代と言われ人口のバランスに悪影響を与えて居るように吹聴されている。しかし戦後の日本がゼロから始まってここまで発展し世界平均になったのはこの団塊の世代の働きに寄るところが大きいのだ。そしてこの働き過ぎた団塊の世代はいま次々に天国に行っている、この次にくるのは老人の居なくなる社会だろう。総括すれば世の中も自然も人や政治が考えなくとも成るようになって収まるの道理である。

【2018.05.20】
★なにか季節が戻ってきたような北風が吹き抜けていった。最高気温も昨日よりも8度も下がった、先日まではTシャツ一枚で過ごしていたが今日は長袖のシャツを着込んでいる。 外国では暖かいニュースもあった、イギリスの次男坊(ヘンリー王子)が結婚したという。花嫁は離婚歴のあるアフリカ系の女性だというではないか。日本の皇室の結婚式は先日何らかの問題が勃発して破談寸前になってしまったということだが、英王室のフトコロの広さというか偏見の無さというか実に人間的であると言わざるを得ない。たぶんこの結婚式の経緯を日本の場合に当てはめてみると、週刊誌を始めマスコミがこぞって父親のスキャンダルや彼女の出生とか離婚原因などを書きまくって、到底結婚までには至らなかったのではないだろうか。 世界を支配していたイギリスという国家の偉大さというか威厳は、単に伝統や格式に支えられたものではなく、エリザベス女王をはじめとして英王室の懐の広さを感じずには居られない。 要するに王たるべき者の勇気とか責任感を持ち併せていると言う事だ。結婚式を挙げたヘンリー王子もイギリス軍に10年間従軍しアフガニスタンにも2回派遣されている、その間には攻撃型ヘリ「アパッチ」の操縦士の任務まで果たしたという。 第一次世界大戦の時に先陣を切って出撃したのは貴族が操縦する飛行部隊だったことも知られている。この時貴族達は我先にと進んで飛び立っていったのである。 更に驚いたのはキャサリン妃が出産したときに即日子供を抱えて退院したことだ。何と出産から7時間後には民衆の前に現れて手を振っていたというのである。 こうしたイギリス王室を見るとき、明らかに日本の皇室や皇族それに総理や大臣諸氏などとは一線を画していることがわかる。 要するに王とは何か、指導者の責任とは何かということに尽きるだろう。 国民に豊かな生活をさせてもらっている代わりに、時には死をもいとわぬ責任を果たすことが出来るかどうかと言うことがいま日本のトップにも問われているのである。その事からしたら加計学園問題など以ての外の行為であり、事実でなくともそれを疑わせる行為をしたことだけでも責任は免れない。またその責任を果たすためには北朝鮮に単独で乗り込んで行くぐらいの勇気と行動力と責任を果たしたいものだ。我々庶民はそれを遠巻きにして評価するだけで十分なのである。報酬がなければ責任などないからだ。

【2018.05.19】
★車を車検に出して帰って来た。普通車であまり乗らない車(2年で2000km)だったが約11万円かかった。日本は外国と比較して明らかに車検代が高いし、車検制度があまりにも厳しい。それと自動車整備会社の利益を確保するために新車は3年としたものの後は全て2年ごとの車検である。一般的にアメリカなどは警官が路上車検を行い整備不良車はその場で罰金と修理勧告を行うらしい。要するに車は自己の責任で管理を行うと言うのが世界的な常識となっている。 政治と企業の癒着は国民に多大な無駄を強いているから、働けど働けど暮らしは一向に改善されないままだ。 国のトップがしっかりしている国は、電気料金や電話料金は完全無料、もちろん教育もタダ、結婚すると大きな家が一軒貰えるという。これが現実あるのだから驚いてしまうが、日本人ほど働けばこれ以上の福祉は確実に出来るのは当然のことだ。 車検ばかりではなく免許の更新なども多大な利権が絡んだ制度であることは間違いないだろう。手渡される教本みたいなものを作る会社にも天下りしたり、70歳以上で行くことが義務付けられた自動車学校にも天下りが行っていると言うから利権は間違いないだろう。 こうした格差をほったらかしにた悪徳政治は正さねばならないが、庶民が現実を当たり前だと思って正そうという行動を起こさないからいつまでも続いているのである。いわゆる無関心と勉強不足である。この不足を提供し煽っているのが国家である。それがスポーツとか芸能であろう、これにはマスコミも加担して国民を享楽志向に導いた素因である。 要するに洗脳は至る所で行われていると思って良い。知らぬ間に穏やかに美辞麗句によって洗脳は行われる。学校教育も、企業も、役所の人間も全てが国家によって洗脳されているのである。例えば新入社員教育によってそれは行われる。洗脳された人間に正義など唱える権利などないということも付け加えておきたい。 ★先の芸能というキーワードでネット検索していたところ偶然に藤圭子の歌声を聞くことになった、それもカバー曲ばかりである。「かえり舟」「リンゴ村から」「傷だらけの人生」「浪曲子守唄」などだが、さすがに藤圭子である。素晴らしい歌声というか表現力というか、彼女のハスキーボイスは他の歌手では真似は出来ない。まだまだ活躍できたのに残念である。歌は世に連れ..この標語も洗脳に使われる言葉なのかも知れない。

【2018.5.18】
★日本でも今年になって火山の噴火が相次いでいる、世界的に見てもハワイのキラウエア火山が大噴火を始めている。地球規模での活動が活発になっているのだろう。地上の生命が全滅したのは6,500万年前とも言われるが、その理由は隕石衝突説とこの火山噴火説が有力である。確かに隕石が落下したとみられる巨大なクレーターは現存する、また断層の調査をすると火山灰が大量に降り積もった地層も確認されている。何れにしても地上の生命体は今後全滅することは間違いない。この時期は明日かも知れないし1万年後かも知れないが、全てがゼロから始まるのだから何事も再生には好都合であろう。 地球とか宇宙とか言う単位で物事を見れば日本の国税庁による公文書偽造とか首相の森友学園や加計学園に関与したかなどそう大きな問題ではない。しかし今も生きて現在生活している庶民にとっては重大な問題である。 昨日の報道によればこの事件を調査していた検察は佐川宣寿前国税庁長官を始め関与した者達を嫌疑不十分で不起訴にする意向だという。何か間違っていないか、膨大な国家文書を書き替えても無罪とはどういうことか?。物干し場からパンツ一枚盗んだ者は懲役である。この不起訴は検察が忖度したではないかという疑いが濃厚となるのは必至であろう。国民の多くもこの処分を納得しないだろう。今後は検察審議会が開かれるだろうからその方向を見守りたいものだ。 ★昨日は西城秀樹が他界したというニュースが駆け巡ったが、今日は星由里子が亡くなったというニュースがあり驚いた。癌だと言う事だが、美人も金持ちも関係無く運命は襲ってくる。星由里子といえば飛びっきりの美人で、僕が20歳頃から加山雄三とともに映画「若大将シリーズ」などに出演していた。今でもハワイの夕暮れ時をバックに語り合う姿が目に浮かんでくる。僕たちも老いて過去の記憶がかすれていく頃、その記憶の主人公達もこの世を去って行くというのも人生の縮図だろう。君といつまでも生きていたら後がつかえてしまうから仕方ないのだろうか。 ★今後国会では憲法改正問題が議論されるが、今の組織と人間とシステムでその発議が出来るのだろうか。犯罪が疑われる人たちが寄って集って法を替えようなどと言う大それた事が許されるのだろうか。ここで最も真剣に考えるべきは庶民である、僕は以前から「馬鹿は投票に行くな」と書いているが、この問題も同様である。あくまでも投票に参加しようとする者はそれなりの知識を持った者でなくてはならない。無知が社会を変えることなど有ってはならないのだ。

【2018.05.17】
★我が家の飲料水が底を突いたので妻と南アルプス山麓の山小屋に出かけた。早くも雑草が生い茂っていて1時間ほど除草作業をした。午前中に終わって義母が入院している阿南病院を回って帰る事にした。山小屋から上町を経由し和田を通り平岡から温田に向かう、温田にある病院に寄ってから飯田まで100kmを超える道のりである。高速道路ならともかく天竜川沿いを曲がりくねって走る酷道である。ダンプカーの往来も多避けあいにも神経を使う道である。 昼食は久しぶりに平岡の駅構内にある龍泉閣に寄ってみた。この食堂は2017年9月の「帰れまサンデー」というテレビ番組で話題になったところである。中には多くの有名な芸能人の色紙がいっぱい貼ってあった。「帰れまサンデー」はタカトシと佐藤藍子が3輪自転車に乗って朝から晩まで走って食堂を探すというものだ。 ここのメニューは一般的なモノと季節によって巨大なていざナス料理がある(番組でもこれを食べていた)。今日は味噌カツ定食とヤマメを一匹食べた。このヤマメは10センチぐらいのもので小さいが確か550円ぐらいだった。やはりヤマメは炭火であぶってから、醤油を付けて食べるのがいい。こうしないとヤマメ本来の味が出てこないのである。カツ定食の味は一般的だが近くにあまり食堂がないので客は多いほうだ。 平岡から阿南病院に向かう(平岡ダムの)湖岸道路は道路の殆どがカーブの連続で運転者にとっていやな道である。 今日の気温は30度を超えていたので暑いのなんの、帰ってからウオーキングをしたが汗で全部着替えた。 ★西城秀樹が亡くなったという、以前から脳梗塞になったりしていたがついに心臓に来たようだ。妻も同年ということで何か心配になってきたようである。先頃は鉄人衣笠とか星野仙一という僕と同年代の方々が亡くなっている、とにかく死というイベントが身近になって来たように感じてしまう。最近の話題は何と言っても「終活」だろう、家を売ったとか服を処分したとか、墓を作ったとか葬式をそれなりの会社に頼んだとか..様々だが、死んだらそれ以降は誰が罵ろうが何を残そうが知った事ではないし、そこまで気を遣って一日を生きるのも面白くない。僕の周りのモノは明らかに増えている。僕の部屋にはテレビが2台、コンピューターが9台、モニターが3台有る。その全てが毎日のように稼働している。5日前にもコンピューターを1台追加したばかりである。これはユーチューブを見る為の専用機だ。映像を見ながら他の事をするのだが、専用機でないと高速に再生できない。不便は解消して最良の環境を作って生きることこそ終活に相応しい。

【2018.05.16】
★各地で30度越えの気温は温暖化と異常気象の証拠であろう。こうした現象に対して気象庁は温暖化の影響と言う事は一切発言していない。経済成長だけを唱える政府に忖度しているためだ。本来ならば気象庁は温暖化に対して政府や国民に警鐘を鳴らすべき省庁である、本来の仕事と役割を失った省庁は解体か人員を数十人規模に縮小すべきだろう。台風の進路など今時は気象庁で無くとも知る事が出来るのだ。地震予知は出来ないし、津波の警報など有っても無くても死ぬ人は死ぬのである。まあ嘘つき内閣の傘下で仕事をしているのだから、国民が信用などしていないというのも解体の理由に挙げることも出来よう。また今年の夏は暑いか寒いかなど予測できない事をさも本当のごとく言いふらすのはまさしく犯罪であろう。 ★冤罪によって文部科学省をクビになった前川喜平・前文部科学次官が国会での首相の発言に物申している。一つは「前川前次官が私から国家戦略特区における獣医学部新設について何らの指示も受けていない」と答弁したことだ。前川氏は和泉洋人首相補佐官から官邸に呼ばれた時、「総理は自分の口からは言えないから、私が代わって言う」と言って加計学園獣医学部新設の対応を求められたとしている。 二つ目は首相の「前川前次官ですら、京都産業大はまだ準備が十分ではないという認識の上に加計学園しかなかったということをおっしゃっていた」という答弁に対して、16年10月の京都産大の提案内容を知らされていない私が、加計学園の提案と比較することなど不可能だったとして首相の発言は事実に反し、極めて心外だとした。 国民は誰の言葉を信用しているのか、最近の調査でも首相の支持率は確実に落ちているし、嘘つき内閣だという国民もそれと同数だと思う。 まあ首相などは誰がやっても変わりないと思うが、国民に対する嘘の度合いで判断するしかない状況だ。馬鹿馬鹿しいことだと付け加えずには居られない昨今で有る。 ★最近はテレビで江戸時代やそれ以前の様々な人物や事件について研究者らが新説を発表しているが、どれを聞いても歴史というものは謎と嘘と誤解で成り立っているようだ。特に戦(いくさ)については勝った方が歴史書を書き換えたりしている。誰も見た事のない遠い過去は間違いだらけであり、学校で学ぶに値しないものだろう。昭和になっても歴史は書き換えられものも多い、それどころか第二次世界大戦についても広島・長崎の原爆投下についても学校で教育する内容は間違いだらけだと主張する人が多い。 それに戦争に対する学校教育の時間が短い、日本の戦争と原子爆弾の投下とその被害について、例えばキューバの学校は日本の数倍の時間を費やして教えている。その結果日本人よりもその悲惨さを良く理解しているのだ。歴史学とは過去の過ちを如何にして繰り返さないようにするのかという教育である。日本の間違いだらけの教育が現在の官僚や国会議員などの人物を世の中に送り出してしまったと言っても過言ではない。

【2018.05.15】
夏空が広がって気温も上がったが爽やかな初夏の一日というところだろうか。中繁彦先生と会食のために松川町に向かったが..飯島町か駒ヶ根市にあるフランス料理店に行く予定だったが、電話してみると定休日と予約で満員と言う事で行けなかった。仕方なく今日は蕎麦を食べることにして中川村の山麓にある「いろりなかがわ亭」に行ってきた。ここは既に3回ほど利用している蕎麦屋だが平日は空いていて騒々しくないので気持ちが良い。ここで天ざる蕎麦と御幣餅を注文し(御幣餅は余分)、1時間半ほど談笑していた。どれも旨くて完食してしまったが、蕎麦は米よりもカロリーが多いので元気はつらつである。食事を終わって庭に出ると残雪の中央アルプスを望むことが出来、爽やかな初夏の風が吹き抜けていった。 しかし家に戻ってから膨満感も手伝って眠くなってしまい1時間半ほど昼寝をしてしまった。 ★銀行は儲け過ぎではないのか?、その理由はスルガ銀行の組織的に行なわれたシェアハウスへの融資である。これは先に破綻している「かぼちゃの馬車」というシェアハウスの顧客のための融資である。会社員などの個人でも数億円を融資していたというから呆れた話だが、この「かぼちゃの馬車」の破綻によって融資を受けた個人は収入がなくなり返済不能に陥った。スルガ銀行の損失は約2,000億円だという。これだけなら大した問題ではないが、なんとその金額を差し引いても連結純利益は前の期比の半分の210億円になるというではないか。要するに地方銀行でも2,000億円ぐらいの貸し倒れは経営に影響が全くないと言う事だ。これこそ庶民がいまだに無利息で預金して助けている銀行の真の実態なのである。果たして大きな銀行の数千億円の利益はどこに回っているのだろうか。まさか自民党に献金しているような事は無いだろうと思うが..。とにかく日本の政府がやっている庶民を貧乏にするための政策は様々なところで金持ちを助け、格差をいっそう広げていく事になっているのは間違いない。庶民を貧乏にしておなかいと悪政が前に進んでいかないのだ。貧乏な庶民は何事に付け陳情したり懇願したりしなければならず、「代官さまおねげーします..」という古来からの上から目線を許すことになり何事もやり易いのである。忖度が国中に蔓延するのも元を正せばこんな事かも知れない。 ★殺人のあげくに線路に遺体を置き去りにした犯人が逮捕された。電気工事会社の社員で23歳だという、顔を見れば普通の人で何処にでも居そうな人物である。知人達は一様に「まさか」を連発していたが、優しそうな穏やかに見える人で有っても凶悪犯になり得るという事実である。警察に連行されるときに顔を隠すこともせず笑みを浮かべている姿は悪の化身とも言えよう。 世の中に「イケメン」という差別用語があるが、馬鹿な庶民(娘)達は彼らの性格までイケメンだと思い込んでしまっている。この馬鹿な庶民を増産しているのは、僕が昔から指摘している漫画とかウルトラマンのようなテレビ番組である。 大きな恐竜のようなものが海から揚がってきたとき、初対面だというのに人々は口をそろえて悪の怪獣だと決めつける。これが醜い外見のモノは全て悪人だという先入観が出来てしまった結果である。揚がってきた恐竜は単に景色を見て空気を吸ったら海に戻る予定だったかも知れない。それを大砲や戦闘機で攻撃するから彼も怒りをぶちまけることになるのだ。イケメン崇拝は自分自身を奈落に落とす元凶であることも学ばなければ。

【2018.05.14】
★気温が浄書したにもかかわらず湿度が低いのでカラッとした暑さだった。周りの水田はいま田植えの真っ最中である。そんな風景を見ながら歩いていると汗でTシャツも濡れてしまった。 日本各地で30度を超えてゴルフなどするには絶好の季節だろう。僕も昔は何度かコースに出たことは有る、大会でドラコン賞を取ったこともあった。僕は昔から足腰が丈夫だった、スイングが他の人よりも圧倒的に力が有った。ただ思ったところに飛んでいかないだけのことである。僕は凝り出すと徹底的にやるタイプの人間なので、庭に芝生を敷いて10mぐらいのグリーンを造り、更にネットを張った囲みを造って、パナソニックのスイング判定機のような機械まで買い込んで研究していた。しかし熱するのが早いと冷めるのも早い、まるでお笑い芸人のごとくである。 ★首相を頻繁にゴルフ接待していた加計学園の問題で官邸で面会した補佐官が、話の内容を首相に報告しなかったなどと言う嘘は証拠が無くとも状況証拠だけで十分だろう。首相補佐官は当然のように加計学園と首相の仲を認識していた筈だし、補佐官は逐一報告することを第一の任務としている役職ではないのか。こんな特殊な会議内容を報告しなかったことは考えられない。国政など来年になってから考えれば良いから、この問題には是非とも早期に決着を付けるべきだろう。民主主義国家として今後もやっていこうというならば真実を明らかするほかない。 こうした出来事は小学生でも知っていることだ。大の大人たちが政治の中枢で嘘にまみれて仕事をしているという事実は未来を担う子供達の教育にとっても良くないことは明白である。 そもそも教育の主軸となる文部科学省にしても、小中学生は参加することの出来ない賭博(ロト、サッカークジ)の利権まで握って居る胴元をしている始末だから何をかいわんやである。 教育行政を担う者として何をすべきか..という基本的なスタンスから間違っているのだから立ち直る事も不可能に近い。国の教育に関わる行政も外国の企業に頼んだ方が良いのかも知れないと考えるこの頃であるが、そう極端な話では無い。

【2018.05.13】
★久しぶりの大雨になった。朝のうちにウオーキングに出かけたので降られなかったが、夕方は滝のような雨になり近隣の市町村でも50〜100ミリぐらいは降ったようである。 ★日本は国際的な様々な枠組みから疎外され始めてている、例えば北朝鮮が核施設を廃棄する事になった時に世界のマスコミが取材する記者団から外された。何も怒ることは無い、日本は核廃棄に反対の立場を取っている国だから当然だろう。核を容認する国家が廃棄する国家の審査や取材に当たるなどは以ての外である。世界で唯一原子爆弾が投下された国であり、ロシアと並んで原子力発電所を爆発させた国である。この国にして核を容認するというのが世界から奇異の目で見られていると言う事だ。もちろんこれは安倍政権の責任の範疇である。 先日イスラエルを訪問した時に晩餐会に出された食事の一皿が本物の革靴の中に盛り付けてあったと言うから笑ってしまう。真意のほどは判らないが馬鹿にされたと思っても間違いなさそうである。 忠義の部下達は様々な発言や文書偽造、さらには淫らな行為で周りから去っていってしまった。親代わりの前小泉首相までもが早く辞めるように諭しているのだから、その信頼度とか人気度は推して知るべきだろう。放っておいてもそろそろ四面楚歌状態に陥ってしまうのではなかろうか。国民もその日を期待するかのような発言が目立っているが、国会議事堂の前でデモの参加者によって発っせられるシュプレヒコールこそ楚歌そのものだろう。まあかつて無い嘘つき内閣と言われるだけ有って庶民の批判も歌声も耳に入ってこないのだろうと思うが悲しいことだ。 ★いよいよ雨の季節になって今年の冬の大雪のことは人々の記憶から消え去ってしまったが、今年の冬に除雪で亡くなった人が20人も有ったという。更に重軽傷者は300人近くになるという。これは明らかに土石流災害と同じ災害である。なぜこんなに多いかというと、雪かきをしている人は高齢者ばかりだからだ。80歳過ぎて雪で滑りやすい高い屋根に登っての仕事だから事故は当然だろう。下らない訓練だけをして一日を過ごしている自衛隊員を毎日3,000人位鍛錬のつもりで派遣すれば多くの命が助かるだろう。既に世界は軍隊を後ろ立てにして生き抜く時代は終わったのである。北朝鮮の金正恩もそのことに気がついたから一気に和平に向かおうとしているのだ。 明日の日本は北朝鮮よりも旧態依然とした国家形態を世界に晒す事になろう。先の核放棄の取材の経緯を見るまでもなく後進国のレッテルを貼られてしまったのだ。いま日本が外国人に人気なのは一般の人たちの温かい心とゼネコンに破壊されなかった美しい風景があるからだ。こうした現実からみても沖縄県の辺野古の基地移転は総理が命がけで中止するしかない。裸で保護団体の先頭に立つべきなのだ。ワカルカナ..ワカンネーダロ−ナア..。

【2018.05.12】
★空を見上げるとkam太陽にカメラの画角に入りきらないほどの大きな傘がかかっていた。多分明日は雨になるのは間違いなさそうである。天気は昔から様々な自然現象から推測していた、それでも確率は今の天気予報と変わらないぐらい正確だったと思う。老人の足腰に神経痛が出れば雨になった。お婆さんが頭痛になるとこれも雨になる。蜘蛛がが巣をかけ始めると雨は上がるし、夕焼けが真っ赤になれば晴れになる。 人にはそれなりの検知機能が太古の昔から備わっているが、それを使おうとせずにテレビの予報だけを当てにしているのである。 病気も同じ事が言える、何でもかんでも薬に頼るのは副作用によって身体を痛めつけているだけだ。製薬会社とか厚生労働省は病人が増える事を既得権益としているのはミエミエでああろう、過去の薬害の実例を見ればすぐに納得できることだ。これでは何の為に税金で役人を雇っているのか判らない。役人が人口に対して少ないほど庶民の暮らしも健康度もアップするというのもおかしな話ではないか。 ★世の中には悪い人間は幾らでも居る、国会で嘘をつく者もあるが、これこそが泥棒の始まりと言えるだろう。女の子を殺して線路に放置するなど明らかに狂気である。警察もまだ捕まったという発表はしていないが目星は付いていることだろう。自分たちの失態で逃がした受刑者の捜索には1、000人を繰り出したが、今回の殺人事件に動員されているのは100人だという。失態を早く過去のものにしたいという企みは判らぬでも無いが、庶民の命とどっちが重いかという事も考えてみたいものだ。 この際法改正して、こういう犯人は例え精神異常であっても火あぶりの刑ぐらいにしないと再発は防げないだろう。東京のお台場あたりに刑場を作って公開処刑にすれば良い。精神に異常が有ろうが無かろうが殺人に変わりは無い。なぜなら普通の人間でも殺人を犯すときは異常な精神状態になっているからだ。要するに殺人事件などは全ての者に対して差別無く罰するべきである、決して不公平があってはならない。特に精神に異常があれば再犯の確率は高いと言わざるを得ない。 しかし85歳の夫が痴呆と病気で寝たきりの妻を殺害するというような事件に対しては温情が必要だろう。こうした事件の半分は行政にも責任が有るからだ。行政とは箱物や橋梁を造るところではない、庶民の健康と安全を第一に考えるべき役所なのである。これを放置したら行政組織など必要はない。 ともかく庶民の生活を民生委員に任せっきりにせずに行政が自らが直接関わらなければならない本来業務であろう。 役人というものの評価はは毎日下降線をたどっている、加計学園問題などの嘘つきも原因という事も有るが、報酬は税金であるという認識が甘すぎるからだ。自民党内からも今迄にない嘘つき政権だという批判まで競る始末ではないか。 公務員の倫理感が欠如した今、自然崩壊的に三権分立も崩壊してしまった。冤罪の多発もその一つであろうし篭池夫婦の拘留なども、政権に対する忖度が浸透している証拠の一角ではないだろうか。

【2018.05.11】
★僕は血圧が高いので薬を飲んでいるが、冬になってどうしても薬で下がらないときは煎じ薬を使って居る。一般的にはタマネギの皮などを使っていると聞くが、僕は30年ぐらい前に何かの本で読んだ「シュロの実」を煎じて飲んでいる。誰にでも効くかどうか知らないが僕には良く効いて一気に血圧が下がる。このシュロの実だが毎年4月頃になるとシュロの葉の間からニョキッと出てくる黄色い粟のような粒が数万粒付いたものだ。これは花なのかも知れないが、この黄色の粒は開いてから1週間ほどすると全て落ちてしまう。だから採取時期は1年の内で数日しか無い。この実を枝ごと取って太陽光で1週間ほど乾燥すると茶色に変色する、完全に乾いたら取り込んでビニール袋に入れて密封し保管しておく。たぶん10年ぐらいは大丈夫だと思う。 これを30gぐらい取り出して専用の土瓶で煎じて飲むのだ。味はタマネギの皮と似たようなもので苦くも辛くもないから飲みやすい。薬で血圧が下がらないときに飲めばすぐに効いてくる、飲み過ぎても大丈夫だが湯飲み茶碗に1〜2杯も飲めば良いと思う。これは僕だけが考案した処方なので真似して体調不良に陥っても関知しないからそのつもりで。 世の中にはこうした民間人が考案した漢方が幾らでも有るから時には試してみるの間違いでは無いだろう。 ★ウオーキングしていると様々な花に出会うが、その花の名前を調べるのは大変な事だ。今咲いている紫色の背の高い花は果たしてハナショウブか、カキツバタか、アヤメか..。よほど現地で細部まで観察してこないと判らない。写真に撮ってきても判断が付きにくい。 きれいな花が咲いているので土手から採取してくると、妻からこれは雑草だと言われて捨てられてしまうケースもある。今日も小さなピンク色の花を採ってきて花壇に植えていたら雑草だと言われたが、意地を張って美しいと思えば花も雑草も区別など無いのだ!!と強引に植えてしまった。花が終わったら引き抜かれることだろう。 この雑草か花かという境界はどこにあるのだろうか、人間も差別の根幹になっているものは果たして何なのだろう。風貌なのか、学歴なのか、家系なのか、収入なのか..決定的なものなどない。しかし人は何故か差別することを受け入れてしまうのは何故なのか。アヤメもカキツバタも即座に判断できる人などそうは居ないと思うが、花の場合は希少品か否かということが決め手になるのだろうか。おおよそ世の中の常識とか差別とかいうものはそう決定的な決め手など無いのである。こうした観点から元首相秘書官の柳瀬唯夫という人物を評価するとどうなるのか?。エリートであっても嘘ばっかり言って人生を乗り切ろうという者に果たして庶民はどういう差別をするのだろうか。何十人もの関係者と合ったのは覚えて居ないが、首相に報告した事実が無いことは明閣に覚えているというチグハグな答弁で社会に通用するのか。 官僚という身分は全てが馬鹿者揃いだという風刺を誰が否定できるのだろうか。たぶん彼らよりも雑草の方が清く正しく生きていることは間違いない。

【2018.05.10】
★ホームセンターには春の野菜苗や花が並んでいるし、畑では様々な野菜の植え付けが最盛期を迎えている。今日は涼しい一日だったが、明日からは初夏の気候になるというからもう夏も近い。 ★アメリカは北朝鮮に捉えられていた3名を取り戻した。日本はと言えば拉致問題の解決をトランプ大統領に電話で頼んでお終いである。もっと積極的に行動できないのか、拉致担当大臣は北朝鮮に飛ぶ準備はしているのか、飛行機は待機しているのか?。 尖閣や北方領土の問題と同じで会談や取り返し行動を自粛していてはそれこそ拉致が開かない。 日本人は今でも妻を他人に紹介する時に「愚妻です」という人が有るという。また贈り物も「つまらない物」と言いながら渡す。如何にへりくだることが美徳と言っても行き過ぎだろうし、日本人の精神的な弱さがこうしたところに表れているのでは無いか。若い人たちはこうした習慣が薄れて世界平均並になって来たと言うから、良いことなのだろう。 しかしこの美徳は争わずして勝つ方法でもある、相手を敬っておけば難儀からは遠ざかる事が出来る。 北朝鮮は明らかに平和に向かいたいという希望があることが分かる、だからアメリカ人を帰国させたりトップ会談に応じている。だが日本とアメリカの関係はどうだ、沖縄の基地問題や辺野古の埋め立て問題などアメリカの言いなりでは無いか。北朝鮮のように対等に話し合いの場を持って駐留米軍の削減や基地問題を協議するべきだろう。これでは友好国でも何でも無い、ただ税金を吸い取られて軍隊をアメリカに代わって養っているだけの奴隷国家だ。 日本は自分たちの研究や長時間労働と低賃金によって栄えてきたのである、アメリカはその技術の成果による製品を買っているだけのことだ。だからアメリカは貿易赤字になるのは当たり前のことで不思議ではないし自信を持って良い。 ともかく世間の噂のようにトランプ大統領がノーベル平和賞にノミネートされる公算が大きくなった。この賞を与えることによって彼が曲がったことが出来なくなり、アメリカが世界の平和にもっと貢献できる国になれば普天間問題も解決に向かうかもしれない。 ★うんざり..という言葉が最も使われているのが「もりかけ」問題である、今日も国会では参考人質問が行われているが、決して総理大臣から頼まれたとは言わない。しかし森友学園や加計学園の国有地払い下げが、総理の心を推し量って自らの責任でやった結果だったとなれば、推し量った者が責任を問われなければならないのは当然だろう。明らかに税金をネコババしたことになる、別の言葉でいえば盗んだも同然である。それも省庁のトップに在る者達の仕業だったとしたら懲戒解雇である。 世の中には死ぬまで働いて税金を納めている労働者ばかりだ、彼らのことを少しでも考えれば自ら進んで処分を受けるべきだろう。 こんな事が放置されたままだったら、脱税した人たちに賞状を与えねばならぬ。そこまで行く前になんとかしたいが、既に泥沼に足を踏み入れた者ばかりではどうしようも無い。この際、日本の重要ポスト(大臣、裁判長、検察官など)は何のしがらみも無い外国人を選別して任に当たらせるしか無いだろう。実例を挙げれば、下請け業者と何のしがらみも無い外人社長を迎えた日産自動車は、倒産直前の状況から黒字に転換しているではないか。まあそういうことだ。

【2018.05.09】
★昨日義母が入院したこともあって阿南町にある県立阿南病院に行ってきた。時折雨が降ったこともあって新録は目にしみる。義母は腸閉塞の疑いだったが検査の結果特に閉塞は無かったようで近いうちに退院できそうだ。年齢も96歳を超えているので便秘とか嘔吐などは日常的に起きるが、腸の閉塞は病院で検査してみないと分からない。とにかく軽度の入院は年に二回ぐらいしているので慣れっこになってしまった。僕の父親も90歳を過ぎてから肺炎になったり脳梗塞になったりして数回入院しているが、元気になって戻ってきている。いま90歳以上の人たちは実に元気である、何故か知らないが今も働いている人も多い。生まれ育ったのが戦前だったというのも原因かもしれない。反対に生まれてからすぐに第二次世界大戦を経験した人たちは僕が知る限りではあまり長生きはしていない。やはり幼少期(育ち盛り)の栄養が大きく関係しているのだろうか。同じように人格形成にも子供の頃の家庭の環境とか親の存在も少なからず影響しているはずである。 ★病院を出たら丁度昼の時間となったので近くにある「めんくろう」という結構有名なラーメン屋に寄ってみた。こじんまりした店だが評判の良い店だと噂には聞いていたので一度寄ってみたかったが機会が無かった。そこで妻と「めんくろうラーメン」と「味噌ラーメン」を注文した。大盛りを頼んで半分ずつ食べてみたが、おすすめは味噌ラーメンである、辛みが効いたツユだが特製の一味唐辛子が添えられていたので少しかけてみた。確かに有名店だけ有って味はバツグンである、大盛りを頼んだが平日はライスが無料で付いてくるから腹一杯になったのは言うまでも無い。この店は自家製の「プリン」も販売しているので帰りに買って帰った。 僕は要するに食べ過ぎ種族なので、糖尿病にはなるしツユも残さず吸ってしまうことから高血圧にもなる。店のご主人とそんな話をしていたら、まさに食通の勲章だと褒められたが..これは本当に褒め言葉なのか考えながら帰えってきた。 僕はラーメンというとガツンとくる特徴の有る物が好きだ、だから昔ながらのラーメンというのは外食では食べない。以前から気に入っているのは家の近くの高森町、高森あんしん市場の前にある「じゃげな」というラーメン店だ。ここのラーメンはどれもガツンとくるが、無料の生ニンニクを自分で絞って丼に投入するともっとパンチが効いた味になる。出来たら2,3個入れると体温が上がってくるような幸福感に包まれるのだ。 フランスではダイエットをするというと牛肉だけで過ごすことを指すそうである。確かに僕も血糖値が高いときや太りすぎたときは牛肉にしている。こうすれば間違いなく和食を食べたときよりも体重は増えない。特に血糖値をすぐに下げるには肉だけを2日間ぐらい食べていれば平常値に戻る。何故かと言えば肉には糖分が殆ど無いからである。逆に蕎麦とかパン(小麦)などを食べると確実にアウトだ。特に蕎麦はカロリーが米より高いので要注意だが、蕎麦はダイエット食だと勘違いして居る人も多いので注意したい。

【2018.05.08】
★沖縄はもう梅雨に入って今も大雨が降っているという。信州も今日は梅雨を思わせるどんよりした空から時折雨が落ちてきている。 本当に一年の過ぎるのは早い、夜明けが早くなったと感じた頃には梅雨に入り、すぐに夏至を迎える。こうなると後半は早い、盆だの中秋だのと言っているとすぐに師走である。 様々な事件も事故も災害も人の記憶からどんどん消失していく、既に森友学園や加計学園の問題や財務相の公文書偽造問題も過去の物になりつつある。こんな非法をほったらかしたままでの国会はのような審議も無用であろう。国会というところは国家で最も聖域に近い場所だろう。その中が非法に溢れたままで何が審議か法改正か..。あまりにも堕落した国家の中枢は既に北朝鮮を超えていると感じないか。その理由は北朝鮮がそれなりに国家としての体裁を保っているからだ。 ★ここに来て北朝鮮と韓国の融和について中国とかロシアが干渉してきているようだ。ロシアはこうした揉め事に際して知らん顔で居るが、第二次世界大戦後の満州侵功のように出る場所をわきまえていてちゃんと分け前をぶん取りに出る国家である。中国もそれなりに世界に影響力を持つためにはどのような和平であろうが割って入り、それなりに名実(名声と功績)を得るのだ。このような行動のことを日本語では「したたか」というのだろう。 こうした行動は国家でなく個人であっても似たような者は幾らでも存在している。誰でも回りを見回せば数人は探し当てることが出来るだろう。 しかし人や国家(国家も人だ)と野生動物が基本的に違っているのはここだろう。 アフリカの原野でハイエナとかハゲワシはライオンが殺して食べた残りの肉を漁って生きているようにみえる。だがこれは先のロシアとか中国に似たような行動に見えるが実は全く違うものだ。彼らは楽をして餌を得て生きているのでは無い、食べ残しを片づけるのは彼らの清掃活動であり奉仕活動の一環なのである。 食べ残しを原野に放置すると腐敗して病原菌が蔓延し汚染されてしまう。それがライオンやシマウマなどに感染するとサバンナに生きる動物たちが絶滅してしまうのだ。だからハイエナとかハゲワシは原野の衛生を保つために必要な行動をしている看護師のような動物なのだ。 人間というバカでかい頭だけを振り回して生きている動物との違いが分かるであろう。 早い話が地上に人類は必要の無い生き物なのだと理解すべきである。それは人類が今迄やってきた取り返しの付かない犯罪(産業革命など)の結果をみれば分かることだ。昨日も書いたが、早々に人類は絶滅しないと他の動物たちに迷惑千万なのである。

【2018.05.07】
★この時期の雨は野山の草木にとって恵みの雨であり、農家にとっても生きる糧を育むる雨である。降りすぎると災害になるが、温暖化の放置はそれを是としているので仕方なかろう。 昨日ここで書いた森の動物や昆虫の保護についてだが、これも人間の胃や腸の働きと同様に考えなければならない。そもそも腸は内部に多量の細菌が住み着いていて、良いモノも有れば悪いモノも有る。しかしなぜ人の腸はその働きで悪い細菌を完全に殺してしまわないのか?。それは腸内が善玉だけだと善玉の仕事がなくなり戦うことが無いため緊張感が無くなり活性化しないのだ。もしも人が薬品を飲んで腸内細菌を退治しようとすると、腸内の悪玉の細菌は盲腸に逃げ込んで生き続ける、そして薬の効果がなくなると盲腸から出てきて再び腸内の善玉と戦いを始めるのである。要は人間の体内が完全に無菌化されると人体は弱体化してしまい、最悪は死に至ることになる。盲腸の働きはこのように人の健康上意味のあるものなのだ。 このことと森に住む鹿やイノシシそれに様々な昆虫(益虫、害虫)などと同じように考えてみようではないか。 動物が木の皮をむいて枯れ木にしてしまうとやがてその木は倒れて腐り他の木の栄養源となる。大木が倒れると森の中に陽ガ差して多くの植物が育つことになり森は豊かになるのだ。 また間違いかもしれないが、今の社会構造も似たようなものではないだろうか。ヤクザや暴力団が何万人も居るわけだが、彼らは落ちこぼれとか一般社会になじめない人をすくい上げる働きがある。職安に出向いても過去の経歴からなかなか一般企業に就職できない人に職を与えている事も考えられ、結果的に大きな犯罪を犯す危険性を減らす。ある意味で組織は自らの防衛のために好んで犯罪を犯すことは無い。 先日来話題になっているトキオのメンバーだが、大量に飲酒すれば犯罪を犯すようになり有害になるが、「酒は百薬の長」とも言うとうり、少しだけ害を体内に取り込むことによって健康に良いというのである。何事も適当にすることが長生きの秘訣なのだ。 ★温暖化に関する研究や測定をしている米カリフォルニア大のスクリプス海洋研究所がコメントを出した。4月の大気中のCO2濃度が410.31ppmを記録したという。1958年の測定値は315ppmだったというから、この60年間で約3割増となっている。大学はこの数値はついに地球の温暖化が危険なところまで来てしまったと指摘している。僕たちのような団塊の世代はどうでもいいが、学生や青年諸氏は長生きしたかったら地球温暖化について真剣に取り組むべきだろう。実に簡単なことだ、レジ袋の節約など何の効果もないことを悟り、無駄なエネルギーを使わないことだ。完全に無駄なこととは享楽に耽ることだ。スポーツの実施や観戦、様々なコンサートや芸能の中止、道路や鉄道建設の中止など我々の生活にとって無意味なものだけをやめれば、容易く大きな混乱も無く温暖化は減速するはずである。

【2018.05.06】
★何という爽やかな風だろうか..気温は28度ぐらいあるのだが南風のために丁度良いのだ。今日も相変わらず腰痛に悩まされているが、薫風の中負けてはならじと約5kmぐらいウオーキングしてきた。いま野菊の花が満開になっている、一口に野菊と言ってもシロにムラサキやピンクなど多様で花も八重咲きになったようなものまである。野菊は耕す人が去った畑を始め野山一帯に咲いていて風景に色付けをしている。自然とか風景というのはこうした花や雑草が支えているのだろう。社会も同じである、華やかなスポーツ選手や歌手が高収入で威張っていられるのも雑草のような底辺で働く人たちが有るからだ。 僕は雑草という言葉に励まされて生きて来たような気がする、それは中学を卒業する直前にクラスの仲間に回覧して自由に書いてもらったサイン帳に書かれていた言葉からだった。「あなたは雑草のような人。踏まれても立ちあがる、私は雑草を好みませんがその根強い生き方は立派だと思います...。」というような文だった。僕は何か有るごとに自分の考え方をいつも正義のように考えてきた。時には間違っていることもあったようだが今も正解だと思って生きて居る。 テレビを見ていると有名な芸能人でも貧乏な時期を過ごしてきた人がある。彼らは今の居場所をなくしても元に戻るだけだという心を持って居るのだろうか。僕は、ここで失敗しても元の一文無しに戻るだけのことだ、という考え方が大いに勇気を与えてくれた。これこそ雑草精神なのだが、でも今は変わっている。ここでどうなろうと死ぬだけのことだ..と言うようにだ。これも昔と殆ど変わっていないが正解だと思う。 明治維新で投獄された思想家たち、斬首された学者たちも自分の考えを信じて決して怯むことは無かったのだと思う。 僕はこのブログで他人に非難されたり、その筋から意見が来るような事も平気で書いているが、これこそ正しい生き方だと思っている。他人に恨まれると言う事は、別の人にとっては誉められる事でもある証拠だ。世の中に正論など存在しない、勝てば官軍というのと同義である。しかし人類皆が平等というようなことは社会が変わっても不変である。僕はそれだけではなく動物も昆虫も含めて命あるもの全てが平等であると思って居る。だからスポーツや趣味で釣をしたり、蝶や昆虫採集するようなことも人類の恥じであると思ってる。もちろん鹿とか熊とか猿までも駆除するという考え方や施策も大反対である。まず第一に共存を計るべきでなのである。地球は人間だけの物では無いのだという事が判らないようでは人としての価値が無い。

【2018.05.05】
★急に冷え込んできた、南アルプス山麓の山小屋では朝の気温が2度まで下がった。近くにあるキャンプ場はサイトが満員状態だったが朝の寒さには応えたと思う。僕が今日山小屋に到着したのは9時頃だったがまだ寒くて4月上旬のようだ。この低温のためか4月29日に行ったときに満開になっていた御衣黄桜はまだ満開の状態である。しかも薄緑色からピンクと赤が入った色に変わっていていっそう見栄えがする桜になっていたのは驚いた。 今日はBGM用の音楽を流すためのアンプが故障し先日持ち帰っていたが、修理が出来たので取り付けた。山小屋でBGMが必要なのは熊よけである、山道を鈴をならしながら歩くのと同じ事だ。音が聞こえると熊は寄ってこないから無駄な危険も避けられるし、音楽で気分良く過ごす事も出来る。 連休も明日までだが、待っていたように夕方から雨になるようだ。せいぜいストレスを発散してまた仕事に戻れたら幸である。 ★先日(3日)の夕刻に飯田市の大宮神社の近くの大門という地積で交通事故があった。4車線の道路で近くには交差点があり、交差点の横にはセブンイレブンがある。報道によると、このセブンイレブンの前(信号の無い場所)の道路を夕方7時頃に横断して事故に遭ったのだという。死亡したのは68歳の男性だと言うが、そう高齢でもないから横着をして渡ったのだろう。また事故のあった時間帯は最も事故の多い時間帯(薄暮の時期)である。 事故を起こした車は追い越し車線を走って居たようだが、走行車線にも車が走っていてこの車は横断者に気がついて止まったという、しかしこの場所でこの時間帯でこの状況を鑑みると、たぶん僕がこの事故を起こした車を運転していたとしても同様の事態に陥って居たと思う。もちろん警察官が運転していても似たような結果になったのではないだろうか。亡くなった人は申し訳ないが自ら巻込まれに行ったようなものだろう。近くに信号のある交差点があるにもかかわらず4車線の道路を夕刻に横断する..一般的に考えれば狂気であろう。 僕は毎日ウオーキングをしていてこの道路の歩道を毎日のように歩いているが、信号の無い場所で横断している人は一度も見た事が無い。 この事故を起こした後で運転者は逃げてしまった、これが大きな問題なのだ。救護していれば罪も軽かったと思うが、気が動転していて判断が本能的に逃げる方向に向いたのであろう。これは誰でも似たような傾向になることだが、すぐに停止して救護に当たるべきだろう。 車を運転していて事故を起こしたい人は一人も居ない、だから事故が有っても殆どは過失である。しかし逃げるとひき逃げとなるから罪が思いと言う事を自覚してからハンドルを握るよう心がけたい。 ★ハワイという島は海底火山が盛り上がって島になった場所だ。昨日はキラウエア火山が噴火して溶岩が流出しているようだし、地震も多発していて住民は避難しているようだが、火山の上に住んで居るリスクは日本と同様で大きい。しかし火山は様々な利益をもたらす代わりに時々噴火するだけだから、この噴火を御神火として奉っている島もあるぐらいだ、要するに火山は神様なのだ。日本人は火山も、巨岩巨石も、大木も、果ては鰯の頭だって神様にして奉る民族である。だから100年に一度の噴火よりも残りの99年の方を大切に考えているのは間違いではない。津波が起きて2万人死んでもなお海岸線に住みたい人が多いと聞く。人は生きる為に危険を顧みないものだ、言い換えれば危険を重要視していたら生きていけないのである。人の命はいつも危険と隣り合わせにある、例え火山でやられなくとも交通事故で死ぬ事も有る。だから阿蘇山などは火山のカルデラの中に人が住み町も有る。癌検診を毎年していても山で遭難する人も有る。要するに人の生死などそう深刻に考える物では無いと言うことだ。

【2018.05.04】
★この連休のさなかに悪い奴が居たもんだ。埼玉県で起きて居る連続放火事件の犯人である。まだこの犯人は捕まっていないが、放火は殺人事件に勝る重罪である。放火犯と言えば「八百屋お七」を連想するが、この放火事件はすぐに消し止められてボヤで終わった。しかし刑罰は重く鈴ヶ森刑場で「火あぶりの刑」となっている。確かにボヤぐらいで重すぎると思うが、今回の埼玉の放火でも死者が出ていることを考えれば死刑は当然であろう。 それに放火と言われながら連続して事件が続いていることも問題である。なぜ警察や消防は近隣の署から動員して巡回をしないのか。たぶんしているとは思うが規模が小さすぎるのではないか。松山刑務所大井造船作業場から脱走した男の捜索では1,000人以上の警官が動員され1ヶ月近くにわたり捜索が行われた。直接殺人事件に発展しないような事件でも自分たちのミスを早期に解決しようと言うときには多人数が動員され、関係無いようなときは通常の配備に近いような体制では真剣さが疑われるだろう。住民の安全を守るためにも、1万人位を早急に動員して巡回や監視カメラの設置など、出来る限りことはすぐに始めるのが常道であろう。 ★こうした事件が有るにもかかわらずテレビニュースのトップは各局ともアメリカに居る野球の「イチロー」が戦力外通告されたというような下らない話題がトップだった。スポーツ選手で44歳にもなれば大概は自ら身を引くのが当然であろう。いつまでも野球にしがみついていないで何か他に人生の楽しみを発掘したらどうだろうか。何でも出来る人だと思うから、野球しか出来ない(やらない)人生など面白くも何ともないと思うのだが..。 いつまで経っても過去の栄光に拘ったり、議員バッジに拘ったりする者が多いが、これは拘りでは無く執着である。こうした執着が例えば会社経営者を奈落の底に落とす事が多い。人生諦めるときには潔く身を引くことが大事にならない秘訣であろう。昔から執着のことを「女々しい」(めめしい)と言ったが、これも男女差別の表現になるのだろうか。最近はちょっとした言葉でもセクハラ発言だと非難されるが、実は同じ言葉でも男からすれば褒め言葉というモノも有る事を知ろう。 言葉尻を捕まえて屁理屈を付けていがみ合う社会は本当に住みやすい社会なのだのだろうか。我々の年代になると「昔は良かった」という言葉が往々にして使われる。要するに六法全書など参照しなくとも常識の範疇で生活出来た時代のことである。なんでもかんでも裁判所に行くという昨今に比べたら明らかに住みやすい時代だったのは間違いない。 昔は裁判所の代わりに村長とか村の名士などが活躍して大概の揉め事は彼らが仲裁して収めていたものだ。今の時代はこうした誰もが信用できて尊敬できるような人物が居なくなったことも住みやすくない原因の一つであろう。まあ今の時代は揉め事の仲裁など買って出ると馬鹿者扱いされるのが落ちである。

【2018.05.03】
★連休後半の天候はあまり良くないようだ、野山に出かける人にとっては残念であろう。景色も空気も晴れた日でないと満喫出来ないが、この雨によって野山の緑はいっそう濃くなってきたので明日からは楽しめるだろう。 最近になって腰痛が悪化してきた、腰にコルセットを巻いてウオーキングしたが、どうもこの原因は歩くことに原因があるように思う。70kg近い体重を支えるのは足と腰の関節である、僕は足の関節は良いのだが腰が弱いのだ。 昔から机に向かって座っている仕事が多かったため、畑仕事のように腰を曲げる運動をしていなかった。だから腰の筋肉が発達していないのだろうと思う。中年過ぎるとこうした身体のアンバランスが表面に出てくる、今さらながら上半身を鍛えるスポーツをしておけば良かったと思うが時は既に遅しということだ。あとの後悔先に立たずという諺どうりである。 ★戦後の日本では民主主義とか資本主義が尊重され猫も杓子も良いと思って突き進んできた。その後経済も世界を追い越すように成長し生活も平均的なレバルになったから安心していたのだが、最近になってこの資本主義という制度が日本人に悪い影響を与える根源になってしまった。明らかに資本主義の行き詰まりであり、副作用が勝ってきて取り返しが付かないところまで来てしまったと言う事だ。 今の時代は1862年にアメリカでエイブラハム・リンカーンが、南北戦争中に宣言した「奴隷解放」以前と同じ様相になって来てしまったのである。労働者と資本家の間に白人と奴隷と同じような身分差が確立されてしまったからである。この身分の二極化は江戸時代の士農工商の時よりも酷いもので中間層が無いのだ。だからパワーハラスメントが横行し、死ぬまで働かせようという様々な法改正も行われる。更に資本家は国会議員と組んで税金までも我が物にする。例の森友学園や加計学園の事件もこうした土壌が生んだ犯罪なのだが、誰も責任をとるどころか知らぬ存ぜぬが通用してしまう。このためには国家の重要な文書は改ざんされ、マスコミや裁判所までが忖度の仲間として協力してしまう。まさに昨日捕まった逃亡犯人が語った「看守が嫌いだった」という言葉にも表れているような気がする。今の労働者はこの看守と服役囚と似ていると言っても良いだろう。しかし労働者はこの事をあまり実感していないと思う、それは極端に短期間に変化したのではなく、日本列島改造論以降に徐々に行われてきたからである。馬の子供が生まれてから毎日抱いていると親馬になっても抱けるようになる..というたとえ通りである。 明らかに日本人は働く事の意味を間違えてしまった、それは過ぎたるは及ばざるが如しで、働けば働くほど格差が広がっていき奴隷化してしまうということだ。何でも適当にやることが格差を広げないようにする最良の方法であるからすぐに実践したい。

【2018.05.02】
★何とか午前中は降らずに済みそうなのでウオーキングに出かけたが、今日は記念すべき一日になった、というのも四国遍路(徒歩で1周1,200km)を3周したのである。計測にはヤマサというメーカーの歩く遍路(GK−600)という万歩計を使っている。この万歩計はスグレ物で3方向加速度センサー採用を採用していて、その場で足踏みをしても一歩も進まないし、車で移動しても進まない。実際に歩かないと記録に出ないのだ。歩数と距離は補正することが出来て1歩で進む距離を個人的に実際に測って入力し換算するようになっている。また四国遍路と言うだけあってゲーム性もある、遍路中にその場所に見合ったお接待イベント(特産品・観光名所・方言での説明)や和尚さんの説法まで表示される。地図とグラフで次の札所までの距離も表示され毎日の目標が立てやすい。この機種を買ってから612日経った今日、ついに3周し3,600kmを走破した。雨の日も風の日も雪の日も歩いた、そして大晦日も元旦も歩いた。たぶんこの約2年間に2日ぐらいしか休んでいないと思う。写真でも紹介しているが、歩いた歩数が429万歩でウオーキングに使ったカロリーが21万キロカロリーである。 足腰が強くなったと思うかもしれないが、実は最近になって腰痛が悪化した、歩きすぎが原因かもしれない。しかしこの2年間は風邪も引かないし医者にも行かなかった。 ともかく身体にとって有益なのかどうかは不明だが、連続して1時間歩いても何ともないので心臓は強くなったのかもしれない。 歩く途中で大勢の人や犬と知り合いになったし、ヤギとも知り合いになった。 多くの花や植物と接して名前も覚えたし写真もいっぱい撮った。ムシもチョウも「捕るより撮れ」というのが僕の信条である、道路に出てきたミミズやアリを助けたりもした。野良猫にもいっぱい出会ったしタヌキなどの動物にも出会った。 とにかく歩き回ることは素晴らしいことで、それは僕の父親が教えてくれた。歩かないと頭もだめになってしまう、と言いながら父は真夏の暑い日もフキの葉っぱを日除けにして歩いていたものだ。ほとんど病気もせずに93歳まで長生きしたのも身体を動かしていたためだろう。しかし人の寿命は永縁では無く誰にも平等にあって、如何に足腰を鍛えても「誤えん」には勝てなかった。 明日からは4周目に入るが、一日あたりの距離を縮めて一日4km以内に止めよう思って居る。なぜならウオーキングを始めて既に14年になり足の指が外反母趾に近い状態になってしまったからだ。靴を履く時間が多かったせいだと思う。何でもやり過ぎると、やり足りない人と同列になってしまうと言う事であろうか。

【2018.05.02】
★五月になった途端に30度近い真夏のような暑さである。午後は外に出るのをためらって昼寝をしていた。明日からは下り坂で気温も下がると言うが、こう気温の大きな変動があっては時として目眩さえ起こしてしまう。 しかし空気は爽やかで黄砂も無いため南アルプスや伊那山脈の緑の山並みが美しい。しかし世の中にはこうした風景に見とれている隙も無い人も多い。観光地で働く人も、農業の人も遊んではいられない連休なのだ。 ★もう一人の人物も風景など見る暇も余裕も無かっただろう、昨日捕まった刑務所の作業現場から逃走した受刑者である。良くも長期間にわたって逃げおうせていたものだ。海を泳いで渡ったと言うが、それほどの危険を冒してまで何故逃亡したのだろうか。もう少し辛抱すれば社場に出られただろうという話だが他に何か理由があるのだろう。一部の報道によれば妹が病気になっていてどうしても会いたかったと言うことだった。 顔つきとか逃亡の様子や捕まったときの言葉などを総合すれば、たぶん彼はそう悪い人間では無さそうである。 刑務所も捕虜収容所と変わらないと考えれば脱走は誉められる事だが..。 以前北海道に行ったときに網走刑務所を見学に行った。入り口付近に小さな売店があり、そこで人気の土産が昭和の脱獄王と言われた白鳥由栄という服役囚の名前を冠した菓子であった。僕は迷わずその菓子を何個も買ってきたが、品名が確か「網走脱獄饅頭」というものと「網走から帰りました」というものだったと思う。なんとも国の施設でありながらふざけた商品名だと思ったが、刑務所のカネ稼ぎだと思えば許せる範囲だろうか。 この白鳥由栄は最も監視の厳しい網走刑務所を26年間に4回も脱走に成功している。その根性とアイデアが素晴らしいから紹介しておきたい。一度は身の軽さを生かして天井の梁を伝って逃げたという。次は食事の時に付いてくる味噌汁の汁を監視口の鉄格子と手錠に吹きかけて塩分によって腐らせて切って脱獄した。何れも6人の看守が24時間見張っていて起きたもので看守の業務のいい加減さも原因だろう。 脱走した原因を調べてみると彼なりに言い分があり、正当防衛で殺人を犯し逮捕され死刑判決を受けたことに大きな怒り覚えて脱走を決意したと言う事だ。 最後の脱走後に逮捕されてからは模範囚になり、仮釈放され土木作業員として真面目に働いたというが、1979年に死去した。 彼が真っ当な職業に就いていれば数々のアイデアで大企業の部長ぐらいになれたかもしれないし、持ち前の特技を生かして芸能人になっていたかもしれない。なぜなら彼の身体能力はオリンピック選手など足下にも及ばないものだったからだ。1日に120km走ったり、手錠の鎖を素手で引きちぎった。米俵(60kg)を両手に持って手を水平に上げることが出来たという怪力自慢だった。 ともかく裁判にも間違いも有るし、事件には官主導の冤罪もある。こんな社会に埋もれて分からない真実を追究するためにも脱走行為をそう重い罪にしては可哀想な気さえする。要するに社会に蔓延する権力に対して、脱走という行為を人間として生きる為の手段の一つとして残したいと言う事である。犯罪を犯して退職金(税金)を満額受け取って退職し知らん顔という物と者達こそ刑務所は相応しい場所なのだが..。